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近況

久しぶりの更新だね。あれだけ書くことが好きだったのに、ものが書けなくなってしまってから随分と時間が経ちました。10年ぐらい前からSNSが本格的に浸透してきて、僕はそれが書けない原因なのではないかと思っていたのだけど、うん、メカニズムはよくわからないんだけどね。SNSウィルスみたいのに脳が侵されたような感じだと自分では思っていた。

きのう、友達とチャットしていて、書けないんだよね。という話をしたら、今のマックは神経が聴覚の方に行ってるからね。と返されて、すとんと落ちました。なるほどね。確かに僕がDJを始めてからもう10年近くになるんだわ。

世の中には複数のものごとを高いレベルで処理する能力を持つ人がたくさんいるけれど、どうやら僕はそうではないみたいです。一極集中型とでも言えばいいのでしょうか。ひとつのことに集中すると他はダメということらしい。(その代わり集中力は人並外れて高い。と友人は言ってました。)

書けなくなったのは音楽に集中しているからだ。真実はどうあれ、そう思うことにしました。本当に書きたくなったら、音楽をやめればいいわけだ。そうね、今は曲を作ったり、それをSNSに上げたりすることを、とても楽しんでやっているし、そのパッションもしばらくは持続しそうなので、僕がまたバリバリとものを書けるようになるのは、ちょっと後のことになりそうです。

音楽に集中しているから、その成果が出ているかと言えば、そんなことは全然なく、一生懸命作った曲をオンラインで発信しても、人々の関心はほとんどゼロに近いのが実情。感覚で言えば、文章で発信するよりも、反応は薄いような気がします。でもまあ、この惨状にもかかわらず、曲作りのモチベーションが下がらないというのは重要なポイントであるとは思います。

そんな音楽人=マックロマンスの音楽活動の中で、わりと完成度が高いのが、以前にも紹介したことのある「ザ東京カウボーイズ」。この業界ではまず「ジャンル」を設定することが必要不可欠なので、「エレクトロ・ガレージ・ロック」という分類に属することに決めました。昨年の春ぐらい前から曲作り、レコーディングを開始し、夏にはフルアルバムが完成。ベルリンの老舗ロック系インディペンデントレーベルとの契約に漕ぎ着き、クリスマス頃にはまずはヨーロッパでアルバムをリリースすることになりました。

しかし、契約書にサインをする段階で、こちらにとって不利な条項がいくつかあるのが判明、代理人を立てて協議をしているうちに連絡が途切れはじめ、どうも先方の担当者が深刻な病気を抱えているとの情報もあったりして、結局そのまま音信不通状態に。しばらくは連絡を待っていたけれど、うやむやな状態で放置しておくのは気持ち悪いので、先月、正式に契約破棄を代理人に伝えました。

結果はどうあれ、海外のそこそこ実力のあるレーベルが興味を持ってくれたことは事実なので、まあまたレーベル探しから気長にやっていこうと思っています。

写真の僕が着ているのはザ東京カウボーイズのオリジナルTシャツ。デビューもしていないバンドのTシャツを作ったり売ったりできるような時代になるとはね。欲しいロックTを求めてなけなしの小遣い握りしめて往復8時間のフェリーに乗ってた少年時代には想像もできなかった。グッズ販売だけじゃなくって、インスタやったりウェブサイト作ったり、水面下?でいろいろと活動しています。応援宜しく。

渋谷パルコでネクタイを買う

ウイルス騒動で自宅にいる時間が長くなり、妻に任せっぱなしにしていた家事を多少分担することになった。いちおう食器などの洗い物と洗濯物のたたみ、それからゴミ出しは僕の役割ということになっている。

長く飲食業に従事していたこともあるので、洗い物は(何をやっても半人前の僕にしては珍しく)得意分野のものごとであると言ってもよいかも知れない。特に皿や茶碗など、形状がシンプルな食器を洗浄するのは成果が目に見えて気持ちが良い。逆に苦手なのはタッパーウェア。こびりついた油がなかなか取れずにイライラする。あとカトラリー類。あれは嫌だね。

時は1989年、僕は5年近くに及ぶ海外でのミュージシャン生活に区切りをつけ帰国、東京で新生活を始めようとしていた。当時のイギリスの暗く重い雰囲気の中で暗く重い音楽を演奏しながら生きていた僕の目には、ちょうどバブル期だった東京は煌びやかな魔法の世界のように見えた。最新のファッションに身を包んで街を往来する人々は勝ち誇った笑顔に満ち溢れ、男性も女性も誰もがとても魅力的だった。カラーテレビの中で自分だけが白黒でいるような疎外感はあったけれど、ロンドンの田舎から「上京」してきた僕にとって東京の人は憧れの存在だった。カフェに入ってコーヒーを注文するといった日常的なやりとりでさえ、芸能人と会話を交わしているような夢見心地な気分になったもんだ。

当時、渋谷パルコの確か地下だったと思うが、おしゃれな和製の食器や雑貨を取り扱っていたショップがあった。ちょうど新生活のための日用品を買い集めていた時期だったので、それとなく商品を物色していたところ、いい感じの箸が陳列されているのに目がいった。シンプルなシルエットの丸箸だったが、ざらざらとした手触りのカラーコーティングが施されていていかにもトーキョースタイル。カラーも淡い紫色など普通の和箸にはないムードで気に入り、すぐに購入を決めた。

おそるおそる商品をレジに持っていく。僕にとってはコーヒーショップの店員でさえ芸能人である。パルコの店員ともなれば、もはやスーパーモデルとかハリウッドスターレベルの超セレブだ。会計をするだけでもハートがドキドキする。店員はパルコの人間としてはかなり庶民派であるように見受けられた。愛想も良さそうだしお高くとまっている感じもない。僕の頭の中に「このセレブと会話を交わしてみたい」という欲求が渦巻いて来た。いちどそうなったら止めることはできない。

あ、あのう。この箸は何か特殊なコーティングがしてあるんですかね?

言ってみた。

そうですね。

素っ気のない返事だったが、悪い印象はない。少なくとも僕がロンドンから出て来た田舎者だということはバレてないように感じた。

あの、これってゴシゴシ洗ったりしたらコーティングが落ちたりしませんかね?

え?でも、お箸をそこまでゴシゴシ洗ったりしないですよね?

撃沈である。そうだ。彼女は正しい。東京の人間が、芸能人が、セレブが、箸をゴシゴシ洗うわけがない。そんなことをするのは田舎者だけだ。だいたい何なんだその意味のない質問は?コーティングが落ちたりしませんかね?だと?アホだ。アホだ、アホの質問だ。駄目だ。わかっていたのだ。彼女は最初から僕が田舎者であることを最初からわかっていたに違いない。恥ずかしい。違うんです。僕はただ店員さんとセリフを交わしてみたかっただけなんです。コーティングのことなんかどうでもよかったんです。すみません。田舎者が東京のセレブと会話をしてみたいと思ったりして身分不相応でした。

僕は顔を真っ赤にして半泣きになりながら支払いをして逃げるようにパルコを後にしたのである。あまりの恥ずかしさに東京で生活するのをやめてしまおうかと思うぐらいだったが、幸い反省の気持ちが持続しない性格である。やがて都会の生活にも慣れ、パルコで買い物をするのに怖気付くこともない図太い東京人へと成長した。後にパルコで働いている女性スタッフと友人を介して知り合って、少しいい感じになったこともある。結局付き合うところまでは漕ぎ着けなかったが、箸を買うだけでビビっていた時からすると随分な成長だったと言えよう。ただ、その「箸のやりとり」については自分の中で相当なトラウマになっているようで、今でも台所で箸を洗うためにその時のエピソードが脳裏に蘇る。箸はゴシゴシ洗わない。箸はゴシゴシ洗わない。箸はゴシゴシ洗わない。

その後パルコは解体されて、今年リニューアルオープンした。先日別件で渋谷に用があった際に、地下の駐車場を利用した。機械式の最新システムの駐車場に生まれ変わっていたが、細部に何となく以前の面影も残っていて、ああパルコはパルコなんだなあなんて、少々ノスタルジックな気分にも。用を済ませて車を出す前に店内を少し物色して歩いた。特に気になる店があるわけではないが、パーキングチケットの割引を受けるために何か気に入ったものがあれば購入しても良いと思った。ところがだ。

ところが、店内を上から下までざっと見て回ったが、欲しいものが全く見当たらないのである。もちろん大枚を叩いても良ければ手に入れたい高価なものはあるが、たかが駐車場の割引を受けるためにわざわざ清水の舞台から飛び降りることもない。

最近、欲しいものが売ってなかったり、行きたい店が閉店したりというようなことが多々あるが、それは商品や店の方に問題があるわけではなく、要するに社会の中における自分の存在(価値)がどんどん小さくなっているということの表れだと僕は考えている。生まれた時からずっと消しゴム擦り続けてるような人生だったが、いよいよ最後のひとつまみぐらいの大きさというところまでやってきた感はある。

店内にいたらどんどん駐車料金が加算されていく。このまま手ぶらで帰ろうかと思い、帰りのエレベーターに向かおうとしたらトムブラウンのショップがあるのを発見。ジャケット一着で車が買えるぐらいの狂った値段設定のブランドだが、小物やアクセサリー類は意外と手に入れやすかったりもする。特にネクタイはだいたい2万円台が主流で、それを身につけた際の高揚感からするとむしろ安いような気すらする。

で、買ったネクタイの入ったショッピングバッグを片手に意気揚々と駐車場に向かったわけである。そしたら何と、割引される駐車料金は2時間分オンリー。車は3時間以上停めたので、その分の駐車料金を支払って帰宅した。3時間分の割引を受けるためにはいくら買い物すれば良いのだろう?ま、パルコの駐車場に車を停めることは2度とないので、知ったところでもはや意味はないか。

何年たっても結局渋谷パルコは僕を受け入れてはくれなかった。きっと僕は消しゴムの擦りカスとしてロンドンの暗く重い空の下で暮らすべきなのだろう。東京の太陽は僕には明るすぎる。

また走り出した

ウイルス騒動の外出自粛期間にぶくぶく太り、久しぶりにダイエットを始めた。食べ物をコントロールするだけではなかなか痩せず、運動もした方がよかろうと、少し近所を走ってみた。ナイキのランニング用アプリの履歴を見ると、最後の記録が2017年だったから、実に3年ぶりのランニングということになる。

僕がいちばん最初に走ったのは小学生の頃で、喘息にランニングが良いらしいという情報を仕入れてきた両親に言われるがままに、毎日学校に行く前に近所をジョギングをするのが日課だった。毎朝同じ2kmぐらいのルートを自転車に乗った父親のサポート付きで走るのだが、それを恥ずかしいこととも思わず普通に受け入れていた。子供の頃の僕は親には一切反抗せず何でも言うことを聞く「良い子」だった。

走ることそのものも嫌いではなかったのだろう、苦しかったり嫌だったりした記憶はない。走っているうちに気分が高揚してきて、道で出会う人に「おはようございます!」なんて声をかけたりして、引っ込み思案で暗い少年だった僕とは思えないような行動。走ると脳内モルヒネが出るというような話を聞いたことがあるが、子供の脳はそれにダイレクトに反応するのかも知れない。

中学生になってもっと内に篭るようになり、両親や家族とも口を聞かないような状態(今から思えばあれが僕の反抗期だったのだろう。)になって、その父親のサポート付きランニングはそのままフェードアウトしてしまった。

中学2年生の時にクラス対抗の陸上大会があった。僕は運動は何をやってもからっきしダメで、特に短距離走は苦手。運動会の徒競走は9年間ビリだった。クラスの生徒がそれぞれ参加する種目を与えられていく中で、最後に残ったのが僕と長距離走だった。誰も長距離を走りたがらなかったし、「運動神経ゼロ」の僕には種目を選ぶ権利がなかった。

3000メートル走は400メートルのトラックを7周半する。僕が7周半走ってゴールしようとしたら、ちょうどゴールの前に担任の先生がいて「ホンダ(僕の本名だ。)はもう1周だ。」と言う。僕の前には3人の選手がいて、そのままゴールしていたら学年で4位ということになる。「運動神経ゼロのホンダ」がそんなに走れるわけがない。と担任は思ったのだろう。

こともあろうに僕の考えも担任と同じだった。自分がそんなに早いはずはないと思い、素直にもう1周走って(走る気力を完全に失って歩いている生徒を抜きながら)ビリに近い順位でゴールした。

僕が次に走り出したのは29歳の時だった。30を迎える記念として、自分がこれまで経験のない新しいものごとに挑戦してやろうと思い、トライアスロンの大会に出場したのだ。幸い、僕は小学校の時にスイミングスクールに通っていた(水泳が喘息に良いと両親が聞いてきたのだ。)ことがあるから、水泳はできる。知り合いを通じて中古で自転車を買い、駒沢公園のランニングコースを毎日のように走って練習した。

出場したレースは短い距離の初心者向けだったが、生涯で運動をした経験が全くない僕にとっては未知の世界だった。ビリでもゴールできれば良かったし、最悪ゴールまで辿りつかずとも出場するだけで意味があると思っていた。しかし結果は自分が想像していたよりも良く、僕の順位は出場選手の中で半分よりもずっと上だった。

8周半走ったな。僕は中学の時の陸上大会の3000メートル走で、ひとりだけ8周半走ったと思う。

トライアスロンは僕のライフスタイルを根本から変えてしまった。それは全く新しい生き方だった。その後、僕はフットサル、キックボクシング 、今ではサーフィンと、アクティブに体を動かすことがライフワークの中で重要なポジションにあり、常に「カラダ」が「アタマ」よりも上位にある生き方をしているが、そのスタートは29歳にトライアスロンに挑戦した地点だったと思う。

毎年開催されるトライアスロンのレースに狂ったようにエントリーして「運動神経ゼロのホンダ」のことが嘘であったかのような良い成績も残したが、あるタイミングでバーンアウトがやってきた。

バーンアウトの明確な理由はよくわからないが、ひとつは「記録」が原因なのではないかと想像する。レースに出て自己タイムを縮めることばかりに集中するあまりに、走ったり泳いだりの本来の楽しさを忘れてしまうんだ。

現在はランニングアプリがあって、レースに出なくても自分のランニングデータを記録することができる。希望すれば人と情報を共有して戦うこともできる。むろんそれはそれで走るためのモチベーションにはなるが、どうだろう?僕はまた走り出したが、今のところ距離や時間は計測していない。何も持たずに家を出てルートも決めずに走りたいだけ走る。疲れて走るのが嫌になったら歩けば良い。

何をやるのもまずは格好から。というわけで新しくキャップを購入した。ボサボサに伸び放題の髪の毛をまとめる用途のつもりだったが、たまたま最初に被って走った日が雨で、非常に使い勝手が良いことを知った。ゴアテックス素材だから水は弾くし、頭の中が蒸れずに快適だ。かなり大降りの雨の中のランだったのだけど、顔への滴はほぼ完璧にシャットされて快適だった。防寒効果もありそうだし、これから冬に向けて重宝しそう。オンリーブラックの清いデザインもグッド。別にノースフェイスからお金をもらってるわけじゃないからね。

Born to lose

LAURYN / A.D.S.R

ここ数年、ほとんどずっと毎日かけ続けているサングラス。もはや僕の顔の一部、というか顔そのものと言ってもよい。こうやって写真を撮っただけで自分の顔に見えてくるぐらい愛着がある。昨年壊してしまって、新しいのに買い換えたのに、今度は紛失してしまった。日本の新鋭メガネブランド A.D.S.RのLAURYNというモデル。知らなかったが同ブランドの定番商品であるらしい。ネットショッピングで見つけてすぐさま購入した。これが3本目になるわけだが、4本目、5本目の可能性は安易に想像できる。デザインは完璧すぎるぐらい完璧でかけ心地も非常に良好なのだが、あえて苦言を申せば、少々高級感に欠ける。フレームの素材だろうか、全体として少し安っぽい感じがするのは否めない。ストリートの若者向けのブランドと言ってしまえばそれまでなのだけど、おじさんとしては、このままのデザインでハイラグジュアリーブランドばりの質感を持ったものが見てみたい。値段も今の倍ぐらいしてもいいと思う。モノは安ければよいというわけではない。

外出するのにマスクが必要で、ただでさえ気分が落ちる中、お気に入りのサングラスをなくして意気消沈していたが、これで少し外に出る気がしてきた。と、思っていたら、梅雨入りが発表されたとのこと。実は頑張ってトムブラウン で買った傘もこの春に紛失したばかり。あまりに傘をなくすので高価なものを持てばなくさないかと思っていたが結果は同じだった。このまま紛失し続けながら残りの人生を生きるか、ギラギラ太陽の日にも素目で、雨が降っても傘をささず、何があっても外出をしない生活をするか。

告白

セルフオーガナイズができてない。というと何だかちょっとかっこいい感じがするけれど、つまりはうっかり者、不注意な人間である。きのうは車の鍵を落とし、最近ではシャンプーを洗い流すのを忘れてそのままサウナに入るという小さな事件を起こした。もしかして痴呆症なのではないかと不安になることもあるが、不注意は子供の頃からなので、そうだとしても老人性というわけではないと思う。普通の痴呆である。

そんなわけだからモノをよく無くす。最近は痴呆に健忘が加わり、無くしたことも忘れてしまったりして手に負えない。モノは所詮モノ、しょうがない。と執着せずに諦めることにしているが、どうしても忘れられないものもある。

師エスケンに帽子をプレゼントしてもらったことがある。南アメリカのどこかの国からの輸入品だと聞いたが、存在感からしてそうとう高価なものだと思う。エレガントなベルベットの太巻きリボン、頭に吸い付くようにぴったりなサイズ、肌触りのよいマテリアル、美しいシルエット。本当にお気に入りで、DJする時は必ず被ってトレードマークになっていた。

エスケンさんも「上げた帽子を被ってくれて嬉しいもんだねえ。」なんて、まるで孫に誕生プレゼント上げたおじいちゃんみたいになって喜んでくれて幸せだった。

帽子は好きでたぶん100以上持っているが、本当に気に入るものには滅多に出会えない。というか、出会ったことがない。もしかしたら、一生にひとつ、見つかるかどうかぐらいの確率かも知れない。つまり人生とは「正しい帽子を探す旅」であると言い換えることができるわけだ。

私は師に導かれその使命を果たすことができた運の良い人間である。エスケンさんのことを無意識に(そして勝手に)「師」と呼んでいたが、ちゃんと筋が通っていたのだ。

文脈から想像するに容易いと思うが、その通り。よりによってその帽子を無くしたのである。気がついたら消えていた。どこでどう無くしたのか全く検討がつかない。まだ酒を飲んでいた頃の話だが、暴漢に襲われて身包み剥がれたとしても帽子だけは守ったと思う。羽が生えてどこかに飛んでいったとしか思えない。

実は紛失についてエスケンさんには何も伝えていない。言えるわけがない。でもたぶん、マックロマンスは最近あの帽子を被ってないなあぐらいのことは何度か思っているに違いない。心が痛い。エスケンさんがこのブログを読んでいるとは到底思えないが、もしかして誰かから伝わって目にすることがあるかも知れない。面と向かってはとても告白できないので、ここに謹んで謝罪の意を表明する。って偉そうだな。本当にごめんなさい。

帽子の紛失からもう3年、もしかしたら5年ぐらいになるが、あの帽子が頭に乗っかっている時の興奮感は忘れない。身に着けるものは人にパワーを与えるし、奪い取りもする。人が服を作るのではない。服が人を作るのである。

Photo by Noah Suzuki

キダオレ日記(春コート)

コート:JUNYA WATANABE MAN

パリのファッションウィークのレビュー記事を見て、このコートを手に入れたいと思った。シーズンが開けて早速、六本木ヒルズのストアを訪れたが、入荷されておらず。クルーの方が調べてくれたところ、国内には広島と丸の内、にそれぞれ一着のみの入荷だと判明した。しかも僕の適正サイズであるXSは丸の内店のみ。その足で同店を訪れ、即決で購入した。

物欲がどんどんなっていく中で、コム・デ・ギャルソンの服だけが僕を魅了し続ける。コムデに袖を通す時、僕は「愛されている」と感じる。他のブランドの服ではあまり得ることのない感覚だが、BLACKを着ても、HOMME PLUSを着ても、JUNYAを着ても、コム・デ・ギャルソンにおいては同じように愛を感じる。

それは「作り手が着る者を思う気持ち」というような売り手買い手の間に芽生える美談的な安っぽい感情ではない。もっと壮大な、言わば「神の愛」である。サーフィンをやっている時に海から愛を感じることがあるが、体感としてはそれに一番近い。

以前、どこかで同じような話をしたら、先輩で友人のハリー山下に「ブランドは売上を上げたいだけで、マックロマンスはそれにうまく乗せられてるんだよ。」と身も蓋もないコメントをもらって、少し凹んだが、まあ正論ではあると思う。他人からはきっと宗教に狂信的にのめり込む猿のように見えるのだろう。

他方、コム・デ・ギャルソンもサーフィンもなかったら、おそらく僕の生活はもっと苦悩に満ちたものになったと思う。それ(つまり安らぎである。)を提供してくれているチームに「売上」という形で貢献できるのであれば、それは本望でだ。

やれやれ、たかがコート買ったぐらいで大騒ぎしすぎだな。嬉しいのである。

キダオレ日記

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アンダーウェア:5351 POUR LES HOMMES × BETONES

個人事業主になってから毎年、一月は確定申告の書類作りと、そのプレッシャーにつぶされる。思えば人生の半分以上の一月を憂鬱な気分と共に過ごしているわけで、それを思うだけで事業なんか始めなければ良かったと悔やんでも悔やみきれない。と、のっけから愚痴でスタートした2020年。まあ、せめてパンツぐらいは新調して気分良くいきたいもんだ。

CUT UP & REMIX

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そういうことはやらない方がいいよと言われたが、googleに「マックロマンス」と打ち込んで検索してみた。(暇なのだ。)ディスりも含めて、たいして目ぼしい情報は得られず、自分の社会への影響力の低さ(ほとんどゼロ)を再確認することになり、別の意味で少し気分が落ちる結果となった。

しかし収穫も全くなかったわけではなく、削除していたと思っていた過去のブログ記事を発見。いくつか目を通してみたが、なかなか良いリズムの文章で、読ませる。少なくとも文章を書く能力については、今よりもその当時(15年ぐらい前だろうか)の方がずっと高いように思った。つまり私は退化しているわけだ。

ただし、文章の内容についてはいただけない。社会や政治について辛めの意見を突きつけるものが多いのだが、本当にそう思って書いているのかあやしいのである。盗作とまではいかないまでも、他人が書いたものを読んで、それを自分の文章に書き換えて、あたかも自分のものであるかのごとく表現しているのがわかる。他人にはバレないかも知れないが、書いた張本人にはわかる。

何だ、今やってることと同じじゃんね。サブジェクトは文章から音楽にかわったが、現在自分がやっているCUT UP & REMIX、”他人の曲をサンプリングしてリミックスし新しい曲に作りかえる”と全く同じである。私はそういうことが得意、うむ、少なくとも好きであるようだ。

そんなことを考えながら、朝っぱらから雑誌をやぶったりコピーしたり、CUT UP & REMIXは題材を特定しない。理論もいらない。オリジナリティーなんて概念を否定するところからスタートする。私はそれを「自由」と呼ぶ。

キダオレ日記:タオル

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タオル:5351 POUR LES HOMMES

多汗症である。非常にめんどくさい。特に冬場が困る。寒さの中でも少し運動などしようものなら体の芯が燃えて汗が噴き出すのである。僕の通うキックボクシングジムがある大岡山商店街をよく歩く人なら、木枯らしが吹く真冬の夜にノースリーブに半ズボン姿で寒さにぶるぶる震えつつ噴き出す汗をタオルで拭きながら歩く僕の姿を見かけたことがあるかも知れない。

汗かきってことはつまり、体から常に蒸気を放出しているわけだ。例えばスキーに行った時、ちょっと滑っただけで発汗しゴーグルが真っ白に曇って使い物にならなくなる。もちろんゴーグルには空気孔が開けられているのだけど、これが何の役にも立たない。

僕は戦闘機のパイロットには絶対なれないだろう。ヘルメットの内部が汗で曇って前が見えないでは敵に撃ち落とされる前に墜落して終わりだ。

現在は研究も進み、多汗症にも様々な治療法があるらしい。しかしこれを受けるつもりは毛頭ない。寒かったりめんどうだったりするけれど、汗をかくのはやはり気持ちが良いのである。逆に治療で発汗を押さえ込んでしまった場合、体の中に放出できなかった汗がたまると思うと非常に気持ちが悪い。治療を受ければパイロットになれると言われても、やはり僕は汗かきのままでいたいと思う。

言いたいことは別にない。新しいショップ・ミュージックを納品に5351の代官山店に行ったら良さそうなタオルを見つけた。

*ちなみに:現在5351 POUR LES HOMMES 代官山フラッグシップショップではマックロマンスの新作DJクリスマスミックスが流れています。お買い物の際はぜひ耳を傾けてみてください。

キダオレ日記 ハット

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HAT : agnes b.

かっこ悪いこと、ダメな感じがかっこいい(あるいは許されてしまう)のがロックだと思う。ガンズ&ローゼズは全く好きなグループではないが、ボーカルの人のあのダサいダンスを見て、ああこれはロックだなと思った。敬愛するジョンライドンがステージで女の子のファンにボコられているところを見て、ああ、やっぱりロックだなあと思った。今や大作家として活躍されている町田康さんはまるでロック(彼の場合はパンクと言った方がよかろうか)を捨てたみたいにクールに変身してしまったが、遊びで始めたバンドのメンバーと方針で揉めて殴られたのだそうだ。それを警察に被害届け出したというのを聞いて、この方もロックを忘れていなかったと思った。言うまでもなく内田裕也さんはロックだったと思う。恋人と破局しそうになって「オレを捨てたらヤクザが出てくる。」とかって脅しただけでもけっこうなニュースだったが、マイウェイのBGMにのって謝罪会見に現れた時は本当にロックンロールだなあって思った。まったく反省してないじゃんね。スタイルカウンシルのポールウェラーさんなんかは何もかもが洗練されすぎていて、ちょっとロックとは言いたくない感じがする。スタンス的に似ているスティングさんは意外とダメでかっこ悪い側面があって好感が持てる。サザンオールスターのリーダーの方が「自分はロックだ」と言っていたのを聞いて全然違うよと思ったし、それが原因で彼らのことを嫌悪していたけれど、震災の時に一目散に関西方面?に逃げたという話を聞いた時に、ああなるほどこの人にもロック的な側面があるんだなと少し見直したことをおぼえている。

自分自身のことを言えば、実は僕はみなさんが想像している以上のダメ人間である。何がどうダメなのか恥ずかしくて公表できないが、ちょっと辺りを見回してみて、自分よりダメな人間はいないと自信を持って言える。今のうちからダメ録を書き留めておいて、遺言状に残しておくべきかも知れない。後で「あいつは本当にダメな奴だったよね。」「ロックだよね。」と誰かが噂してくれるかも知れない。あまりにダメすぎてロックですらないかも知れないけれど。

*文中の見聞は事実と異なる場合があります。半分ぐらいフィクションのつもりで読んでいただければ幸いです。

キダオレ日記

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今期のコムデギャルソンはオムプリュスのテーマが「ゴス」。これにレディースも連動しているようです。ゴスウェア?の定番とも言えるフィッシュネット素材のアイテムもラインナップに登場していました。

現在の僕は東京で細々とジャズDJやりながら、次の海外遠征に向けて音素材の製作を始めたところ。しばらく黒装束のゴス仕様で人前に登場することはないと思ってトレードマークだったロン毛もばっさり切ってしまいました。コムデギャルソンがこのタイミングでよりによって「ゴス」をキーワードに持ってくるというのも何かしら縁のようなものを感じてしまうけど、ほんの1歩だけ遅かった。でも、いつ着るかわかんないのを承知でフィッシュネットのワンピースとカットソー(もちろん両方ともレディース)を購入しました。ファンなんでね。

 

 

キダオレ日記

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何年ぶりかに良いシャツに出会いました。肩、袖、丈、シルエット、すべて完璧。素材もしなやかで体に吸い付くかのようです。襟がないのが清くてよろしい。当然ネクタイは介入してこれません。唯一、首回りが僕の(太く短い)首に対して小さいのだけが難点。一番上のボタンは開放にするしかありません。しかし、敢えてドレスダウンして着るにはちょうどいいかもね。洗ってそのままハンガーで乾かしたらよい表情が出ました。アイロンかけずにこのまま着ます。良いシャツに出会えた時、長生きしてよかったなあと思います。

 

ロゴの呪い

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10年ぐらい前に買ったシアサッカーのセットアップ(日本製)がデザインもシルエットもどことなく今期のトムブラウンに似ていることに気がつき、ワードローブの奥から出してきて袖を通してみた。うむ。少々野暮ったい感じはあるけれど、なるほど、2019年にじゅうぶん通用しそうである。で、これに合わせるためトムブラウンのソックスを購入してみたら、予想通りにうまくいった。

エセ、トムブラウンルックにて気分良く街に出てみたはよいものの、やはりこのトリコロールは人様の目につくようで、行く先々で「ジャケットやパンツもトムブラウンなのか?」と尋ねられる。「いえ、これは10年前の日本製でして、、。」と説明する時の敗北感ったらない。

10年も前の服を今になって綺麗に着こなすことはむしろ胸を張るべきだと思うのだけど、ブランド品がかえって全体の足を引っ張っているという逆効果の一例である。とはいえ買ってしまったソックス、トリコロールを剥がして履くかどうかは未だ検討中である。

セールではない

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セールで物を買ってやろうと意気込んでセールじゃない物を買って帰ってくるというね。髪の毛を切ったら持っている帽子がぜんぶ大きくなってしまったので、新しいのを揃えなければなりません。ニットキャップはこれでいいとして、あとはハットとベレーを仕入れれば夏を乗り越えらえるでしょう。帽子に似合うスニーカーも欲しくなってきちゃったりして。

セール戦利品

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セールでものは買わないぞと思っていたのですけど、40%オフとか言われるとやっぱり買っちゃうよね。このところモノトーンの服ばかり着ていたせいか、少し派手めなものに目が行きます。メッシュのインナーが付いていて海やジムで活躍しそう。僕はこれでカフェでもどこでも行っちゃうけどね。

定番

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旅の足はやっぱりコイツ。軽く、歩きやすく、フィット感良好、そして、どんな服にも似合います。フランス発だけど、パリでもリヨンでも、履いている人1回も見なかったです。(東京でも見ないけど。)靴底に小石がつまるのだけが難点、それもご愛嬌だね。

再会

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少し前に壊してしまったお気に入りのサングラス。購入したショップに行ってみたのだけど、入荷がないとのことで、もう同じものは手に入らないと毎晩泣きながら暮らしていました。何の気なしに訪れたラフォーレ原宿内の若者クラヴァー向けのお店に普通に売っておりました。フレームやレンズのカラーは同じではありませんが、デザインやサイズはそのまんま。もちろん即購入です。ハゲ頭に髪の毛が戻ってきたような気分であります。

ラフォーレ原宿では以前アルバイトをしていたことがあり、大ポカをやらかし、相当長い間足を踏み入れることを許されておりませんでした。問題の店が閉店して、ここ数年でやっとわだかまりがおさまったところであります。

今これを書いていて、このサングラスを買った店、僕がポカをやらかしたアルバイト先の跡地にあるということに気がつきました。歴史はいつもどこかで繋がっています。

コーヒー

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海から上がり、ひととおりの儀式を済ませる。すなわち、用意してきたタンクのお湯(冬場には水になっていることもある)をかぶり、ウェットスーツを脱ぎ去り、用意してきたスウェットやTシャツに着替え、フィンやリーシュコードなどの道具をボックスにしまい、ボードの砂を落として車のルーフに取り付け、普通ならこれで、後は車のエンジンをスタートさせて帰路に向かうだけなのだが、しばらくその場に留まって海の余韻に浸るのも、行動様式の中に含まれている。

となると、やはりコーヒーが欲しい。

で、簡易的な湯沸しのツールを揃えて常備するようになった。コーヒー豆はあらかじめ自宅で挽いて専用の瓶に入れて持参する。折りたたみ式のドリッパーも手に入れた。少しの面倒がかえって楽しみをもたらす。風をもろともせずゴオと音を立てて燃える火、ぶくぶくと湧き上がってくるあぶく。落とした湯に弾けるコーヒーの粉。立ち上がる燻し香が海のにおいと混ざる。できあがったコーヒーをチタン製のマグカップに注ぐ。湯気、波の音、チリチリする肌。海を前にして飲むコーヒーは本当に旨い。

帰り道、海ほたるの渋滞にはまったあたりで、ふと、飲み終わったあとのマグカップを置きっぱなしにしてきてしまったことに気がついた。うむ。ということは当然、他のツールもそっくりそのまま海にある。

数ヶ月後、コールマンのアウトレットショップでようやく小型ストーブを入手した。コンビニで売っている真空パック入りのコーヒーを持って海に行ったが、何故か湯を沸かしてを飲む気にはならなかった。

ヘッドホン

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海外DJツアーが決まって、生活スタイルががらりと変わり、ここでもその話題を発信しまくると自分でも思っていたが、毎日あちらとやりとりしたり、トラックを作ったりみたいなことばっかりやっていると、現実逃避でDJとは関係のない話ばかりしたくなるところが怠け者の怠け者たる性(サガ)であって我ながら情けない。

5351POUR LES HOMMESがタイアップしているマーシャルのヘッドホンを購入した。ヘッドホンと言ってもDJツールとしてではなく、僕の場合は音楽ではなく、移動時、実はラジオを聴いている。しかも音楽番組の多いFMではなく、AMラジオである。

現在はラジコがあるので、オンタイムでなくても好きな番組が聴けるようになった。一番好きな番組はTBSの荒川強啓のデイキャッチというお昼の時事ネタ番組で、ラジコが導入されてからはほとんど欠かさず聴いていた。僕の政治社会的な発言はほとんどこの番組からの受け売りと言ってもよいかも知れない。これがこの春、突然の打ち切りとなった。理由はイマイチ定かではないが、政府筋から圧力がかかったのだと視聴者のほとんどは思っているだろう。

さておき、ヘッドホンの実用性はじゅうぶん合格ラインだと思う。Bluetooth通じてiPhoneとの相性は良い。(BOSEのBluetoothスピーカーとiPhoneの相性は悪いと思う。よく繋がらないことがある。)電波もかなりの広範囲をカバーしている。それとなくスイッチを入れたらとなりのとなりの部屋に置いてあったiPhoneのiTunesが起動して音が流れてきてちょっとびっくりした。密閉性は高く音漏れの心配が少ない。環境によってだがDJ時にも使えてしまうかも知れない。音もいいと思う。(実はもともと音のクオリティはさほど気にしていない。自分の音を人に聴かせる時は話は別だが。)装着感はややきつい。長時間の連続使用は耳や頭に辛いかも知れない。まあ、そのぶんホールド感はしっかりしている。首にかけた時も左右のスピーカー部分がフロントでくっつくぐらいバネが強いので、僕のように首が短い(ほとんどない)人間は使わない時は首から外してポケットやバッグに引っ掛ける、さもなくばスピーカーで顎を挟むという不恰好な姿で歩くしかない。ファッションアイテムとして首にかけることを想定するなら人並みの長さの首を持っていることが条件となろう。

見ての通り、デザイン性、身につけた時のインパクト、共に文句なし、当然5351の服にもよく似合う。特にエレガントなスーツスタイル時にしっくりくる風貌のヘッドホンは他にそうないと思う。ボタンスイッチやピンなどの金具がさりげなくゴールドなのもマーシャルらしくてかっこいい。

あ!

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踏んでしまいました。そんなに高級なものではないけど、マックロマンス史上、最もしっくりくるサングラスでした。

KOTA IS BACK

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古巣のゴスバンド=クリスチャン・デスのツアーに30年ぶりに参加することになりました。経緯はバックナンバーをご覧ください。

本番まで2ヶ月しかありませんので準備をしなくてはなりません。まずは航空チケットの手配。その段階でパスポートが切れていることに気がつきます。

続いては機材。日本で使っている機材は持っていくのも大変だし、電圧の問題もあります。なので、現地で機材を買う(そしてたぶん帰国前に売り払う。)ことにします。国をまたいで数週間となるとレンタルよりは買った方がずっと安い。そして毎晩同じ機材を使えるというメリットもあります。オンラインで買って、向こうに住んでいる友人の家に置いておいてもらう手はずを整えます。

パスポートと航空チケットと機材があれば、まあ後はどうにでもなるでしょう。が、やらなくてはいけないことは山ほどある。

まずは名前を決めなくてはなりません。バンドに属していた時は「KOTA」が名称でしたので、そのままKOTAでもよい気もしたのですけど、DJとして参加するものですからやはり「MACROMANCE」は謳いたい。いくつか候補が出まして、結局シンプルに「KOTA A.K.A MACROMANCE」に落ち着きました。A.K.Aは as known asの略で、直訳すると「〜として知られる」つまり「マックロマンスとして知られているKOTA」ということになります。複数の名前を用途によって使い分けるヒップホップ系のアーティストがよく使っている手法です。

そしてアーティスト写真の撮影。バンドの方から「髭なしロン毛でよろしく」とのオーダーがありましたので、本当に久しぶりに髭を剃りました。そして30年ぶりの白塗りメイク。衣装は撮影のためにしつらえたのではなく、普段から気に入って着ているコムデギャルソンです。メイクひとつでここまで印象が変わるとは思いませんでした。

ちなみに撮影は今や湿板写真で世界的にも有名な和田高広さん。この写真の他にも今回の撮影でスーパーショットが生まれましたので、また折を見てご紹介いたします。

つづく

 

 

凱旋する

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ごめんなさい。まず謝罪。前回、ヨーロッパにはもう行かないと宣言しましたが、やっぱり行くことになりました。交渉ごとが本当に苦手でね。途中でめんどくさくなって放り出そうとしたら、逆にこっちの条件が通ってしまったというね。今度は断るのがめんどくさくなって、行くことにしましたわ。めんどくさいことを回避するために、よりめんどくさいことをやるわけだ。

なわけで、改めまして、古巣=クリスチャン・デスのヨーロッパツアー「Behind a Veil Tour 2019」に サポートメンバーとして参加することが決定しました。担当はDJとベースです。バンドを辞めてからちょうど30年ぶりの復帰。5月の後半にイギリスをスタートしてイタリア、クロアチア、ドイツ、フランス、オランダなどヨーロッパ20都市ぐらいをひと月で回ります。まだ正式にアナウンスされてないので、まさかの中止もあるかも知れませんが、とりあえず航空チケットは予約済み。

詳しいことはまたここに書きますね。ひとまずご報告です。

写真(銀座ドーバーストリートマーケットで撮影)と本文は関係ありませんが、衣装はたぶんコムデギャルソンでいくと思います。

凱旋しない

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僕が80年代にイギリスでゴスバンドに所属してベーシストとして活動していたことはこのブログでも話題にしてきた。長い人生において人に自慢できるようなことが他にないので、自分のことを話そうとするとどうしてもその話題になる。

メンバーを変えながらも現在も活動しているそのバンドがこの初夏にヨーロッパツアーを敢行するそうで、それに僕がDJとして参加するという話が突然浮上してきた。願ってもない海外デビューの機会である。

昨年、闘病を押して来日した盟友カム・キャンベルとの再会において、ヨーロッパ、特にロンドンへの凱旋は僕がどうしても果たしたい夢のひとつになった。何の成功を収めずに「凱旋」とはおこがましい、と怒られそうだが、さして華々しいものではないにしても、この難しい時代にこの年齢まで五体満足で生きて来られたことがすでに成功だと僕は思う。

そんな中、コムデギャルソンがパリコレで「ゴス」をテーマにしたコレクションを発表したというニュースが入ってきた。時代が僕を後押ししてくれているような気すらする。何ごとにも悲観的な僕としてはめずらしく前向きハイ。果たしてこのような状況が続くだろうか。

続くわけないよね。僕は恐ろしくネガティブな生き物なのだ。結論から言えば、今回のツアー参加の道はほぼ閉ざされたと思う。条件面で折り合いが合わず、交渉するのが途中でめんどくさくなって、こちらからフェードアウトした。どうせならライブにも参加してベースを弾いてくれ、みたいな話も飛び出して、何だかもうめちゃくちゃ。思えばこのブログでも前回「もうベースは弾かない」と宣言したばかりである。

写真と本文はほとんど関係ない、が、全く何も関係ないかと言えばそうでもないかも知れない。

確定申告

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確定申告のシーズンですね。僕は税務上はいちおう個人で複数のビジネスを持つ個人事業主ということになっています。DJのギャラは昨年申告分までは「副収入」として他のビジネスの決算に算入していたのですが、昨年は1年分をまとめるとけっこうな額になり、税理士のアドバイスもあって、今回から別枠で決算書を作ることになりました。事実上の新規開業、つまり法的にも職業=DJということになります。DJになるために免許や資格は必要なく、開業は誰でもできることなので、特に素晴らしいニュースでもないのですけど、やはり何だか嬉しいものですね。ちなみに屋号は「マックロマンス」としました。これの意味するところは自分的には奥深いものがありますが、その説明はまた別の機会に。

Photo by YUSUKE SATO

渋谷駅で海をばらまく

IMG_4880.jpegフレグランス:CHANEL/PARIS-BIARRITZ

このブログを毎回読んでいるマニアの方はあれ?と思ったかも知れません。昨年買ったのと同じフレグランス。 気に入って毎日つけたとしても半年でなくなるはずはありません。実は先日、渋谷駅の構内で落として割ってしまったんです。フレグランスを持ち歩くという行動が野暮であることは重々承知しているのですが、DJでロングセットの時、後半のダレる時間帯に香りがあると集中力が戻ってくるんですよね。どんな香水でも最初のトーンのインパクトは強力ですが、特にこのシャネルはつけた瞬間に「海」を感じます。

最近はこの数ヶ月で2回ほど車に傷をつけてしまったり、先日の靴のソール全張り替えもそうなんですけど、新しいモノを買うのではなく、すでに持っているモノをニュートラル状態に戻すためにお金を使っていることが多いような気がします。(CDで持ってるアルバムをレコードで買い直したりもそうですね。)

何だろう、深層心理では、この人生では「もう新しいものはいらない。」と思っているのかも知れません。いらないけど「お金を使う」という気持ちの良いドラッグはやめたくなくて、それでわざわざ持ってるものを壊しちゃうというね。

なわけで2月1日の夕方、東急渋谷駅の東横線と半蔵門線の間の通路で海のことを思い出した人がいたら、ごめんなさい、それは私のせいです。

 

 

MOVIE VIEW

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1965年に生まれた。

イギリスにおいてはThe Who のMy Generation、The Rolling Stonesの(I Can’t Get No)Satisfactionの年で、我々の属する社会においてはこの年を「文化元年」と断定してもよいぐらい、新世代の幕開けを象徴するような年号だと言えよう。

その当時のロンドンを、自らが新世代のメンバーのひとりだった俳優マイケルケインのナビゲートで、残された映像やインタビューで振り返るという映画。何となく見聞きして知っている話ではあるが、こうやって改めてまとめたものを見ると、やはり血が騒ぐ。同時に、自分自身がそこには属さぬ部外者であることを再確認して沈む。

1965年生まれの「マイ・ジェネレーション」たちの青春は、大学生の分際でオープンカーを乗り回し、似合いもしないジャンポールゴルチエを着て、夜は六本木、冬はスキー、女たちはボディコン、音楽はユーロビートというおぞましいものだった。当然そこに自分の居場所はなかった。

1965年、東京。時代と場所を間違えて生まれた。

靴日記

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靴日記。記録を見ると一年半ぶりの更新らしい。パトリックコックスだのトリッカーズだの、がんばってイギリス製の靴を履いていたが、ふとしたきっかけでリーガルに足を突っ込んでみたところ、靴ばかりは日本製がしっくりくるということに気がついたのが2年前。しかし、やはりリーガルオリジナルのゴムソールはデザインが悪く、履いていて気分が上がらなかった。で、今般、思い切ってヴィヴラムソールに張り替えてみたわけだ。ごらんのとおりアーバン・アウトドアな仕上がり。日常生活で革底の靴を履くようなフォーマルな場に足を運ぶことはほとんどないし、そういう靴は他にも持ってるので、これは普段履きとしてガンガン使い倒そうと思う。散歩が楽しみだ。

DJ info

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さておき2019年も青山から始動です。

納品 

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この夏から男服 5351 POUR LES HOMMESのショップミュージック(店の中で流れているBGM)を担当させてもらっている。その流れで2019 S/Sの展示会、会期中の音楽も作ることになった。ブランドの方向性を顧客に提示する場に流れる音楽だ。非常に重要な役割で、光栄であると同時にプレッシャーもある。

デザイナーから新シーズンのテーマ、キーワード、イメージ画像がデータで送られてきたのが10日前。まずはその意図をよく理解するところからスタートする。最初は何の音も聴こえてこない。大丈夫、まだ時間はある。

選曲集を作るときは最初の1曲が見つかるまでにいちばん時間がかかる。うまく説明できないのだけれど、それは最初から決まっているような気がする。どこにあるかはわからない。でも「ある」ことはわかっている。宝探しというよりは、どこにしまったか忘れてしまったものを探す感覚に近い。

やみくもに曲を聴きまくっていて見つかることもある。ラジオやSNSで偶然見つけることもある。多くの場合、それは突然やってくる。頭の中で音が鳴り出すのだ。

何も起こらずに数日が過ぎる。その間にもDJをやったり、サーフィンに行ったり、他にも用があってこちらには取りかかれない。音もまだ聴こえてこない。ただ、受け取ったビジュアルイメージが少しずつ動き始めている感覚がある。写真がスライドショーになり、ムービーとなってストーリーを語り始める。

6日め。ギターの音が聴こえる。はしっこを捕まえてたぐりよせる。「何だ、君か。」

レコードの棚からそいつを取り出してターンテーブルに置く。針を落とす。間違いない。コイツだ。残り3日。

翌日。別の音が鳴り始める。急遽、曲を集めて配列を考え、DJブースに立って一挙につなげる。おごそかで神聖なムードのミックスができあがる。いわゆるクリスマスソングは1曲も入ってないがこのシーズンの空気によく馴染むであろう。

その夜、やっと展示会用の曲を集めはじめる。この時点でイメージはすでに固まっているので、作業は難航することなく進む。雨が降っている。あと2日。

その次の日はサーフィンに行く。ドライブしながらクリスマスミックスを聴き、集めた素材を聴く。海に入った後は特によく音楽が体に浸透してくる。

納品日。いい感じでベッドから出る。午前中は整骨院、午後は歯医者。帰宅してから作業開始する。パソコンに取り込んだ音源をチェックしながら配置を決めてゆく。30ほどの候補曲を最終的には20曲ぐらいまで絞り込む。それらを今度はDJミックスのソフトに取り込む。ファッションブランドのイベントで流れる音楽が、8畳の和室のこたつの上で編集されているとは誰も知るまい。

パソコンを持ってDJブースまで移動し、配線を整えてレコーディングのセッティングをする。キッチンでコーヒーを入れ気分を落ち着かせると同時に高揚させる。

1曲めを放つ。実は最初に見つけたのとは違う曲だ。3日前はその存在すらも知らなかった。今は私の血と同期している。

選曲集とはいえ、ライブでDJしているのと全く同じ手法でレコーディングする。同じミックスでもスタジオで何度もこねくり回したものとは臨場感が違う。旋律はすべて私の体を通りまた新たな記号となってハードディスクに書き込まれていく。私は踊る。踊る。踊る。

およそ70分。最後の曲がフェードアウトして終わる。エピローグ用のダイアログ(映画のサントラからサンプルした。)を滑り込ませる時に操作ミスが起きて数秒のタイムラグができてしまう。おそらく問題なかろう。いやむしろ有効だったかも知れない。いずれにしてもやり直しをする気力は残っていない。時間もない。本物の一発録りだ。

ひどく体力を消耗しているのを感じる。に反して心の方は晴れ晴れとしている。ハードディスクの音源をCDに焼く。冬の格好をして車に乗り込む。また雨が降っている。

展示会の会場に納品しに行く。現場はディスプレーの作業が半分ぐらい終わったというところか。さっそくできたばかりのミックスを流してみるが、それがいいのか悪いのか、もう自分では判断できない。まあ「こりゃダメだよ。」となっても今更どうにもできない。何か不具合があれば連絡ください。本日中ならまだやり直しもできるので。と告げて会場を後にする。(実際はやりなおせと言われてもたぶんもう何もできない。)

一晩たって何も連絡がなかったから、おそらく合格だったのだと思う。何にしても気分はよい。今日は朝から晴れている。

 

 

 

 

パーティーレポート

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表参道の高級時計店ISHIDAのリニューアルパーティーでDJ。セレブリティが集まるファッションやジュエリーブランド関連のイベントにはバーテンダー時代、よくケータリングサービスで参加させてもらっていたが、私のDJ活動もようやくその域に足を踏み入れつつあるようで、何だか心がザワザワする。

この夜のスペシャルゲストがマジシャン=魔耶一星さん。機材のセッティング位置の関係で、急遽、私が音響のオペレーションを担当することになった。本番30分前に進行表を渡され、演出のキャプションを受けるが、想定外の事態に頭はパニック状態、言葉も何も入ってこない。

まあこういう時は、何を考えてもどうにかなるものではない。私は腹を決め、すべてを流れに委ねることにした。思考を止めて、真剣な顔つきで台本に目をやり、キャプションを真面目に聞いているふりだけをして場をやりすごし、頭の中を真っ白にしたまま本番に挑んだわけだ。

終わってみれば何のことはない。結果は大成功だった。アシスタントの方のナビゲーションが素晴らしかったし、進行表の時点で成功することはほぼ確約されていたと思う。(僕ではない誰か他の人がやっても同じようにうまくいっただろう。)

それにしても魔耶一星さんのマジックはすごかった。冒頭に何もないところからボーリングの玉が飛び出してきて、あまりのショックに今でも少しトラウマが残っている。

音響を担当したことで、マジックの演出の内側もちょっとだけ覗くことができた。野暮になるからこれ以上は何も言わないが、彼(ら)の技術が厳しい訓練の上に成り立っていることは間違いない。人前に立って芸を披露するということの重みを思い知らされた。

+ + +

これまでにいろいろなものごとにチャレンジしてきたが、気がつけばいつも、宴の裏方のようなことをやっている。自分が望んでそうなっているわけではないから、おそらく宿命のようなものなのだろう。

腕にはめたオメガは5年ほど前に友人からタダ同然で譲ってもらった。日常生活ではほとんど時計を使わないが、こういう時に役に立つ。

Photographed by Yusuke Sato