カテゴリー別アーカイブ: ボタニカルライフ

睡眠

人間たちとの騒動はよそに植物らにとっては嬉しい夏の到来である。特に今年は多肉らが元気でどんどん増殖、中には見たことのない花をつけたものもいる。そんな中、細い葉を枯らせて元気のない奴がいる。完全にご臨終の様相だが実はコイツ、夏に休眠する。最初の夏に枯れ、そのまま捨てるのも忘れて放置していたところ、寒くなったらとつぜん新しく葉を生やし、ぐんぐんと背を伸ばしたからびっくりした。伸びすぎて自分で支えられず、支柱をつけて育てている。鉢を換える時に確認したら根っこは不細工にも短く、これでは長い体を支えれらないのも無理はないと思った。自然界でどうやって生きていけるのかわからない。まあ、とにかく変な奴である。ホームセンターの観葉植物コーナーで同じ種類を見たら、サボテンのように手足状の株がニョキニョキ生えていた。ウチのは株をつけずに棒状のままひたすら空にむかって伸び続ける。もしかしたらダメな奴なのかも知れないが、他人とちがうのはいいことだ。ゆっくりおやすみ。君が目を覚ます頃、世界はどうなっているだろう?

新種

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庭で育てていたバジルとシソが勝手に交配したらしく、バジルシソになって繁殖していた。

ティーンエイジャーだった頃(当時、四国の田舎町に住んでいた。)、友達と連れ立って、フェリーに乗ってはるばる大阪に出向いたことがある。あてもなく街をぶらぶらしているうちに腹が減り、あてずっぽうに入った店のメニューに「スパゲティーバジリコ」を発見した。名前からどのような食べ物出てくるか全く想像できず、興味津々で注文してみたところ、登場したのが今になって思えば何の変哲もないスパゲティバジリコ。たいしてインパクトのある味ではなかったし、見た目からして地味な料理だったが、少年の好奇心を満たすには十分だったようで、「ほお、都会の人はスパゲティーにシソを混ぜて食べるんや。」などと感心して、満足げに平らげたのをおぼえている。以来、後にバジルという植物が別に存在することを知るまで、ずっとバジルのことをシソだと信じ込んでいた。

とは言え、時代背景から想定するに、少年が大阪で食べたスパゲティーバジリコは、バジルの代用品としてシソが使われていた可能性は高いと思う。和風パスタと称される奇妙な料理の定番メニューとしてイカと納豆のスパゲティーというのがあるが、あれのトッピングはシソの代わりにバジルというわけにはいかぬだろう。そもそもシソはバジルを凌ぐほどにパスタと相性が良いのだ。

僕は母親の作る料理をあまり好まずに育ったが、好きだったものもいくつかあって、そのひとつがシソの焼きおにぎりだった。梅干しの入った塩にぎりにシソの葉をへっとくっつけて焼くだけのシンプルなアイテムだが、ミイラになるぐらいまでシソに火を通すのがポイントで、ちょっと他で目にかかったことはない。

もうひとつはスポンジケーキで、極端に薄いのが特徴。おそらく生地を泡だてすぎたか何かで、うまく膨らまなかった失敗作である。クッキーとケーキの間ぐらいの硬さで、当然ケーキとしては失格なのだけど、まあ、そもそもケーキなんかを食べさせてもらえる機会も貴重だった中で、大好物のごちそうだった。毎回、同じように失敗するので、母親のケーキとはそういうものだと思っていたのだが、それから数十年経過して、母親も腕を上げ、普通のスポンジケーキを作れるようになってしまった。あの噛みごたえのあるケーキがもう食べられないのは残念である。

僕が肉を食さないのは30年ほど前にイギリスで生活していた時につきあいのあった連中(多くはミュージシャン、絵描き、などのダメな人たち)の影響で、健康や動物愛護の精神などは全く関係なく、単に肉を食べないことが「クール」と感じたというだけの安易な理由で、要するに「ファッション」なわけなのだけど、今回、ヨーロッパに行って当時の連中(半分ぐらい死んでいなくなっていた。)と再会したところ、今でも肉を食さないのは僕ぐらいで、どいつもこいつも自分らがベジタリアンだった記憶すら曖昧といった具合。ただし「食生活から何かをマイナスする。」という思考そのものは健在で、多くが砂糖と小麦を憎んで忌み嫌っていた。グルテンフリー、シュガーフリーが現在の彼らのトレンドであるらしい。

砂糖や小麦を食さないことを、今回は別段「クール」とは感じなかったし、肉だけでなく、酒もタバコもドラッグも、最近ではテレビやラジオをもやめた削ぎ落としの痩せ細り人生において、何かをやめるのもこのぐらいにしておいた方がよかろうと、今のところケーキやパスタを食べなくなることはないと思っている。こうやって書いているうちに腹が減ってきた。朝っぱらからスパゲティーを茹でてやろうかなんて思い始めている。

話はそれたが冒頭のバジルシソ、味の方がこれまた不思議で「甘みのあるバジル」という感じ。用途はいろいろありそうだが、最初に思いついたのはフェタチーズ。かけらを葉で巻いて食べたら美味しそう。感想はまた後日。

呪縛からの解放

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コウモリランは2シーズンめに入って、長い梅雨も、夏の猛暑も乗り越えた。風を好むということで、いくつかの株を外に出しっぱなしにしてみたのだけど、部屋の中にいる者たちの方が機嫌が良さそうなので、結局全て室内に戻すことになった。植物はかまいすぎるとよくないと聞く。実際、過度な愛情に耐えられず、枯らしてしまった草木は少なくないが、こいつらはむしろそばにいて面倒を見てやった方がうまく育つようである。

「なんとなくクリスタル」という小説(たしか映画にもなった。)が発表されたのが、1980年。僕は15歳で、本は読んでなかったが、この「なんとなく」というキーワードが世の中のムードを変えていく様は、(なんとなく)体感している。なにごとにもあまり一生懸命に取り組まないスタイルがクールとされる雰囲気で、当然、熱血漢の僕にとっては居心地が悪かった。思えば僕の落ちこぼれ人生は、そのトレンドにうまく乗れなかったところからスタートしたような気がしないでもない。燃えたぎる魂を封印して人に見せないように努めて生きてきて、結局、燃えてもない燃えてなくもない、中途半端な人間に仕上がった。

「なんとなく」の呪縛を解いたところで、今さら熱い自分が戻ってくるわけでもないが、「枯れるのを防ぐために意図的に放ったらかしにする。」なんていうややこしいことは今の僕にはできない。毎日たっぷり愛情を注いで育て、枯れてしまったらそれまで。コウモリランたちは見ての通り、過度な愛を肥やしに自由奔放に葉を伸ばし続けている。

存在の耐えられない軽さ

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2017年の夏に我が家にやってきて、無事に冬を越し、どんどん増殖して、ひと安心と思っていたところ、ひとつひとつと枯れていって結局全滅した多肉植物。結局1年もたなかったわけだ。多肉はほどよく放っておくのがよいと聞く。愛情が重過ぎて耐えられなかったのだろうか。いらぬ愛に押しつぶされる苦しさはわからんでもないが、何も死ななくともよいのにと思う。

と、思っていたら、生きていたのだ。出窓に置いてある他の植物の植木鉢の影でひっそり、土もなく1滴の水も与えられない環境で人知れず越冬し、春先に小さな分身らを携えた状態で、発見された。いくら何でもそのまま放ったらかしにしておいては枯れると思い、ひとまず土の上に置いてみた。愛情が苦痛にならぬよう、見てみないフリをするよう努めているが、まあかわいいものを見てかわいいと思ってしまうのはしょうがない。心までは詐れず、時おり水を与えたい欲求に駆られてしまう。

ふと、存在の耐えられない軽さ。というタイトルの映画があったことを思い出した。ダニエル・デイ=ルイスが主演で、特に映画通の間で高い評価を受けたと記憶しているが、若かったせいか、今ひとつその良さが理解できなかった。断片を頭の中に浮かべてみるに、おそらくとても良い映画だったのだと思う。今観たらきっと楽しめるような気がする。何で突然その瑛のことを思い出したのか、隠れるようにして冬を越した多肉植物との関連性が判明するかも知れない。

*春先に書いた記事に加筆した。

コウモリラン

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コウモリラン。いくつか枯らしてしまったものもあるが七株残って、まずまず機嫌よく成長している。

植物は眺めているだけで心が和む、特にコウモリランは特別で、踊り狂う女たちの手のように思い思いの方向に咲き広がる葉、太陽の光に透けて見える美しい葉脈、丸っこくて可愛らしい貯水葉など、ずっと見続けていても飽きることがない。

水のやりすぎが枯らしてしまう原因のひとつと知り、水やりのタイミングは注意するようにしている。株によって二週間ほど放ったらかしにする時もあるが、このところ水が欲しいサインが何となくわかるようになってきた。

同様に、愛情を与えすぎるのも良くないかと考え、この胸の内を悟られないように演技しながら対応している。たぶんバレてると思うが。

自然界では他の木や岩石などに着生して成長するらしい。インターネットなどで情報を集め、見よう見まねで、流木(サーフィンに行った時に拾ってきた)や庭木の端材などにくっつけてみたら、なるほど植木鉢に入っている時よりも気分が良さそうに見える。私が死んだらぜひとも彼女たちを私の屍体に着生させてもらいたいものだ。(遺言に書いておこう。)何なら生きたまま一体化してみたいぐらいだが、はたして。

Music : “Why Can’t We Live Together” / Timmy Thomas

 

起床

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昨年の秋に我が家にやってきて、10センチ足らずの大きさだったのが半年で5倍ぐらいの長さに成長したものの、夏になったら葉っぱが全部抜けてしまいました。ご臨終されたと思って、外に出してほったらかしにしていたのですけど、ホームセンターの観葉植物売り場で同じ種がやはり瀕死の状態で売られているのを発見。ポップを見ると「夏は休眠する」とあります。死んだのではなく、休んでたんだ。確かに葉はすべて落ちたけどボディそのものはミイラにならず質感があります。とりあえず室内に移動して、水やりなども再開。猛暑が去ったら、ご覧のように頭からにょきにょき生えてきました。おはよう。生き物ってミラクルだなあ。

開花

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そうそう、開花で思い出しました。年末につぼみをつけたエアプランツが二度目の開花。この紫色の部分が花なのだと思います。嬉しい反面、この冬は別の種類のエアプランツを1本ダメにしてしまいました。ずっと機嫌がよかったはずなんだけど、何がいけないかったかイマイチ理由がわかりません。

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ゴムの仲間なんだそうです。静岡県は袋井市の園芸屋さんで見つけ我が家にやってきました。

A BUD

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夏に花を咲かせたエアプランツがまた咲きそう。これはつぼみの状態。どうやら年に2回花をつけるようです。

エアプランツたちとの付き合い方も少しづつですけどわかるようになってきました。暑いの嫌い。寒いのも嫌い。水は好きだけどジメジメには弱い。日に当てないと枯れるけど直射日光当てても枯れる。原産国では雑草扱いされててその辺に転がってるらしいです。ずいぶんデリケートな雑草だよね。

エアプランツ育成日記

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寒くなりましたね。夏の間、屋外で育てていたエアプランツを室内に戻しました。水やり以外はほとんど放置状態だったのですが、環境がよかったらしく、みんな元気に成長しています。写真の子は下の部分が本体で上は子株。春先に外に出す前は影も形もありませんでしたが、今や本株をしのぐ勢いでぐいぐい育っています。

エアプランツは「世話をしないでも育つ」と思われているようですが、実は以外と繊細で育てるのが難しい。明るい光が好きだけど直射日光は嫌い。寒いのも暑いのも苦手。水がないと枯れるし水をやりすぎると腐る。他の植物もそうだと思うのですが、環境、置き場所が重要であるようです。これまでにずいぶん枯らしてしまったけど、このところやっと何となく植物の機嫌がわかるようになってきたかな。大事に育てます。

収穫

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衝動的にオリーブの苗を買ったのが1年前。まさかこんなに早く収穫できるとは思いもしませんでした。さっそく塩漬けにしました。食べられるのは1年後。1年後、世の中も自分も一体どうなってることやら。

NEW FACE

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植物を育てるのがここ1年ぐらいのマイブーム。あれこれいろいろ手を出しましたが、枯らさずにちゃんと育つ成功率は65%ぐらいかなあ。種類によるでしょうけど、陽の当てすぎ、水のやりすぎがけっこう致命的だったりして、なかなか難しい。面倒をみすぎると枯れるし、逆にシカトしすぎても枯れるしね。育ちはいいけどわがままなお嬢様をガールフレンドにしたつもりになってつきあえば、よろしいかもしれません。

写真の「へんなやつ」は静岡の妻の実家に行った時に見つけ、東京まで持って帰ってきました。もともと、あまり状態が良くなかったですけれど、こちらに来て少しばかり機嫌がよくなったように見えなくもありません。果たして都会の生活に慣れることができるでしょうか。

ジャングル

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土地の境界線の確認作業に立ち会ってきました。僕がまだ子供の頃に祖父から譲り受けた土地らしく、おそらくその当時はそれなりに価値があった(あるいはその後価値が上がると想定していた)のだと思うのですが、現在は見ての通りのジャングル状態で、どうにもなりません。聞けばもともと畑だったところにわざわざ植林したのだそうで、おじいちゃんとしてはきっと「金に困ったら木を切って売ればよかろう。」というようなつもりでいたのでしょう。今や木の値段よりもそれを切るコストの方がずっと高く、もくろみは外れたわけなのですけど、うっそうと茂った木々のエネルギーをそのまま「愛」だと解釈すれば、ああ自分はご先祖様に愛されているんだなと感じることはできます。何もこんな南国調の木を植えることもなかったような気はしますけど。

困惑

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うーむ、よくない。前回と同じだ。買ってきた多肉を鉢に植え替えたら翌日から元気がなくなりこんな風にしおれてしまいました。水はたっぷりやったから足りないということはないだろうし、水が多すぎたとしても1日で寝腐れすることはないと思う。直射日光には当てておらず、逆にちょっと日に当たらないぐらいでこんなになることはないハズ。と、なると、うむ、おそらく土が合わないのでしょう。観葉植物用のパサパサしたやつにしてみるかな。しかし、短期間での引越しは弱った植物にはダメージな気がするし、かと言ってこのまま合わない土の中にいるのもかわいそうな気がするし。どうすりゃいいんだ?困りました。

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再度、多肉。前回枯らしてしまった原因もイマイチつかんでいないのだけど、とにかく水のやりすぎと日の当てすぎには注意します。

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まだまだボタニカルな話題が続きます。ポットセットが一組余っていたので、それにふさわしい植物を探さなくてはなりません。ご近所にわりと最近(と言っても数年前かも知れない)できた花屋さんで、目に止まったのがコイツ。多肉の仲間なんだそうです。名前は1分で忘れました。

ちなみに隣の四角い鉢に写っている緑が失敗して枯らしてしまった多肉の残骸です。春先すこぶる機嫌よかったのですが、鉢を変えたらしぼんでしまい、とうとう枯れてしまいました。土が合わなかったのか、夏の日差しがよくなかったのか。あるいは水のやりすぎか。原因はイマイチわかりませんが、なかなか思い通りにはいかないものです。

お店の方に多肉植物の育て方についてアドバイスをもらったので、今度こそはちゃんと育てられますように。

朝露

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ボタニカルな話題が続きます。IKEAで買い物をしてた時にモンステラという観葉植物を見つけて衝動買いしました。わりとポピュラーな種類なのだそうで、確かに、歯医者の待合室なんかに飾られているのをよく見かけるような気がします。里芋の仲間だということで、大きく広がったうちわのような葉が特徴的。ひとまわり大きいサイズの鉢に植え替えて水をたっぷり与えたところ、翌朝、鉢のまわりの床が水浸し。どうやら夜の間に汗をかくように葉っぱから水分を放出するようです。これ、飲んでもだいじょうぶかな。

エイリアン再到来

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同じ鉢にまた同じキノコが生えました。生えてきた場所もほぼ同じ。前回は数日でしなびて、そのまま枯れて土の一部になりました。どういうメカニズムなのかさっぱりわかりませんが、まあ気に入って来てくれるぶんには歓迎します。植物って本当に面白い。

コウモリラン育成日記

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コウモリラン。まだしっかり越冬していないので何とも言えないのですが、初心者にも育てやすいようで、3株、順調に育っています。鉢植えで購入した株の土を払い、根っこをミズゴケで覆って苔玉仕様にしてみたのですが、イマイチ元気がなく、結局写真のように土に戻しました。そのうちに貯水葉が発達して鉢(椰子の素材でできています。)ごと飲み込むようになるのではないかと勝手に想像しているのだけど、果たしてどうなることやら。

bumper crop

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我が家に来て初めての夏を迎えたオリーブが大豊作。最初からこんなにうまくいくとは思っていませんでした。収穫まであとどれぐらいだろう?すごく嬉しいです。

キダオレ日記 イージーパンツ

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夏場は庭の水やりも毎日やらなくてはなりません。作業自体は嫌いではないのですけど、とにかくウチの庭は蚊が多い。半袖半ズボンで庭に出た日にゃあっというまに餌食になってしまいます。さっと脱ぎ着できる風通しのよい(そして履いていてちょっとテンションが上がるような)パンツがあればいいなと思っていたのをセールで見つけました。トップスには同系色のショップコートを合わせます。庭に出るのが楽しみです。

追記 このパンツ履いて勝ち誇った気分で水やりしたところ、こぶしを蚊に刺されるという失態。我が家のヤブ蚊は強いです。ああかゆい。

キノコ

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室内の観葉植物の鉢にキノコが生えていました。このところの高温多湿な気候がうまく合致したのだと思いますが、それにしても、きのう水やりをした時には影も形もなかった(おそらく小さくて目に入らなかったのだと思いますが)はずなのにたった一晩でこんなに成長するとは。自分の体を短時間で数十倍に育成させるのですから、彼ら(植物)は瞬時にものすごい量のエネルギーを爆発させることができるのでしょう。人間にはとても真似できませんね。

まあ、僕らは一時的にではありますけどペニスを数倍の大きさに拡張することができます。考えてみればあれもなかなかの芸当ではあります。

他方、開花を楽しみにしていたエアプランツは、そのまま花を咲かせずに芽を枯らしてしまいました。というか、僕が芽だと思っていた部位はすでに花だったということになりましょう。

ああ奥深きボタニカルライフ。

発芽

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リアルに発芽しました。想像を絶する進化?の早さ、色、形状。さて、どんな花が咲くのだろう。

追記:この翌日、紫色の芽の部分がやせ細ってミイラみたいになっていました。おそらくこれが満開状態だったのだと思います。紫色の部分は芽じゃなくて花だったのね。

そういえばこの日は満月前日。おぼえておこう。

発芽?

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たった一週間のうちに緑色だったエアプランツが真っ赤に紅葉していた、という記事をアップしたのが3日前。今朝チェックしてみたら今度は何と芽が出てきていました。しかもこの色。パンツの中で勝手に進化続けるペニスに翻弄させられているような感じがして、どうにも気が落ち着きません。明日はどうなってるんだろうか。

紅葉

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一週間の入院生活を終えて、病院を出た瞬間に頭がショートトリップしてどこか遠くにぶっ飛んでしまいました。旅行で南国を訪れて飛行機を降りた時に感じるムッとした熱気で、自分が異国の地に来たことを認識するあの感じ。

気をとりなおして自宅まで徒歩で帰る途中、今度はまわりの風景がこれまでと違った見え方をしていることに気がつきました。いつも見慣れているはずの街並みなのに、色とか、温度とか、湿度とか、僕の知っているイチョウの並木通りの風情とは全く違う。よく似た形状をしているけれど、ここは僕の知っているホームタウンではない。

あるいは前夜の台風の影響による気圧の変化のようなものがあったかも知れない。一週間を寝て過ごしたせいで、ものごとを感じて捉える能力が一時的に不具合を起こしているのかも知れない。いずれにしても、その朝、僕が感じたのは「気のせい」といったようなあいまいなな感覚ではなく、明確に「ここは違う」と断言できる類いの確固たる違和感でした。「ここは僕の知っている並木通りではない」。理由なんかない。違うものは違うんだ。

同時に、その違和感は決して嫌なものではありませんでした。居心地は悪くない。知らないところに来てしまったという不安も皆無です。むしろそこには時空を超えた懐かしさのようなピースフルなムードも漂っている。

この世には似たような世界が複数あって、何かをきっかけにひとつの世界から別の世界へスリップしてしまうことがある。というような話をSFだか自分の頭の中の妄想だかで聞いたことがあります。科学的には全くナンセンスなんでしょうが、僕はまあ、そういうのがあってもいいんじゃないかと思っています。(もといた世界で突然蒸発した僕をめぐって家族や友人が混乱しているというようなことはあまり想像したくないですが。あるいは抜けた後のスペースに別の世界から来た僕がすっぽり収まったりするのかも。)

まあとにかく、そんな風にして僕の新しい一日がスタートしました。この日はさっそく打ち合わせが入っていて日帰りで成田まで出向いたのですが、この、夢の中のワンダーランドにいるような感じ、心が浮遊してふらふらしているムードは一日中僕にまとわりついていました。

何がびっくりしたって、入院前は緑色だったエアプランツが真っ赤に紅葉していたのには驚きました。やっぱり違う世界に迷い込んできてしまったのかも知れません。みなさんこちらの世界でもどうぞよろしく。

 

New Face

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コウモリランの育て方がわかってきたような気がするので新たに2株お招きしました。鉢のままでもかわいいけど、やっぱりハンギングした方がずっとゴージャスに見えるんだよね。どうやって育てるか模索中。そのうちコウモリラン博士みたいになってしまいそう。

rooted?

DSC_6326.JPG花屋で見かけて購入した多肉。根もなく葉から水を吸収するタイプでもなさそうで、育て方がさっぱりわかりません。何もせず放置してたらどうなるか見てたのですが、やはり少し弱ってきてしまいました。どこから水を摂取するのか、やっぱりココだろうと思い、おしりの部分だけを水につけてみたところ1週間ほどでこんな根っこが生えてきました。たぶんこの方法でよかったようです。ただ本体は傷も目立つようになってきてどうも調子良さそうに見えず、この後どうしてよいやら途方に暮れています。

New Face

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サーフィン帰り、千葉の道の駅で見つけました。「ガジュマル」というのだそうです。誰が何を思ってそんな名前をつけたのか。

エアプランツ栽培日記

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エアプランツを育てはじめて1年ぐらいになるのかな。放ったらかしで勝手に育つと聞いていたのが嘘だとわかるまでけっこう時間がかかり、その後いろいろ研究しながら日々世話をしているのですけど、いまだちゃんとした育成方法を掴めていません。

乾燥に強いけど水は必要。水が好きだけど湿気は嫌い。明るい場所を好むけど直射日光は苦手。また季節が動くと嗜好も変わります。条件が整わないとすぐに枯れ始め、いちど枯れると再生はほぼ不可能。自殺癖のあるわがままな女とつきあってるみたいで気が休まるヒマがありません。

種類によって好む環境はまちまちらしく、同じように育てていても機嫌のいいヤツとそうでないのがいます。写真のトゲトゲちゃんは100円ショップの隅っこで見つけた小さなヤツですが、どんな時でもいつもご機嫌(葉の上が白くポツポツしているのは機嫌のよい証拠です。)。わがままな女の子に振り回されるのはキライではないのですけど、少し疲れてきちゃったわい。他は捨てていつも笑顔の子だけ可愛がってあげようか、なんて気もします。

何でも、植物を愛しすぎるとそのエネルギーを人間が奪ってしまうという説もあるようで、そういうあたりが僕には向いていないのかも知れません。ボタニカルライフ。マックロマンス、愛が重すぎるぜ。

 

多肉植物栽培日記 

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昨年の秋に一株を手に入れて、どうにか冬を越えたと思ったら、春先から増殖しはじめたコイツ。小さなポットで窮屈そうだったので、植えかえてみたところ急に元気がなくなって小さくしぼんでしまいました。水の与えすぎか、あるいは、窓際の日差しが強くなってきたのが原因かも知れません。ひとまず直射日光が当たらないようにして様子を見ています。エアプランツもそうですが、観葉植物においては「置き場所」がとても重要であるようです。太陽や風の動きを考慮してあれこれトライするのですが、妻はもっと感覚的で、「あ、これは密集しすぎで「気」が取られちゃってるから、こっちに移動した方がいいわね。」とか「あなたちょっと面倒見すぎだわね。放ったらかしにしておいた方がいいんじゃない。」とか、どうも僕には聞こえない植物の声が聞こえているかのようです。