ジョジョ・ラビット:注/ネタバレあり

映画「ジョジョ・ラビット」を観ました。まず、この映画は前情報なしに観た方がよい作品と思うので、もしまだご覧になってなくて、観ようかなと思っている方はこの先はお読みにならないことをお勧めします。有名人のコメントとか映画のレビュー記事とか何も知らずに観た方がよい。

それを踏まえて、劇場に行こうかどうしようか迷っている人には自信を持って足を運ばれることをお勧めいたします。

さて、ここから先は観られた方と感動を共有したく、感想を少し。まず僕はこれを「戦争映画」だと思いました。

僕はもう戦争映画観たくないんだよね。プラトーンとかランボーとかあの頃は平気だったんですけどね。1965年の日本に生まれて育って、戦争というのはどこか遠くの国の話で自分とは関係ない。非現実的な事象だと考えていたのだと思います。年を重ねるごとにだんだん人ごとじゃないってことがわかってきてね。人と人が殺しあってるの見るのも普通に嫌だし、アメリカの戦争映画なんかはナショナリズム育てるためのプロパガンダみたいにも感じるしね。

なので随分と長い間、意図的に戦争モノから遠ざかっていた。

でも、やっぱり観なきゃいけないんですよね。世の中には目をそらしてはいけない物事がある。ナチスドイツのユダヤ人迫害なんかね。もう見たくも知りたくもないんですよ。できればすべてなかったことにして忘れ去ってしまいたい。でも、それじゃいけないんだと思います。そしてそれがそのままこの映画の製作者のメッセージだと僕は感じました。

本当はもっと戦争の悲惨さをガチで訴えたかったんじゃないのかな。だけどそんなもの、誰も見たがらない。だから敢えてコメディー映画のセオリーを取り入れた。ナチスがテーマらしいけどコメディーなら観てもいいか。つって劇場を訪れた観客、すごく多いんじゃないかと思います。実際、僕の隣の席の人なんかも笑う気満々で来てて、冒頭のたいしてそこまでおかしくもないところで大声で笑ってみたりして(ちょっとウザかったです。)、途中で笑えなくなって、帰りは静かになってましたけどね。

なので、「やられた!」というのが、感想です。

そしてもうひとつは、やはり「音楽の力」ですね。あれはズルいと言うか、今、思い出しただけでも涙が出てきそうになります。

僕は実はデヴィッドボウイの音楽があまり好きではないんです。僕のまわりの音楽好き人間の間では概ね「デヴィッドボウイは偉大だ素晴らしい!ハイルヒトラー!」みたいなことになっていて、まあ僕もそんなことで迫害されてもしょうがないから黙ってるんですけど、正直デヴィッドボウイの音楽が何でそこまで評価されるのかよくわからない。

だけども今回、なるほど、彼の音楽はこういう風に人の胸の中を突くんだなというのがわかって、みなさんの気持ちが少し理解できたような気がしました。

話はそれますけど、嫌いな音楽がはっきりしているというのはDJとしてはよいことだと思っています。違いがわかってるってことだからね。逆に「音楽は何でも好き」みたいな人の言うことはどうも信用できないよなあ。

映画っていいなあ。

告白

セルフオーガナイズができてない。というと何だかちょっとかっこいい感じがするけれど、つまりはうっかり者、不注意な人間である。きのうは車の鍵を落とし、最近ではシャンプーを洗い流すのを忘れてそのままサウナに入るという小さな事件を起こした。もしかして痴呆症なのではないかと不安になることもあるが、不注意は子供の頃からなので、そうだとしても老人性というわけではないと思う。普通の痴呆である。

そんなわけだからモノをよく無くす。最近は痴呆に健忘が加わり、無くしたことも忘れてしまったりして手に負えない。モノは所詮モノ、しょうがない。と執着せずに諦めることにしているが、どうしても忘れられないものもある。

師エスケンに帽子をプレゼントしてもらったことがある。南アメリカのどこかの国からの輸入品だと聞いたが、存在感からしてそうとう高価なものだと思う。エレガントなベルベットの太巻きリボン、頭に吸い付くようにぴったりなサイズ、肌触りのよいマテリアル、美しいシルエット。本当にお気に入りで、DJする時は必ず被ってトレードマークになっていた。

エスケンさんも「上げた帽子を被ってくれて嬉しいもんだねえ。」なんて、まるで孫に誕生プレゼント上げたおじいちゃんみたいになって喜んでくれて幸せだった。

帽子は好きでたぶん100以上持っているが、本当に気に入るものには滅多に出会えない。というか、出会ったことがない。もしかしたら、一生にひとつ、見つかるかどうかぐらいの確率かも知れない。つまり人生とは「正しい帽子を探す旅」であると言い換えることができるわけだ。

私は師に導かれその使命を果たすことができた運の良い人間である。エスケンさんのことを無意識に(そして勝手に)「師」と呼んでいたが、ちゃんと筋が通っていたのだ。

文脈から想像するに容易いと思うが、その通り。よりによってその帽子を無くしたのである。気がついたら消えていた。どこでどう無くしたのか全く検討がつかない。まだ酒を飲んでいた頃の話だが、暴漢に襲われて身包み剥がれたとしても帽子だけは守ったと思う。羽が生えてどこかに飛んでいったとしか思えない。

実は紛失についてエスケンさんには何も伝えていない。言えるわけがない。でもたぶん、マックロマンスは最近あの帽子を被ってないなあぐらいのことは何度か思っているに違いない。心が痛い。エスケンさんがこのブログを読んでいるとは到底思えないが、もしかして誰かから伝わって目にすることがあるかも知れない。面と向かってはとても告白できないので、ここに謹んで謝罪の意を表明する。って偉そうだな。本当にごめんなさい。

帽子の紛失からもう3年、もしかしたら5年ぐらいになるが、あの帽子が頭に乗っかっている時の興奮感は忘れない。身に着けるものは人にパワーを与えるし、奪い取りもする。人が服を作るのではない。服が人を作るのである。

Photo by Noah Suzuki

初老パンク、今度はアメリカを征く

ツイッターやフェイスブックなどでちょくちょく見かける「情報解禁」という言葉がある。ライブイベントなどの案内をお知らせする際にアーティストたちがよく使う。まあこう言っちゃ何だけど売れてない奴ほど使いたがる。

情報の開示をもったいぶるのであれば「解禁」される情報もそれなりでなくてはならない。シロートのライブ情報なんぞ、誰も期待してないのにわざわざ勿体ぶる様子は滑稽で、やめればいいのにと思う。思うが、気持ちはわからんでもない。

昨年のヨーロッパツアーに続いて、この春、古巣のゴスバンド、クリスチャン・デスの北米ツアーに参加することが決定した。例によっておそらく何の話題にもなるまいが、自分的にはまあまあ大きなニュースなのでここに記しておく。

前回はほとんど記録を残さず、すでに自分の記憶からも消えつつある。ちょっと勿体無い気がする。今回は「ツアー日記」のようなものを記しておこうと思っている。このブログを使うか、ツイッターなどのSNSにするか、オフラインのメモ書きとかにするか、ちょっと迷っている。

写真はヨーロッパツアーでのひとコマ。35年前のデビューの地=ロンドンはカムデンのクラブの前にて。撮影はロンドン在中の日本人フォトグラファーSHU TOMIOKAさん。

追記:いろいろ考えてKOTA(私の海外でのDJネーム)のツイッターを今回のツアーの記録用に使うことにした。もともと備忘録用に特に告知もせずに使用していたアカウントで、ほとんどフォロワもいない。

DJ情報

MACROMANCE / MUSIC IN THE FOOD

2月4日(火)19:00-23:00h @CAY 入場無料

キダオレ日記(春コート)

コート:JUNYA WATANABE MAN

パリのファッションウィークのレビュー記事を見て、このコートを手に入れたいと思った。シーズンが開けて早速、六本木ヒルズのストアを訪れたが、入荷されておらず。クルーの方が調べてくれたところ、国内には広島と丸の内、にそれぞれ一着のみの入荷だと判明した。しかも僕の適正サイズであるXSは丸の内店のみ。その足で同店を訪れ、即決で購入した。

物欲がどんどんなっていく中で、コム・デ・ギャルソンの服だけが僕を魅了し続ける。コムデに袖を通す時、僕は「愛されている」と感じる。他のブランドの服ではあまり得ることのない感覚だが、BLACKを着ても、HOMME PLUSを着ても、JUNYAを着ても、コム・デ・ギャルソンにおいては同じように愛を感じる。

それは「作り手が着る者を思う気持ち」というような売り手買い手の間に芽生える美談的な安っぽい感情ではない。もっと壮大な、言わば「神の愛」である。サーフィンをやっている時に海から愛を感じることがあるが、体感としてはそれに一番近い。

以前、どこかで同じような話をしたら、先輩で友人のハリー山下に「ブランドは売上を上げたいだけで、マックロマンスはそれにうまく乗せられてるんだよ。」と身も蓋もないコメントをもらって、少し凹んだが、まあ正論ではあると思う。他人からはきっと宗教に狂信的にのめり込む猿のように見えるのだろう。

他方、コム・デ・ギャルソンもサーフィンもなかったら、おそらく僕の生活はもっと苦悩に満ちたものになったと思う。それ(つまり安らぎである。)を提供してくれているチームに「売上」という形で貢献できるのであれば、それは本望でだ。

やれやれ、たかがコート買ったぐらいで大騒ぎしすぎだな。嬉しいのである。

キダオレ日記

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アンダーウェア:5351 POUR LES HOMMES × BETONES

個人事業主になってから毎年、一月は確定申告の書類作りと、そのプレッシャーにつぶされる。思えば人生の半分以上の一月を憂鬱な気分と共に過ごしているわけで、それを思うだけで事業なんか始めなければ良かったと悔やんでも悔やみきれない。と、のっけから愚痴でスタートした2020年。まあ、せめてパンツぐらいは新調して気分良くいきたいもんだ。

CUT UP & REMIX

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そういうことはやらない方がいいよと言われたが、googleに「マックロマンス」と打ち込んで検索してみた。(暇なのだ。)ディスりも含めて、たいして目ぼしい情報は得られず、自分の社会への影響力の低さ(ほとんどゼロ)を再確認することになり、別の意味で少し気分が落ちる結果となった。

しかし収穫も全くなかったわけではなく、削除していたと思っていた過去のブログ記事を発見。いくつか目を通してみたが、なかなか良いリズムの文章で、読ませる。少なくとも文章を書く能力については、今よりもその当時(15年ぐらい前だろうか)の方がずっと高いように思った。つまり私は退化しているわけだ。

ただし、文章の内容についてはいただけない。社会や政治について辛めの意見を突きつけるものが多いのだが、本当にそう思って書いているのかあやしいのである。盗作とまではいかないまでも、他人が書いたものを読んで、それを自分の文章に書き換えて、あたかも自分のものであるかのごとく表現しているのがわかる。他人にはバレないかも知れないが、書いた張本人にはわかる。

何だ、今やってることと同じじゃんね。サブジェクトは文章から音楽にかわったが、現在自分がやっているCUT UP & REMIX、”他人の曲をサンプリングしてリミックスし新しい曲に作りかえる”と全く同じである。私はそういうことが得意、うむ、少なくとも好きであるようだ。

そんなことを考えながら、朝っぱらから雑誌をやぶったりコピーしたり、CUT UP & REMIXは題材を特定しない。理論もいらない。オリジナリティーなんて概念を否定するところからスタートする。私はそれを「自由」と呼ぶ。

2020年も青山からスタート

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2020年もDJはホームのCAYでスタート(1月7日火曜日よる7時〜)です。4時間ノンストップミュージック。もちろんアナログレコードオンリーです。

今年最後のDJは東京湾クルーズ

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今年は初の海外DJツアーを敢行し新展開があったものの国内での活動は尻すぼみ、DJとしてはイマイチぱっとしない1年になってしまいました。しかし懲りずに来年もやりますよ。たぶん今後は海外での活動に軸足を置くようになる気がしています。ともあれ1年間大変お世話になりました。最後は東京湾クルーズ。せっかくなんでね。少しおめかししていらっしゃるとよいかも知れません。

+ + +

”EXTRA+”シリーズは東京アンダーグランドジャズシーンの重要人物=TOSHIHIRO ONOさんが手がける東京湾ナイトクルージングイベント。

EXTRA+FRIDAYではマックロマンスがレギュラー出演しています。

12月20日のマックロマンスは、シンガーで詩人のChihiro SingsさんとのDJ+ポエトリーリーディングのスペシャルセッション。音のループとポエトリーで東京湾上の時空間を美しく演出します。他にもTOSHIHIROさんが厳選したDJやミュージシャンが集結。クリスマス前の金曜日にふさわしい特別な夜をぜひご体感下さい。

MACROMANCE feat. Chihiro Sings in EXTRA+FRIDAY

12月20日(金)at JICOO THE FLOATING BAR

■TIME:
19:30-23:00
Hinode Pier | 20:00 21:00 22:00
Odaiba Seaside Park | 20:30 21:30 22:30
船は日の出桟橋とお台場を往復しつつ30分おきに着岸しますので、どのタイミングからでも乗船可能です。
■VENUE:
Jicoo The Floating Bar
http://www.jicoofloatingbar.com
■CHARGE:
2,600yen (Floating Pass)
フローティングパスは船から降りない限り乗り放題です。料金には乗船料、エンターテインメント料が含まれます。
■MUSIC SELECTOR:(予定)MACROMANCE feat. Chihiro Sings / MORIKEN / TOSHIHIRO ONO / Airi

And more…

ご予約はマックロマンスまでダイレクトメッセージお願いします。

ラジオ体操とほうれん草

最近の口癖は「前にも話したことあると思うんだけど」。これも前に話したことがある気がするが、今朝、茶のための湯を沸かしていてる途中に記憶の扉が開いたのでここに記しておく。

小学校1年か2年だったと思う。体育の授業でラジオ体操の練習をさせられていた。「体を回す運動」の途中で教師から「やめ」の号令がかかった。「ホンダ(僕の本名だ。)くん、ちょっとこの運動をみんなの前でやってみて。」

僕はおそろしく運動神経の鈍い子供で体育は本当に苦手だった。走るのが遅いぐらいなら他人に迷惑はかけないが、球技などでは僕の入ったチームが負けて忌み嫌われるし、本人は真面目にやっているのに、奇妙で予測不可な動きをする様子がふざけているように見えるらしく、笑い者になるのを通り越して怒りを被ったり、体育の授業はまあ控えめに言って地獄だった。

その日のラジオ体操でもきっとまた変な動きをしていたのだろう。教師は「悪い手本」としてわざわざクラスメートの前で僕にその運動をさせるわけだ。公開処刑である。

僕は顔を真っ赤にさせ、体をブルブル震わせながら、校庭に体育座りで整列したクラスメートの前に出て、ひとりで「体を回す運動」をやった。

体を回す運動:両腕で円を描くように体を大きく回す。左右2回繰り返す。腰周辺の筋肉をほぐし柔軟性を高める。

「ホンダくんの運動をどう思いましたか?」

僕の一連の運動が終わった後で、教師が生徒らに尋ねた。僕は顔を真っ赤にしたまま、涙が出てきそうなのを堪え、下を向いて突っ立っている。

「はい!」

イシマルさんが手を挙げた。イシマルさんは学級委員長で勉強ができて、明るく、クラスの人気者で、そして小学生でもそれとはっきりわかるような美人だった。家もお金持ちだったと思う。

「何だか動きがちょっと変だと思います。くねくねしていて。」

生徒たちが顔を見合わせながら「そうだそうだ」と彼女に同調した。

「ふうん。動きが変。なるほど、他には?」

クラスメートはざわざわしていたが、それ以上意見をいう者はいなかった。

「ホンダくん、もう一回やってみて。」

僕はもう教師に殺意を抱きながら、もう一度そのくねくねダンスを披露した。

「みなさんホンダくんの動きをよく見て、ほら、体を大きく動かして綺麗な円を描いているでしょう?とても素晴らしい。このようにすると腰の柔軟性が高まるのです。みんなもホンダくんのように円を作るように体全体を使って動かしてみてください。ホンダくん、戻ってよし。ありがとう。」

今度はイシマルさんが赤面する番だった。生徒たちは「オレも実はそう思ってた。」みたいな顔をして、体を回したり、友達同士で動きを見せ合ったり、僕のことを羨望の目で見るような奴もいた(おそらく僕の妄想だろう。)が、チャイムが鳴った瞬間に、すべてなかったことのように僕以外の者らからこの授業の記憶が消えた。

+ + +

ある日、給食の時に、イシマルさんが下を向いたまま大粒の涙をボトボト落として泣いていることがあった。ほうれん草にアレルギーがあって食べられず、それで泣いているらしい。給食は好き嫌いをせずに、よく噛んで、残さず全部食べましょう。というのがルールだった。責任感の強い生徒だったから、学級委員長の立場でそのルールを守れないのが悔しかったのか、あるいはこの不幸を受け入れられず悲しかったのか。

今にして思えば、その時に彼女の机のところに行って、ほうれん草をムシャムシャ食べてやればよかった。その頃の僕は内気で、暗く、自分のことだけで精一杯のダメな少年だった。(そしてほぼその時のまま大人になった。)

ラジオ体操を真面目にやっても、柔軟性のある体にはならない。今年2度目のギックリ腰は患ってからもう3週間になるが、まだ大好きなキックボクシングの練習ができるまでには治っていない。ヨガや整体いろいろやったが、大した効果はない。まあ腰痛は持病らしく、うまく付き合いながらやっていくしかないようだ。

ほうれん草は好きでよく食べる。葉酸が体に悪いという人もいるが、ここまで生きられたんだからそれで多少寿命が縮んだところで問題ないと思っている。特にインド料理のほうれん草とチーズのカレーが好きで、こうやって話をしている間にも食べたくなってきた。

映画鑑賞記 ”ドルフィン・マン”

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自分の方は特に何も悪いことはしていないはずなのにちょくちょく理不尽な扱いを受けたり、トラブルに巻き込まれたりする。そこまで大きな問題に発展せずとも、何だか自分だけ損をしながら生きているような気がする。そういうのは全て前世での行いが悪かったから今になって罰を受けているのだそうだ。前世の自分が何でどんな生き方をしていたか知る術もないが、よほどの悪事を働いていたらしい。何だかフェアじゃない気もするが、受け入れるべきは受け入れるしかなかろう。

映画館を訪れると、どういうわけか前の席の客の座高が高い。あるいはテンガロンハットをかぶっている。もしくは巨大なアフロヘアーだったりする。それだけでもまあまあ前世を恨むが、きのうの客は身長190センチぐらいある巨漢の上に、館内でビへイブが非常に悪かった。すなわち映画に集中できずに何度もスマートフォンを取り出してはオンにして何やらチェックしている。しまいにはそれを落とし、でかい身体をシートの下に潜り込ませてもごもごやっている。分別のわからない若者ならいたしかたない部分もあろうが、年の頃、私たちと同年の中高年である。連れの女(おそらく妻だろう。)が、注意でもすれば良いものを、そんなそぶりもなく、やっと落ち着いた男の肩に頭を乗せて気持ちよく眠りに入りそうな始末である。

注意のひとつでもしようかとは思ったが、私は肝っ玉の小さい人間なので、仮に相手が下に出て謝罪したとしても、そのことばかりが気になってとても映画を楽しむことはできぬだろう。もし相手が強気に出た場合の被害については想像するだけで憂鬱になる。

そんなわけで60%ぐらいの感じの映画鑑賞だったが、まあ結論から言えばそれなりに楽しめた。

我々は25歳ぐらいでグランブルーに直撃された世代である。私が経営していた自由が丘のバーが南欧風のデザインだったり、店名がフランス語なのも、グランブルーの影響が大きい。私の友人には生まれた子供に「ENZO」と命名した者もいるぐらいだ。なわけで、海やイルカやダイビングに興味がなくてもジャックマイヨールのことはだいたい皆知っている。彼が日本に住んでいたことや、晩年、鬱病を患って自殺したことも、別段、新しいニュースではない。

それでもこの映画はやはりグランブルーでは語られなかったリアルなジャックマイヨールの素顔に迫っていると思った。グランブルーのファンタジーに酔いしれた私たちは、こちらも見なければならない義務がある。

そんなことを想定したかどうかは知らないが、ナレーションをジャン=マルクバールが担当している。「私」と一人称を使い、ジャックマイヨール自身に成り代わってストーリーを紹介していく。役者としては他にそこまで大きな成功を収めた記憶はないが、グランブルーに関して言えば彼以外に適役はいなかったと思う。

70にもなって自死するって、どんな感じなんだろう。よほど前向きでパワフルな人間じゃないと死ぬ気も起きないような気がする。

死ぬ少し前にジャックマイヨールが雑誌のインタビューに答えているのを読んだことがある。リュックベッソンに映画についてイチャモンをつけている内容で(自分を映画に出せばよかったとか言ってたと思う。)カリスマにのくせにちっちゃいことばっかり言っていてまあまあかっこ悪かった。個人的にはそういうところに好感を持ってしまう。いいじゃんね。人間らしくって。

死ぬに死ねない

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DJやミュージシャンは11月がいちばん忙しい、はずなんだけど、私のスケジュール帳は年内真っ白。今年のDJも残り1本で終わりです。とは言え、もうすでに来年の準備は始まっている。今年は夢のDJ海外ツアーが実現した(こんなに話題にならないとは思っていなかった、つーか、もう少し話題にしてくれよ。50からDJはじめて海外ツアーまで漕ぎ着けれる奴は世の中に一体何人いると思ってんだ?と思うけど、まあ誰も興味ないんだからしょうがない。でも実現はしました。)ので、来年はまた別方向でこれまでやってないことにトライしようと思っています。日々修行ですわ。

最近は本当に毎週のように親戚やら知人が亡くなったニュース。自分もいつどうなるかわからんぞってことで、生命保険を見直したんだよね。遺族が受け取る死亡保険金とかが増えたわけなんだけど、今回の契約、三年内に自殺したら全てがパアになるそうで、まあ自殺なんかする気は毛頭ないのだけど、仮に死にたいと思っても死ねないわけで、本当にまあ消費税の計算はややこしいし、ライブハウスでタバコも吸えない(自分は吸わないけど)し、何だか不自由なことになってくな、この世の中は全く。

何をやるにしても予定を立てなきゃね。ってんで、2020年度もダイアリーはモレスキン。

キダオレ日記:タオル

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タオル:5351 POUR LES HOMMES

多汗症である。非常にめんどくさい。特に冬場が困る。寒さの中でも少し運動などしようものなら体の芯が燃えて汗が噴き出すのである。僕の通うキックボクシングジムがある大岡山商店街をよく歩く人なら、木枯らしが吹く真冬の夜にノースリーブに半ズボン姿で寒さにぶるぶる震えつつ噴き出す汗をタオルで拭きながら歩く僕の姿を見かけたことがあるかも知れない。

汗かきってことはつまり、体から常に蒸気を放出しているわけだ。例えばスキーに行った時、ちょっと滑っただけで発汗しゴーグルが真っ白に曇って使い物にならなくなる。もちろんゴーグルには空気孔が開けられているのだけど、これが何の役にも立たない。

僕は戦闘機のパイロットには絶対なれないだろう。ヘルメットの内部が汗で曇って前が見えないでは敵に撃ち落とされる前に墜落して終わりだ。

現在は研究も進み、多汗症にも様々な治療法があるらしい。しかしこれを受けるつもりは毛頭ない。寒かったりめんどうだったりするけれど、汗をかくのはやはり気持ちが良いのである。逆に治療で発汗を押さえ込んでしまった場合、体の中に放出できなかった汗がたまると思うと非常に気持ちが悪い。治療を受ければパイロットになれると言われても、やはり僕は汗かきのままでいたいと思う。

言いたいことは別にない。新しいショップ・ミュージックを納品に5351の代官山店に行ったら良さそうなタオルを見つけた。

*ちなみに:現在5351 POUR LES HOMMES 代官山フラッグシップショップではマックロマンスの新作DJクリスマスミックスが流れています。お買い物の際はぜひ耳を傾けてみてください。

映画鑑賞記:ターミネーター(ネタバレあり)

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映画「ターミネーター:ニューフェイト」を観た。

映画鑑賞はミニシアター系(というカテゴライズの仕方もあまり好きではないのだけど)が本流だが、ハリウッドムービーも好きで良く観ている。

アメリカの映画は主人公(男と決まっている。)が仕事や趣味やイデオロギーや友情に情熱を燃やしていて、パートナー(多くの場合「妻」という設定だ。)がそれを邪魔するという設定でストーリーが構成されている。アフガンで戦う戦士、凶悪犯と対峙する刑事、研究に没頭する学者、彼らは申し合わせたかのように妻の誕生日を忘れ、結婚記念日を忘れ、子供の発表会に顔を出さず、まるで家庭を顧みないことに美学があるかのようである。制作側もさすがにその部分をわざわざ説明するのが面倒になってきたのか、最近では物語の最初から妻に離婚されているケースも少なくない。「妻」が最初の15分ぐらいで死んでしまうストーリーが多いのも最近のハリウッドの傾向だと思う。要するに主人公の男が妻や家庭をないがしろにして、仕事や友情を大切にするというのがアメリカ映画の定型で、不理解なことにないがしろにされている側、つまり女性や子供たちも、それを受け入れて映画を楽しんでいるように見える。

これはアメリカが「移民の国」であることが原因であるのだそうだ。(僕が思いついたのではない。そういう話を聞いたことがある。)最初の移民は男女比で言うと圧倒的に男が多く、パートナーや家庭を持てる男性はごく一部だった。妻や家庭よりも仕事や友情を重要視しないことには自らの存在意義が否定されてしまうという状況だったわけだ。その名残が映画という媒体を通じて現在まで続いていると言うのである。

事の真意はよくわからないが、アメリカの映画が長く男性至上主義によって描かれてきたのは事実だと思う。我々はそれをたいした違和感もなく受け入れてきた。(日本映画も男性至上ではあるけれど女性の立ち位置はアメリカのそれとはまた異なると思う。また機会があったら話題にするかも。)

で、ターミネーターである。写真でもわかるように主人公は女性たち。彼女らが敵の悪役(機械だが男性の容姿をしている。)と戦って勝つという極めてシンプルなストーリー。男たちも多数登場するが、彼らはみな悪役に殺されてゆく。(つまり役立たず。)。

で、肝心のシュワルツェネッガーがどこで登場するかと言うと、物語の中盤で出てきて女たちと戦うのかと思いきや、何と彼女らと一緒になって敵と戦うのである。そして、何と、シュワルツェネッガー、それなりにおじいさんになっている。(機械だぞ。)

つまりこれは「戦う女たちとそれを手助けする老人」の話なのだ。

アメリカが変貌したがっている。これからは女と老人の時代がやってくるかも知れない。これから老人になろうとしている自分にとっては明るい話かも知れない。しかし、未来からやってきた得体の知れないロボットと戦うなんてまっぴらだな。嫌だな。なんて、そんなことを考えながら映画館を出た。

しかしだな。おじいさんになった機械のシュワルツェネッガーに家庭があるという設定は気にならないでもない。劇中、彼は「女たちの戦い」のために家族との幸せな生活を捨てることになる。「家庭を顧みない美学。」スポンサーに気を使ったのかも知れない。

お知らせ:イベント予約でCDプレゼント

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イベント参加予約してオリジナルCDをもらおう!

12月20日(金)EXTRA+(東京湾クルーズ)のご乗船、マックロマンスにダイレクト予約くださった方にマックロマンスの新作クリスマスミックスCD「SO THIS IS NOT CHRISTMAS」をプレゼントします。

1、下記イベント内容をご確認ください。

2、参加したいと思ったらコチラからマックロマンスにダイレクトメッセージ。(お問い合わせも同じフォームからお願いします。)

3、イベント参加ご予約が確定したらマックロマンスから2019年新作クリスマスミックスが届きます。

*音楽データはダウンロード、またはCDでの発送(国内のみ)のどちらかを選べます。

4、マックロマンスのクリスマスワールドを存分にお楽しみください。

5、12月20日 EXTRA+ではCDに入っている曲もプレイする予定です。知ってる曲が流れて楽しさも倍増。

*CDプレゼントはイベント参加をマックロマンスに「ダイレクト予約」してくださった方限定の特典です。ジクーのサイトなどからご予約された方は対象外となります。

MACROMANCE feat. Chihiro Sings in EXTRA+FRIDAY

12月20日(金)at JICOO THE FLOATING BAR

”EXTRA+”シリーズは東京アンダーグランドジャズシーンの重要人物=TOSHIHIRO ONOさんが手がける東京湾ナイトクルージングイベント。隔月で開催されているEXTRA+FRIDAYではマックロマンスがレギュラー出演しています。

今回のマックロマンスは、シンガーで詩人のChihiro SingsさんとのDJ+ポエトリーリーディングのスペシャルセッション。音のループとポエトリーで東京湾上の時空間を美しく演出します。他にもTOSHIHIROさんが厳選したDJやミュージシャンが集結。クリスマス前の金曜日にふさわしい特別な夜をぜひご体感下さい。

■TIME:
19:30-23:00
Hinode Pier | 20:00 21:00 22:00
Odaiba Seaside Park | 20:30 21:30 22:30
船は日の出桟橋とお台場を往復しつつ30分おきに着岸しますので、どのタイミングからでも乗船可能です。
■VENUE:
Jicoo The Floating Bar
http://www.jicoofloatingbar.com
■CHARGE:
2,600yen (Floating Pass)
フローティングパスは船から降りない限り乗り放題です。料金には乗船料、エンターテインメント料が含まれます。
■MUSIC SELECTOR:(予定)
DJMACROMANCE / MORIKEN / TOSHIHIRO ONO

And more…

褒められたい

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僕は他人から褒められる機会の少ない人間だと思う。なぜそうなのか自分ではよくわからないが、そのように生まれ、そのように育ってきた。中学校の時に市の水泳大会で2位になり、自分ではまあまあ凄いことだと思ったけれど、両親も教師も友達も誰も褒めてくれなかった。今年は海外DJツアーを敢行して、50を超えたおっさんが海外でDJデビューって自分ではまあまあ凄いと思ったが、誰にも褒められないどころか何の話題にすらならなかった。これがイナバさんだったら賞讃の嵐できっと大田区の電話回線がパンクしたことだろう。

滅多に褒められることがないので一度褒められたことはずっと忘れない。

15年くらい前に若い男性に「マックさんてすごく美味そうにメシを食いますね。」と言われて、なるほどオレにはそのような特技があったのか、と真に受け、自分が食事するところを撮影するようになった。スマホなどなかった時代の話である。20万円以上もするSONYのデジタルビデオカメラを購入し、自宅や店(僕はそのころ飲食店に従事していた。)で食べる姿を撮影した。人のお店に頼み込んでカメラを入れさせてもらったこともある。撮ったビデオをMACで編集してビデオコンテストに出場したこともある。(結果は惨憺たるものだった。)そのうちにYouTube、連動するようにスマートフォンが出てきてそこに撮影した動画をアップするようになった。全く何の話題にもなったことはないが、それから現在までずっと続いている。おそらく言った本人も忘れているような「褒め」のひと言が10年の時を経て今も僕を鼓舞し続けているのである。

褒めで持ち上がる人間というのは、だいたいにして謗りで落ち込むのが常で、僕も例外ではない。僕は基本ダメな人間なので、謗りのネタ提供にはいとまがない。これまでありとあらゆるタイプの謗りを受けながら生きてきた。謗られのエキスパートと言ってもよいかも知れない。僕のタイプの謗ラレストは「何をやっても謗られる」のが特徴で、例えば毎日のように深酒に沈んでいた頃は普通に「クズ」とか言われていたが、酒をやめたらやめたで「シラフのマックロマンスに価値はない。」とかって面と向かって言われるような次第でやるせない。

YouTubeでもこのところ否定的なコメントが目立つようになってきた。アクセス数が上がっているならば、クソリプのひとつやふたつ無視することもできようが、アクセスは減っているのにディスり系のコメントが増え続けていくのには我慢がならない。

他方、「クレームは財産だ。」という話を聞いたことがある。考えてみれば、見知らぬ誰かがアップした動画について、わざわざコメントを寄せるという行為だって、まあまあのエネルギーを要する所業である。腹が立ったにせよ、何にせよ、少なくとも動画を見て何かを感じたわけである。彼らのディスコメントの中に何かヒントがあるのではなかろうか。一度、彼らの話を真摯に聞いてみることにした。彼らは何を怒っているのだ?

答えは簡単に出た。

見たことのない人(おそらく誰も見たことないだろう。)のために簡単に説明すると、この「食べるシリーズ」は、その名の通り、僕が食事やスイーツを食べるところをiPhone撮影した(だけ)の動画である。ストーリーや演出や編集は一切なく、撮影したものをそのままYouTubeにアップしている。

食べたものがそのままタイトルになっている。例えば、きのうは天丼を食べたのでタイトルは「天丼」である。

これが良くなかった。

「天丼」のタイトルを見て、僕の動画に行き当たった人が見たいのものは「天丼」なのである。それを食う人ではない。彼らは天丼そのもの、どんぶりから上がる湯気とか、カリッと揚がったエビ天とか、甘辛いタレが衣に浸透していく様子とか、そういうものを期待してタイトルをクリックするわけだ。で、登場するのが、冴えない髭面の初老の男である。

ちなみに「食べる僕」にフォーカスを当てているので、食べている物はちゃんと映っていないことが多い。例えば天丼ならその多くはどんぶりの中に隠れているし、「シャケおにぎり」なんて場合は、中がシャケなのか梅干なのか外から見たのでは全くわからない。

例えば動画タイトルに「裸の女性」と書いてあったとして、蓋を開けてみたら裸の女性は全く映ってなくて、それを眺めてニヤニヤしている初老の男性の顔が映し出されていたとしたら、それは僕でも怒ると思うし、まあ機嫌が悪ければディスコメントのひとつでもよこすかも知れない。

そんなことに10年近くも気が付かず、全くもって申し訳ない。反省して、すぐに対応策を考えることにした。要するにタイトルを見た時点で、これが「マックさんがものを食べている」動画であることがわかるようにすれば良いのである。

「食べるマックさん」。何週間も考え抜いた末に決断した動画のタイトルである。今後、動画にはこれをかならず明記するようにした。例えば天丼を食べたとしたら、タイトルは「食べるマックさん/天丼」である。ついでにタイトルロゴも作ってみた。(こういう仕事はわりと早い。が、もちろんそれを褒められたことはない。)

これで動画へのクレーム、嫌がらせ、クソリプなどは飛躍的に激減するはずである。これを読んでマックさんのことを褒めたくなったら、ぜひYouTubeにアクセスして賞賛のコメントを投稿することをお勧めする。

キダオレ日記 ハット

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HAT : agnes b.

かっこ悪いこと、ダメな感じがかっこいい(あるいは許されてしまう)のがロックだと思う。ガンズ&ローゼズは全く好きなグループではないが、ボーカルの人のあのダサいダンスを見て、ああこれはロックだなと思った。敬愛するジョンライドンがステージで女の子のファンにボコられているところを見て、ああ、やっぱりロックだなあと思った。今や大作家として活躍されている町田康さんはまるでロック(彼の場合はパンクと言った方がよかろうか)を捨てたみたいにクールに変身してしまったが、遊びで始めたバンドのメンバーと方針で揉めて殴られたのだそうだ。それを警察に被害届け出したというのを聞いて、この方もロックを忘れていなかったと思った。言うまでもなく内田裕也さんはロックだったと思う。恋人と破局しそうになって「オレを捨てたらヤクザが出てくる。」とかって脅しただけでもけっこうなニュースだったが、マイウェイのBGMにのって謝罪会見に現れた時は本当にロックンロールだなあって思った。まったく反省してないじゃんね。スタイルカウンシルのポールウェラーさんなんかは何もかもが洗練されすぎていて、ちょっとロックとは言いたくない感じがする。スタンス的に似ているスティングさんは意外とダメでかっこ悪い側面があって好感が持てる。サザンオールスターのリーダーの方が「自分はロックだ」と言っていたのを聞いて全然違うよと思ったし、それが原因で彼らのことを嫌悪していたけれど、震災の時に一目散に関西方面?に逃げたという話を聞いた時に、ああなるほどこの人にもロック的な側面があるんだなと少し見直したことをおぼえている。

自分自身のことを言えば、実は僕はみなさんが想像している以上のダメ人間である。何がどうダメなのか恥ずかしくて公表できないが、ちょっと辺りを見回してみて、自分よりダメな人間はいないと自信を持って言える。今のうちからダメ録を書き留めておいて、遺言状に残しておくべきかも知れない。後で「あいつは本当にダメな奴だったよね。」「ロックだよね。」と誰かが噂してくれるかも知れない。あまりにダメすぎてロックですらないかも知れないけれど。

*文中の見聞は事実と異なる場合があります。半分ぐらいフィクションのつもりで読んでいただければ幸いです。

東京湾クルーズ

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10月18日(金)の東京湾クルーズ EXTRA+FRIDAY@JICOO THE FLOATING BARが無事終了しました。今回はアナログオンリー。少しづつ集めているジャズのレコードからベース音がフロントにバンと出ている楽曲を中心に少しアバンギャルドな楽曲も織り交ぜながらなかなかよいセットが組めたと思います。ジクーのエンジン音には何度か中低音を持っていかれた苦い経験がありますので、持参するレコードを選ぶ段階からある程度影響を考慮するようになりました。雨の東京湾も悪くないですね。

さて、いつも「告知が遅いよ」という声を聞きますので、次回の情報を掲載しておきます。今日を生きるのでも精一杯な自分にとって2ヶ月先なんて自分が生きているかどうかさえもわからない永遠に先の先の話な気がするけど、いつもあっというまに来ちゃうんだよね。

MACROMANCE in EXTRA+FRIDAY

12月20日(金)at JICOO THE FLOATING BAR

■TIME:
19:30-23:00
Hinode Pier | 20:00 21:00 22:00
Odaiba Seaside Park | 20:30 21:30 22:30
船は日の出桟橋とお台場を往復しつつ30分おきに着岸しますので、どのタイミングからでも乗船可能です。
■VENUE:
Jicoo The Floating Bar
www.jicoofloatingbar.com
■CHARGE:
2,600yen (Floating Pass)
フローティングパスは船から降りない限り乗り放題です。料金には乗船料、エンターテインメント料が含まれます。
■MUSIC SELECTOR:(予定)
DJMACROMANCE / MORIKEN / TOSHIHIRO ONO

And more…

JOKER (ネタバレなし)

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映画 “JOKER”を観ました。最近、シアターに足を運ぶ機会がすっかり少なくなってしまって、こちらで映画の感想を紹介するのも久しぶりのことです。

まあよくこんな映画を配給することができましたわな。というのが率直な感想。こんな映画がいろんな倫理委員会みたいな組織のチェックをくぐって、大企業のスポンサーもついて、お咎めもなしに堂々とロードに出れるわけなんだから、何だかんだ言ってもアメリカという国は自由なんだなと思います。

映画の話をすれば、とにかく主演のホアキン・フェニックスの存在感と演技力につきるのでしょう。これを超えるインパクトを残せる役も演者も近年ではちょっと思い当たらないような気がします。このままだときっと主演男優賞獲ってしまいそうだけど、いいのかな?

社会の闇やタブーに切り込む姿勢、いくつもの側面をもたらすストーリー、何だか居心地の悪い音や映像の演出、語るべくは多々ありますが、とにもかくにも、個人的に極めて重要な「鍵」を作品の中に発見してしまいました。あまりにもパーソナルすぎて、ここに詳細は書けませんが、こういうことってあるんだなあ。(僕のブログを隅々までチェックして事細かに読み漁っている方がいたら、もしかして僕が何を話しているのかわかるかも知れません。)

まあそんなわけで、映画の重く暗い内容とは裏腹に、とても元気をもらって帰って来ました。映画を観る前と後で全く世界が違って見えるような影響を受けたのは、すごく久しぶりのことでした。心が病んだり弱ったりしている時は観ない方がいいような気もするけど、僕のように元気になっちゃう人もいるかも知れません。お薦めして良いのかどうなのかわかんないけど、まあそれなりの覚悟を持って劇場に向かわれた方が良かろうかと思います。

映画ってやっぱりいいなあ。

DJのお知らせ

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偶数月第3金曜に東京湾に浮かぶ船上で開催しているEXTRA+FRIDAY。

皆さまをおもてなしするメンバーは、おなじみのDJmacromance、MORIKEN、Toshihiro Onoに加え、EXTRA+LIVEとして『bwpとファンキーヘッドライツ』が登場。
JICOOにぴったりのアーバンだけどちょっとポップでファンキーな演奏で、秋の空間に彩りを添えてくれます。

秋の夜長に、美味しいお酒を片手に、良い音楽とひと時の語らいをお楽しみください。

船の上でお待ちしております。

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EXTRA+FRIDAY 20191018@JICOO

■TIME:
19:30-23:00
Hinode Pier | 20:00 21:00 22:00
Odaiba Seaside Park | 20:30 21:30 22:30
船は日の出桟橋とお台場を往復しつつ30分おきに着岸しますので、どのタイミングからでも乗船可能です。

■VENUE:
Jicoo The Floating Bar
www.jicoofloatingbar.com

■CHARGE:
2,600yen (Floating Pass)
フローティングパスは船から降りない限り乗り放題です。料金には乗船料、エンターテインメント料が含まれます。

■EXTRA+LIVE:
bwpとファンキーヘッドライツ

■MUSIC SELECTOR:
DJMACROMANCE / MORIKEN / TOSHIHIRO ONO

 

虫の居所が悪い

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今日は高校生の娘が文化祭の催しに出演する予定だったが、ハンザワ王子がレコードを持って我が家に来るというので、娘の方はキャンセルして自宅で待機することにした。例によって当日の朝になって王子から体調が悪くて行けないとの連絡が入り、それならば娘の演奏を聴くことができると、自転車に乗って学校を訪れてみたところ、間違えた時間を教えられていたらしく、娘の出演するはずの催しは終わった後だった。そのまま帰るのも何だか癪なので、同じ会場でタイミング良くスタートした全く知らない他人の子供たちが演じるミュージカルを観たら、けっこう感動して泣きそうになった。しかし、自分はと言えば、ただでさえ存在が怪しい上に(単に車を運転しているだけで職務質問を受けたばかりである。)よりによって今日は真っ赤なTシャツを着用していて目立つ、まわりを見回しても夫婦や家族で和気藹々のムード、オッサンひとりの客は自分だけのようである。誰の親かもわからぬ不審者が他人の子供の演技を観て泣きだしては、騒動の原因になりかねぬ。こぼれそうになる涙をこらえてどうにか校の外に出た次第である。

こういう日は、何をやってもうまくはいかぬ。まあ自分の人生において何かがうまくいったことなんぞないが、朝のうちにズレた歯車はその日のうちには元には戻らない。映画、散髪、コーヒーブレイク、思いつきで訪れた先はすべて満杯、服屋で目に留まったパンツは試着の段階で自分に似合っていないことがわかったが、試着して似合わなかった服を「いらない」と言えない性格である。パン屋で買った菓子パン(帰路でベンチでも見つけて食べようと思ったが、座り心地の良さそうなベンチをルート上で見つけることができなかった。)と、二度と足を通すことはないであろう新品のパンツを持ち帰り、この記事を書き始めたら眠くなってきたのでちょっと遅めの昼寝をしたら、暗くなるまで寝てしまい、真っ暗な中で目が覚めた。相変わらず機嫌は良くないが、思えば生まれてこのかた機嫌が良かったことなど一度もなかったような気がする。

ところで、午前中に、書斎に山積みになっている90年代のファッションやサブカルチャーの雑誌に目が行って、ペラペラとめくり始めたらなかなか楽しくて止まらなくなった。まだ今ほどインターネットが一般に普及していなかった時代の話。デザインや編集も素晴らしいが、特に写真が面白い。懐かしいとか、ノスタルジックな感じではなくて、むしろ新しいものを初めて発見した時のような刺激を受けた。

いちおう釈明しておくと、僕とハンザワ王子の関係というのは持ちつ持たれつとでも言うべきか、約束なんかは最初からあってないようなもんで、お互いドタキャンとかで相手のことを悪く思ったりは全くしない。事実、前回は確か僕の方が当日キャンセルしちゃったと記憶している。ふたりとも気まぐれで気分屋なので、会いましょうかとなっても三度に一度ぐらいしか実現しない。他の人が介入すると面倒なことにもなるが、二人の間では自由で良い関係性だと僕は思っている。

ふむ。こうやって見返してみると、決して悪くない一日だったように見える。何をぶつくさブーたれてたのやら?

 

偽善者の救い

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よくサーフィンに訪れる海で、初めてビーチクリーンしました。ゴミ袋持って行って、目に入ったプラスチックとかのゴミをひたすら集めるというやつ。集めたゴミはもちろん持って帰って処分します。

僕は偽善者だし、その行為も偽善的だし、僕がちょっとゴミを集めたぐらいで何の役にもなってないことはよくわかっているけれど、これね、やってみると本当に気持ちが良いです。清々しいとでも言えばいいのかな。いやもっと壮大な、うまく説明できなけれど、こんなピースフルな気持ちになったのはすごく久しぶりのことでした。fact.ゴミを拾って誰も救えないけれど、自分は救われる。

環境問題は本当に難しいと思うんだよね。究極に突き詰めると人間がこの世にいないのがいちばん、となると戦争とか虐殺とか、人が大量に死ぬことが肯定されてしまいます。「なるべく燃料を使わない。地元で作ったものを食べる」。みたいなことを熱く語る人の手にブラジル産のコーヒー。だったりね。矛盾とか、偽善とか、いろんな不穏な要素が付いてくる。いちばん楽なのは何も考えないことだけど、そういうわけにもいかないし、まあそれぞれが自分のできる範囲でできることに取り組む。ぐらいのことしか言えません。

僕のビーチクリーンはそういう「地球を救え」とか「海の声を聞け」のような大きな話ではなくて、もっと個人的な、例えば「ひとりカラオケで歌って気持ちいい。」みたいなものだと思います。偽善者呼ばわりされるのが怖くて、今までやったことがなかったけど、何のことはない。もっと前からやってればよかったと思いました。これで味をしめたので、これから街中とかでもいろんな偽善的行為やるかも。覚悟しろよ。

存在感の欠如

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電車や街で知り合いを見かける。こっちは100メートルも先から相手を認識しているのに、そちらは真横をすれ違ってもこちらの存在に気がつかず何だか悔しい。イベントの告知でフライヤーやSNSの記事などに名前を入れ忘れられる。一度や二度ではない。そっちから出演を依頼しておいて、そのことを忘れたわけだ。注文した料理が僕の分だけ運ばれて来ないということもよくある。みんながデザートを食べている時間帯にようやく届いたメイン料理をひとりでもぐもぐやっている姿を想像すると我ながら哀れだなと思う。

それもこれも要するに存在感の欠如が原因ということになろう。自分ではけっこう頑張っているつもり(赤いシャツを着たり、ロン毛を編み込んでみたり)なのだけど、存在感というのはもっと内面から湧き上がってくる類いのものであるらしく、まあ何をやっても他人からの印象は薄いようである。

人にどう思われるか?ということだけを念頭に、長い間生きて来たわけなのだけど、人からはどうも思われていない、目にも入っていないというのが、その答えで、こんなことなら他人の目など気にせずに自分の好きなことだけを追求し続ければよかったと思う。

ヨーロッパをぐるりと周ってみたところ、イタリアやドイツに僕のことを気にかけてくれる特殊な人種が存在することを知った。イギリスにも少し、ルーマニアやアメリカにもいるみたいで、彼らから届くメールやメッセージ(写真やビデオ、詩なんかも送られて来る。)に何度も目を通し、自分の存在を確認し、他人から承認されたいという欲求の足しにしている次第である。(自分という人間の存在を確認するのに他人の目が必要というのは奇妙なもんだな、なんて考えたりもする。)

きのう、都内を車で移動していたら、パトカーに停車を求められ、そのまま職務質問を受けた。警官が4人も出てきて、道路が渋滞していたこともあり、ちょっと周辺が騒然とした雰囲気になった。買い物中のおばちゃんとかこの時ばかりは地味な僕も他人からの視線を感じた。警官らが僕に何を求めていたのかは知らないが、少なくとも彼らの目に僕は「認識」されたわけだ。こんなにありがたいことはない。

職務質問を受けることって普通の人は人生で何回ぐらいあるんだろう?僕は数え切れないぐらいある。日常生活では全く存在感のない僕だけど、警察官の目にはちゃんとひとりの人間(あるいはそれ以上)として見えているようである。将来はイタリアかルーマニアのリゾート地にでも住んで、退役した警官をボディーガードに雇って暮らそうと思う。エルビスプレスリーの衣装みたいのを着て。

犬の目

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犬の目は色を識別することができず、すべてがモノトーンで見えていると聞いた。最近では、実は色が見えているという人もいて、何が本当かはわからないが、この世界の中にモノトーン(に見える)エリアがあるのは事実であるようだ。

サーフィンの帰りなどに田舎の道をドライブしていて、白黒だけで彩られた墨絵のような景色に遭遇することがある。徐々に光が失われていく物悲しい時間帯で、以前はあまり好きではなかったが、ある時期から一転してマジックアワーの、特に後半を好むようになった。暗闇の後に必ず朝が現れることを長い時間をかけて学んだのだろうと自分では思っている。思考のスピードが遅いのでモノを理解するのに時間を要するんだ。

花屋でDJさせていただく機会を得た。友人のフォトグラファーが撮影した花の写真を何となくモノトーンに加工してみたら、その美しさに息を呑んだ。犬たちの目には花がこんな風に見えているのかと思うと少し羨ましく感じる。淡い青のブルースターとか、微妙なピンクのバラとか、全てが灰色に見えてしまうのは、残念な気もするけれど。

30年ほど前に東ヨーロッパのどこかの国を訪れた時、街全体がどんよりと、建物も空も人も酒場も煙草も、何もかもがモノトーンに見えたのを記憶している。その時の自分に、後に壁が崩壊して、街に光が、色が戻ってくることを想像する力があったなら、その暗い白黒の世界をもっと美しいものとして捉えることができたかも知れない。

 

 

新種

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庭で育てていたバジルとシソが勝手に交配したらしく、バジルシソになって繁殖していた。

ティーンエイジャーだった頃(当時、四国の田舎町に住んでいた。)、友達と連れ立って、フェリーに乗ってはるばる大阪に出向いたことがある。あてもなく街をぶらぶらしているうちに腹が減り、あてずっぽうに入った店のメニューに「スパゲティーバジリコ」を発見した。名前からどのような食べ物出てくるか全く想像できず、興味津々で注文してみたところ、登場したのが今になって思えば何の変哲もないスパゲティバジリコ。たいしてインパクトのある味ではなかったし、見た目からして地味な料理だったが、少年の好奇心を満たすには十分だったようで、「ほお、都会の人はスパゲティーにシソを混ぜて食べるんや。」などと感心して、満足げに平らげたのをおぼえている。以来、後にバジルという植物が別に存在することを知るまで、ずっとバジルのことをシソだと信じ込んでいた。

とは言え、時代背景から想定するに、少年が大阪で食べたスパゲティーバジリコは、バジルの代用品としてシソが使われていた可能性は高いと思う。和風パスタと称される奇妙な料理の定番メニューとしてイカと納豆のスパゲティーというのがあるが、あれのトッピングはシソの代わりにバジルというわけにはいかぬだろう。そもそもシソはバジルを凌ぐほどにパスタと相性が良いのだ。

僕は母親の作る料理をあまり好まずに育ったが、好きだったものもいくつかあって、そのひとつがシソの焼きおにぎりだった。梅干しの入った塩にぎりにシソの葉をへっとくっつけて焼くだけのシンプルなアイテムだが、ミイラになるぐらいまでシソに火を通すのがポイントで、ちょっと他で目にかかったことはない。

もうひとつはスポンジケーキで、極端に薄いのが特徴。おそらく生地を泡だてすぎたか何かで、うまく膨らまなかった失敗作である。クッキーとケーキの間ぐらいの硬さで、当然ケーキとしては失格なのだけど、まあ、そもそもケーキなんかを食べさせてもらえる機会も貴重だった中で、大好物のごちそうだった。毎回、同じように失敗するので、母親のケーキとはそういうものだと思っていたのだが、それから数十年経過して、母親も腕を上げ、普通のスポンジケーキを作れるようになってしまった。あの噛みごたえのあるケーキがもう食べられないのは残念である。

僕が肉を食さないのは30年ほど前にイギリスで生活していた時につきあいのあった連中(多くはミュージシャン、絵描き、などのダメな人たち)の影響で、健康や動物愛護の精神などは全く関係なく、単に肉を食べないことが「クール」と感じたというだけの安易な理由で、要するに「ファッション」なわけなのだけど、今回、ヨーロッパに行って当時の連中(半分ぐらい死んでいなくなっていた。)と再会したところ、今でも肉を食さないのは僕ぐらいで、どいつもこいつも自分らがベジタリアンだった記憶すら曖昧といった具合。ただし「食生活から何かをマイナスする。」という思考そのものは健在で、多くが砂糖と小麦を憎んで忌み嫌っていた。グルテンフリー、シュガーフリーが現在の彼らのトレンドであるらしい。

砂糖や小麦を食さないことを、今回は別段「クール」とは感じなかったし、肉だけでなく、酒もタバコもドラッグも、最近ではテレビやラジオをもやめた削ぎ落としの痩せ細り人生において、何かをやめるのもこのぐらいにしておいた方がよかろうと、今のところケーキやパスタを食べなくなることはないと思っている。こうやって書いているうちに腹が減ってきた。朝っぱらからスパゲティーを茹でてやろうかなんて思い始めている。

話はそれたが冒頭のバジルシソ、味の方がこれまた不思議で「甘みのあるバジル」という感じ。用途はいろいろありそうだが、最初に思いついたのはフェタチーズ。かけらを葉で巻いて食べたら美味しそう。感想はまた後日。

呪縛からの解放

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コウモリランは2シーズンめに入って、長い梅雨も、夏の猛暑も乗り越えた。風を好むということで、いくつかの株を外に出しっぱなしにしてみたのだけど、部屋の中にいる者たちの方が機嫌が良さそうなので、結局全て室内に戻すことになった。植物はかまいすぎるとよくないと聞く。実際、過度な愛情に耐えられず、枯らしてしまった草木は少なくないが、こいつらはむしろそばにいて面倒を見てやった方がうまく育つようである。

「なんとなくクリスタル」という小説(たしか映画にもなった。)が発表されたのが、1980年。僕は15歳で、本は読んでなかったが、この「なんとなく」というキーワードが世の中のムードを変えていく様は、(なんとなく)体感している。なにごとにもあまり一生懸命に取り組まないスタイルがクールとされる雰囲気で、当然、熱血漢の僕にとっては居心地が悪かった。思えば僕の落ちこぼれ人生は、そのトレンドにうまく乗れなかったところからスタートしたような気がしないでもない。燃えたぎる魂を封印して人に見せないように努めて生きてきて、結局、燃えてもない燃えてなくもない、中途半端な人間に仕上がった。

「なんとなく」の呪縛を解いたところで、今さら熱い自分が戻ってくるわけでもないが、「枯れるのを防ぐために意図的に放ったらかしにする。」なんていうややこしいことは今の僕にはできない。毎日たっぷり愛情を注いで育て、枯れてしまったらそれまで。コウモリランたちは見ての通り、過度な愛を肥やしに自由奔放に葉を伸ばし続けている。

皿洗いのつぶやき

BLUESNIKことハンザワさんが我が家のスタジオに遊びに来てくれた。DJとしては30年近くのキャリアを持つ大先輩なのだけど、近年はほとんど活動していない。尖りすぎた選曲スタイルについて来れる雇い主がいないのだと僕は思っているが真実は知らない。

持参したレコードをミックスしながら、そのセオリーをこと細かにレクチャーしてくれる。ハンザワさんのプレイはいろいろ凄くて普通のDJの10年ぐらい先を突っ走っているが、最近ではヘッドホンすら使わない。つまり次にかける曲を全くモニターせずに、それでもうまい具合に違和感なく曲をポンポン繋いでいく。とても真似できるものではない。やり方を教えてもらっても真似できない。

20分ぐらいだろうか、わりとまともな流れが続いているなと思っていたら、そのまま終わるわけがなく、途中で暗黒モードに入っていく。ただ「暗い」とかだけではない。ひとことで言えばすごくダサい。もちろん本人はよくわかってやっている。「この辺でお客さんがだんだん怒り出すんだよね。」とか言って、最初から客の怒りがセオリーの中に入っているらしい。

15年かそれぐらい前に、シャンパンのヴーヴクリコのイベントでデュランデュランをかけて、雇用主にこっぴどく怒られていた。当時は80’s音楽はDJのネタとしてはタブー扱いされていた。今やそれが王道中の王道であることを一体誰が予測しただろう?その後も、ジャズフュージョン、ディストーションギター、日本のニューミュージック。タブーに挑戦しては、顧客やクライアントを怒らせ続けてきた。十八番にホラー映画のサスペリアのテーマ曲なんてのもあって(あれをレストランとかでカップルやファミリーが和やかに食事をしている後ろに流すのである。)顰蹙を買っていたが、サスペリアはその後リメイク版が制作され、音楽は何と、かのトムヨークが担当したことで脚光を浴びた。みんながハンザワさんを追いかけているのである。

僕はDJは基本的にはアーティストではなくて、皿洗いやバーテンや警備員と同じ、お店やイベントのスタッフのひとりと思っている。つまり顧客やクライアントが喜ぶような選曲をするのが正しいスタンスだと考えている。東京ではレストランやバーのBGMの依頼が多いから、必然的にジャズ中心のラウンジ系の楽曲におさまる。クライアントにもいろいろいて、例えば、クリスチャン・デスのヨーロッパツアーの時はハードでディープなエレクトロ/ダンス/ミュージックというオーダーが入ったので、それに対応した。店によって皿の洗い方にもいろいろある。オーガニックな洗剤を使えと言われればそうするし、食洗機があるなら、その使い方を学ぶ。

それで、楽しいのか?と聞かれれば、別に楽しくはない。他にやることもないし、できることもない。声をかけてもらっているからやっている。どこからもオファーが来なくなったらやめるしかない。ハンザワさんのような究極のアーティストタイプのDJとは取り組み方が全く異なる。正直言って少し、いや、かなり羨ましいが、僕に彼の真似はできない。

僕にはやりたいこと(創りたいもの)が何もない。あるふりをしてずっと生きてきたけど、実はない。これを書いていて、それに気がついた。おもしろいな。ハンザワさんのことを紹介しようと思って、こんな話になった。

SDカードリーダー

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新しくもなく、本当にどうでもよいことなのですけど、MacBookを買い替えてUSBも差し込めないし、CDも入れられない、なんてパニックしてる僕のようなパソコン音痴の方のために、いちおう情報を共有しておきます。SDカードが挿せないのはけっこう不便なもんだと、差込口がなくなって気がつきました。アップルストアでアダプタを買えるのですが、これがけっこういい値段。僕は基本的には何でも純正品を使うことにしているのですけど、たかがアダプタひとつに5千円は高いと思ってネットで調べてみたら写真のブツを発見。以前にUSBを差し込めるようにApple純正のアダプタを購入したので、それと組み合わせて使います。お値段800円程度。使ってみた感じは「全く問題なし。」でした。

現在の僕のパソコンの使用頻度は50%がDJ、音楽制作関係、あとはインターネットで調べ物したりYouTube観たり、画像や写真の加工、デザイン、ショートムービー制作がそれぞれ10%ぐらいづつという感じでしょうか。現在のところはMacBook Pro(2017)でひととおり賄えていますが、音楽制作ソフト使っているうちに容量超えてフリーズするなど、すでに少々負担のかかる使い方をしているようです。おそらくそのうちにデスクトップのiMACが必要になってきそうな気がしています。前のMacBook Proから乗り換えてよかった点は画質が圧倒的に綺麗になったことと、薄く軽くなったことがあげられますが、それ以外ではちょっと不便になったことの方が多いように感じています。あと、繊細すぎて壊れるのも早そう。高くてもいいから「一度買ったら一生もんでごわす。」みたいな心強いPCが世に普及する日がくることを願っています。

マックロマンスにご用心?

イラレの話をする。わざわざ説明するまでもないが、イラストレーターはアドビシステム社が販売する画像編集のソフトウェアである。イベントのフライヤーからブランドのロゴ、ビル屋上のポスターなどなど、我々が日常、目にするほとんどのデザインワークはこのイラストレーターを利用して製作されていると言ってよいと思う。僕も長年使っていて、ホームページやSNSにアップするためのアートワークでは大変重宝している。

イラストレーターの素晴らしいところは、プロユースのツールでありながらにして、専門的な知識がない素人でもそこそこ扱えてしまう利便性で、事実、コンピューター音痴、デザインずぶの素人の僕でも、まあ何となくそれっぽく見えるものが作れている。操作に困った時はグーグルにキーワードを入れれば、ありとあらゆる情報があちらこちらから発信されていて、これまで一度も説明書(そんなものがあるのかどうかも知らないが)の世話になったことはない。

20年ぐらい前だったか、友人からCDにコピーしたソフトをもらって、しばらくそれを使っていた。厳密には違法だが、コピーガードなどもなかった時代で、皆、普通に使いまわしていたと思う。ヴァーションがアップして使い勝手が悪くなり、ある時期にソフトを自分で新しく買いなおしたのが5、6年ぐらい前だったろうか。その時はもうCDではなくて、アドビのサイトからダウンロードしたような記憶がある。2万円ぐらいだったかな。現在に至るまで何の不具合もなく使えていたが、最近、PCの方が先にダメになった。

新しく買ったMacBookはクリーンインストール(前のPCから移行しない。)でスタートしたので、これを期にイラレの方も新調しようとウェブサイトを訪れてみて驚いた。

販売はオンラインで、月額プラン、年額プランのどちらかを選ぶとある。すなわち、これまでのようにソフトを買ってその後は使い放題というわけではなく、いわば契約して使用権利をレンタルするというシステムだ。契約期間中は永遠に使用料がかかる。料金がすごい。イラストレーター単体で月々2500円程度、フォトショップなど他のアプリケーションと抱き合わせのフルプランだと6000円近くする。これまで2万円(あるいは無料)で使い放題だったものが、同じ金額だと3ヶ月で終了という信じられないような値上げである。仮に僕があと10年生きて、その間ずっとイラストレーターを使い続けたら60万円。これまで20年で2万円だったものがだぞ。

ユーザーに選択の余地はない。現在イラストレーターを使わずにデザインワークを行うことはほぼ不可能。仮に同様のソフトが安価が開発されたとしても(無理だと思うけど)、互換性という問題がある。作った作品を印刷屋に出しても、あちらが同じソフトに対応していなければ元も子もない。

アドビはこの機会をずっと待っていたと思う。ほとんど無料でタネを撒き散らして、世界中の人間がそれなしでは生きられないという状況を作り、今ようやく収穫の時期に入ったというわけだ。シャブを売るのと同じセオリー。ビジネスの基本的モデルと言えよう。

同じことはこれからあちこちで起こると思う。LINE、Google、Facebook、、タダと思って使っていて、気がつくとそれなしでは生活できなくなっている。タダより高いものはない。昔の人はよく言ったものである。

あなたが読んでいるこのブログも、タダだと思っていたらある日突然1本60万円とかになるかも知れない。1日に何度も、記事の更新をチェックしに来ているようなら、すでに中毒の可能性がある。ご用心を。

 

キダオレ日記

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今期のコムデギャルソンはオムプリュスのテーマが「ゴス」。これにレディースも連動しているようです。ゴスウェア?の定番とも言えるフィッシュネット素材のアイテムもラインナップに登場していました。

現在の僕は東京で細々とジャズDJやりながら、次の海外遠征に向けて音素材の製作を始めたところ。しばらく黒装束のゴス仕様で人前に登場することはないと思ってトレードマークだったロン毛もばっさり切ってしまいました。コムデギャルソンがこのタイミングでよりによって「ゴス」をキーワードに持ってくるというのも何かしら縁のようなものを感じてしまうけど、ほんの1歩だけ遅かった。でも、いつ着るかわかんないのを承知でフィッシュネットのワンピースとカットソー(もちろん両方ともレディース)を購入しました。ファンなんでね。