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サーフィンやジムはおろか買い物などの用事も必要最小限にして要請にかなり忠実に外出自粛生活を送っている。毎日やることがたくさんあって、たいくつということはほとんどない。むしろちょっと前よりも忙しくしているような気がする。
特に外出自粛とは関係なく、ひと月ぐらい前からトラックメイク、つまり作曲活動を開始した。これまでもトラック作りはやっていたが、あれは主にDJライブのためのネタ作りで、「リミックス」という手法を選択していた。ざっくばらんに言えば「他人の曲」のアレンジである。買ってきたサンドイッチをバラして別のパンに挟み、新しくサンドイッチを作るような行為と思っていただければわかりやすいかと思う。何でわざわざそんなことを、と思う方もいらっしゃるかと思うが、ひとつのセオリーとして音楽、特にDJの世界では定着している。
リミックスはもともとが人の曲なので基本売ることができない。(作曲者からの依頼あるいは許可を得た場合はこの限りではない。)今や音楽は知的財産で著作権法のコントロール下にある。私は著作権法が大嫌いで存在そのものに反対の立場にいるが、その話はまた別の機会にする。とにかく著作権法のおかげで私(たち)は作ったものを売ることができない。
売れるものを作らないと商売にならないので、作曲を始めたわけである。昔は作曲と言えば一部の才能のある人間にしかできない特殊な技術だったが、今は機械や環境が進歩して、素人でもわりと簡単に曲を作ることができるようになった。また料理で例えるなら、ホットケーキミックスやカレーのルー、機械で言えば電子レンジやセンサー付きの調理器のように簡単な作業でプロが作るのに近いものを作れる環境が整ってきているわけだ。
また、作った曲を販売するまでのプロセスもかなり簡略化できるようになった。以前ならレコード会社を通さずに楽曲をリスナーに届けることはまず不可能で、そのために好きでもない男の射精を手伝うなど作曲以外の能力がモノを言うこともあったとかなかったとか噂はともかく、一曲がリリースされるまでの間にそこに関わる人間の数が無名の新人アーティストでも100人やそこいらは軽く超えるような状態で、とにかく時間がかかるし、その人間たち全員が何某かの金を受け取らなければならないわけで、金もかかる。
曲やレコードは売価がだいたい決まっていて、ホテルオークラだからレトルトカレーでも一皿3000円、みたいなのはない。つまり儲けたければ量産して数を売るしか他に方法がない。万人に好まれる音楽(だいたいどれも似ている)が世の中に氾濫するのはシステム上の問題と言えよう。事実、そこまで大金をかけなくても(つまり携わる人間の数が少なくても)楽曲をリスナーの元に届けられるようになってから、音楽のトレンドは細分化されてきているように思う。そんな中で星野源のように飛び抜けたヒットを飛ばし続けるアーティストもいて、それはそれで凄いことだとは思う。
話がそれた。さて、作曲から販売までどれぐらいの人数と時間がかかるか?もちろん曲の内容やクオリティーにもよるが、人数は間違いなく一人でできる。時間は、、物理的には10分。現実的に捉えるなら1日あればできる。
写真はビリー凱旋門とふたりで作った曲で、着想からリリースまでおよそ3日ですべて行った。何だ3日もかかっているじゃないかと言うなかれ、別に我々はリリースまでのスピードを競っていたわけではない。もしもっと早くやる必要があれば1日でじゅうぶんできたはずだ。関わった人間は僕とビリーちゃん(あと女性のコーラスをiPhoneで録音して送ってもらった。)のみ。スタジオには一度も入ってないし、電通のまぬけと打ち合わせもしていない。先にも言ったように僕が作曲を始めたのはひと月ほど前のことで、専門的な技術や経験はほとんどないに等しい。(過去にミュージシャンだった時の経験はある程度役に立ったかとは思うが。)セオリーは作曲しながら勉強するといった具合だから、たぶん正当な曲の作り方は今でも全く理解していないと思う。それでも曲はできたし、実際に買うことができる状態にある。
何が言いたいか?私はこの状態が正常であると思う。つまり音楽なんてものは、アーティストとリスナーがいれば他はいらないってことだ。高度なテクノロジーを駆使して芸術が「人」の元に戻ってきた。音楽はレコード会社のものではないし、広告代理店のものでもないし、ましてや背中にポロシャツを引っ掛けてペニスを勃起させた中年男性のものではない。音楽は表現者とリスナーのものでしかない。奏でる者、歌う者、聴く者、踊る者。良い時代になったのではない。本来の姿に戻ったのである。