カテゴリー別アーカイブ: アート

Coffee Break

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カフェに雑誌が置いてあるのはいいですね。ヴォーグ・イタリアなんか自分ではまず買わないし、本屋で立ち読みする機会だってないけれど、こうやってページめくってみると、けっこうおもしろい。刺激をもらいます。

 

キダオレ日記 ものんくる ”世界T”

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歌姫=吉田沙良と東京音楽界の貴公子=角田隆太のユニット「ものんくる」が、この夏、3rdAlbum「世界はここにしかないって上手に言って」をリリース。これを記念したTシャツが販売されていると聞いてさっそく展示場に行ってきました。詳しいことはよくわからないのだけど、これはアーティストとのコラボ企画っぽいですね。おそらくハンドメイドの1点モノ。メンズのサイズはもうこれしか残っておらず、大人気なく二つとも買い占めてしまいました。音楽とアート、ファッションの融合、いいなあ。おじさん応援しています。

保存保存

朝の写真

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薄曇りの夏の朝。出窓に入ってくる光線が弱いせいか、偶然おもしろい色の写真が撮れました。構図もマイテイスト的にはけっこうイケてると思うのですが、左の観葉植物の植木鉢に刺さったプレートの緑がすべてをだいなしにしているようにも感じられ、もういちど撮り直してみたのですけど、うまくいかず。トリミングしたのではせっかくの世界観がだいなしになりそうですので、これはこれで完成と思うことにしました。

中央の雑誌は1988年のSwitch。おととい訪れた我孫子のNORTH LAKE CAFE & BOOKSで入手しました。濃厚な内容のヴィムヴェンダース特集で、見がい、読みごたえたっぷりの保存版。今どき、わざわざ写真に撮って残したいと思うような雑誌に出会えることは稀、このところ新しい発見は過去の中にあることが多いような気がします。いや、もしかしたら僕の美を求める感覚が1990年ぐらいでストップしているのかも知れません。

ここ数日、朝イチで写真を撮ることが日課みたいになっています。ずっと続けるとおもしろいかも。

tumblr brake

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震災の年、けっこうハマっていたのがtumblr。ユーザー同士のコミニュケーションがほとんどなく、気に入った記事(多くは写真)を無言でひたすらリブログし続けるドライなシステムは、コミニュケーション過多気味のTwitterやFacebookに疲れはじめていた僕たちの目には非常にスマートに映りました。地球上のありとあらゆる場所から寄せられた情報が同じテーブルの上に次々登場するスケールの大きさ、ワールドワイドな感覚も魅力的だった。世界にこんなにもたくさんの見知らぬ景色やアートやファッションが存在することに驚愕し、それらの情報をコレクトすることができる喜びに心浮き立ったものです。

震災の少し前に父親が他界して、葬式やら何やらひととおりのゴタゴタが片付きそうになったところでグラグラ、そして原発の爆発です。夢中だったはずのtumblrは放置状態に。その間もFacebookとTwitterはずっと(コミニュケーションツールとして)使い続けてきましたから、非常時となったら自分に必要なのは「人とのつながり」であり、アートその他は二の次なんだ。という事実が判明してしまったことになります。

当たり前と言えば当たり前の話ではありますが、日頃から「アートが世界を救う」をモットーに生きてきたつもりの自分としては、ちょっと自身に失望したことは報告しておかねばなりません。となりの家が燃えていても、かまわず弓を引き続けるチェロ弾きのような人間でありたかった。

震災から時間は経過しましたが、僕の人生はあそこで大きく二つに分断されてしまっていて、元だったところにはもう戻ることができません。もっとも、世界は常に変化し続けているものですし、過去についてあれこれ気を病むのはナンセンスかも知れませんね。今の居場所にも夢や希望、美しいものは満ち溢れていますし、僕自身もあの震災によって学んだものごとは少なくなかったように思います。

さておき、久しぶりにtumblrをのぞいてみたら、新しい機能などが付け加えられているものの、当時とさほど変わらない様相で安心しました。

tumblrのダッシュボードに写真や映像が流れ込んで来る様は、僕に巨大な工場を思い起こさせます。冷戦時代の東ヨーロッパとかにありそうな、暗く、寒く、古く、巨大な工場。中央に施されたベルトコンベアに乗って流れてくるオブジェクトを、工員らが選別してせっせと袋にしまいこんでゆく。誰も喋らず、誰も笑わず。構内にはただ、モーターがベルトを回すガラガラという機械音が響き渡っている。

*写真はきのうtumblrで見つけました。どこのブランドのものかわからないが、このシャツは欲しい。

アートワーク

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MAC ROMANCE “SOLO NIGHTMARE” Art Work by Hiroyuki Hanzawa A.K.A DJ BLUESNIK

ソール・ライター展

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ソール・ライター展に行ってきました。

僕は音楽を含めアート作品についてかなり好みが偏っていて、だいたいどの作品(作家)でも「好き」と「嫌い」にはっきりわけることができます。ところが、こと写真になると頭の中がフニャフニャしちゃって、うまく判断することができないことが多いんだな。長く、写真を「アート作品」として認識してこなかったから、価値判断基準が備わってないのだと思います。

そんな「写真音痴」の僕においても、ソール・ライターの写真の中には明確に「好きだ」と言える作品がたくさんあります。特にカラー写真初期の頃がいいよね。有名なアンブレラの赤はもちろんのこと、エレクトロな緑とか、淡いピンクとか、モノクロームな世界の中に呼び込まれた「色彩」の美しさに惚れ惚れしてしまいます。

知らなかったですけど、ソール・ライターは絵描きでもあって、会場にはそれらの絵画も展示されていました。撮った写真に筆を重ねたコラージュのような作品もあって、フィールドの広さを物語っていましたが、正直に言って絵の方にはあまり心を動かされませんでした。同じ作者が創作したものとはとても思えない。ソール・ライター本人も写真と絵は異なるものだと思っていたようで、キャプションのビデオ中で「写真は発見、絵は創作」というような言葉を発しているのを確認しました。なるほどね。僕が写真を「アート」として認知していなかった件にも何となく筋が通ってるわけだ。もちろん「発見」そのものがアートである。という考え方もできますが。

最近はiPhoneにカメラもついていて、写真はずいぶん身近なものになりました。インスタグラムをやっていることもあって、日常生活の中でもモノや人や街の風景などの見方が変わったように思います。常に「一コマ」を探している感じ。ここでもソール・ライターの言う、「写真は発見」がしっかり成立しています。ただ、僕には写真のセンスが全くないようで、せっかく素晴らしい瞬間を発見したと思っても、いざ撮影してみると本当にヘドが出るぐらい酷い絵にしか撮れておらず、いつも自分にうんざりさせられています。つまりまあ、写真音痴なわけだ。

話はそれましたけど、ソール・ライター展。平日の午後にもかかわらず、若い人たちでにぎわっていて、エントランスには列もできていました。アートギャラリーが盛況なのはよいことですね。毎日のように荒廃したニュースがあちこちから飛び込んできますが、最後はアートと花が世界を救うと僕は本気で思っています。

あら、また話がそれました。まあとにかくよい展示会でした。写真から受けた印象、湿度みたいなものが1日たった今でも頭のまわりにまとわりついているような気がします。1300円払って足を運ぶ価値はあるんじゃないかな。行く前と後ではきっと街の景色が違った風に見えると思います。

 

from a bookshelf

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作家、詩人=室生犀星のお孫さん、室生洲々子さん(室生犀星記念館/金沢:名誉館長)が2冊の本を発表されました。室生家に伝わる料理のレシピを紹介する料理本と、室生家で飼っていた猫たちの写真をまとめた写真集。室生犀星に関連する書物は数え切れないほど存在しますが、この視点からの作品が世に出るのはおそらく初めてのことではないかと思います。簡潔、明瞭ながらもどこかゴツゴツしたアタリのする文章は、やはりDNAを受け継いでるなあと感じました。

室生洲々子さんは子供の頃に可愛がってもらった思い出があり、お姉さんみたいな感じでずっと憧れがある人なんですけど、大人になって会ってみたら、普通に大人の対応で敬語で話されたりして、まああたりまえなんですけど、ちょっと残念なんだよね。長男はみんなお姉さんに甘えたい願望があると思います。(でも実際にお姉さんがいる友人を見ていると、あまりその存在を喜んではいないケースが多いような気がします。なかなかうまくいかないもんですね。)