カテゴリー別アーカイブ: 映画 演劇

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スティーブン・ソダーバーグ監督のコンテイジョンをHULUで観た。確か映画館で観た記憶があるが、内容はうろおぼえ。何もこのタイミングでこんなものを観なくてもよいものを、最近我が家に導入したばかりの動画配信サービスHULUのメニューをチェックしていて何となくクリックしてしまったら画面に釘付けになって離れられなくなってしまった。

早い話が現在の我々が置かれた状態そのまんまみたいな内容である。不謹慎であることは承知で敢えて正直に言うが、これまでにあまり体験したことのない新鮮な感覚で、もう一度観てみたいという気すらしている。VRのヘッドセットを装着しジェットコースターに乗るゲームをプレイしながら、本物のジェットコースターに乗る感覚、とでも言えばイメージは伝わるだろうか。

ウイルスがものすごいスピードで世界を恐怖に陥れてゆく様は、まるで予言のようでもあるが、映画と現実で決定的に異なる点がある。映画の登場人物が、主要な者から通りを歩いているだけの脇役まで、皆、非常にシリアスなのである。逆に言えば、我々の現実社会には多く存在する「能天気」な人がひとりもいない。「カンケーねえじゃん、飲もうぜ〜。」みたいな輩が全くおらず、登場人物全員が一様にウイルスと感染に恐れ慄いているのである。

もちろん被害の程度の差と言ってしまえばそれまでなのだけど、私は、仮に現在のこの騒動がもっと深刻なレベルまで達したとしても、あまり動じず「能天気」な人たちの数は一定数存在し続けると思う。現在「カンケーねえじゃん、飲もうぜ〜。」な人たちだって、決して自分らの身の安全の保障があって能天気でいられるわけではないのだ。何の根拠もないけれど「カンケーねえじゃん」なのである。

ソダーバーグさんもそこまでは想像することができなかった。現実は映画よりもずっと怖い。だってその映画には描かれていなかった「カンケーねえ」人たちが文字通り誰それ関係なくウイルスを撒き散らすことになるわけだから。

でも、同時にそこがリアルな人間の強みであるとも思う。映画で描かれていたレベルのパニックに現実の世界が陥っていない背景には、おそらく物事をあまりシリアスに取らない楽天的な人々が一定数存在することが大きく付与していると思う。私、個人的には、人々はできる限り外出を控えてステイホームすべきだと思うが、世の中の人間が全員私のような心配性かつ悲観的な放射脳タイプだったとしたら、世界はもっと深刻な状況に追い込まれていたに違いない。全体としてよくバランスが取れているのだなと、思いもよらぬ感想をもってして、今日も一歩も家から出ずにいるわけである。さて、次は何の映画を観ようか。

追記:これを書いた後に同じくHULUでオーシャンズ13を観たのですけど、ぜんぜん違う映画なのに何だか同じリズムが続いてる感じするなあって、考えてみたら監督同じでしたね。で、調べてみたら「セックスと嘘とビデオテープ」がソーダバーグさんのデビュー作なんですね。何だか得体の知れない新しいトレンドの始まりを象徴するような変な映画で、(新時代に自分が)ついていけるか自信ないなあと不安に思ったことをよく覚えています。

ツアーレポート(ビデオレター)

2019年、クリスチャン・デスのヨーロッパツアーのレポート総集編。SNSを通じて友人らにツアーの様子を報告するためにiPhoneで撮影していたビデオをまとめました。1時間と長いですので、お時間のある時にご覧になってみてください。

ジョジョ・ラビット:注/ネタバレあり

映画「ジョジョ・ラビット」を観ました。まず、この映画は前情報なしに観た方がよい作品と思うので、もしまだご覧になってなくて、観ようかなと思っている方はこの先はお読みにならないことをお勧めします。有名人のコメントとか映画のレビュー記事とか何も知らずに観た方がよい。

それを踏まえて、劇場に行こうかどうしようか迷っている人には自信を持って足を運ばれることをお勧めいたします。

さて、ここから先は観られた方と感動を共有したく、感想を少し。まず僕はこれを「戦争映画」だと思いました。

僕はもう戦争映画観たくないんだよね。プラトーンとかランボーとかあの頃は平気だったんですけどね。1965年の日本に生まれて育って、戦争というのはどこか遠くの国の話で自分とは関係ない。非現実的な事象だと考えていたのだと思います。年を重ねるごとにだんだん人ごとじゃないってことがわかってきてね。人と人が殺しあってるの見るのも普通に嫌だし、アメリカの戦争映画なんかはナショナリズム育てるためのプロパガンダみたいにも感じるしね。

なので随分と長い間、意図的に戦争モノから遠ざかっていた。

でも、やっぱり観なきゃいけないんですよね。世の中には目をそらしてはいけない物事がある。ナチスドイツのユダヤ人迫害なんかね。もう見たくも知りたくもないんですよ。できればすべてなかったことにして忘れ去ってしまいたい。でも、それじゃいけないんだと思います。そしてそれがそのままこの映画の製作者のメッセージだと僕は感じました。

本当はもっと戦争の悲惨さをガチで訴えたかったんじゃないのかな。だけどそんなもの、誰も見たがらない。だから敢えてコメディー映画のセオリーを取り入れた。ナチスがテーマらしいけどコメディーなら観てもいいか。つって劇場を訪れた観客、すごく多いんじゃないかと思います。実際、僕の隣の席の人なんかも笑う気満々で来てて、冒頭のたいしてそこまでおかしくもないところで大声で笑ってみたりして(ちょっとウザかったです。)、途中で笑えなくなって、帰りは静かになってましたけどね。

なので、「やられた!」というのが、感想です。

そしてもうひとつは、やはり「音楽の力」ですね。あれはズルいと言うか、今、思い出しただけでも涙が出てきそうになります。

僕は実はデヴィッドボウイの音楽があまり好きではないんです。僕のまわりの音楽好き人間の間では概ね「デヴィッドボウイは偉大だ素晴らしい!ハイルヒトラー!」みたいなことになっていて、まあ僕もそんなことで迫害されてもしょうがないから黙ってるんですけど、正直デヴィッドボウイの音楽が何でそこまで評価されるのかよくわからない。

だけども今回、なるほど、彼の音楽はこういう風に人の胸の中を突くんだなというのがわかって、みなさんの気持ちが少し理解できたような気がしました。

話はそれますけど、嫌いな音楽がはっきりしているというのはDJとしてはよいことだと思っています。違いがわかってるってことだからね。逆に「音楽は何でも好き」みたいな人の言うことはどうも信用できないよなあ。

映画っていいなあ。

映画鑑賞記 ”ドルフィン・マン”

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自分の方は特に何も悪いことはしていないはずなのにちょくちょく理不尽な扱いを受けたり、トラブルに巻き込まれたりする。そこまで大きな問題に発展せずとも、何だか自分だけ損をしながら生きているような気がする。そういうのは全て前世での行いが悪かったから今になって罰を受けているのだそうだ。前世の自分が何でどんな生き方をしていたか知る術もないが、よほどの悪事を働いていたらしい。何だかフェアじゃない気もするが、受け入れるべきは受け入れるしかなかろう。

映画館を訪れると、どういうわけか前の席の客の座高が高い。あるいはテンガロンハットをかぶっている。もしくは巨大なアフロヘアーだったりする。それだけでもまあまあ前世を恨むが、きのうの客は身長190センチぐらいある巨漢の上に、館内でビへイブが非常に悪かった。すなわち映画に集中できずに何度もスマートフォンを取り出してはオンにして何やらチェックしている。しまいにはそれを落とし、でかい身体をシートの下に潜り込ませてもごもごやっている。分別のわからない若者ならいたしかたない部分もあろうが、年の頃、私たちと同年の中高年である。連れの女(おそらく妻だろう。)が、注意でもすれば良いものを、そんなそぶりもなく、やっと落ち着いた男の肩に頭を乗せて気持ちよく眠りに入りそうな始末である。

注意のひとつでもしようかとは思ったが、私は肝っ玉の小さい人間なので、仮に相手が下に出て謝罪したとしても、そのことばかりが気になってとても映画を楽しむことはできぬだろう。もし相手が強気に出た場合の被害については想像するだけで憂鬱になる。

そんなわけで60%ぐらいの感じの映画鑑賞だったが、まあ結論から言えばそれなりに楽しめた。

我々は25歳ぐらいでグランブルーに直撃された世代である。私が経営していた自由が丘のバーが南欧風のデザインだったり、店名がフランス語なのも、グランブルーの影響が大きい。私の友人には生まれた子供に「ENZO」と命名した者もいるぐらいだ。なわけで、海やイルカやダイビングに興味がなくてもジャックマイヨールのことはだいたい皆知っている。彼が日本に住んでいたことや、晩年、鬱病を患って自殺したことも、別段、新しいニュースではない。

それでもこの映画はやはりグランブルーでは語られなかったリアルなジャックマイヨールの素顔に迫っていると思った。グランブルーのファンタジーに酔いしれた私たちは、こちらも見なければならない義務がある。

そんなことを想定したかどうかは知らないが、ナレーションをジャン=マルクバールが担当している。「私」と一人称を使い、ジャックマイヨール自身に成り代わってストーリーを紹介していく。役者としては他にそこまで大きな成功を収めた記憶はないが、グランブルーに関して言えば彼以外に適役はいなかったと思う。

70にもなって自死するって、どんな感じなんだろう。よほど前向きでパワフルな人間じゃないと死ぬ気も起きないような気がする。

死ぬ少し前にジャックマイヨールが雑誌のインタビューに答えているのを読んだことがある。リュックベッソンに映画についてイチャモンをつけている内容で(自分を映画に出せばよかったとか言ってたと思う。)カリスマにのくせにちっちゃいことばっかり言っていてまあまあかっこ悪かった。個人的にはそういうところに好感を持ってしまう。いいじゃんね。人間らしくって。

映画鑑賞記:ターミネーター(ネタバレあり)

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映画「ターミネーター:ニューフェイト」を観た。

映画鑑賞はミニシアター系(というカテゴライズの仕方もあまり好きではないのだけど)が本流だが、ハリウッドムービーも好きで良く観ている。

アメリカの映画は主人公(男と決まっている。)が仕事や趣味やイデオロギーや友情に情熱を燃やしていて、パートナー(多くの場合「妻」という設定だ。)がそれを邪魔するという設定でストーリーが構成されている。アフガンで戦う戦士、凶悪犯と対峙する刑事、研究に没頭する学者、彼らは申し合わせたかのように妻の誕生日を忘れ、結婚記念日を忘れ、子供の発表会に顔を出さず、まるで家庭を顧みないことに美学があるかのようである。制作側もさすがにその部分をわざわざ説明するのが面倒になってきたのか、最近では物語の最初から妻に離婚されているケースも少なくない。「妻」が最初の15分ぐらいで死んでしまうストーリーが多いのも最近のハリウッドの傾向だと思う。要するに主人公の男が妻や家庭をないがしろにして、仕事や友情を大切にするというのがアメリカ映画の定型で、不理解なことにないがしろにされている側、つまり女性や子供たちも、それを受け入れて映画を楽しんでいるように見える。

これはアメリカが「移民の国」であることが原因であるのだそうだ。(僕が思いついたのではない。そういう話を聞いたことがある。)最初の移民は男女比で言うと圧倒的に男が多く、パートナーや家庭を持てる男性はごく一部だった。妻や家庭よりも仕事や友情を重要視しないことには自らの存在意義が否定されてしまうという状況だったわけだ。その名残が映画という媒体を通じて現在まで続いていると言うのである。

事の真意はよくわからないが、アメリカの映画が長く男性至上主義によって描かれてきたのは事実だと思う。我々はそれをたいした違和感もなく受け入れてきた。(日本映画も男性至上ではあるけれど女性の立ち位置はアメリカのそれとはまた異なると思う。また機会があったら話題にするかも。)

で、ターミネーターである。写真でもわかるように主人公は女性たち。彼女らが敵の悪役(機械だが男性の容姿をしている。)と戦って勝つという極めてシンプルなストーリー。男たちも多数登場するが、彼らはみな悪役に殺されてゆく。(つまり役立たず。)。

で、肝心のシュワルツェネッガーがどこで登場するかと言うと、物語の中盤で出てきて女たちと戦うのかと思いきや、何と彼女らと一緒になって敵と戦うのである。そして、何と、シュワルツェネッガー、それなりにおじいさんになっている。(機械だぞ。)

つまりこれは「戦う女たちとそれを手助けする老人」の話なのだ。

アメリカが変貌したがっている。これからは女と老人の時代がやってくるかも知れない。これから老人になろうとしている自分にとっては明るい話かも知れない。しかし、未来からやってきた得体の知れないロボットと戦うなんてまっぴらだな。嫌だな。なんて、そんなことを考えながら映画館を出た。

しかしだな。おじいさんになった機械のシュワルツェネッガーに家庭があるという設定は気にならないでもない。劇中、彼は「女たちの戦い」のために家族との幸せな生活を捨てることになる。「家庭を顧みない美学。」スポンサーに気を使ったのかも知れない。

褒められたい

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僕は他人から褒められる機会の少ない人間だと思う。なぜそうなのか自分ではよくわからないが、そのように生まれ、そのように育ってきた。中学校の時に市の水泳大会で2位になり、自分ではまあまあ凄いことだと思ったけれど、両親も教師も友達も誰も褒めてくれなかった。今年は海外DJツアーを敢行して、50を超えたおっさんが海外でDJデビューって自分ではまあまあ凄いと思ったが、誰にも褒められないどころか何の話題にすらならなかった。これがイナバさんだったら賞讃の嵐できっと大田区の電話回線がパンクしたことだろう。

滅多に褒められることがないので一度褒められたことはずっと忘れない。

15年くらい前に若い男性に「マックさんてすごく美味そうにメシを食いますね。」と言われて、なるほどオレにはそのような特技があったのか、と真に受け、自分が食事するところを撮影するようになった。スマホなどなかった時代の話である。20万円以上もするSONYのデジタルビデオカメラを購入し、自宅や店(僕はそのころ飲食店に従事していた。)で食べる姿を撮影した。人のお店に頼み込んでカメラを入れさせてもらったこともある。撮ったビデオをMACで編集してビデオコンテストに出場したこともある。(結果は惨憺たるものだった。)そのうちにYouTube、連動するようにスマートフォンが出てきてそこに撮影した動画をアップするようになった。全く何の話題にもなったことはないが、それから現在までずっと続いている。おそらく言った本人も忘れているような「褒め」のひと言が10年の時を経て今も僕を鼓舞し続けているのである。

褒めで持ち上がる人間というのは、だいたいにして謗りで落ち込むのが常で、僕も例外ではない。僕は基本ダメな人間なので、謗りのネタ提供にはいとまがない。これまでありとあらゆるタイプの謗りを受けながら生きてきた。謗られのエキスパートと言ってもよいかも知れない。僕のタイプの謗ラレストは「何をやっても謗られる」のが特徴で、例えば毎日のように深酒に沈んでいた頃は普通に「クズ」とか言われていたが、酒をやめたらやめたで「シラフのマックロマンスに価値はない。」とかって面と向かって言われるような次第でやるせない。

YouTubeでもこのところ否定的なコメントが目立つようになってきた。アクセス数が上がっているならば、クソリプのひとつやふたつ無視することもできようが、アクセスは減っているのにディスり系のコメントが増え続けていくのには我慢がならない。

他方、「クレームは財産だ。」という話を聞いたことがある。考えてみれば、見知らぬ誰かがアップした動画について、わざわざコメントを寄せるという行為だって、まあまあのエネルギーを要する所業である。腹が立ったにせよ、何にせよ、少なくとも動画を見て何かを感じたわけである。彼らのディスコメントの中に何かヒントがあるのではなかろうか。一度、彼らの話を真摯に聞いてみることにした。彼らは何を怒っているのだ?

答えは簡単に出た。

見たことのない人(おそらく誰も見たことないだろう。)のために簡単に説明すると、この「食べるシリーズ」は、その名の通り、僕が食事やスイーツを食べるところをiPhone撮影した(だけ)の動画である。ストーリーや演出や編集は一切なく、撮影したものをそのままYouTubeにアップしている。

食べたものがそのままタイトルになっている。例えば、きのうは天丼を食べたのでタイトルは「天丼」である。

これが良くなかった。

「天丼」のタイトルを見て、僕の動画に行き当たった人が見たいのものは「天丼」なのである。それを食う人ではない。彼らは天丼そのもの、どんぶりから上がる湯気とか、カリッと揚がったエビ天とか、甘辛いタレが衣に浸透していく様子とか、そういうものを期待してタイトルをクリックするわけだ。で、登場するのが、冴えない髭面の初老の男である。

ちなみに「食べる僕」にフォーカスを当てているので、食べている物はちゃんと映っていないことが多い。例えば天丼ならその多くはどんぶりの中に隠れているし、「シャケおにぎり」なんて場合は、中がシャケなのか梅干なのか外から見たのでは全くわからない。

例えば動画タイトルに「裸の女性」と書いてあったとして、蓋を開けてみたら裸の女性は全く映ってなくて、それを眺めてニヤニヤしている初老の男性の顔が映し出されていたとしたら、それは僕でも怒ると思うし、まあ機嫌が悪ければディスコメントのひとつでもよこすかも知れない。

そんなことに10年近くも気が付かず、全くもって申し訳ない。反省して、すぐに対応策を考えることにした。要するにタイトルを見た時点で、これが「マックさんがものを食べている」動画であることがわかるようにすれば良いのである。

「食べるマックさん」。何週間も考え抜いた末に決断した動画のタイトルである。今後、動画にはこれをかならず明記するようにした。例えば天丼を食べたとしたら、タイトルは「食べるマックさん/天丼」である。ついでにタイトルロゴも作ってみた。(こういう仕事はわりと早い。が、もちろんそれを褒められたことはない。)

これで動画へのクレーム、嫌がらせ、クソリプなどは飛躍的に激減するはずである。これを読んでマックさんのことを褒めたくなったら、ぜひYouTubeにアクセスして賞賛のコメントを投稿することをお勧めする。

JOKER (ネタバレなし)

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映画 “JOKER”を観ました。最近、シアターに足を運ぶ機会がすっかり少なくなってしまって、こちらで映画の感想を紹介するのも久しぶりのことです。

まあよくこんな映画を配給することができましたわな。というのが率直な感想。こんな映画がいろんな倫理委員会みたいな組織のチェックをくぐって、大企業のスポンサーもついて、お咎めもなしに堂々とロードに出れるわけなんだから、何だかんだ言ってもアメリカという国は自由なんだなと思います。

映画の話をすれば、とにかく主演のホアキン・フェニックスの存在感と演技力につきるのでしょう。これを超えるインパクトを残せる役も演者も近年ではちょっと思い当たらないような気がします。このままだときっと主演男優賞獲ってしまいそうだけど、いいのかな?

社会の闇やタブーに切り込む姿勢、いくつもの側面をもたらすストーリー、何だか居心地の悪い音や映像の演出、語るべくは多々ありますが、とにもかくにも、個人的に極めて重要な「鍵」を作品の中に発見してしまいました。あまりにもパーソナルすぎて、ここに詳細は書けませんが、こういうことってあるんだなあ。(僕のブログを隅々までチェックして事細かに読み漁っている方がいたら、もしかして僕が何を話しているのかわかるかも知れません。)

まあそんなわけで、映画の重く暗い内容とは裏腹に、とても元気をもらって帰って来ました。映画を観る前と後で全く世界が違って見えるような影響を受けたのは、すごく久しぶりのことでした。心が病んだり弱ったりしている時は観ない方がいいような気もするけど、僕のように元気になっちゃう人もいるかも知れません。お薦めして良いのかどうなのかわかんないけど、まあそれなりの覚悟を持って劇場に向かわれた方が良かろうかと思います。

映画ってやっぱりいいなあ。

存在の耐えられない軽さ

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2017年の夏に我が家にやってきて、無事に冬を越し、どんどん増殖して、ひと安心と思っていたところ、ひとつひとつと枯れていって結局全滅した多肉植物。結局1年もたなかったわけだ。多肉はほどよく放っておくのがよいと聞く。愛情が重過ぎて耐えられなかったのだろうか。いらぬ愛に押しつぶされる苦しさはわからんでもないが、何も死ななくともよいのにと思う。

と、思っていたら、生きていたのだ。出窓に置いてある他の植物の植木鉢の影でひっそり、土もなく1滴の水も与えられない環境で人知れず越冬し、春先に小さな分身らを携えた状態で、発見された。いくら何でもそのまま放ったらかしにしておいては枯れると思い、ひとまず土の上に置いてみた。愛情が苦痛にならぬよう、見てみないフリをするよう努めているが、まあかわいいものを見てかわいいと思ってしまうのはしょうがない。心までは詐れず、時おり水を与えたい欲求に駆られてしまう。

ふと、存在の耐えられない軽さ。というタイトルの映画があったことを思い出した。ダニエル・デイ=ルイスが主演で、特に映画通の間で高い評価を受けたと記憶しているが、若かったせいか、今ひとつその良さが理解できなかった。断片を頭の中に浮かべてみるに、おそらくとても良い映画だったのだと思う。今観たらきっと楽しめるような気がする。何で突然その瑛のことを思い出したのか、隠れるようにして冬を越した多肉植物との関連性が判明するかも知れない。

*春先に書いた記事に加筆した。

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1965年に生まれた。

イギリスにおいてはThe Who のMy Generation、The Rolling Stonesの(I Can’t Get No)Satisfactionの年で、我々の属する社会においてはこの年を「文化元年」と断定してもよいぐらい、新世代の幕開けを象徴するような年号だと言えよう。

その当時のロンドンを、自らが新世代のメンバーのひとりだった俳優マイケルケインのナビゲートで、残された映像やインタビューで振り返るという映画。何となく見聞きして知っている話ではあるが、こうやって改めてまとめたものを見ると、やはり血が騒ぐ。同時に、自分自身がそこには属さぬ部外者であることを再確認して沈む。

1965年生まれの「マイ・ジェネレーション」たちの青春は、大学生の分際でオープンカーを乗り回し、似合いもしないジャンポールゴルチエを着て、夜は六本木、冬はスキー、女たちはボディコン、音楽はユーロビートというおぞましいものだった。当然そこに自分の居場所はなかった。

1965年、東京。時代と場所を間違えて生まれた。

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映画 “A GHOST STORY”を新宿シネマカリテで観ました。途中ちょっと退屈した時間帯もあったのですが、こういう映画もなくてはならんよな。というのが最初の感想です。「最初の」と言ったのには意味があって、これ、後になってじわじわといろんな感情がやってきます。このような「時間差」で人の感情を揺り動かすことのできる作品は映画であれ音楽であれ美術であれ、良い作品であると僕はカテゴライズしています。そしてこれは絶対に劇場で見ないとだめですね。音の演出が素晴らしいのでできるならサウンド環境の整った映画館で鑑賞されることをお勧めいたします。あとね、音のするものは食べられないですよ。よほど図太い神経の持ち主でないと。

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映画「ボヘミアン・ラプソディー」を観ました。クイーンのことをあまり知らなかったけど、この映画でファンになったという人かなりいるんじゃないかな。僕自身もファンだったことは一度もないのですけど、ちょっとこれまでの態度を改めなくてならんという気持ちにさせられました。

ライブのシーンはある意味で本物のクイーンを超えています。たぶん本物のクイーンのライブ映像を同じように映画館で大音量で流しても、ここまでスクリーンに引き込まれることはないんじゃないかな。映画の持つ「底力」を感じました。映画はリアルを超越する。

キャスティングがよかった。よくもまああれだけ適役を見つけてきたもんです。フレディマーキュリーの動きなんかちょっとやそっとで真似できるもんじゃあらんせん。あの感じですと、きっと彼はプリンスも演じることができるんじゃないでしょうか。あとブライアンメイはそっくりすぎて本人としか思えませんでした。

時代背景も自分の青春時代と合致しますし、タイムカプセルの鍵を開けられて、いろんなこと思い出したりもして、アホみたいにたくさん泣きました。

映画っていいなあ。

そうそう、ささやかな自慢ですけど、映画に出てくるロック・フィールド・スタジオで僕も80年代にレコーディングをしたことがあるんだよ。

MOVIE VIEW「ハナレイベイ」

映画「ハナレイベイ」を観ました。村上春樹さんの短編映画化。

10代の頃に初めて村上春樹さんの「風の歌を聴け」を読んで、それはそれは深くハマって、最初の三部作と「世界の終わり〜」の4冊は常に持ち歩いて時間があったら読み返すぐらいよく読みました。英国でパンクロックバンドやりながら、ひとりになったら村上春樹読んでるわけだ。変な奴だよね。

僕は読書家というわけでは全くなくて、特に小説は年に1冊読むか読まないかぐらい。買うには買うんですけどね。だいたい30ページぐらいで集中力が途切れて放り出してしまいます。でも村上春樹さんの小説だけは他と何かがちがって、ぐいぐい言葉が入ってくるんですよね。彼は何かそういう「バカの操作法」みたいな特殊なテクニックを持ってらっしゃるのだと思います。

しかしまあ、世の中には数え切れないぐらいのたくさんの素晴らしい物語が本になっているというのに、一生のうちにその中のたかだか50冊ぐらいしか読まないで死んでいくというのはいささか悲しいことであるような気もします。

そういう村上春樹さんの本も近頃は手に取ることが少なくなってしまいました。最近発売されるものはチェックすらしていない。作家としての能力に磨きがかかって、当時のものとは比べものにならないぐらい力作で読めば楽しいはずなんですけどね。何だか興味が湧いてこないの。

ローリングストーンズがどれだけ長く活動しても「サティスファクション」を超えるような曲を発表できないことからも言えるように、最初にインパクトの強すぎる作品を世に送り出したアーティストはその後ずっと自分の作品の亡霊みたいのにつきまとわれながら活動していくことになります。ちょっとかわいそうな気もします。まあそういうこと気にしない人がずっと長く活動し続けられるのだとは思いますけど。

さて、映画の方はいろいろよかったですけど、まあやはり主演の女優さんの演技力とそれを引き出した監督が素晴らしい。ということに尽きると思います。あと脇役ではサーファーの少年役のひとりがすごくよかった。セリフ棒読みみたいな喋り方。もしかしたら演技ではなくてナチュラルなのかも知れないけど、最近の若者ってほんとにああいう風に喋るんだよね。感情が備わってないみたいな態度でちょっとかっこいいよなあ、とおじさんは思っているのだけど、真似したくても真似できないんだわ。

映画っていいなあ。

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おくればせながら、映画「カメラを止めるな!」を観ました。非常に楽しかったです。笑って、泣いて、感動して、は、もちろんなのですけど、およそ映画館で得られうるものとは全く別の「何か」を授かったような気持ちにさせられました。ありがとうございました。

どんどん短くなる

DJ MACROMANCE feat.CHIHIRO SINGS LIVE AT 5351 POUR LES HOMMES DAIKANYAMA FLAGSHIP SHOP REOPEN RECEPTION / 24 AUG,2018

先日YouTubeに公開したのと同じ内容ですが、インスタ用に短く編集しました。

YouTubeの動画は3分以内におさめないと観てもらえない。と、どこかで聞いたのを真に受けて、ずっと3分という時間にこだわっていたのですが、僕のアカウントについては、アクセス数と動画の長さはあまり関係性がないようです。逆に「もっと長いのを観たい。」なんてリクエストが入ったりもして、最近は尺のことあまり気にせずやっています。

ただし、通りがかりのユーザーに作品をちゃんと観てもらうためには、それなりの工夫は必要なようですね。ぱっと見た瞬間にインパクトを与えられないと、どんどんすっ飛ばされてしまうのはネットならでは。情報過多の世の中においては人が短気になるのが道理なのでしょう。

これは動画だけじゃなくてiTunesなんかの音楽配信もそうで、どんなに素晴らしいエンディングが用意されていたとしても、イントロで心を掴めない曲はどんどん埋もれてしまいます。曲を作る方もその辺は熟知しているらしく、最近の曲(特にヒットソング)はどれも頭にパンチラインが来ています。

帰ろうかなと思いながらずっと我慢して観ていたら最後にご褒美が待っていた。ヴィンセントギャロの「バッファロー’66」のような作品は今の時代には生まれにくくなっていると思います。ま、だからこそ挑戦のしがいがあるんですけどね。

インスタに掲載できる動画の長さは1分。他の人のを見ると今や10秒とか15秒ぐらいが主流であるように感じます。たった10秒でちゃんといろいろ表現できているからすごいなあっていつも感心しながら見ていますよ。どんどん短くなって、そのうち動かなくなるかも。

MOVIE VIEW

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酒をやめて1年以上になります。タバコはたぶん20年ぐらい前にやめたし、肉もそれぐらいの間ずっと食べていません。大麻とかドラッグの類はそれよりもずっと前にやめて、最近ではセックスもしていない。テレビも見ない。本を読む機会も少なくなりました。それからそうだ、僕は仕事をしていません。

仕事もせず、酒も飲まず、セックスもしないで、何が楽しくて生きているのだ?と聞かれたら、別に何も楽しくはない。ただ生きているだけさ。と答えるしかありません。

自分がはまっていたものごとをやめるたびに「解放」されるという感覚はあります。これを「自由」と言い換えることはできるかも知れない。

自由は無味無臭で退屈なものであるらしい。それでも自由は自由です。

外食をすると歯を磨かなくてはならないので、歯ブラシセットを持ち歩かなくてはなりません。ご存知のように歯ブラシセットというのは持っていて気分が高揚するアイテムではありません。ポケットではかさばるし、カバンの中でも何となくウェットでおさまりが悪い。で、外食をやめればその問題は一挙に解決します。僕はこの先二度と歯ブラシセットで煩わしい思いをすることはない。自由だ。

とはいえ、まだまだやめられていないものはたくさんあります。DJがその筆頭だし、サーフィンもそう簡単には捨てられなさそう。あと一番やめたくてなかなかやめられないのはこのインターネットですね。本物の自由を手にいれるのには、もう少し時間がかかりそう。

さておき、映画「ポップ・アイ」をユーロスペースで観ました。洋画とも邦画とも異なるアジア映画独特の宇宙観になかなか慣れられず、他人の下着を着てるみたいな居心地の悪さが終始つきまといます。ここにリズムがばっちり合う人もいらっしゃるでしょうし、不協和音を楽しむことができる体質の人にはたまらない作品なのではないでしょうか。事実、後になってからもう一度観たいような気がしています。あと、やたらに放尿シーンがあって、途中で一度トイレに立ちました。ご注意ください。

 

MOVIE 6.15 JICOO by Showma Yamazaki

MOVIE VIEW パンク侍斬られて候

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「パンク侍斬られて候」を観ました。作品が製作されていることを知った時からずっとそうだったんだけど、エンドロールが流れていくの眺めながら、何であそこに自分の名前がないのだろう?って。いやいや、本当におこがましいのは重々承知で話していますけど、最近、どこで人生設計を間違えたのかなあってよく考えます。

朝ドラや月9やましてやハリウッド映画の話をしているわけではないんだよね。原作が町田康で、脚本が宮藤官九郎で、監督が石井聰亙で、作品のタイトルがパンク侍で、エンドロールにセックスピストルズのアナーキーin the UKが流れる(カルト)映画。おかしいよなあ。スクリーンの向こう側にいるはずだったんだけどなあ。いやいや、おこがましいのはわかってますって。

映画の話をすると、町田康さんの作品を映画化するのは難しいのだろうな、というのが率直な感想です。

隣の席にたぶん綾野剛さんのファンと見える若いお母さんと娘がいらしたんですけど、ポップコーン食べる音が止まる度にちょっと申し訳ないような気持ちになりました。別に僕が悪いわけではまったくないんですけどね。そういう意味では凄い作品だよなあって思います。

演技では豊川悦司さんが光っていました。あと、おじさんたちはみんな北川景子さんを好きになってしまうと思います。

繰り返しになるけどエンドロールにアナーキーin the UKが流れて、一瞬だけ血が体の中を逆流するような高揚感がやってきて、そして消えました。

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映画 “Phantom Thread”を恵比寿ガーデンシネマで観ました。主演ダニエル・デイ=ルイス。監督は”There will be blood”のポール・トーマス・アンダーソン。まあ、観ないわけにはいかんわな。アカデミー賞獲得したという衣装はじめ、それはもうあれこれ素晴らしかったですけど、特に主演の女優さんがハマり役すぎでした。彼女の存在なしにこの作品は成立しなかったでしょう。演出では、食事にまつわる特徴的な「音」の描写が印象に残りました。

うむ、何だろう?

観た映画や読んだ本の話をする時、その作品と自分との「つながり」みたいなものが発見できるかどうかがひとつのポイントになるのではないかと思うのです。この作品が素晴らしいのはもう疑いの余地もないのは確かなのですが、それが自分とどこかでコネクトしているかどうかは、計りかねる。感動したはずなのに、月並みな感想しか出てこないのは、そういうことなのかなとちょっと思いました。

何にしても、映画っていいですね。

 

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映画”HARRY DEAN STANTON is LUCKY”を渋谷UP LINKで観ました。

僕が言うべきことは何もありません。広大な大地をあてもなく歩く演技をやらせたら彼の右に出る者はいないでしょう。昔も今も。

ありがとうございました。どうぞ安らかに。

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マックロマンスは香港に移住したのか?とご質問いただきました。ご心配なく、もう帰国しています。香港の土産話は旅サイト=リスヴェルにアップしていくので興味のある方はそちらをお読みいただけるとありがたいです。

今のところ移住計画はありませんが、可能性はゼロではないかな。幅広いオプションの中で香港で居住地として考えるのはアリと思います。東京にスタックし続けている僕ですけど、もともと土着意識は低いんだよね。コーヒーと音楽があれば、まあ世界中どこでもやっていけることでしょう。

帰国してすぐに恵比寿ガーデンシネマで「香港製造」のリバイバル上映をやっているのを発見して足を運んできました。制作は返還前の97年だそうで、今の香港とはいろんなものごとが違うのでしょうけど、旅がまだ続いているみたいな気持ちにさせられました。(内容は楽しいものではなかったですけど。)

香港フィーバー、しばらく醒めそうにないな。

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けっこう楽しみにしてたのだけど、かなり睡魔にやられました。デヴィッド・リンチ的なものごとに憧れはありますが、考えてみれば僕は彼の映画ほとんど観ていない。ツインピークスも観てないし、まあ、デヴィッド・リンチとはほとんど無関係の人生を歩んで来たと言っても言い過ぎではありません。一体何を期待して映画館に向かったのやら。

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ヴィムヴェンダース最新作「アランフエスの麗しき日々」を観ました。「こういう映画もなくっちゃね。」というのが感想。

こっから先はまあ個人の備忘録的に。

眠っている人の頭の中に入り込んで、その人が見ている夢をリアルな体験として自分の頭の中に投影する。ちょっとややこしい表現ですけど、他にどうやって伝えたらいいかわかんない。

映画館を出る時、長い夢と眠りから覚めたような感じがするのですけど、香りや温度、皮膚を撫でる風の触感までをも体が覚えていて、現実と思考、感覚をつなぐ軸がぐらぐらします。そして直後にボロボロと涙が溢れはじめて止まりません。何だこりゃ?何で泣いているのか自分では理由もわからないんだ。

映画を観る前と後で世界の景色が全然違って見える。という意味ではタイのアピチャートポン・ウィーラセータクン監督の作品にも似た要素と効果を感じました。いずれにしても「映画」、進化していますね。

前半少し眠くなりますが、たぶんこれも計算内。途中にちゃんとアラームクロックが仕掛けてありました。

ルー・リードの「Perfect day」、ニック・ケイブの「Into My Arms」が、ただのBGMとしてではなく重要なパーツとして使われていました。個人的にもとても思い入れのある二曲で、これはたぶん偶然ではなくて、まあ僕がいかにヴェンダースに影響を受けてものごとに取り組んできたかということだと思います。

ジム・ジャームッシュをはじめ、クストリッツァ、ホドロフスキー、カウリスマキ、、好きな監督が大活躍の映画当たり年(個人的にね)となった2017年。最後の最後にいちばん凄いのに出会いました。

映画っていいなあ。

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観ました。アキカウリスマキ監督新作「希望のかなた」。本当はこんな映画は撮りたくないんだけどなあ。という声が聞こえてきそうな気がしたのは僕だけかしら?自分自身もそうなんだけど、何だか世の中いろいろ切羽詰まってきているように感じます。政治や社会に全く興味がなかった頃が懐かしい。

ともあれカウリスマキ節は健在です。字幕いらずのストーリー展開、独特のリズム、映像の美しさ、かっこいいセット。この写真はオフィシャルサイトから拝借してきたものですが、このワンショットだけでもおかずなしごはん三杯ぐらいいけるよね。本当に素晴らしい映画監督です。

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観ました。オリエント急行殺人事件。小説も読んだし、前作も観てるのだけど、ストーリーをすっかり忘れてしまっているという「ボケ頭」が幸いして、初々しい気持ちで挑むことができました。(最後の最後で誰が犯人かを思い出してしまってちょっと残念でした。)

誰もが結末を知っているミステリー作品の制作においてどこにモチベーションを持っていくのかが最も興味深いポイント。やはりキャスティングと演技力ということになりましょうか。これ以上考えられないぐらいの豪華なキャスト陣が観客の期待にばっちり応えてくれています。演技以外では衣装がすごくよかったです。チラッとグーグルチェックしてみたら、シューズは英国老舗、クロケット&ジョーンズなんだそうです。

我々世代の男性には憧れの的だったミシェルファイファーさんが初老のマダム役。時の流れを感じます。

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演劇「すべての四月のために」を東京芸術劇場で観ました。お芝居とかってあまり馴染みのない世界なんだけど、風邪でダウンの友人からチケットがまわってきたという経緯。このようなイレギュラーなお誘いはできるだけ受けておいた方がよい。というのが僕の持論、「シートに選ばれた。」と考えることにしています。

劇の内容も登場人物も何の前情報もなしに着席。ジャニーズのアイドルが主役とあってかお客の9割は女性。中年男性の姿はほとんどなくアウエー感に押しつぶされてしまいそう。

いざ幕が上がってみれば自分が劇場にいることは忘れ、いつしか深くストーリーの中に吸い込まれてゆきます。この感覚は何なんだろうな。セットとか明らかに作り物のはずなのに妙にリアルに感じます。海のにおいがする。

戦時中の朝鮮半島が舞台、重苦しい題材をテーマにしていながらにして、コメディ作品ばり、随所にちりばめられたコミカルな演出が特徴的な、まさに「笑いあり涙あり」の大作です。登場人物が持つキャラクターとそれぞれのストーリーが舞台上で交錯する内容で、視点の置き方によっては複数の主人公がいるように感じました。

ストーリーや演出も素晴らしいけれど、まあとにかく「役者ってすげえなあ。」って思いました。自分ではない他人を演ずるって。劇場みたいにお客と同じ空間の中で演技するのって、たぶん細胞レベルとかでそのキャラクターになりきることができないと、観客にはそれが伝わってすぐに場がシラケてしまうよね。いやあ想像しただけで震えちゃうね。

観劇後に出演者のひとり中村靖日さん(写真中央)とお話をする貴重な機会を得ました。(とても熱い方でした。)名脇役というとご本人には失礼かも知れないけれど、この作品では彼の存在がとても重要な役割を担っていました。ちょっと代わりが想像できない。彼にしか演じられない役が他にもいろいろありそうです。もうけっこういい歳だと聞いたけど、これから先の活動がすごく楽しみです。応援しよ。

作品のキーワードとメッセージはわりとわかりやすく語られていると思います。音楽もダンスも格闘技も、自分の体を使って表現するアートはみんなそうだけど、やはりスクリーンやテレビで観るのとライブでは大違い。たくさんの刺激をいただきました。風邪をひいた友人に感謝しなきゃ。

 

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映画”ENDLESS POETRY” 「エンドレス・ポエトリー」を観ました。いやもう凄かったの何のって。このワンシーンの写真を見て、ちょっとでも興味を持った人は観に行って損はないと思います。いや、観ないと損だな。

ネタバレしない方がいいと思うので詳細は何も言わないけど、いろいろ物事を深く考えさせられる内容でした。個人的に啓示とも思えるキーワードも見つけました。もちろん映画として映像や演出も素晴らしかったし、映画の枠を超越したアート作品としても高く評価されるべきと感じました。

現実の社会はどんどん窮屈で居心地が悪くなっていくのですけれど、ことアートの世界の中においては自分の居場所が年と共に増幅しているように思います。

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無題

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好きなもの。服と映画。

美術館やアートギャラリーを訪れるのも好きですが、服屋めぐりはもっと楽しい。最新のアート作品、観て、触って、着れて、その気になれば買って持ち帰ることもできる。青山あたり、買いもしないのに何度も行くから「変な客」と顔をおぼえられている店も少なくないんじゃないかな。

服そのものも好きだけどディスプレー観るのも楽しいよねえ。

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映画”ON THE MILKY RORD”を観ました。UNDERGROUND完全版と合わせて3夜連続でエミール・クストリッツァ監督の新旧作品をハシゴしたわけなんですけど、まあ、何ていうか、年齢を重ねながら創作活動していくことの難しさを改めて感じました。

70を超えても活動し続けるローリングストーンズがすごいのはよくわかるし、その年齢になって初めて表現できる円熟味みたいのが存在するのも理解はできるんですけど、じゃあ今のストーンズ、”サティスファクション”の頃と比べてどっちがかっこいいんだ?と聞かれれば、答えは言うまでもありません。

3日前に生まれて初めてクストリッツァ監督の映画を観て芽生えた感情=「これはもしかしたら僕の人生がまたここから変わってしまうかも知れない。」は、今回で完全に消え去りました。短い恋でした。

映画としては面白かったですけどね。写真は、撮影現場の様子を伝えるニュースサイトから無断拝借いたしました。現場の和やかなムードが伝わってくるナイスショットと思いました。きっとよいチームだったのでしょう。

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エミール・クストリッツァ監督の”UNDER GROUND”完全版を恵比寿ガーデンシネマで観ました。連続ドラマ形式、6のエピソードで構成された5時間以上に及ぶ大巨編。いやあ、久しぶりにぶっ飛びました。

恥ずかしながらこの監督(作家、ミュージシャンでもあるらしい)のことをこれまで全く知らず、情報というのは与えられるのをただ待っているだけではなく、時として積極的に発掘すべきと反省しています。他の作品を観ていないので、これだけで大きなことを言うのも何ですけど、クストリッツァも知らずによくもまあしゃあしゃあと映画評まがいの口を聞けたもんだわ。

この興奮が一時的なものなのかどうかはまだわからないけれど、セックスピストルズの存在を初めて知った時と同じぐらいの強いインパクトを受けたことは間違いありません。

で、イベント限定Tシャツを購入するという、マニアックなサブジェクトを起点にしてるわりには、とてもミーハーな行動。ウンザ!ウンザ!

DJ info

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9/13(水)ジム・ジャームッシュ展最終日 DJイベント

展示会期:2017年8月23日(水)〜9/13(水)

場所:TWD GALLERY(恵比寿)
第69回カンヌ国際映画祭へ同時出品したジム・ジャームッシュ監督の新作映画「パターソン」と「ギミー・デンジャー」の日本劇場公開に合わせて、同作品のスチル写真展とジャームッシュ監督の旧作映画の超レア版ポスターの展示を開催中。

展示最終日の9/13(水)には、ジャームッシュ映画にちなんだ音楽を中心にDJイベントを行います(19:00〜24:00)

ゲストDJ: MAC ROMANCE http://macromance.com/
場所:TWD GALLERY(恵比寿)
東京都目黒区三田2-8-1 2F
お問合せ:03-6452-4662
交通:JR 恵比寿駅ガーデンプレイス前出口からJR 目黒駅方面へ徒歩8 分
JR 目黒駅から恵比寿ガーデンプレイス方面へ徒歩8 分
会期中営業時間:平日19 時~24 時/土・日16 時~24 時*要1 ドリンクオーダー
定休日:火曜日(会期中のみ)
更新情報URL:
instagram: https://www.instagram.com/twdgallery_official/
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