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サーフィン日記

強風がひゅうひゅうと上空を渦巻いていた。雨戸が揺れ、どこかで物が倒れる音がした。ベッドから出るのに勇気のいる朝だった。今日はサーフィンはダメだなと思った。カフェオレをいれ、焼いたトーストにジャムを塗って、途中まで観た映画にチャンネルを合わせた。ちょうど主人公が悪の巣窟に喧嘩を売りに行くシーンだった。ポールダンサーが胸もあらわに踊っている姿が映し出されるのを見てスイッチを消した。娘たちがいつ2階から降りてくるかも知れない。学校も仕事も休みなのだ。

予報を見ると、嵐のような風にもかかわらず、海のコンディションは悪くなさそうだった。そこそこのうねりがあり、穏やかな北風で面が乱されることもないとあった。

9.5フィートのシングルフィンを車に積んで出発した。セブンイレブンに寄ったら大きいサイズのペットボトルのミネラルウォーターが全て売り切れだった。500mlのを2本とバナナとコーヒーを買って高速道路に乗った。相変わらず風は強かったが空は快晴で気温も20度近くあった。もし波がなかったらビーチで日光浴すればよかろう。

高速道路の車線規制の影響で少し渋滞があった。ふと、制作中のトラックに叫び声のSEが欲しかったことを思い出し、録音するにはちょうどよい環境であることに気がついた。スタジオに入るほどの大仕事ではないが、自宅で叫んだらきっと通報される。録音の機会がなくて先送りになっていたのだ。

狂人のように雄叫びを上げ、その様子をiPhoneで録音した。心拍が早くなり、体温が上昇するのを感じた。パーカーの中に着込んだ下着にうっすらと汗が滲むのがわかった。

駐車場で準備をしていると、後からやってきた同い年ぐらいのサーファーがブーツは必要かと聞いてきた。私は末端冷え性なので(普通ならいらないと思います。)と答えておいた。日常生活の中で見知らぬ他人に声をかけられることはまずないが、海の近くではよく話しかけられる。

予報通り、風はさほど強くはなかった。天気のよい春の海日和だった。水はまだ冷たかったけど手袋が必要なほどでもない。ただ北風というのは嘘で完全なオンショアだった。おそらくこの時間帯までコンディションが良かったのだろう、けっこうな数のサーファーが海に浮かんでいた。なるべく人の少ないところから入ったらカレントがあってあっというまに沖に出た。オンショアの影響で押しつぶされたぐちゃぐちゃの波ばかりだったが、とりあえず来たやつを捕まえたらぐちゃぐちゃのまま波打ちぎわまで連れて行ってもらえた、乗った波はプルアウトせず最後まで丁寧に、砂浜にフィンが突き刺さるまで乗る、が信条のひとつ。友人の受け売りだがそれがかっこいいと自分では思っている。

こんにちは。目があったサーファーと挨拶を交わす。日常生活の中で目があった人に挨拶する習慣はないし、だいたい街では誰も私と目をあわさない。

コンディションはどんどん悪くなり、風も流れも出て、浮いているだけでもしんどくなってきた。サーファーがどんどん上がっていくのでスペースはできるが、肝心の波がないではどうしようもない。

ボードを浜に上げ、いい感じに転がっていた石に腰かけ、ビニール袋に入れて持ってきたバナナを食べた。波にあぶれたサーファーたち、手を繋いで歩く若い恋人たち、平日にはめずらしい家族連れの姿もちらほら見えた。

目を閉じるとオレンジ色だった。波や風の音を感じながら黒点が泳ぐのを追いかけ、しばし「何も考えない」ことに集中した。不安や恐怖や虚無がかわるがわるやってくるのを跳ね除けているうちにペンギンにたどり着いた。無の象徴をピクチャーするにペンギンはあまりにも実在的すぎたが、それでもわけのわからぬ恐怖に取り憑かれるよりはずっとマシだった。2羽のペンギンはしばらく宙に浮かんでゆらゆらしていたが、やがてオレンジ色に飲み込まれ、そのオレンジも次第に色褪せ、波の音だけが暗闇の中に残されてじゃぶじゃぶしていた。

目を覚ますと海の様相は一変していた。肩ぐらいのサイズの波が幾重にもなって押し寄せて、崩れ落ちた泡が波打ち際を白く彩っていた。誰かが放置したビーチボールが左からやってきて私を目の前を横切り、右の方に転がって行った。風が東に回ったようだった。どこに姿を隠していたのか、ショートボードのサーファー達が波のにおいを嗅ぎつけて、続々とビーチに集まり始めていた。

外から見ているよりも波は大きく、休む暇なくやってくるので、海に出るのに難儀した。目の前を、長身でバケツハットをかぶったサーファーが、上手に波とやりくりして、ニーパドルであっという間に沖に出て行った。前にも見たことがあるサーファーだった。上手い奴は存在感が違う。それにその男はドイツ語を喋っていた。この辺の海でドイツ語を耳にすることはとても珍しい。

東からの風を押し除けるぐらいパワーのある波だった。ほとんどパドルせずに波に押されるようにテイクオフして、削るように斜面を滑る。バランスを崩して振り落とされたところに別の波がやってきた。そのまま乗って岸まで行った。苦労して沖に戻ったらサーファーの数が3倍ぐらいに増えていた。内側にもショートの連中がたむろし始めていた。渋滞のエリアを諦め横にそれたエリアの少し内側にポジションを取り、小さめの波と戯れることにした。

狙いをつけた波に左からやってくるサーファーが視界に入った。距離はあったが流したところ、男が笑顔をよこしながら滑っていった。フィニッシュした後に男が振り返ってまた笑った。しつこいようだが、街で私に笑顔をよこす人間はいない。

良い状態は長くは続かなかった。波は突然なくなって、風に煽られたぐちゃぐちゃ状態に戻っていた。空を見上げるとナマコのような形をした邪悪な黒い雲が東から押し寄せてくるのが見えた。雲から飛び降りるように雨が降り落ちている様子も見て取れた。思い残すことはない。潔くリーシュを外し、深くお辞儀をして海を後にした。

着替えを済ませて駐車場を出たら先ほどの黒い雲はすっかり姿を消していた。波もまた少し良くなっているように見えた。

となりのビーチまで車を走らせ、以前に行ったことのあるカフェに足を運んでみた。混雑していたらやめようと思っていたが、幸いお客の姿はなかった。テーブル4台ぐらいの小さな店で、いつもウクレレ音楽が静かに流れている。無口で少々人相の悪い店主(どこからどう見てもサーファーだ。)が、美味しいパンを焼き、コーヒーをいれてくれる。開け放たれたドアから柔らかな風がそろりそろりと入ってきていた。吊るされたハワイの木の風鈴が揺れてポコポコと可愛らしい音を奏でていた。

ベジタブルバーガーを口に放り込んでむしゃむしゃやっていると、母と娘の親子連れがやってきた。母親は40ぐらい。娘の方は小学生高学年といったところか。娘はアイスティーを注文し、慣れた感じで席を取り、リュックサックからノートや文房具を取り出して宿題か何か勉強を始めた。母親は何も注文せずに行ってきまーすと言って店を出ていってしまった。出ぎわに私の方を見てちょっと笑ったような気がしたが、一瞬のことで反応できなかった。人に笑顔をもらうことに慣れていないのだ。

母親がサーフィンをしている間、娘は宿題をして待っているということなのだろう。女の子にお小遣いをあげたいような気持ちになったが、もちろんそんなことはせずに黙ってバーガーを食べ、コーヒー飲み、デザートにイチゴと生クリームの乗ったデニッシュを食べ、勘定を支払って店を出た。ごちそうさま。

駐車場に戻ると、隣に停めた車がちょうど出るところだった。私のと同じ古いホンダの車だった。同じ車なんて珍しいよねえ。と男がわざわざウインドーを開けて話しかけてきた。そうですね。と、出来る限りの笑顔を作って答えた。もう27万キロ走ったよ。と男が言った。そりゃすごいですね。僕の倍だ。と答えた。我々のホンダは中途半端にオフロードなデザインが受けず、あまり売れないうちに製造中止になったモデルで、確かに海で見かけることはほとんどない。弟が車を買い替える時にくれたのをもう5年ぐらい乗り続けている。このぶんだとあと5年ぐらいは乗れそうだ。

都心に近づくにつれ、また風が強くなってきた。おそらく東京は強風に翻弄される1日だったのだろう。得したような気もしたが、少し申し訳ないような気分でもあった。日に焼けた顔や首の皮膚が心地よくヒリヒリしていた。

キダオレ日記(春コート)

コート:JUNYA WATANABE MAN

パリのファッションウィークのレビュー記事を見て、このコートを手に入れたいと思った。シーズンが開けて早速、六本木ヒルズのストアを訪れたが、入荷されておらず。クルーの方が調べてくれたところ、国内には広島と丸の内、にそれぞれ一着のみの入荷だと判明した。しかも僕の適正サイズであるXSは丸の内店のみ。その足で同店を訪れ、即決で購入した。

物欲がどんどんなっていく中で、コム・デ・ギャルソンの服だけが僕を魅了し続ける。コムデに袖を通す時、僕は「愛されている」と感じる。他のブランドの服ではあまり得ることのない感覚だが、BLACKを着ても、HOMME PLUSを着ても、JUNYAを着ても、コム・デ・ギャルソンにおいては同じように愛を感じる。

それは「作り手が着る者を思う気持ち」というような売り手買い手の間に芽生える美談的な安っぽい感情ではない。もっと壮大な、言わば「神の愛」である。サーフィンをやっている時に海から愛を感じることがあるが、体感としてはそれに一番近い。

以前、どこかで同じような話をしたら、先輩で友人のハリー山下に「ブランドは売上を上げたいだけで、マックロマンスはそれにうまく乗せられてるんだよ。」と身も蓋もないコメントをもらって、少し凹んだが、まあ正論ではあると思う。他人からはきっと宗教に狂信的にのめり込む猿のように見えるのだろう。

他方、コム・デ・ギャルソンもサーフィンもなかったら、おそらく僕の生活はもっと苦悩に満ちたものになったと思う。それ(つまり安らぎである。)を提供してくれているチームに「売上」という形で貢献できるのであれば、それは本望でだ。

やれやれ、たかがコート買ったぐらいで大騒ぎしすぎだな。嬉しいのである。

映画鑑賞記 ”ドルフィン・マン”

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自分の方は特に何も悪いことはしていないはずなのにちょくちょく理不尽な扱いを受けたり、トラブルに巻き込まれたりする。そこまで大きな問題に発展せずとも、何だか自分だけ損をしながら生きているような気がする。そういうのは全て前世での行いが悪かったから今になって罰を受けているのだそうだ。前世の自分が何でどんな生き方をしていたか知る術もないが、よほどの悪事を働いていたらしい。何だかフェアじゃない気もするが、受け入れるべきは受け入れるしかなかろう。

映画館を訪れると、どういうわけか前の席の客の座高が高い。あるいはテンガロンハットをかぶっている。もしくは巨大なアフロヘアーだったりする。それだけでもまあまあ前世を恨むが、きのうの客は身長190センチぐらいある巨漢の上に、館内でビへイブが非常に悪かった。すなわち映画に集中できずに何度もスマートフォンを取り出してはオンにして何やらチェックしている。しまいにはそれを落とし、でかい身体をシートの下に潜り込ませてもごもごやっている。分別のわからない若者ならいたしかたない部分もあろうが、年の頃、私たちと同年の中高年である。連れの女(おそらく妻だろう。)が、注意でもすれば良いものを、そんなそぶりもなく、やっと落ち着いた男の肩に頭を乗せて気持ちよく眠りに入りそうな始末である。

注意のひとつでもしようかとは思ったが、私は肝っ玉の小さい人間なので、仮に相手が下に出て謝罪したとしても、そのことばかりが気になってとても映画を楽しむことはできぬだろう。もし相手が強気に出た場合の被害については想像するだけで憂鬱になる。

そんなわけで60%ぐらいの感じの映画鑑賞だったが、まあ結論から言えばそれなりに楽しめた。

我々は25歳ぐらいでグランブルーに直撃された世代である。私が経営していた自由が丘のバーが南欧風のデザインだったり、店名がフランス語なのも、グランブルーの影響が大きい。私の友人には生まれた子供に「ENZO」と命名した者もいるぐらいだ。なわけで、海やイルカやダイビングに興味がなくてもジャックマイヨールのことはだいたい皆知っている。彼が日本に住んでいたことや、晩年、鬱病を患って自殺したことも、別段、新しいニュースではない。

それでもこの映画はやはりグランブルーでは語られなかったリアルなジャックマイヨールの素顔に迫っていると思った。グランブルーのファンタジーに酔いしれた私たちは、こちらも見なければならない義務がある。

そんなことを想定したかどうかは知らないが、ナレーションをジャン=マルクバールが担当している。「私」と一人称を使い、ジャックマイヨール自身に成り代わってストーリーを紹介していく。役者としては他にそこまで大きな成功を収めた記憶はないが、グランブルーに関して言えば彼以外に適役はいなかったと思う。

70にもなって自死するって、どんな感じなんだろう。よほど前向きでパワフルな人間じゃないと死ぬ気も起きないような気がする。

死ぬ少し前にジャックマイヨールが雑誌のインタビューに答えているのを読んだことがある。リュックベッソンに映画についてイチャモンをつけている内容で(自分を映画に出せばよかったとか言ってたと思う。)カリスマにのくせにちっちゃいことばっかり言っていてまあまあかっこ悪かった。個人的にはそういうところに好感を持ってしまう。いいじゃんね。人間らしくって。

キダオレ日記:タオル

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タオル:5351 POUR LES HOMMES

多汗症である。非常にめんどくさい。特に冬場が困る。寒さの中でも少し運動などしようものなら体の芯が燃えて汗が噴き出すのである。僕の通うキックボクシングジムがある大岡山商店街をよく歩く人なら、木枯らしが吹く真冬の夜にノースリーブに半ズボン姿で寒さにぶるぶる震えつつ噴き出す汗をタオルで拭きながら歩く僕の姿を見かけたことがあるかも知れない。

汗かきってことはつまり、体から常に蒸気を放出しているわけだ。例えばスキーに行った時、ちょっと滑っただけで発汗しゴーグルが真っ白に曇って使い物にならなくなる。もちろんゴーグルには空気孔が開けられているのだけど、これが何の役にも立たない。

僕は戦闘機のパイロットには絶対なれないだろう。ヘルメットの内部が汗で曇って前が見えないでは敵に撃ち落とされる前に墜落して終わりだ。

現在は研究も進み、多汗症にも様々な治療法があるらしい。しかしこれを受けるつもりは毛頭ない。寒かったりめんどうだったりするけれど、汗をかくのはやはり気持ちが良いのである。逆に治療で発汗を押さえ込んでしまった場合、体の中に放出できなかった汗がたまると思うと非常に気持ちが悪い。治療を受ければパイロットになれると言われても、やはり僕は汗かきのままでいたいと思う。

言いたいことは別にない。新しいショップ・ミュージックを納品に5351の代官山店に行ったら良さそうなタオルを見つけた。

*ちなみに:現在5351 POUR LES HOMMES 代官山フラッグシップショップではマックロマンスの新作DJクリスマスミックスが流れています。お買い物の際はぜひ耳を傾けてみてください。

偽善者の救い

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よくサーフィンに訪れる海で、初めてビーチクリーンしました。ゴミ袋持って行って、目に入ったプラスチックとかのゴミをひたすら集めるというやつ。集めたゴミはもちろん持って帰って処分します。

僕は偽善者だし、その行為も偽善的だし、僕がちょっとゴミを集めたぐらいで何の役にもなってないことはよくわかっているけれど、これね、やってみると本当に気持ちが良いです。清々しいとでも言えばいいのかな。いやもっと壮大な、うまく説明できなけれど、こんなピースフルな気持ちになったのはすごく久しぶりのことでした。fact.ゴミを拾って誰も救えないけれど、自分は救われる。

環境問題は本当に難しいと思うんだよね。究極に突き詰めると人間がこの世にいないのがいちばん、となると戦争とか虐殺とか、人が大量に死ぬことが肯定されてしまいます。「なるべく燃料を使わない。地元で作ったものを食べる」。みたいなことを熱く語る人の手にブラジル産のコーヒー。だったりね。矛盾とか、偽善とか、いろんな不穏な要素が付いてくる。いちばん楽なのは何も考えないことだけど、そういうわけにもいかないし、まあそれぞれが自分のできる範囲でできることに取り組む。ぐらいのことしか言えません。

僕のビーチクリーンはそういう「地球を救え」とか「海の声を聞け」のような大きな話ではなくて、もっと個人的な、例えば「ひとりカラオケで歌って気持ちいい。」みたいなものだと思います。偽善者呼ばわりされるのが怖くて、今までやったことがなかったけど、何のことはない。もっと前からやってればよかったと思いました。これで味をしめたので、これから街中とかでもいろんな偽善的行為やるかも。覚悟しろよ。

存在感の欠如

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電車や街で知り合いを見かける。こっちは100メートルも先から相手を認識しているのに、そちらは真横をすれ違ってもこちらの存在に気がつかず何だか悔しい。イベントの告知でフライヤーやSNSの記事などに名前を入れ忘れられる。一度や二度ではない。そっちから出演を依頼しておいて、そのことを忘れたわけだ。注文した料理が僕の分だけ運ばれて来ないということもよくある。みんながデザートを食べている時間帯にようやく届いたメイン料理をひとりでもぐもぐやっている姿を想像すると我ながら哀れだなと思う。

それもこれも要するに存在感の欠如が原因ということになろう。自分ではけっこう頑張っているつもり(赤いシャツを着たり、ロン毛を編み込んでみたり)なのだけど、存在感というのはもっと内面から湧き上がってくる類いのものであるらしく、まあ何をやっても他人からの印象は薄いようである。

人にどう思われるか?ということだけを念頭に、長い間生きて来たわけなのだけど、人からはどうも思われていない、目にも入っていないというのが、その答えで、こんなことなら他人の目など気にせずに自分の好きなことだけを追求し続ければよかったと思う。

ヨーロッパをぐるりと周ってみたところ、イタリアやドイツに僕のことを気にかけてくれる特殊な人種が存在することを知った。イギリスにも少し、ルーマニアやアメリカにもいるみたいで、彼らから届くメールやメッセージ(写真やビデオ、詩なんかも送られて来る。)に何度も目を通し、自分の存在を確認し、他人から承認されたいという欲求の足しにしている次第である。(自分という人間の存在を確認するのに他人の目が必要というのは奇妙なもんだな、なんて考えたりもする。)

きのう、都内を車で移動していたら、パトカーに停車を求められ、そのまま職務質問を受けた。警官が4人も出てきて、道路が渋滞していたこともあり、ちょっと周辺が騒然とした雰囲気になった。買い物中のおばちゃんとかこの時ばかりは地味な僕も他人からの視線を感じた。警官らが僕に何を求めていたのかは知らないが、少なくとも彼らの目に僕は「認識」されたわけだ。こんなにありがたいことはない。

職務質問を受けることって普通の人は人生で何回ぐらいあるんだろう?僕は数え切れないぐらいある。日常生活では全く存在感のない僕だけど、警察官の目にはちゃんとひとりの人間(あるいはそれ以上)として見えているようである。将来はイタリアかルーマニアのリゾート地にでも住んで、退役した警官をボディーガードに雇って暮らそうと思う。エルビスプレスリーの衣装みたいのを着て。

犬の目

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犬の目は色を識別することができず、すべてがモノトーンで見えていると聞いた。最近では、実は色が見えているという人もいて、何が本当かはわからないが、この世界の中にモノトーン(に見える)エリアがあるのは事実であるようだ。

サーフィンの帰りなどに田舎の道をドライブしていて、白黒だけで彩られた墨絵のような景色に遭遇することがある。徐々に光が失われていく物悲しい時間帯で、以前はあまり好きではなかったが、ある時期から一転してマジックアワーの、特に後半を好むようになった。暗闇の後に必ず朝が現れることを長い時間をかけて学んだのだろうと自分では思っている。思考のスピードが遅いのでモノを理解するのに時間を要するんだ。

花屋でDJさせていただく機会を得た。友人のフォトグラファーが撮影した花の写真を何となくモノトーンに加工してみたら、その美しさに息を呑んだ。犬たちの目には花がこんな風に見えているのかと思うと少し羨ましく感じる。淡い青のブルースターとか、微妙なピンクのバラとか、全てが灰色に見えてしまうのは、残念な気もするけれど。

30年ほど前に東ヨーロッパのどこかの国を訪れた時、街全体がどんよりと、建物も空も人も酒場も煙草も、何もかもがモノトーンに見えたのを記憶している。その時の自分に、後に壁が崩壊して、街に光が、色が戻ってくることを想像する力があったなら、その暗い白黒の世界をもっと美しいものとして捉えることができたかも知れない。

 

 

コーヒー

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海から上がり、ひととおりの儀式を済ませる。すなわち、用意してきたタンクのお湯(冬場には水になっていることもある)をかぶり、ウェットスーツを脱ぎ去り、用意してきたスウェットやTシャツに着替え、フィンやリーシュコードなどの道具をボックスにしまい、ボードの砂を落として車のルーフに取り付け、普通ならこれで、後は車のエンジンをスタートさせて帰路に向かうだけなのだが、しばらくその場に留まって海の余韻に浸るのも、行動様式の中に含まれている。

となると、やはりコーヒーが欲しい。

で、簡易的な湯沸しのツールを揃えて常備するようになった。コーヒー豆はあらかじめ自宅で挽いて専用の瓶に入れて持参する。折りたたみ式のドリッパーも手に入れた。少しの面倒がかえって楽しみをもたらす。風をもろともせずゴオと音を立てて燃える火、ぶくぶくと湧き上がってくるあぶく。落とした湯に弾けるコーヒーの粉。立ち上がる燻し香が海のにおいと混ざる。できあがったコーヒーをチタン製のマグカップに注ぐ。湯気、波の音、チリチリする肌。海を前にして飲むコーヒーは本当に旨い。

帰り道、海ほたるの渋滞にはまったあたりで、ふと、飲み終わったあとのマグカップを置きっぱなしにしてきてしまったことに気がついた。うむ。ということは当然、他のツールもそっくりそのまま海にある。

数ヶ月後、コールマンのアウトレットショップでようやく小型ストーブを入手した。コンビニで売っている真空パック入りのコーヒーを持って海に行ったが、何故か湯を沸かしてを飲む気にはならなかった。

呪いの突き指

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今年はどうも正月に母親から発表された呪いの占い「何をやってもうまくいかない。」が頭の片隅にくっついて離れないようである。もともとからネガティブな性格で、良い占いだと「そんな素晴らしいことが自分に起こるわけがない。」と結果を跳ね除けるくせに、悪い方は心の底から信じて受け入れてしまうのだ。そんな悲観的な性格の自分を本当に恨んでいるが、53年そうやって生きてきて、今さら楽天的で前向きな性格に生まれ変われるとは思わない。残りの人生も悪い予言だけを信じ、呪われ、死んだ後は地獄に落ちるのだろう。

さて、きのうサーフィンに行った際、ボードで突き指をしてしまった。折れてはいないが指と手がかなり腫れている。幸い、ターンテーブルなどDJ機材の扱い、パソコンのキーボードの操作、車の運転など、日常生活には大きな影響はなさそうだ。やれやれ、自分がピアニストや外科医でなくてよかった。と、必要もないような安心をしたところで、ふと、前回このブログで「音楽の新しい表現方法を発見した」と息巻いておったことを思い出した。

弾けないのである。この指では到底ベースは弾けない。他のことはだいたい何でもできるのに、ベースだけは弾けない。

要するに神は私に「ベースを弾くなんて考えは捨ててしまえ。」と言っているのだな。少なくとも私はそう解釈した。わかりました。弾きませんよ。弾きません。もう金輪際弾かねえわ。

まあものすごくポジティブに捉えるのであれば、これは「レコードだけで勝負しなさい。」というメッセージだと取れなくもない。事実、今朝、ターンテーブルの前に立っていくつかの曲を繋いでみたが、あまりにも素晴らしすぎて自分で感動してしまった。もしかしたら私は天才かも知れない。

とまあこのように、クリエーションに(そして生き方)については、毎日のように考えがコロコロ変わる。あれこれ考えて結局は何もやらない。というのを何万回と繰り返してきた。今回もきっと同じになるだろう。この後も悪い予言だけを信じ、呪われ、死んだ後は地獄に落ちるのだろう。

*写真と本文はあまり関係ないかも。

渋谷駅で海をばらまく

IMG_4880.jpegフレグランス:CHANEL/PARIS-BIARRITZ

このブログを毎回読んでいるマニアの方はあれ?と思ったかも知れません。昨年買ったのと同じフレグランス。 気に入って毎日つけたとしても半年でなくなるはずはありません。実は先日、渋谷駅の構内で落として割ってしまったんです。フレグランスを持ち歩くという行動が野暮であることは重々承知しているのですが、DJでロングセットの時、後半のダレる時間帯に香りがあると集中力が戻ってくるんですよね。どんな香水でも最初のトーンのインパクトは強力ですが、特にこのシャネルはつけた瞬間に「海」を感じます。

最近はこの数ヶ月で2回ほど車に傷をつけてしまったり、先日の靴のソール全張り替えもそうなんですけど、新しいモノを買うのではなく、すでに持っているモノをニュートラル状態に戻すためにお金を使っていることが多いような気がします。(CDで持ってるアルバムをレコードで買い直したりもそうですね。)

何だろう、深層心理では、この人生では「もう新しいものはいらない。」と思っているのかも知れません。いらないけど「お金を使う」という気持ちの良いドラッグはやめたくなくて、それでわざわざ持ってるものを壊しちゃうというね。

なわけで2月1日の夕方、東急渋谷駅の東横線と半蔵門線の間の通路で海のことを思い出した人がいたら、ごめんなさい、それは私のせいです。

 

 

コウモリラン

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コウモリラン。いくつか枯らしてしまったものもあるが七株残って、まずまず機嫌よく成長している。

植物は眺めているだけで心が和む、特にコウモリランは特別で、踊り狂う女たちの手のように思い思いの方向に咲き広がる葉、太陽の光に透けて見える美しい葉脈、丸っこくて可愛らしい貯水葉など、ずっと見続けていても飽きることがない。

水のやりすぎが枯らしてしまう原因のひとつと知り、水やりのタイミングは注意するようにしている。株によって二週間ほど放ったらかしにする時もあるが、このところ水が欲しいサインが何となくわかるようになってきた。

同様に、愛情を与えすぎるのも良くないかと考え、この胸の内を悟られないように演技しながら対応している。たぶんバレてると思うが。

自然界では他の木や岩石などに着生して成長するらしい。インターネットなどで情報を集め、見よう見まねで、流木(サーフィンに行った時に拾ってきた)や庭木の端材などにくっつけてみたら、なるほど植木鉢に入っている時よりも気分が良さそうに見える。私が死んだらぜひとも彼女たちを私の屍体に着生させてもらいたいものだ。(遺言に書いておこう。)何なら生きたまま一体化してみたいぐらいだが、はたして。

Music : “Why Can’t We Live Together” / Timmy Thomas

 

2019年

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年明けの占いで「今年の運勢は真っ黒。何をやってもうまくいかない。」と出た。別に占いを信じて自分の行動を決めているわけではないが、年初からやる気を削がれたので、今年は何もしないことにした。DJにおいては今年こそ海外ツアーを、アルバムでも作って、その発表会を。みたいなことを目論んでいたが、それも全部やめた。サーフィンでもやりながら来年が来るのを静かに待とうと思う。予言が当たれば、サーフィンをやってもどうせうまくはいかないのだろうが、うまくいかなくても面白いのがサーフィンなんだよね。

あ、あけましておめでとうございます。

納品 

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この夏から男服 5351 POUR LES HOMMESのショップミュージック(店の中で流れているBGM)を担当させてもらっている。その流れで2019 S/Sの展示会、会期中の音楽も作ることになった。ブランドの方向性を顧客に提示する場に流れる音楽だ。非常に重要な役割で、光栄であると同時にプレッシャーもある。

デザイナーから新シーズンのテーマ、キーワード、イメージ画像がデータで送られてきたのが10日前。まずはその意図をよく理解するところからスタートする。最初は何の音も聴こえてこない。大丈夫、まだ時間はある。

選曲集を作るときは最初の1曲が見つかるまでにいちばん時間がかかる。うまく説明できないのだけれど、それは最初から決まっているような気がする。どこにあるかはわからない。でも「ある」ことはわかっている。宝探しというよりは、どこにしまったか忘れてしまったものを探す感覚に近い。

やみくもに曲を聴きまくっていて見つかることもある。ラジオやSNSで偶然見つけることもある。多くの場合、それは突然やってくる。頭の中で音が鳴り出すのだ。

何も起こらずに数日が過ぎる。その間にもDJをやったり、サーフィンに行ったり、他にも用があってこちらには取りかかれない。音もまだ聴こえてこない。ただ、受け取ったビジュアルイメージが少しずつ動き始めている感覚がある。写真がスライドショーになり、ムービーとなってストーリーを語り始める。

6日め。ギターの音が聴こえる。はしっこを捕まえてたぐりよせる。「何だ、君か。」

レコードの棚からそいつを取り出してターンテーブルに置く。針を落とす。間違いない。コイツだ。残り3日。

翌日。別の音が鳴り始める。急遽、曲を集めて配列を考え、DJブースに立って一挙につなげる。おごそかで神聖なムードのミックスができあがる。いわゆるクリスマスソングは1曲も入ってないがこのシーズンの空気によく馴染むであろう。

その夜、やっと展示会用の曲を集めはじめる。この時点でイメージはすでに固まっているので、作業は難航することなく進む。雨が降っている。あと2日。

その次の日はサーフィンに行く。ドライブしながらクリスマスミックスを聴き、集めた素材を聴く。海に入った後は特によく音楽が体に浸透してくる。

納品日。いい感じでベッドから出る。午前中は整骨院、午後は歯医者。帰宅してから作業開始する。パソコンに取り込んだ音源をチェックしながら配置を決めてゆく。30ほどの候補曲を最終的には20曲ぐらいまで絞り込む。それらを今度はDJミックスのソフトに取り込む。ファッションブランドのイベントで流れる音楽が、8畳の和室のこたつの上で編集されているとは誰も知るまい。

パソコンを持ってDJブースまで移動し、配線を整えてレコーディングのセッティングをする。キッチンでコーヒーを入れ気分を落ち着かせると同時に高揚させる。

1曲めを放つ。実は最初に見つけたのとは違う曲だ。3日前はその存在すらも知らなかった。今は私の血と同期している。

選曲集とはいえ、ライブでDJしているのと全く同じ手法でレコーディングする。同じミックスでもスタジオで何度もこねくり回したものとは臨場感が違う。旋律はすべて私の体を通りまた新たな記号となってハードディスクに書き込まれていく。私は踊る。踊る。踊る。

およそ70分。最後の曲がフェードアウトして終わる。エピローグ用のダイアログ(映画のサントラからサンプルした。)を滑り込ませる時に操作ミスが起きて数秒のタイムラグができてしまう。おそらく問題なかろう。いやむしろ有効だったかも知れない。いずれにしてもやり直しをする気力は残っていない。時間もない。本物の一発録りだ。

ひどく体力を消耗しているのを感じる。に反して心の方は晴れ晴れとしている。ハードディスクの音源をCDに焼く。冬の格好をして車に乗り込む。また雨が降っている。

展示会の会場に納品しに行く。現場はディスプレーの作業が半分ぐらい終わったというところか。さっそくできたばかりのミックスを流してみるが、それがいいのか悪いのか、もう自分では判断できない。まあ「こりゃダメだよ。」となっても今更どうにもできない。何か不具合があれば連絡ください。本日中ならまだやり直しもできるので。と告げて会場を後にする。(実際はやりなおせと言われてもたぶんもう何もできない。)

一晩たって何も連絡がなかったから、おそらく合格だったのだと思う。何にしても気分はよい。今日は朝から晴れている。

 

 

 

 

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イラストレーション:ナガイツトム

以前、若い頃にはあったはずの首が何故かいつのまにかなくなった。という話をしたが、今回はその、ないはずの首が痛いという話である。

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2018年の夏はほんとうによくDJをやった。8時間ノンストップのロングセットの後に2ラウンド目が待っているという過酷なDJ DAYを皮切りに休みなくあちこちに顔を出し、レコードをかけているうちに気がつくと夏が終わっていた。サーフィンや家族旅行なんかも返上して音楽演出に従事したわけだが、まあ好きでやってることで文句はない。ただし、楽しいことに副作用がつきものであるのは常で、すなわち首に痛みがやってきた。ヘッドホンを肩と片耳に挟んで首を曲げた姿勢を長時間続けたのが原因と思われる。

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最初はただの肩こり(首こり)とたかをくくり、時間が経てば治ると思っていたのだが、発症から数ヶ月経過してもよくなる様子はなく、むしろ痛みが頭や背中の方にまでひろがっていく感じがして、これはちゃんと診察してもらった方がよいと病院に行ってみた次第である。

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結果「頚椎症」と診断された。椎間板が摩り減り、変形した頚椎が神経を刺激しているのだそうだ。レントゲンを見ると、確かに頚椎と頚椎の間の隙間がなくなっている箇所があるのがわかる。

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これで冒頭の謎がとけた。私の首はなくなったのではなく、短くなっていたわけだ。首の骨は7個。つまり首と首の「間」は6箇所。仮に1箇所につき2ミリ短くなったとすると、全体で1センチ以上短くなっている計算になる。

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脊椎症の原因(つまり首が短くなった原因)は、DJで首を酷使したことよりも、加齢による影響の方が大きいとのことらしい。誰が何と言おうと(誰も何も言ってないが)私は着実に老化している。

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と、実は今朝、朝食の際に歯の詰め物がポロリと落ちた。歯の根っこが腐って持ちこたえられなくなったようだ。原因はいまさら聞かなくてももわかる。

コーヒーブレイク

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本屋をうろちょろしていたら、ふと「もしお金のために働かなくてもよいならあなたは何をしますか?」というコピー(うろおぼえなので正確ではないけれど、だいたいそんなだったと思います。)が目に入ってきました。おそらく「ベーシックインカム」がテーマの本だと思います。内容はともかく、頭の中で「そりゃあサーフィンだよなあ。」と即答。

よく考えてみたら僕は現在ほとんど働いておらず、つまりその本のコピーで謳われている「お金のために働かずに生活している人」そのものです。その気になれば毎日サーフィンに行くこともできますが、実際に海を訪れるのは多くても週に1度ぐらい。だいたい毎日、家から一歩も出ずにパソコンかiPhoneでツイッターなどを眺めているうちに日が暮れるという堕生活を何年も繰り返しています。

バリバリ働いている人はだいたい趣味、というか私生活の方も充実しているのではないかと僕は思います。僕のような本物の怠け者は、時間があっても自分の好きなことですらやらずに、ぼおっと何もしないことの方を選ぶんだわ。そんな自分のことをいつもとても残念に思っていますが、今更ライフスタイルを変えようとまでは思いません。

さておき、やっぱり海はいいなあ。いい波にのれた後のコーヒーは本当に美味しいです。せっかく時間があるんだから毎日行けばいいのにね。

Time

5年ぐらい前になろうか。友人に「恥ずかしながら腕時計を所有していないのだ。」という話をしたら、哀れに思ったのかオメガのスピードマスターをほとんどただみたいな値段で譲ってくれた。気に入って使っているが、服によっては似合わないケースもないではない。

新調するにあたって、少しポップなデザインのものがよいかと、あまり迷うことなく人生初のG-SHOCKオーナーになった。

さっそく腕につけて海に入ってみたが、海では時計を全く見ないことに気がついた。太陽の位置でだいたいの時間はわかるし、そもそも、そういう(時間といった)概念から解放されるために我々は海に入るのかも知れない。(と、書いてちょっとかっこつけすぎだよなと自分で思った。)

おそらくこれがこの人生最後のG-SHOCKということになろう。人が一生のうちにできることは以外と少ない。

 

キダオレ日記 赤ソックス

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目にしたら買ってしまう赤ソックス。これはサーフィン行く時とかのアウトドアなシーンで普通に使えるかな?

脱Patagoniaで何となくノースフェイスにシフトしつつある実用着。そんな中、屋内外で活躍していたダウンベストをキッチンで火に当ててしまいました。すごい香ばしい匂いがしたかと思ったら腹の部分から内臓が飛び出してくるみたいな勢いで羽毛がじゃぶじゃぶ出てきてキッチン内さながらメルヘンチックなスプラッタ映画。

頑丈なアウトドアのウェアが火に弱いということを身をもって知りました。ダウンベストの残骸はそのままゴミ箱行きでしたが、後になって、Patagoniaが商品のリペアにも力を入れていることを思い出しました。もしかしたら修繕できたのかな。

そんなわけで次のダウンベストをどのブランドものにするか、悩み中です。

 

ドリッパー

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携帯用のコーヒードリッパーを入手しました。折りたたみ式、専用のポーチも付いてご機嫌です。これで「海でコーヒー」用の道具集めコンプリート。

リーシュコード

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年をとってからサーフィンを始め、途中でやめてしまう理由のひとつに、やはり「他のサーファーの目」というのがあるようです。どんなに立派な人でも、海に入ったらヘタクソはクソなんでね。ぎこちない動きでみっともない姿を晒し、若い奴らに邪魔扱いされながらも、とにかく海に通わないことにはその先はなく、心が折れてしまう人がいるのは理解できます。

僕はもともとプライドのおそろしく低い人間なので、ちょっとやそっと人にバカにされたぐらいでへこたれることはありませんが、哲学かましてくる輩とはあまりつきあいたくないですね。「人間として成長しないとサーフィンはうまくならない。」みたいな。若造に言われたくねえわ。

まあ、そんなわけで、僕がサーフィンに行く時は、いかにして「オーラ」を消すか、というのはひとつのテーマであります。ヘタクソなくせにかっこばっかりは笑いの種なんでね。「いやいや、僕はど素人なんっす。人間としてもまだまだ未熟で、すいやせんっ。」という謙虚な空気感をまとう努力は怠らないようにしています。

服や持ち物も、あまりに洗練されているスタイルは避けます。適度に軽薄でいかにも素人っぽい雰囲気が狙い目。Ron Hermanなんかちょうどいいかもね。僕の知るかぎりでは本物のサーファーはRon Hermanで買い物していないと思います。

Ron Hermanを引っ張ってきたのはサザビーリーグという会社で、カフェ&雑貨の走りともいえる”Afternoon Tea”が象徴するように、以前からファッションと食、ライフスタイルをトータルで提案することに長けた大組織です。ファッション系のブランドが飲食に手を出してことごとく失敗する中、よいバランスを保ちながらずっと勝ち続けてきた唯一無二の存在。

Ron Hermanの登場には業界もけっこうびっくりしたのではないかしら。サザビーといえば、もともと英仏ヨーロッパ風のイメージを表に打ち出したブランド。それが何の前触れもなく突然カリフォルニア、しかもこれまでほとんどファッションとは無縁(失礼)だった「サーフィン」が主役です。

このような自らさえも裏切るようなムーブに、万人規模の従業員を抱える大会社がトライするという事態からは、僕ら平民も大いに学ぶべきと思います。月に向かって旅行しているところを「今から行き先、火星に変更するわ。」と言ってるような感じだったんじゃないかな。社内きっといろいろ大変だったでしょう。

ま、それとこれとは別の話ですけどね。どんなに火星が素晴らしいところだろうが、破れたTシャツに4万も5万も出せるわけもなく、今日はしれっとリーシュコードを購入しました。しつこいけれど、本物のサーファーは絶対Ron Hermanでリーシュコードを買わないと思います。カラーも軽薄なホワイトでいかにも素人っぽいでしょ?

ゴミ箱

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サーフィンとかアウトドアなシチュエーションに携帯式のゴミ箱があると便利かなと思っていたら、しっかり商品としてあるんですね。別に他の用途に使ってもよいのでしょうけど、いちおうゴミ用として売られていました。思いつくモノは何でも売ってる2017年。

写真はたたんだ状態、留め具を外すとビローンと伸びて高さ30cmぐらいになります。内部に小さな洗濯バサミみたいのが付いていて、ビニール袋などを固定できるようになっている。外に置きっ放しだと風に飛ばされてしまうので車内専用。思っていたほど便利でもないような気もします。そのうちこれそのものがゴミになっちゃったりして。

「ゴミ」は英語で”Dust”とか”Garbage”が一般的だと思うのですけど、イギリスでは”Rubbish”で、頻繁に会話に登場してくる単語だったと記憶しています。ゴミそのものを意図するよりも、気に入らない音楽とか映画とかを指して「あの曲はクソだ。」みたいな使い方をすることが多かったと思います。鋭利でスノッブなイギリス英語の発音で言われるとけっこうグサッときちゃうよね。

コーヒードリップポット

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海辺でコーヒー。というのをやってみたく、ツールを集めているところです。ガラクタだらけの我が家ですので、買い物しなくとも大抵のものはすでに持ってたりするんだよね。このポットも以前ダダティークで使っていたもの。たしかタカヒロというブランドの日本製、高くバリスタの指示を得ているモデルです。もともとはプロ用のツールだけど、昨今のコーヒーブームもあってか自由が丘あたりの雑貨屋などでも見かけるようになりました。けっこういいお値段しますけど、ものすごく使い勝手よく、ひとつ持ってればたぶん一生使えますので、コーヒー好きの方にはかなりオススメです。

アウトドア用ではないけれど、頑丈だし、直火オッケーだし、海で使うのに何の問題もないと思います。ちょっと使い込んだ感じもかっこいいでしょ?

で、次はドリッパーだな。

サーモカップ

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最近の買い物は先にイメージがあって、あとから現物がついてくるというパターンが多い気がします。その日一杯目のモーニングティーを車でいただく時のためのサーモカップをずっと探しまくっていたのですが、サイズや形状で納得のいくものになかなか出会えず、妥協してスタンレーのフタなしサーモタンブラーにしようかと思い始めていたところで、ほぼすべての条件を満たしたコイツを見つけました。ちょうどコーヒー一杯分というサイズがいいし、いかにもカリフォルニアっぽいデザインも、まあこのカラーなら許されるんじゃないかと。

肉体改造

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もともとダイエットをしていたところに入院が重なり、痩せたのはいいのですけど、所有のパンツが全部デカくて腰パンになってしまったり、弊害もないわけではありません。前回、ラッシュガードだけでサーフィンしたら肋骨が当たるところが痛くて、痛くて。

ま、数十年ぶりに自分の理想に近い体型に向かっているところですので、そういうの全部楽しんでいますけど。

新しくベストを入手しました。例によってPatagonia。方々から賛否(主に否の方ね)の声が聞こえてきますが、前にも言ったとおり、僕の中ではそれらの問題はいちおう解決しています。いずれにしてもこれで肋骨気にせずサーフィンに集中できます。

話を戻しまして、入院という想定外の要素(の手助け)はあったものの、この春先に思い立ってスタートさせた肉体改造計画は順調に進んでいると思います。不摂生と運動不足で失った筋力を取り戻すのにはまだ少し時間がかかりそうですが、コンプリートまでの道のりがはっきりと見えています。

これまでいろいろなスタイルのダイエットに挑戦してきましたが、今回は入院をはさんだ前後で全くセオリーが異なっていて、そのどちらも効果を上げているところが自分的にもとても興味深いです。データはしっかり残してありますので、いずれどこかで公開するかも知れません。

 

瞑想タイム

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さながらヴィムヴェンダースな1日。炎天下、全く人のいないビーチの脇で波が来るのをひたすら待ち続ける何かの修行のような午後でした。ある種の瞑想状態。退屈しないし暑さもぜんぜん気になりません。クリエーションの糧を求めてサーフィンをやっているわけでは全くないけれど、サーフィンによって感性が磨かれていく感覚はあります。

BLUE BAG

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久々のヒット商品。これは間違いなく流行るな。いや、僕が知らないだけで、きっともう流行ってるのだと思います。

キックボクシングの練習はとにかく荷物が多いのがネック。僕は汗の量がハンパないので、着替えやタオルも人の倍、グローブや防具も場所を取ります。これまではアウトドアのダッフルバッグ(もともとはテントを運ぶために作られた大容量バッグです。)を使っていたのですが、それはそれでジムのロッカーに収納するのがたいへんでした。

IKEAで全ての問題を解決するバッグを発見。軽くて丈夫な素材で、折りたためて、背中にも背負え、水洗いができて、簡易的だけど防水仕様。しかも何だかスタイリッシュ。そしてお値段、300円!キックやジム通いはもちろん、サーフィンでも、日常生活の中では例えばコインランドリーとか使い方いろいろありそう。カスタマイズも楽しそうね。

About Surf

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サーフィンについて何か書きたいとずっと思っているのですけど、なぜか言葉がひとつも出てきません。海で見たもの、感じたこと、創作の肥やしになっているはずなんだけどね。無理せず、期が来るのを待ちます。

写真はいちばん好きなビーチ。かぶっているのは灯油ではありません。念のため。

New Face

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サーフィン帰り、千葉の道の駅で見つけました。「ガジュマル」というのだそうです。誰が何を思ってそんな名前をつけたのか。

キダオレ日記 ニットキャップ

DSC_6242.JPGニットキャップ:NAISSANS

ニット帽は毎年買うけど、気に入ってかぶるのはいつも同じ。シルエット、サイズ、素材、すべてが整ったのに久しぶりに出会った気がします。これまでの自分になかったカラーが微妙ではありますが、たまには冒険もしてみないとね。サーフィン行くときに活躍しそうです。

オレと海?

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ビートルちゃんで海に行く時、サーフボードはケースに入れて運んでいたのですが、特に湘南だとボードそのまま載っけている人が多いので、僕も真似をしてみたところ、準備も撤収もかなり楽になることがわかりました。

ボードの積み方に関しては、どっちが上だとか、どっちが前だとか、先輩サーファーたちの間でも意見が分かれる上に、そもそもボードをルーフに積むのは危険だという意見もあって(逆に中積みは危険という人もいます。)、要するにサーファーそれぞれにスタイルがあるということなんだと思うのですけど、片方に従えばもう片方の顔が立たず、という感じで、まあ正直ちょっと面倒くさいところはあります。

サーフィンは「オレと海」な世界と思っていたのですが、海には必ず他のサーファーがいますし、地元の漁師さんや住民がいる。ルールやマナーを守ることは当然として、それ以上に彼らと良好な関係が築けるかどうかが、サーフィンを続けていく上でけっこう重要なポイントだということに最近気がつき始めました。「オレと海と人」なわけだ。

ローカルの決まりごとなんてローカルの人と接してみないとわからないですし、ポイント選びに始まって、地元の食堂とか、無料の駐車場とか、本当に欲しい情報はインターネットでは見つけられないことが多い。結局、ここでもコミニュケーション能力がモノを言います。人づきあいが苦手な自分がどこまでどう対応できることやら。

写真:ボードを傷つけずに積めるようにキャリアにパッドを取り付けました。

LIFE SURF

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世の中には本当に様々な便利ツールが出回っているのですけど、まあだいたいにして当事者以外には使い道がさっぱりわからないってのが常。サーファー以外でコレが何だかわかる人はまずいないでしょう。これは「フィンボルト」といって、ボードにフィンを固定するための道具です。それだけのために生まれてきて、おそらくそれ以外には何の役にも立たない。けれどもコレを忘れるとその日のサーフィンはどんなに波がよくてもあきらめるしかありません。トップに刻まれたマーク、てっきり船のアンカーだと思って購入したのですが、よく見るとちょっと違うような気もします。色も緑で全く海っぽくないし。

ま、フィン一体型のサーフボード使ってる人には無用の産物ですけどね。