記録

半月ほど前に「記録」というタイトルでコロナ騒動について書いた。あれから状況は悪くなるばかりで、あれよと言う間に首都圏に緊急事態宣言が発令された。自宅と海にしかいない自分にはあまり関係のない話だろうと思っていたが、波情報のアプリを見たら、情報の一部が見れないようになっていた。海にも行くなということなんだな。都内の満員電車は放置状態(未確認)らしいから要するに、会社の仕事>感染>その他もろもろ、ということらしい。世の中で何が重要とされているか、このような非常事態になるとよくわかる。

刻一刻と変化し続ける状況に思考がついていけず、この記事も何度か書き直しているのだが、手短に現在のスタンスというか心境を記しておく。

最初、コロナの話を耳にした時に、私はこれはモンサントが菌を撒いて特効薬で一儲けしようとしているのだと思った。先の震災以来、私の頭は放射脳化しているので、何が起こっても一度はそのような陰謀説を疑ってかかるようになっている。その後、日々の状況を見聞きしていく中で、これは意図的にセットアップされたものではなく、偶発的に起きた事件であると認識し、自身の当初の目論見を恥じることになるのだが、実は今またその気持ちも少し揺らぎ始めている。

さすがにもう陰謀とまでは言わないが、このコロナ騒動には公には発表されていない何か重要なことが隠されているような気がする。根拠はないが何となく感じるのである。嘘はついていないが全て話しているわけではない。という類の文章にはそれ相応の特徴があって、下手な歌手の歌の良いところだけを切り貼りして作った曲を聴くみたいに、どこか居心地の悪さが付着していて、わかる人にはわかるのだ。

あるいは国民がパニックに陥らないための配慮がなされているというだけの話かも知れない。長引く外出自粛生活であれこれ考え過ぎて私の脳がメルトダウンし始めたのかも知れない。パニックを煽るようなつもりは毛頭ない。現在の心境をなるべく正直に簡潔に書いた。また恥じることになろうが、言うまでもなくそうなった方が良い。

サーフィン日記

強風がひゅうひゅうと上空を渦巻いていた。雨戸が揺れ、どこかで物が倒れる音がした。ベッドから出るのに勇気のいる朝だった。今日はサーフィンはダメだなと思った。カフェオレをいれ、焼いたトーストにジャムを塗って、途中まで観た映画にチャンネルを合わせた。ちょうど主人公が悪の巣窟に喧嘩を売りに行くシーンだった。ポールダンサーが胸もあらわに踊っている姿が映し出されるのを見てスイッチを消した。娘たちがいつ2階から降りてくるかも知れない。学校も仕事も休みなのだ。

予報を見ると、嵐のような風にもかかわらず、海のコンディションは悪くなさそうだった。そこそこのうねりがあり、穏やかな北風で面が乱されることもないとあった。

9.5フィートのシングルフィンを車に積んで出発した。セブンイレブンに寄ったら大きいサイズのペットボトルのミネラルウォーターが全て売り切れだった。500mlのを2本とバナナとコーヒーを買って高速道路に乗った。相変わらず風は強かったが空は快晴で気温も20度近くあった。もし波がなかったらビーチで日光浴すればよかろう。

高速道路の車線規制の影響で少し渋滞があった。ふと、制作中のトラックに叫び声のSEが欲しかったことを思い出し、録音するにはちょうどよい環境であることに気がついた。スタジオに入るほどの大仕事ではないが、自宅で叫んだらきっと通報される。録音の機会がなくて先送りになっていたのだ。

狂人のように雄叫びを上げ、その様子をiPhoneで録音した。心拍が早くなり、体温が上昇するのを感じた。パーカーの中に着込んだ下着にうっすらと汗が滲むのがわかった。

駐車場で準備をしていると、後からやってきた同い年ぐらいのサーファーがブーツは必要かと聞いてきた。私は末端冷え性なので(普通ならいらないと思います。)と答えておいた。日常生活の中で見知らぬ他人に声をかけられることはまずないが、海の近くではよく話しかけられる。

予報通り、風はさほど強くはなかった。天気のよい春の海日和だった。水はまだ冷たかったけど手袋が必要なほどでもない。ただ北風というのは嘘で完全なオンショアだった。おそらくこの時間帯までコンディションが良かったのだろう、けっこうな数のサーファーが海に浮かんでいた。なるべく人の少ないところから入ったらカレントがあってあっというまに沖に出た。オンショアの影響で押しつぶされたぐちゃぐちゃの波ばかりだったが、とりあえず来たやつを捕まえたらぐちゃぐちゃのまま波打ちぎわまで連れて行ってもらえた、乗った波はプルアウトせず最後まで丁寧に、砂浜にフィンが突き刺さるまで乗る、が信条のひとつ。友人の受け売りだがそれがかっこいいと自分では思っている。

こんにちは。目があったサーファーと挨拶を交わす。日常生活の中で目があった人に挨拶する習慣はないし、だいたい街では誰も私と目をあわさない。

コンディションはどんどん悪くなり、風も流れも出て、浮いているだけでもしんどくなってきた。サーファーがどんどん上がっていくのでスペースはできるが、肝心の波がないではどうしようもない。

ボードを浜に上げ、いい感じに転がっていた石に腰かけ、ビニール袋に入れて持ってきたバナナを食べた。波にあぶれたサーファーたち、手を繋いで歩く若い恋人たち、平日にはめずらしい家族連れの姿もちらほら見えた。

目を閉じるとオレンジ色だった。波や風の音を感じながら黒点が泳ぐのを追いかけ、しばし「何も考えない」ことに集中した。不安や恐怖や虚無がかわるがわるやってくるのを跳ね除けているうちにペンギンにたどり着いた。無の象徴をピクチャーするにペンギンはあまりにも実在的すぎたが、それでもわけのわからぬ恐怖に取り憑かれるよりはずっとマシだった。2羽のペンギンはしばらく宙に浮かんでゆらゆらしていたが、やがてオレンジ色に飲み込まれ、そのオレンジも次第に色褪せ、波の音だけが暗闇の中に残されてじゃぶじゃぶしていた。

目を覚ますと海の様相は一変していた。肩ぐらいのサイズの波が幾重にもなって押し寄せて、崩れ落ちた泡が波打ち際を白く彩っていた。誰かが放置したビーチボールが左からやってきて私を目の前を横切り、右の方に転がって行った。風が東に回ったようだった。どこに姿を隠していたのか、ショートボードのサーファー達が波のにおいを嗅ぎつけて、続々とビーチに集まり始めていた。

外から見ているよりも波は大きく、休む暇なくやってくるので、海に出るのに難儀した。目の前を、長身でバケツハットをかぶったサーファーが、上手に波とやりくりして、ニーパドルであっという間に沖に出て行った。前にも見たことがあるサーファーだった。上手い奴は存在感が違う。それにその男はドイツ語を喋っていた。この辺の海でドイツ語を耳にすることはとても珍しい。

東からの風を押し除けるぐらいパワーのある波だった。ほとんどパドルせずに波に押されるようにテイクオフして、削るように斜面を滑る。バランスを崩して振り落とされたところに別の波がやってきた。そのまま乗って岸まで行った。苦労して沖に戻ったらサーファーの数が3倍ぐらいに増えていた。内側にもショートの連中がたむろし始めていた。渋滞のエリアを諦め横にそれたエリアの少し内側にポジションを取り、小さめの波と戯れることにした。

狙いをつけた波に左からやってくるサーファーが視界に入った。距離はあったが流したところ、男が笑顔をよこしながら滑っていった。フィニッシュした後に男が振り返ってまた笑った。しつこいようだが、街で私に笑顔をよこす人間はいない。

良い状態は長くは続かなかった。波は突然なくなって、風に煽られたぐちゃぐちゃ状態に戻っていた。空を見上げるとナマコのような形をした邪悪な黒い雲が東から押し寄せてくるのが見えた。雲から飛び降りるように雨が降り落ちている様子も見て取れた。思い残すことはない。潔くリーシュを外し、深くお辞儀をして海を後にした。

着替えを済ませて駐車場を出たら先ほどの黒い雲はすっかり姿を消していた。波もまた少し良くなっているように見えた。

となりのビーチまで車を走らせ、以前に行ったことのあるカフェに足を運んでみた。混雑していたらやめようと思っていたが、幸いお客の姿はなかった。テーブル4台ぐらいの小さな店で、いつもウクレレ音楽が静かに流れている。無口で少々人相の悪い店主(どこからどう見てもサーファーだ。)が、美味しいパンを焼き、コーヒーをいれてくれる。開け放たれたドアから柔らかな風がそろりそろりと入ってきていた。吊るされたハワイの木の風鈴が揺れてポコポコと可愛らしい音を奏でていた。

ベジタブルバーガーを口に放り込んでむしゃむしゃやっていると、母と娘の親子連れがやってきた。母親は40ぐらい。娘の方は小学生高学年といったところか。娘はアイスティーを注文し、慣れた感じで席を取り、リュックサックからノートや文房具を取り出して宿題か何か勉強を始めた。母親は何も注文せずに行ってきまーすと言って店を出ていってしまった。出ぎわに私の方を見てちょっと笑ったような気がしたが、一瞬のことで反応できなかった。人に笑顔をもらうことに慣れていないのだ。

母親がサーフィンをしている間、娘は宿題をして待っているということなのだろう。女の子にお小遣いをあげたいような気持ちになったが、もちろんそんなことはせずに黙ってバーガーを食べ、コーヒー飲み、デザートにイチゴと生クリームの乗ったデニッシュを食べ、勘定を支払って店を出た。ごちそうさま。

駐車場に戻ると、隣に停めた車がちょうど出るところだった。私のと同じ古いホンダの車だった。同じ車なんて珍しいよねえ。と男がわざわざウインドーを開けて話しかけてきた。そうですね。と、出来る限りの笑顔を作って答えた。もう27万キロ走ったよ。と男が言った。そりゃすごいですね。僕の倍だ。と答えた。我々のホンダは中途半端にオフロードなデザインが受けず、あまり売れないうちに製造中止になったモデルで、確かに海で見かけることはほとんどない。弟が車を買い替える時にくれたのをもう5年ぐらい乗り続けている。このぶんだとあと5年ぐらいは乗れそうだ。

都心に近づくにつれ、また風が強くなってきた。おそらく東京は強風に翻弄される1日だったのだろう。得したような気もしたが、少し申し訳ないような気分でもあった。日に焼けた顔や首の皮膚が心地よくヒリヒリしていた。

ツアーレポート(ビデオレター)

2019年、クリスチャン・デスのヨーロッパツアーのレポート総集編。SNSを通じて友人らにツアーの様子を報告するためにiPhoneで撮影していたビデオをまとめました。1時間と長いですので、お時間のある時にご覧になってみてください。

記録

だいたい一月前に「見ざる聞かざる」というタイトルで昨今のコロナウィルス騒動についての記事を書いた。実は騒動については全体としてもっと楽観的に捉えていたのだが、目論見は外れた。正直に言うと少々「怖い」。

現時点では、ウィルスよりも人間の方が怖い。拳銃と食べ物と薬のどれかひとつを選べと言われたら、おそらく銃を選択すると思う。後になってこのブログを読み返して「バカなことを」と笑えるようになることを祈るしかない。

今やウィルスは世界中に蔓延して、まるで悪い夢を見続けているような状況だ。悪影響が僕のような社会からほとんどドロップアウトしたような人間にもひたひたと押し迫って来ている。

アメリカDJツアーの日程はすべて延期、もしくは中止になった。現地の温度の急降下が怖い。ほんの1週間前までは「いくつかのショーは中止になるかも知れないね。」ぐらいのムードだったのが、現在では「もし生き残れたらまた仲良くしようね。アデオス!」みたいな感じになっている。

東京でのDJの機会もほぼ消失した。もともとほとんど仕事が来ない状況だったから、今後のことを考える良い機会になったかも知れない。

反面、我が日本国民は自粛モードに飽きたらしく、街に人が戻り始めている。実際に目にしたわけではないが、花見や酒場は例年よりも盛り上がっているようにすら感じる。赤信号はみんなで渡れば怖くない。

もともと「引きこもり」と言ってもよいような生活をしているので、自宅でいることそのものはさほど苦痛ではない。「何もしない」ことは私の特技で、思えば数年前の入院生活も非常に有意義なものだった。自分が社会に何ひとつ貢献できていないことを常に恥じているが、今は堂々と「何もしない」でいられる。

2020年3月23日。私の憂鬱は私の中にある。つまり私は「まだ」このウィルス騒動を楽観的に捉えている。

この記事は何も伝えていない。この異常事態において、現時点での自分の立ち位置を記しておいた方がよいような気がして書いた。

DJのお知らせ(中止になりました。)

3月28日(土)青山CAYでDJします。←中止になりました。

ツアー延期のお知らせ

4、5月にDJ/アジテーターとして参加する予定だったクリスチャン・デスの北米ツアーは延期になりました。日程は現在のところ未定ですが、ブロンディ、ディーボなども出演するCRUEL WORLD FESTIVAL は9月12日開催が正式に決定しています。出演者のラインナップは変わらず、チケット(完売)はそのまま使えるとのこと。

雑誌の話

Lula 11. マガジンハウス刊行

90年代の初頭からサブカルチャー誌のSTUDIO VOICEを毎月購入していた。2009に廃刊(休刊?)されるまで欠かさず買い続けていたから、かなりの量のコレクションが今でも書斎に並んでいる。同誌の何が私のどこを刺激したのかよくわからないが、もともとあまりモノにこだわりがなく、収集癖もない私にとっては珍しい行動だった。

私が経営していた自由が丘のバーに当初、イギリス人で元モデルの女性がよく足を運んでくれていた。何度か会話を交わしているうちに、彼女がSTUDIO VOICEの創刊号(同誌はタブロイド判のカルチャー新聞としてスタートした。76年とウィキにある。)の表紙を飾ったことを知って驚いた。

それからしばらくして今度は何と同誌の編集長がバーを訪れる。たまたま通りがかりで店を見つけたらしい。店を気に入ってもらえたらしく、ちょくちょくやってきては静かに時を過ごしていかれる。STUDIO VOICEと流行通信の新刊を持参してくれるので、関係者だろうとは思っていたが、まさか編集長その人とは。

私の人生では(おそらく誰の人生においてもそうだけど)そのような、不思議体験としてネタにするほどドラマティックではないにしろ、偶然として流してしまうには少しもったいないような出会いやハプニングが度々起きる。

STUDIO VOICEが廃刊になって消えた頃、HUGEという男性ファッション誌が登場してきて、タイプは全く異なるが、特集の斬新さとアートワーク、特に写真が良いのが気に入って、やはり5年後ぐらいに廃刊になるまで買い続けた。

HUGEにおいて、STUDIO VOICEの時のような出会いはなかったが、専属のモデルに知り合いがいた。彼は元々写真を撮っていて、恥ずかしながら私も何度か被写体になったことがある。その時から、撮る側にいるのがもったいないと思わせる独特のムードを持っている男だったから、彼を誌面で見るのには全然違和感はなかった。

以上が、私の雑誌購入体験のほぼ全てである。以降、本屋やカフェで手に取った雑誌をペラペラめくることはあっても、定期購入に到るほど魅力的な雑誌に出会うことはなかった。

なかった。が、それは私が男だからかも知れない。昨年、KOTAの活動を再開してから、女性服との関係を持つ機会が増え、自然な流れから、ふと目にした女性誌を開いて飛び上がった。

見ざる聞かざる

昨年、3週間ヨーロッパにいて、テレビやラジオ、新聞、SNSなどから断絶された環境にいて、自分が抱えている多くのストレスがそれらの媒体から発信されていることに気がついた。

政治や社会の情勢にセンサーを尖らせ、正しい情報を得て、しっかりした自分の考えを持つべきである。と、先の震災で学び、特に時事問題には興味を持って積極的に社会に参加しようとしてきたし、外を出歩くことの少ない私の生活環境において、SNSは他人とコミニュケーションが取れる貴重なツールだった。

しかし日本の首相のツラをテレビで見るたびに腑が煮え繰りかえるような思いをし、「いいね」の数に翻弄され、無記名のディスコメントに凹まされ、私の心はいつしか、憔悴していたようである。テレビやiPhoneを見ないだけで、こんなに毎日が楽になるとは思いにもよらなかった。

そんなわけで、6月に帰国してからもう半年以上、テレビやラジオは一切見聞きしないようにしている。SNSは発信専用にして、基本的に人の記事は見ていない。

いくら耳をふさいでいても、入ってきてしまう情報というのはあるもので、例えば新型肺炎のニュースについてはだいたい把握していると思う。政治や経済においては、何が起こっているかむしろニュースを見ない方がよく見えているような気がする。

基本、世界はアメリカを中心に回っている。新型肺炎は製薬会社が儲けるために開発して撒いた。調子に乗ってる中国を牽制する意味もあったかも知れない。日本ではナショナリズムを高める(なぜか中国人が悪いということになっている。)のにちょうど良い材料になったし、経済がうまくいってない理由をぜんぶ肺炎のせいにできて好都合だ。オリンピックがコケてもきっと肺炎のせいにするだろう。全体として「自分らがうまくいってないのは全部中国のせいだ。」というシナリオでごまかし続けていくつもりだろう。

金は回ってないが、労働者に還元せずに留保した金がたくさんある。それで自社株を買うから株価は安定。同じことを国もやっている。アメリカがコケたら日本もコケるが、またトランプが当選するだろうからしばらくは安泰。と、みなが思っている。

実際には金は回ってないから、国民の生活は苦しくなっている。重税も厳しいが、まわりも同じだ。日本人は自分だけ辛いのは耐えられないが、みんなで一緒に辛いのには恐ろしく強い。物理的な苦痛よりも「人と違う」ということがいちばん恐怖だ。

賭けても良い。消費税10%はジャブに過ぎない。そのうちものすごいストレートパンチが飛んでくるが、みんなで一緒に気を失うのなら本望だ。日本人はみな喜びノーガードで受け入れるだろう。

すべて私の妄想だ。情報が入ってこないから想像するしかない。妄想だから現実とは全然違うのだろう。コンビニで買ったアイスがやたら小さく見えるのは私が太って大きくなったからに違いない。

え、マジ?

さて、4月に参加するクリスチャン・デス北米ツアーの内容が徐々に明らかになってきました。

メインイベントは何と言ってもコレになるでしょう。ラインナップ見てさすがに驚きました。これ自分が出演しなくてもけっこうな事件だよね。80年代ポストパンク界隈では近年で一番大きなニュースだと思います。ぶっちゃけ、よくもまあ実現したなあとプロモーターの手腕に素直に感心してしまいます。

中でも特筆すべきはPUBLIC IMAGE LTDの参加。何と言っても僕が「ロマンス」なのはP.I.Lの「Flowers of Romance」がルーツなんでね。原点の中の原点。自分が同じイベントに出演することになるなんて、はるかに想像を超えております。人生は本当に何が起こるかわかりません。

開催は5月2日(土)ロサンゼルス。ゴールデンウイークなんでね。お休みとってぜひ応援しに来てください。詳細はイベントのオフィシャルサイトにて

追記:同フェスのチケットは発売開始から即日完売したそうです。

ジョジョ・ラビット:注/ネタバレあり

映画「ジョジョ・ラビット」を観ました。まず、この映画は前情報なしに観た方がよい作品と思うので、もしまだご覧になってなくて、観ようかなと思っている方はこの先はお読みにならないことをお勧めします。有名人のコメントとか映画のレビュー記事とか何も知らずに観た方がよい。

それを踏まえて、劇場に行こうかどうしようか迷っている人には自信を持って足を運ばれることをお勧めいたします。

さて、ここから先は観られた方と感動を共有したく、感想を少し。まず僕はこれを「戦争映画」だと思いました。

僕はもう戦争映画観たくないんだよね。プラトーンとかランボーとかあの頃は平気だったんですけどね。1965年の日本に生まれて育って、戦争というのはどこか遠くの国の話で自分とは関係ない。非現実的な事象だと考えていたのだと思います。年を重ねるごとにだんだん人ごとじゃないってことがわかってきてね。人と人が殺しあってるの見るのも普通に嫌だし、アメリカの戦争映画なんかはナショナリズム育てるためのプロパガンダみたいにも感じるしね。

なので随分と長い間、意図的に戦争モノから遠ざかっていた。

でも、やっぱり観なきゃいけないんですよね。世の中には目をそらしてはいけない物事がある。ナチスドイツのユダヤ人迫害なんかね。もう見たくも知りたくもないんですよ。できればすべてなかったことにして忘れ去ってしまいたい。でも、それじゃいけないんだと思います。そしてそれがそのままこの映画の製作者のメッセージだと僕は感じました。

本当はもっと戦争の悲惨さをガチで訴えたかったんじゃないのかな。だけどそんなもの、誰も見たがらない。だから敢えてコメディー映画のセオリーを取り入れた。ナチスがテーマらしいけどコメディーなら観てもいいか。つって劇場を訪れた観客、すごく多いんじゃないかと思います。実際、僕の隣の席の人なんかも笑う気満々で来てて、冒頭のたいしてそこまでおかしくもないところで大声で笑ってみたりして(ちょっとウザかったです。)、途中で笑えなくなって、帰りは静かになってましたけどね。

なので、「やられた!」というのが、感想です。

そしてもうひとつは、やはり「音楽の力」ですね。あれはズルいと言うか、今、思い出しただけでも涙が出てきそうになります。

僕は実はデヴィッドボウイの音楽があまり好きではないんです。僕のまわりの音楽好き人間の間では概ね「デヴィッドボウイは偉大だ素晴らしい!ハイルヒトラー!」みたいなことになっていて、まあ僕もそんなことで迫害されてもしょうがないから黙ってるんですけど、正直デヴィッドボウイの音楽が何でそこまで評価されるのかよくわからない。

だけども今回、なるほど、彼の音楽はこういう風に人の胸の中を突くんだなというのがわかって、みなさんの気持ちが少し理解できたような気がしました。

話はそれますけど、嫌いな音楽がはっきりしているというのはDJとしてはよいことだと思っています。違いがわかってるってことだからね。逆に「音楽は何でも好き」みたいな人の言うことはどうも信用できないよなあ。

映画っていいなあ。

告白

セルフオーガナイズができてない。というと何だかちょっとかっこいい感じがするけれど、つまりはうっかり者、不注意な人間である。きのうは車の鍵を落とし、最近ではシャンプーを洗い流すのを忘れてそのままサウナに入るという小さな事件を起こした。もしかして痴呆症なのではないかと不安になることもあるが、不注意は子供の頃からなので、そうだとしても老人性というわけではないと思う。普通の痴呆である。

そんなわけだからモノをよく無くす。最近は痴呆に健忘が加わり、無くしたことも忘れてしまったりして手に負えない。モノは所詮モノ、しょうがない。と執着せずに諦めることにしているが、どうしても忘れられないものもある。

師エスケンに帽子をプレゼントしてもらったことがある。南アメリカのどこかの国からの輸入品だと聞いたが、存在感からしてそうとう高価なものだと思う。エレガントなベルベットの太巻きリボン、頭に吸い付くようにぴったりなサイズ、肌触りのよいマテリアル、美しいシルエット。本当にお気に入りで、DJする時は必ず被ってトレードマークになっていた。

エスケンさんも「上げた帽子を被ってくれて嬉しいもんだねえ。」なんて、まるで孫に誕生プレゼント上げたおじいちゃんみたいになって喜んでくれて幸せだった。

帽子は好きでたぶん100以上持っているが、本当に気に入るものには滅多に出会えない。というか、出会ったことがない。もしかしたら、一生にひとつ、見つかるかどうかぐらいの確率かも知れない。つまり人生とは「正しい帽子を探す旅」であると言い換えることができるわけだ。

私は師に導かれその使命を果たすことができた運の良い人間である。エスケンさんのことを無意識に(そして勝手に)「師」と呼んでいたが、ちゃんと筋が通っていたのだ。

文脈から想像するに容易いと思うが、その通り。よりによってその帽子を無くしたのである。気がついたら消えていた。どこでどう無くしたのか全く検討がつかない。まだ酒を飲んでいた頃の話だが、暴漢に襲われて身包み剥がれたとしても帽子だけは守ったと思う。羽が生えてどこかに飛んでいったとしか思えない。

実は紛失についてエスケンさんには何も伝えていない。言えるわけがない。でもたぶん、マックロマンスは最近あの帽子を被ってないなあぐらいのことは何度か思っているに違いない。心が痛い。エスケンさんがこのブログを読んでいるとは到底思えないが、もしかして誰かから伝わって目にすることがあるかも知れない。面と向かってはとても告白できないので、ここに謹んで謝罪の意を表明する。って偉そうだな。本当にごめんなさい。

帽子の紛失からもう3年、もしかしたら5年ぐらいになるが、あの帽子が頭に乗っかっている時の興奮感は忘れない。身に着けるものは人にパワーを与えるし、奪い取りもする。人が服を作るのではない。服が人を作るのである。

Photo by Noah Suzuki

初老パンク、今度はアメリカを征く

ツイッターやフェイスブックなどでちょくちょく見かける「情報解禁」という言葉がある。ライブイベントなどの案内をお知らせする際にアーティストたちがよく使う。まあこう言っちゃ何だけど売れてない奴ほど使いたがる。

情報の開示をもったいぶるのであれば「解禁」される情報もそれなりでなくてはならない。シロートのライブ情報なんぞ、誰も期待してないのにわざわざ勿体ぶる様子は滑稽で、やめればいいのにと思う。思うが、気持ちはわからんでもない。

昨年のヨーロッパツアーに続いて、この春、古巣のゴスバンド、クリスチャン・デスの北米ツアーに参加することが決定した。例によっておそらく何の話題にもなるまいが、自分的にはまあまあ大きなニュースなのでここに記しておく。

前回はほとんど記録を残さず、すでに自分の記憶からも消えつつある。ちょっと勿体無い気がする。今回は「ツアー日記」のようなものを記しておこうと思っている。このブログを使うか、ツイッターなどのSNSにするか、オフラインのメモ書きとかにするか、ちょっと迷っている。

写真はヨーロッパツアーでのひとコマ。35年前のデビューの地=ロンドンはカムデンのクラブの前にて。撮影はロンドン在中の日本人フォトグラファーSHU TOMIOKAさん。

追記:いろいろ考えてKOTA(私の海外でのDJネーム)のツイッターを今回のツアーの記録用に使うことにした。もともと備忘録用に特に告知もせずに使用していたアカウントで、ほとんどフォロワもいない。

DJ情報

MACROMANCE / MUSIC IN THE FOOD

2月4日(火)19:00-23:00h @CAY 入場無料

キダオレ日記(春コート)

コート:JUNYA WATANABE MAN

パリのファッションウィークのレビュー記事を見て、このコートを手に入れたいと思った。シーズンが開けて早速、六本木ヒルズのストアを訪れたが、入荷されておらず。クルーの方が調べてくれたところ、国内には広島と丸の内、にそれぞれ一着のみの入荷だと判明した。しかも僕の適正サイズであるXSは丸の内店のみ。その足で同店を訪れ、即決で購入した。

物欲がどんどんなっていく中で、コム・デ・ギャルソンの服だけが僕を魅了し続ける。コムデに袖を通す時、僕は「愛されている」と感じる。他のブランドの服ではあまり得ることのない感覚だが、BLACKを着ても、HOMME PLUSを着ても、JUNYAを着ても、コム・デ・ギャルソンにおいては同じように愛を感じる。

それは「作り手が着る者を思う気持ち」というような売り手買い手の間に芽生える美談的な安っぽい感情ではない。もっと壮大な、言わば「神の愛」である。サーフィンをやっている時に海から愛を感じることがあるが、体感としてはそれに一番近い。

以前、どこかで同じような話をしたら、先輩で友人のハリー山下に「ブランドは売上を上げたいだけで、マックロマンスはそれにうまく乗せられてるんだよ。」と身も蓋もないコメントをもらって、少し凹んだが、まあ正論ではあると思う。他人からはきっと宗教に狂信的にのめり込む猿のように見えるのだろう。

他方、コム・デ・ギャルソンもサーフィンもなかったら、おそらく僕の生活はもっと苦悩に満ちたものになったと思う。それ(つまり安らぎである。)を提供してくれているチームに「売上」という形で貢献できるのであれば、それは本望でだ。

やれやれ、たかがコート買ったぐらいで大騒ぎしすぎだな。嬉しいのである。

キダオレ日記

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アンダーウェア:5351 POUR LES HOMMES × BETONES

個人事業主になってから毎年、一月は確定申告の書類作りと、そのプレッシャーにつぶされる。思えば人生の半分以上の一月を憂鬱な気分と共に過ごしているわけで、それを思うだけで事業なんか始めなければ良かったと悔やんでも悔やみきれない。と、のっけから愚痴でスタートした2020年。まあ、せめてパンツぐらいは新調して気分良くいきたいもんだ。

CUT UP & REMIX

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そういうことはやらない方がいいよと言われたが、googleに「マックロマンス」と打ち込んで検索してみた。(暇なのだ。)ディスりも含めて、たいして目ぼしい情報は得られず、自分の社会への影響力の低さ(ほとんどゼロ)を再確認することになり、別の意味で少し気分が落ちる結果となった。

しかし収穫も全くなかったわけではなく、削除していたと思っていた過去のブログ記事を発見。いくつか目を通してみたが、なかなか良いリズムの文章で、読ませる。少なくとも文章を書く能力については、今よりもその当時(15年ぐらい前だろうか)の方がずっと高いように思った。つまり私は退化しているわけだ。

ただし、文章の内容についてはいただけない。社会や政治について辛めの意見を突きつけるものが多いのだが、本当にそう思って書いているのかあやしいのである。盗作とまではいかないまでも、他人が書いたものを読んで、それを自分の文章に書き換えて、あたかも自分のものであるかのごとく表現しているのがわかる。他人にはバレないかも知れないが、書いた張本人にはわかる。

何だ、今やってることと同じじゃんね。サブジェクトは文章から音楽にかわったが、現在自分がやっているCUT UP & REMIX、”他人の曲をサンプリングしてリミックスし新しい曲に作りかえる”と全く同じである。私はそういうことが得意、うむ、少なくとも好きであるようだ。

そんなことを考えながら、朝っぱらから雑誌をやぶったりコピーしたり、CUT UP & REMIXは題材を特定しない。理論もいらない。オリジナリティーなんて概念を否定するところからスタートする。私はそれを「自由」と呼ぶ。

2020年も青山からスタート

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2020年もDJはホームのCAYでスタート(1月7日火曜日よる7時〜)です。4時間ノンストップミュージック。もちろんアナログレコードオンリーです。

今年最後のDJは東京湾クルーズ

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今年は初の海外DJツアーを敢行し新展開があったものの国内での活動は尻すぼみ、DJとしてはイマイチぱっとしない1年になってしまいました。しかし懲りずに来年もやりますよ。たぶん今後は海外での活動に軸足を置くようになる気がしています。ともあれ1年間大変お世話になりました。最後は東京湾クルーズ。せっかくなんでね。少しおめかししていらっしゃるとよいかも知れません。

+ + +

”EXTRA+”シリーズは東京アンダーグランドジャズシーンの重要人物=TOSHIHIRO ONOさんが手がける東京湾ナイトクルージングイベント。

EXTRA+FRIDAYではマックロマンスがレギュラー出演しています。

12月20日のマックロマンスは、シンガーで詩人のChihiro SingsさんとのDJ+ポエトリーリーディングのスペシャルセッション。音のループとポエトリーで東京湾上の時空間を美しく演出します。他にもTOSHIHIROさんが厳選したDJやミュージシャンが集結。クリスマス前の金曜日にふさわしい特別な夜をぜひご体感下さい。

MACROMANCE feat. Chihiro Sings in EXTRA+FRIDAY

12月20日(金)at JICOO THE FLOATING BAR

■TIME:
19:30-23:00
Hinode Pier | 20:00 21:00 22:00
Odaiba Seaside Park | 20:30 21:30 22:30
船は日の出桟橋とお台場を往復しつつ30分おきに着岸しますので、どのタイミングからでも乗船可能です。
■VENUE:
Jicoo The Floating Bar
http://www.jicoofloatingbar.com
■CHARGE:
2,600yen (Floating Pass)
フローティングパスは船から降りない限り乗り放題です。料金には乗船料、エンターテインメント料が含まれます。
■MUSIC SELECTOR:(予定)MACROMANCE feat. Chihiro Sings / MORIKEN / TOSHIHIRO ONO / Airi

And more…

ご予約はマックロマンスまでダイレクトメッセージお願いします。

ラジオ体操とほうれん草

最近の口癖は「前にも話したことあると思うんだけど」。これも前に話したことがある気がするが、今朝、茶のための湯を沸かしていてる途中に記憶の扉が開いたのでここに記しておく。

小学校1年か2年だったと思う。体育の授業でラジオ体操の練習をさせられていた。「体を回す運動」の途中で教師から「やめ」の号令がかかった。「ホンダ(僕の本名だ。)くん、ちょっとこの運動をみんなの前でやってみて。」

僕はおそろしく運動神経の鈍い子供で体育は本当に苦手だった。走るのが遅いぐらいなら他人に迷惑はかけないが、球技などでは僕の入ったチームが負けて忌み嫌われるし、本人は真面目にやっているのに、奇妙で予測不可な動きをする様子がふざけているように見えるらしく、笑い者になるのを通り越して怒りを被ったり、体育の授業はまあ控えめに言って地獄だった。

その日のラジオ体操でもきっとまた変な動きをしていたのだろう。教師は「悪い手本」としてわざわざクラスメートの前で僕にその運動をさせるわけだ。公開処刑である。

僕は顔を真っ赤にさせ、体をブルブル震わせながら、校庭に体育座りで整列したクラスメートの前に出て、ひとりで「体を回す運動」をやった。

体を回す運動:両腕で円を描くように体を大きく回す。左右2回繰り返す。腰周辺の筋肉をほぐし柔軟性を高める。

「ホンダくんの運動をどう思いましたか?」

僕の一連の運動が終わった後で、教師が生徒らに尋ねた。僕は顔を真っ赤にしたまま、涙が出てきそうなのを堪え、下を向いて突っ立っている。

「はい!」

イシマルさんが手を挙げた。イシマルさんは学級委員長で勉強ができて、明るく、クラスの人気者で、そして小学生でもそれとはっきりわかるような美人だった。家もお金持ちだったと思う。

「何だか動きがちょっと変だと思います。くねくねしていて。」

生徒たちが顔を見合わせながら「そうだそうだ」と彼女に同調した。

「ふうん。動きが変。なるほど、他には?」

クラスメートはざわざわしていたが、それ以上意見をいう者はいなかった。

「ホンダくん、もう一回やってみて。」

僕はもう教師に殺意を抱きながら、もう一度そのくねくねダンスを披露した。

「みなさんホンダくんの動きをよく見て、ほら、体を大きく動かして綺麗な円を描いているでしょう?とても素晴らしい。このようにすると腰の柔軟性が高まるのです。みんなもホンダくんのように円を作るように体全体を使って動かしてみてください。ホンダくん、戻ってよし。ありがとう。」

今度はイシマルさんが赤面する番だった。生徒たちは「オレも実はそう思ってた。」みたいな顔をして、体を回したり、友達同士で動きを見せ合ったり、僕のことを羨望の目で見るような奴もいた(おそらく僕の妄想だろう。)が、チャイムが鳴った瞬間に、すべてなかったことのように僕以外の者らからこの授業の記憶が消えた。

+ + +

ある日、給食の時に、イシマルさんが下を向いたまま大粒の涙をボトボト落として泣いていることがあった。ほうれん草にアレルギーがあって食べられず、それで泣いているらしい。給食は好き嫌いをせずに、よく噛んで、残さず全部食べましょう。というのがルールだった。責任感の強い生徒だったから、学級委員長の立場でそのルールを守れないのが悔しかったのか、あるいはこの不幸を受け入れられず悲しかったのか。

今にして思えば、その時に彼女の机のところに行って、ほうれん草をムシャムシャ食べてやればよかった。その頃の僕は内気で、暗く、自分のことだけで精一杯のダメな少年だった。(そしてほぼその時のまま大人になった。)

ラジオ体操を真面目にやっても、柔軟性のある体にはならない。今年2度目のギックリ腰は患ってからもう3週間になるが、まだ大好きなキックボクシングの練習ができるまでには治っていない。ヨガや整体いろいろやったが、大した効果はない。まあ腰痛は持病らしく、うまく付き合いながらやっていくしかないようだ。

ほうれん草は好きでよく食べる。葉酸が体に悪いという人もいるが、ここまで生きられたんだからそれで多少寿命が縮んだところで問題ないと思っている。特にインド料理のほうれん草とチーズのカレーが好きで、こうやって話をしている間にも食べたくなってきた。

映画鑑賞記 ”ドルフィン・マン”

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自分の方は特に何も悪いことはしていないはずなのにちょくちょく理不尽な扱いを受けたり、トラブルに巻き込まれたりする。そこまで大きな問題に発展せずとも、何だか自分だけ損をしながら生きているような気がする。そういうのは全て前世での行いが悪かったから今になって罰を受けているのだそうだ。前世の自分が何でどんな生き方をしていたか知る術もないが、よほどの悪事を働いていたらしい。何だかフェアじゃない気もするが、受け入れるべきは受け入れるしかなかろう。

映画館を訪れると、どういうわけか前の席の客の座高が高い。あるいはテンガロンハットをかぶっている。もしくは巨大なアフロヘアーだったりする。それだけでもまあまあ前世を恨むが、きのうの客は身長190センチぐらいある巨漢の上に、館内でビへイブが非常に悪かった。すなわち映画に集中できずに何度もスマートフォンを取り出してはオンにして何やらチェックしている。しまいにはそれを落とし、でかい身体をシートの下に潜り込ませてもごもごやっている。分別のわからない若者ならいたしかたない部分もあろうが、年の頃、私たちと同年の中高年である。連れの女(おそらく妻だろう。)が、注意でもすれば良いものを、そんなそぶりもなく、やっと落ち着いた男の肩に頭を乗せて気持ちよく眠りに入りそうな始末である。

注意のひとつでもしようかとは思ったが、私は肝っ玉の小さい人間なので、仮に相手が下に出て謝罪したとしても、そのことばかりが気になってとても映画を楽しむことはできぬだろう。もし相手が強気に出た場合の被害については想像するだけで憂鬱になる。

そんなわけで60%ぐらいの感じの映画鑑賞だったが、まあ結論から言えばそれなりに楽しめた。

我々は25歳ぐらいでグランブルーに直撃された世代である。私が経営していた自由が丘のバーが南欧風のデザインだったり、店名がフランス語なのも、グランブルーの影響が大きい。私の友人には生まれた子供に「ENZO」と命名した者もいるぐらいだ。なわけで、海やイルカやダイビングに興味がなくてもジャックマイヨールのことはだいたい皆知っている。彼が日本に住んでいたことや、晩年、鬱病を患って自殺したことも、別段、新しいニュースではない。

それでもこの映画はやはりグランブルーでは語られなかったリアルなジャックマイヨールの素顔に迫っていると思った。グランブルーのファンタジーに酔いしれた私たちは、こちらも見なければならない義務がある。

そんなことを想定したかどうかは知らないが、ナレーションをジャン=マルクバールが担当している。「私」と一人称を使い、ジャックマイヨール自身に成り代わってストーリーを紹介していく。役者としては他にそこまで大きな成功を収めた記憶はないが、グランブルーに関して言えば彼以外に適役はいなかったと思う。

70にもなって自死するって、どんな感じなんだろう。よほど前向きでパワフルな人間じゃないと死ぬ気も起きないような気がする。

死ぬ少し前にジャックマイヨールが雑誌のインタビューに答えているのを読んだことがある。リュックベッソンに映画についてイチャモンをつけている内容で(自分を映画に出せばよかったとか言ってたと思う。)カリスマにのくせにちっちゃいことばっかり言っていてまあまあかっこ悪かった。個人的にはそういうところに好感を持ってしまう。いいじゃんね。人間らしくって。

死ぬに死ねない

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DJやミュージシャンは11月がいちばん忙しい、はずなんだけど、私のスケジュール帳は年内真っ白。今年のDJも残り1本で終わりです。とは言え、もうすでに来年の準備は始まっている。今年は夢のDJ海外ツアーが実現した(こんなに話題にならないとは思っていなかった、つーか、もう少し話題にしてくれよ。50からDJはじめて海外ツアーまで漕ぎ着けれる奴は世の中に一体何人いると思ってんだ?と思うけど、まあ誰も興味ないんだからしょうがない。でも実現はしました。)ので、来年はまた別方向でこれまでやってないことにトライしようと思っています。日々修行ですわ。

最近は本当に毎週のように親戚やら知人が亡くなったニュース。自分もいつどうなるかわからんぞってことで、生命保険を見直したんだよね。遺族が受け取る死亡保険金とかが増えたわけなんだけど、今回の契約、三年内に自殺したら全てがパアになるそうで、まあ自殺なんかする気は毛頭ないのだけど、仮に死にたいと思っても死ねないわけで、本当にまあ消費税の計算はややこしいし、ライブハウスでタバコも吸えない(自分は吸わないけど)し、何だか不自由なことになってくな、この世の中は全く。

何をやるにしても予定を立てなきゃね。ってんで、2020年度もダイアリーはモレスキン。

キダオレ日記:タオル

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タオル:5351 POUR LES HOMMES

多汗症である。非常にめんどくさい。特に冬場が困る。寒さの中でも少し運動などしようものなら体の芯が燃えて汗が噴き出すのである。僕の通うキックボクシングジムがある大岡山商店街をよく歩く人なら、木枯らしが吹く真冬の夜にノースリーブに半ズボン姿で寒さにぶるぶる震えつつ噴き出す汗をタオルで拭きながら歩く僕の姿を見かけたことがあるかも知れない。

汗かきってことはつまり、体から常に蒸気を放出しているわけだ。例えばスキーに行った時、ちょっと滑っただけで発汗しゴーグルが真っ白に曇って使い物にならなくなる。もちろんゴーグルには空気孔が開けられているのだけど、これが何の役にも立たない。

僕は戦闘機のパイロットには絶対なれないだろう。ヘルメットの内部が汗で曇って前が見えないでは敵に撃ち落とされる前に墜落して終わりだ。

現在は研究も進み、多汗症にも様々な治療法があるらしい。しかしこれを受けるつもりは毛頭ない。寒かったりめんどうだったりするけれど、汗をかくのはやはり気持ちが良いのである。逆に治療で発汗を押さえ込んでしまった場合、体の中に放出できなかった汗がたまると思うと非常に気持ちが悪い。治療を受ければパイロットになれると言われても、やはり僕は汗かきのままでいたいと思う。

言いたいことは別にない。新しいショップ・ミュージックを納品に5351の代官山店に行ったら良さそうなタオルを見つけた。

*ちなみに:現在5351 POUR LES HOMMES 代官山フラッグシップショップではマックロマンスの新作DJクリスマスミックスが流れています。お買い物の際はぜひ耳を傾けてみてください。

映画鑑賞記:ターミネーター(ネタバレあり)

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映画「ターミネーター:ニューフェイト」を観た。

映画鑑賞はミニシアター系(というカテゴライズの仕方もあまり好きではないのだけど)が本流だが、ハリウッドムービーも好きで良く観ている。

アメリカの映画は主人公(男と決まっている。)が仕事や趣味やイデオロギーや友情に情熱を燃やしていて、パートナー(多くの場合「妻」という設定だ。)がそれを邪魔するという設定でストーリーが構成されている。アフガンで戦う戦士、凶悪犯と対峙する刑事、研究に没頭する学者、彼らは申し合わせたかのように妻の誕生日を忘れ、結婚記念日を忘れ、子供の発表会に顔を出さず、まるで家庭を顧みないことに美学があるかのようである。制作側もさすがにその部分をわざわざ説明するのが面倒になってきたのか、最近では物語の最初から妻に離婚されているケースも少なくない。「妻」が最初の15分ぐらいで死んでしまうストーリーが多いのも最近のハリウッドの傾向だと思う。要するに主人公の男が妻や家庭をないがしろにして、仕事や友情を大切にするというのがアメリカ映画の定型で、不理解なことにないがしろにされている側、つまり女性や子供たちも、それを受け入れて映画を楽しんでいるように見える。

これはアメリカが「移民の国」であることが原因であるのだそうだ。(僕が思いついたのではない。そういう話を聞いたことがある。)最初の移民は男女比で言うと圧倒的に男が多く、パートナーや家庭を持てる男性はごく一部だった。妻や家庭よりも仕事や友情を重要視しないことには自らの存在意義が否定されてしまうという状況だったわけだ。その名残が映画という媒体を通じて現在まで続いていると言うのである。

事の真意はよくわからないが、アメリカの映画が長く男性至上主義によって描かれてきたのは事実だと思う。我々はそれをたいした違和感もなく受け入れてきた。(日本映画も男性至上ではあるけれど女性の立ち位置はアメリカのそれとはまた異なると思う。また機会があったら話題にするかも。)

で、ターミネーターである。写真でもわかるように主人公は女性たち。彼女らが敵の悪役(機械だが男性の容姿をしている。)と戦って勝つという極めてシンプルなストーリー。男たちも多数登場するが、彼らはみな悪役に殺されてゆく。(つまり役立たず。)。

で、肝心のシュワルツェネッガーがどこで登場するかと言うと、物語の中盤で出てきて女たちと戦うのかと思いきや、何と彼女らと一緒になって敵と戦うのである。そして、何と、シュワルツェネッガー、それなりにおじいさんになっている。(機械だぞ。)

つまりこれは「戦う女たちとそれを手助けする老人」の話なのだ。

アメリカが変貌したがっている。これからは女と老人の時代がやってくるかも知れない。これから老人になろうとしている自分にとっては明るい話かも知れない。しかし、未来からやってきた得体の知れないロボットと戦うなんてまっぴらだな。嫌だな。なんて、そんなことを考えながら映画館を出た。

しかしだな。おじいさんになった機械のシュワルツェネッガーに家庭があるという設定は気にならないでもない。劇中、彼は「女たちの戦い」のために家族との幸せな生活を捨てることになる。「家庭を顧みない美学。」スポンサーに気を使ったのかも知れない。

お知らせ:イベント予約でCDプレゼント

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イベント参加予約してオリジナルCDをもらおう!

12月20日(金)EXTRA+(東京湾クルーズ)のご乗船、マックロマンスにダイレクト予約くださった方にマックロマンスの新作クリスマスミックスCD「SO THIS IS NOT CHRISTMAS」をプレゼントします。

1、下記イベント内容をご確認ください。

2、参加したいと思ったらコチラからマックロマンスにダイレクトメッセージ。(お問い合わせも同じフォームからお願いします。)

3、イベント参加ご予約が確定したらマックロマンスから2019年新作クリスマスミックスが届きます。

*音楽データはダウンロード、またはCDでの発送(国内のみ)のどちらかを選べます。

4、マックロマンスのクリスマスワールドを存分にお楽しみください。

5、12月20日 EXTRA+ではCDに入っている曲もプレイする予定です。知ってる曲が流れて楽しさも倍増。

*CDプレゼントはイベント参加をマックロマンスに「ダイレクト予約」してくださった方限定の特典です。ジクーのサイトなどからご予約された方は対象外となります。

MACROMANCE feat. Chihiro Sings in EXTRA+FRIDAY

12月20日(金)at JICOO THE FLOATING BAR

”EXTRA+”シリーズは東京アンダーグランドジャズシーンの重要人物=TOSHIHIRO ONOさんが手がける東京湾ナイトクルージングイベント。隔月で開催されているEXTRA+FRIDAYではマックロマンスがレギュラー出演しています。

今回のマックロマンスは、シンガーで詩人のChihiro SingsさんとのDJ+ポエトリーリーディングのスペシャルセッション。音のループとポエトリーで東京湾上の時空間を美しく演出します。他にもTOSHIHIROさんが厳選したDJやミュージシャンが集結。クリスマス前の金曜日にふさわしい特別な夜をぜひご体感下さい。

■TIME:
19:30-23:00
Hinode Pier | 20:00 21:00 22:00
Odaiba Seaside Park | 20:30 21:30 22:30
船は日の出桟橋とお台場を往復しつつ30分おきに着岸しますので、どのタイミングからでも乗船可能です。
■VENUE:
Jicoo The Floating Bar
http://www.jicoofloatingbar.com
■CHARGE:
2,600yen (Floating Pass)
フローティングパスは船から降りない限り乗り放題です。料金には乗船料、エンターテインメント料が含まれます。
■MUSIC SELECTOR:(予定)
DJMACROMANCE / MORIKEN / TOSHIHIRO ONO

And more…

褒められたい

食べるマックさんロゴブラック.png

僕は他人から褒められる機会の少ない人間だと思う。なぜそうなのか自分ではよくわからないが、そのように生まれ、そのように育ってきた。中学校の時に市の水泳大会で2位になり、自分ではまあまあ凄いことだと思ったけれど、両親も教師も友達も誰も褒めてくれなかった。今年は海外DJツアーを敢行して、50を超えたおっさんが海外でDJデビューって自分ではまあまあ凄いと思ったが、誰にも褒められないどころか何の話題にすらならなかった。これがイナバさんだったら賞讃の嵐できっと大田区の電話回線がパンクしたことだろう。

滅多に褒められることがないので一度褒められたことはずっと忘れない。

15年くらい前に若い男性に「マックさんてすごく美味そうにメシを食いますね。」と言われて、なるほどオレにはそのような特技があったのか、と真に受け、自分が食事するところを撮影するようになった。スマホなどなかった時代の話である。20万円以上もするSONYのデジタルビデオカメラを購入し、自宅や店(僕はそのころ飲食店に従事していた。)で食べる姿を撮影した。人のお店に頼み込んでカメラを入れさせてもらったこともある。撮ったビデオをMACで編集してビデオコンテストに出場したこともある。(結果は惨憺たるものだった。)そのうちにYouTube、連動するようにスマートフォンが出てきてそこに撮影した動画をアップするようになった。全く何の話題にもなったことはないが、それから現在までずっと続いている。おそらく言った本人も忘れているような「褒め」のひと言が10年の時を経て今も僕を鼓舞し続けているのである。

褒めで持ち上がる人間というのは、だいたいにして謗りで落ち込むのが常で、僕も例外ではない。僕は基本ダメな人間なので、謗りのネタ提供にはいとまがない。これまでありとあらゆるタイプの謗りを受けながら生きてきた。謗られのエキスパートと言ってもよいかも知れない。僕のタイプの謗ラレストは「何をやっても謗られる」のが特徴で、例えば毎日のように深酒に沈んでいた頃は普通に「クズ」とか言われていたが、酒をやめたらやめたで「シラフのマックロマンスに価値はない。」とかって面と向かって言われるような次第でやるせない。

YouTubeでもこのところ否定的なコメントが目立つようになってきた。アクセス数が上がっているならば、クソリプのひとつやふたつ無視することもできようが、アクセスは減っているのにディスり系のコメントが増え続けていくのには我慢がならない。

他方、「クレームは財産だ。」という話を聞いたことがある。考えてみれば、見知らぬ誰かがアップした動画について、わざわざコメントを寄せるという行為だって、まあまあのエネルギーを要する所業である。腹が立ったにせよ、何にせよ、少なくとも動画を見て何かを感じたわけである。彼らのディスコメントの中に何かヒントがあるのではなかろうか。一度、彼らの話を真摯に聞いてみることにした。彼らは何を怒っているのだ?

答えは簡単に出た。

見たことのない人(おそらく誰も見たことないだろう。)のために簡単に説明すると、この「食べるシリーズ」は、その名の通り、僕が食事やスイーツを食べるところをiPhone撮影した(だけ)の動画である。ストーリーや演出や編集は一切なく、撮影したものをそのままYouTubeにアップしている。

食べたものがそのままタイトルになっている。例えば、きのうは天丼を食べたのでタイトルは「天丼」である。

これが良くなかった。

「天丼」のタイトルを見て、僕の動画に行き当たった人が見たいのものは「天丼」なのである。それを食う人ではない。彼らは天丼そのもの、どんぶりから上がる湯気とか、カリッと揚がったエビ天とか、甘辛いタレが衣に浸透していく様子とか、そういうものを期待してタイトルをクリックするわけだ。で、登場するのが、冴えない髭面の初老の男である。

ちなみに「食べる僕」にフォーカスを当てているので、食べている物はちゃんと映っていないことが多い。例えば天丼ならその多くはどんぶりの中に隠れているし、「シャケおにぎり」なんて場合は、中がシャケなのか梅干なのか外から見たのでは全くわからない。

例えば動画タイトルに「裸の女性」と書いてあったとして、蓋を開けてみたら裸の女性は全く映ってなくて、それを眺めてニヤニヤしている初老の男性の顔が映し出されていたとしたら、それは僕でも怒ると思うし、まあ機嫌が悪ければディスコメントのひとつでもよこすかも知れない。

そんなことに10年近くも気が付かず、全くもって申し訳ない。反省して、すぐに対応策を考えることにした。要するにタイトルを見た時点で、これが「マックさんがものを食べている」動画であることがわかるようにすれば良いのである。

「食べるマックさん」。何週間も考え抜いた末に決断した動画のタイトルである。今後、動画にはこれをかならず明記するようにした。例えば天丼を食べたとしたら、タイトルは「食べるマックさん/天丼」である。ついでにタイトルロゴも作ってみた。(こういう仕事はわりと早い。が、もちろんそれを褒められたことはない。)

これで動画へのクレーム、嫌がらせ、クソリプなどは飛躍的に激減するはずである。これを読んでマックさんのことを褒めたくなったら、ぜひYouTubeにアクセスして賞賛のコメントを投稿することをお勧めする。

キダオレ日記 ハット

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HAT : agnes b.

かっこ悪いこと、ダメな感じがかっこいい(あるいは許されてしまう)のがロックだと思う。ガンズ&ローゼズは全く好きなグループではないが、ボーカルの人のあのダサいダンスを見て、ああこれはロックだなと思った。敬愛するジョンライドンがステージで女の子のファンにボコられているところを見て、ああ、やっぱりロックだなあと思った。今や大作家として活躍されている町田康さんはまるでロック(彼の場合はパンクと言った方がよかろうか)を捨てたみたいにクールに変身してしまったが、遊びで始めたバンドのメンバーと方針で揉めて殴られたのだそうだ。それを警察に被害届け出したというのを聞いて、この方もロックを忘れていなかったと思った。言うまでもなく内田裕也さんはロックだったと思う。恋人と破局しそうになって「オレを捨てたらヤクザが出てくる。」とかって脅しただけでもけっこうなニュースだったが、マイウェイのBGMにのって謝罪会見に現れた時は本当にロックンロールだなあって思った。まったく反省してないじゃんね。スタイルカウンシルのポールウェラーさんなんかは何もかもが洗練されすぎていて、ちょっとロックとは言いたくない感じがする。スタンス的に似ているスティングさんは意外とダメでかっこ悪い側面があって好感が持てる。サザンオールスターのリーダーの方が「自分はロックだ」と言っていたのを聞いて全然違うよと思ったし、それが原因で彼らのことを嫌悪していたけれど、震災の時に一目散に関西方面?に逃げたという話を聞いた時に、ああなるほどこの人にもロック的な側面があるんだなと少し見直したことをおぼえている。

自分自身のことを言えば、実は僕はみなさんが想像している以上のダメ人間である。何がどうダメなのか恥ずかしくて公表できないが、ちょっと辺りを見回してみて、自分よりダメな人間はいないと自信を持って言える。今のうちからダメ録を書き留めておいて、遺言状に残しておくべきかも知れない。後で「あいつは本当にダメな奴だったよね。」「ロックだよね。」と誰かが噂してくれるかも知れない。あまりにダメすぎてロックですらないかも知れないけれど。

*文中の見聞は事実と異なる場合があります。半分ぐらいフィクションのつもりで読んでいただければ幸いです。

東京湾クルーズ

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10月18日(金)の東京湾クルーズ EXTRA+FRIDAY@JICOO THE FLOATING BARが無事終了しました。今回はアナログオンリー。少しづつ集めているジャズのレコードからベース音がフロントにバンと出ている楽曲を中心に少しアバンギャルドな楽曲も織り交ぜながらなかなかよいセットが組めたと思います。ジクーのエンジン音には何度か中低音を持っていかれた苦い経験がありますので、持参するレコードを選ぶ段階からある程度影響を考慮するようになりました。雨の東京湾も悪くないですね。

さて、いつも「告知が遅いよ」という声を聞きますので、次回の情報を掲載しておきます。今日を生きるのでも精一杯な自分にとって2ヶ月先なんて自分が生きているかどうかさえもわからない永遠に先の先の話な気がするけど、いつもあっというまに来ちゃうんだよね。

MACROMANCE in EXTRA+FRIDAY

12月20日(金)at JICOO THE FLOATING BAR

■TIME:
19:30-23:00
Hinode Pier | 20:00 21:00 22:00
Odaiba Seaside Park | 20:30 21:30 22:30
船は日の出桟橋とお台場を往復しつつ30分おきに着岸しますので、どのタイミングからでも乗船可能です。
■VENUE:
Jicoo The Floating Bar
www.jicoofloatingbar.com
■CHARGE:
2,600yen (Floating Pass)
フローティングパスは船から降りない限り乗り放題です。料金には乗船料、エンターテインメント料が含まれます。
■MUSIC SELECTOR:(予定)
DJMACROMANCE / MORIKEN / TOSHIHIRO ONO

And more…

JOKER (ネタバレなし)

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映画 “JOKER”を観ました。最近、シアターに足を運ぶ機会がすっかり少なくなってしまって、こちらで映画の感想を紹介するのも久しぶりのことです。

まあよくこんな映画を配給することができましたわな。というのが率直な感想。こんな映画がいろんな倫理委員会みたいな組織のチェックをくぐって、大企業のスポンサーもついて、お咎めもなしに堂々とロードに出れるわけなんだから、何だかんだ言ってもアメリカという国は自由なんだなと思います。

映画の話をすれば、とにかく主演のホアキン・フェニックスの存在感と演技力につきるのでしょう。これを超えるインパクトを残せる役も演者も近年ではちょっと思い当たらないような気がします。このままだときっと主演男優賞獲ってしまいそうだけど、いいのかな?

社会の闇やタブーに切り込む姿勢、いくつもの側面をもたらすストーリー、何だか居心地の悪い音や映像の演出、語るべくは多々ありますが、とにもかくにも、個人的に極めて重要な「鍵」を作品の中に発見してしまいました。あまりにもパーソナルすぎて、ここに詳細は書けませんが、こういうことってあるんだなあ。(僕のブログを隅々までチェックして事細かに読み漁っている方がいたら、もしかして僕が何を話しているのかわかるかも知れません。)

まあそんなわけで、映画の重く暗い内容とは裏腹に、とても元気をもらって帰って来ました。映画を観る前と後で全く世界が違って見えるような影響を受けたのは、すごく久しぶりのことでした。心が病んだり弱ったりしている時は観ない方がいいような気もするけど、僕のように元気になっちゃう人もいるかも知れません。お薦めして良いのかどうなのかわかんないけど、まあそれなりの覚悟を持って劇場に向かわれた方が良かろうかと思います。

映画ってやっぱりいいなあ。

DJのお知らせ

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偶数月第3金曜に東京湾に浮かぶ船上で開催しているEXTRA+FRIDAY。

皆さまをおもてなしするメンバーは、おなじみのDJmacromance、MORIKEN、Toshihiro Onoに加え、EXTRA+LIVEとして『bwpとファンキーヘッドライツ』が登場。
JICOOにぴったりのアーバンだけどちょっとポップでファンキーな演奏で、秋の空間に彩りを添えてくれます。

秋の夜長に、美味しいお酒を片手に、良い音楽とひと時の語らいをお楽しみください。

船の上でお待ちしております。

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EXTRA+FRIDAY 20191018@JICOO

■TIME:
19:30-23:00
Hinode Pier | 20:00 21:00 22:00
Odaiba Seaside Park | 20:30 21:30 22:30
船は日の出桟橋とお台場を往復しつつ30分おきに着岸しますので、どのタイミングからでも乗船可能です。

■VENUE:
Jicoo The Floating Bar
www.jicoofloatingbar.com

■CHARGE:
2,600yen (Floating Pass)
フローティングパスは船から降りない限り乗り放題です。料金には乗船料、エンターテインメント料が含まれます。

■EXTRA+LIVE:
bwpとファンキーヘッドライツ

■MUSIC SELECTOR:
DJMACROMANCE / MORIKEN / TOSHIHIRO ONO

 

虫の居所が悪い

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今日は高校生の娘が文化祭の催しに出演する予定だったが、ハンザワ王子がレコードを持って我が家に来るというので、娘の方はキャンセルして自宅で待機することにした。例によって当日の朝になって王子から体調が悪くて行けないとの連絡が入り、それならば娘の演奏を聴くことができると、自転車に乗って学校を訪れてみたところ、間違えた時間を教えられていたらしく、娘の出演するはずの催しは終わった後だった。そのまま帰るのも何だか癪なので、同じ会場でタイミング良くスタートした全く知らない他人の子供たちが演じるミュージカルを観たら、けっこう感動して泣きそうになった。しかし、自分はと言えば、ただでさえ存在が怪しい上に(単に車を運転しているだけで職務質問を受けたばかりである。)よりによって今日は真っ赤なTシャツを着用していて目立つ、まわりを見回しても夫婦や家族で和気藹々のムード、オッサンひとりの客は自分だけのようである。誰の親かもわからぬ不審者が他人の子供の演技を観て泣きだしては、騒動の原因になりかねぬ。こぼれそうになる涙をこらえてどうにか校の外に出た次第である。

こういう日は、何をやってもうまくはいかぬ。まあ自分の人生において何かがうまくいったことなんぞないが、朝のうちにズレた歯車はその日のうちには元には戻らない。映画、散髪、コーヒーブレイク、思いつきで訪れた先はすべて満杯、服屋で目に留まったパンツは試着の段階で自分に似合っていないことがわかったが、試着して似合わなかった服を「いらない」と言えない性格である。パン屋で買った菓子パン(帰路でベンチでも見つけて食べようと思ったが、座り心地の良さそうなベンチをルート上で見つけることができなかった。)と、二度と足を通すことはないであろう新品のパンツを持ち帰り、この記事を書き始めたら眠くなってきたのでちょっと遅めの昼寝をしたら、暗くなるまで寝てしまい、真っ暗な中で目が覚めた。相変わらず機嫌は良くないが、思えば生まれてこのかた機嫌が良かったことなど一度もなかったような気がする。

ところで、午前中に、書斎に山積みになっている90年代のファッションやサブカルチャーの雑誌に目が行って、ペラペラとめくり始めたらなかなか楽しくて止まらなくなった。まだ今ほどインターネットが一般に普及していなかった時代の話。デザインや編集も素晴らしいが、特に写真が面白い。懐かしいとか、ノスタルジックな感じではなくて、むしろ新しいものを初めて発見した時のような刺激を受けた。

いちおう釈明しておくと、僕とハンザワ王子の関係というのは持ちつ持たれつとでも言うべきか、約束なんかは最初からあってないようなもんで、お互いドタキャンとかで相手のことを悪く思ったりは全くしない。事実、前回は確か僕の方が当日キャンセルしちゃったと記憶している。ふたりとも気まぐれで気分屋なので、会いましょうかとなっても三度に一度ぐらいしか実現しない。他の人が介入すると面倒なことにもなるが、二人の間では自由で良い関係性だと僕は思っている。

ふむ。こうやって見返してみると、決して悪くない一日だったように見える。何をぶつくさブーたれてたのやら?