カテゴリー別アーカイブ: アート

アートワークは悩ましい

曲を作ってウェブに投稿。まあ砂漠に水を撒くような作業を毎日あきずに続けています。投稿するのは音楽ですが、必ずアートワークが付いてきます。僕のことを知らない人はまずジャケットを見てその曲を聴くかどうかを判断するので、プロモーションという意味では曲そのもの以上に重要なのがアートワーク。これも当然自分でやります。曲作りの方もまだかけだしですが、こちらはもっと素人。僕のまわりにはグラフィックデザイナーやイラストレーターなどグラフィック関係の友人が多いので(音楽関係者より多い)お願いすれば、かなりお安く相談にのってもらえるのですが、まあとにかく彼らは時間がかかります。グラフィックの世界では商品の売価の相場がだいたい決まっているので、稼ぎたければ数をこなすしかないというシステム。なので売れっ子は常に仕事に追われていてとにかく忙しい。友人からの依頼はそれらの仕事の隙間、もともと少ない睡眠時間を削ったりして対応するので、どうしても時間がかかります。僕は朝に思いついたフレーズをその夜には商品にしてオンラインに載せるというペースで曲を作っているので、それに対応できるデザイナーは世界中探してもいません。なのでしょうがないから自分でやることになります。素人がゼロから作るのはなかなか困難なので、雑誌やインターネットで拾った画像をコラージュするのですけど、やはりここでも著作権の問題が。

盗用は音楽もそうですけど、やはり素材、つまり元の作品のクオリティがそのまま反映されます。一流のフォトグラファーが撮影した写真は切ったり貼ったりしてもやはりいいんですよね。逆に著作権フリーで無料ダウンロードできるようなものは煮ても焼いてもどうにもならないことが多いです。

冒頭の写真は、今回の曲に合いそうと思って作ってみたイメージ。90年代のアレクサンダー・マックイーンを着用したモデルを撮影したファッションフォトですが、このままジャケットにして、万が一曲が売れたら後日盗用問題になりそうな気がするし、これ以上手を加えて元が何だかわからなくしたのでは意味がないということでボツにしました。こんな写真、誰でも撮れるじゃん、と思うかも知れないけど、撮れないんだよなあ。

画像をクリックするとbandcampのサイトに繋がります。今回はちょっとジャズ的な要素も入った洒落乙なブレイクビーツ。好きな人と一緒にカウチでまどろみながら聴くといいかも。あ、ジャケットも見比べてみてくださいね。こっちの方がぜんぜんいいから。

新曲リリース

Tokyo Cowboy Disco / B.A.D RADIO STAITION bandcampで絶賛発売中!

サーフィンやジムはおろか買い物などの用事も必要最小限にして要請にかなり忠実に外出自粛生活を送っている。毎日やることがたくさんあって、たいくつということはほとんどない。むしろちょっと前よりも忙しくしているような気がする。

特に外出自粛とは関係なく、ひと月ぐらい前からトラックメイク、つまり作曲活動を開始した。これまでもトラック作りはやっていたが、あれは主にDJライブのためのネタ作りで、「リミックス」という手法を選択していた。ざっくばらんに言えば「他人の曲」のアレンジである。買ってきたサンドイッチをバラして別のパンに挟み、新しくサンドイッチを作るような行為と思っていただければわかりやすいかと思う。何でわざわざそんなことを、と思う方もいらっしゃるかと思うが、ひとつのセオリーとして音楽、特にDJの世界では定着している。

リミックスはもともとが人の曲なので基本売ることができない。(作曲者からの依頼あるいは許可を得た場合はこの限りではない。)今や音楽は知的財産で著作権法のコントロール下にある。私は著作権法が大嫌いで存在そのものに反対の立場にいるが、その話はまた別の機会にする。とにかく著作権法のおかげで私(たち)は作ったものを売ることができない。

売れるものを作らないと商売にならないので、作曲を始めたわけである。昔は作曲と言えば一部の才能のある人間にしかできない特殊な技術だったが、今は機械や環境が進歩して、素人でもわりと簡単に曲を作ることができるようになった。また料理で例えるなら、ホットケーキミックスやカレーのルー、機械で言えば電子レンジやセンサー付きの調理器のように簡単な作業でプロが作るのに近いものを作れる環境が整ってきているわけだ。

また、作った曲を販売するまでのプロセスもかなり簡略化できるようになった。以前ならレコード会社を通さずに楽曲をリスナーに届けることはまず不可能で、そのために好きでもない男の射精を手伝うなど作曲以外の能力がモノを言うこともあったとかなかったとか噂はともかく、一曲がリリースされるまでの間にそこに関わる人間の数が無名の新人アーティストでも100人やそこいらは軽く超えるような状態で、とにかく時間がかかるし、その人間たち全員が何某かの金を受け取らなければならないわけで、金もかかる。

曲やレコードは売価がだいたい決まっていて、ホテルオークラだからレトルトカレーでも一皿3000円、みたいなのはない。つまり儲けたければ量産して数を売るしか他に方法がない。万人に好まれる音楽(だいたいどれも似ている)が世の中に氾濫するのはシステム上の問題と言えよう。事実、そこまで大金をかけなくても(つまり携わる人間の数が少なくても)楽曲をリスナーの元に届けられるようになってから、音楽のトレンドは細分化されてきているように思う。そんな中で星野源のように飛び抜けたヒットを飛ばし続けるアーティストもいて、それはそれで凄いことだとは思う。

話がそれた。さて、作曲から販売までどれぐらいの人数と時間がかかるか?もちろん曲の内容やクオリティーにもよるが、人数は間違いなく一人でできる。時間は、、物理的には10分。現実的に捉えるなら1日あればできる。

写真はビリー凱旋門とふたりで作った曲で、着想からリリースまでおよそ3日ですべて行った。何だ3日もかかっているじゃないかと言うなかれ、別に我々はリリースまでのスピードを競っていたわけではない。もしもっと早くやる必要があれば1日でじゅうぶんできたはずだ。関わった人間は僕とビリーちゃん(あと女性のコーラスをiPhoneで録音して送ってもらった。)のみ。スタジオには一度も入ってないし、電通のまぬけと打ち合わせもしていない。先にも言ったように僕が作曲を始めたのはひと月ほど前のことで、専門的な技術や経験はほとんどないに等しい。(過去にミュージシャンだった時の経験はある程度役に立ったかとは思うが。)セオリーは作曲しながら勉強するといった具合だから、たぶん正当な曲の作り方は今でも全く理解していないと思う。それでも曲はできたし、実際に買うことができる状態にある。

何が言いたいか?私はこの状態が正常であると思う。つまり音楽なんてものは、アーティストとリスナーがいれば他はいらないってことだ。高度なテクノロジーを駆使して芸術が「人」の元に戻ってきた。音楽はレコード会社のものではないし、広告代理店のものでもないし、ましてや背中にポロシャツを引っ掛けてペニスを勃起させた中年男性のものではない。音楽は表現者とリスナーのものでしかない。奏でる者、歌う者、聴く者、踊る者。良い時代になったのではない。本来の姿に戻ったのである。

CUT UP & REMIX

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そういうことはやらない方がいいよと言われたが、googleに「マックロマンス」と打ち込んで検索してみた。(暇なのだ。)ディスりも含めて、たいして目ぼしい情報は得られず、自分の社会への影響力の低さ(ほとんどゼロ)を再確認することになり、別の意味で少し気分が落ちる結果となった。

しかし収穫も全くなかったわけではなく、削除していたと思っていた過去のブログ記事を発見。いくつか目を通してみたが、なかなか良いリズムの文章で、読ませる。少なくとも文章を書く能力については、今よりもその当時(15年ぐらい前だろうか)の方がずっと高いように思った。つまり私は退化しているわけだ。

ただし、文章の内容についてはいただけない。社会や政治について辛めの意見を突きつけるものが多いのだが、本当にそう思って書いているのかあやしいのである。盗作とまではいかないまでも、他人が書いたものを読んで、それを自分の文章に書き換えて、あたかも自分のものであるかのごとく表現しているのがわかる。他人にはバレないかも知れないが、書いた張本人にはわかる。

何だ、今やってることと同じじゃんね。サブジェクトは文章から音楽にかわったが、現在自分がやっているCUT UP & REMIX、”他人の曲をサンプリングしてリミックスし新しい曲に作りかえる”と全く同じである。私はそういうことが得意、うむ、少なくとも好きであるようだ。

そんなことを考えながら、朝っぱらから雑誌をやぶったりコピーしたり、CUT UP & REMIXは題材を特定しない。理論もいらない。オリジナリティーなんて概念を否定するところからスタートする。私はそれを「自由」と呼ぶ。

褒められたい

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僕は他人から褒められる機会の少ない人間だと思う。なぜそうなのか自分ではよくわからないが、そのように生まれ、そのように育ってきた。中学校の時に市の水泳大会で2位になり、自分ではまあまあ凄いことだと思ったけれど、両親も教師も友達も誰も褒めてくれなかった。今年は海外DJツアーを敢行して、50を超えたおっさんが海外でDJデビューって自分ではまあまあ凄いと思ったが、誰にも褒められないどころか何の話題にすらならなかった。これがイナバさんだったら賞讃の嵐できっと大田区の電話回線がパンクしたことだろう。

滅多に褒められることがないので一度褒められたことはずっと忘れない。

15年くらい前に若い男性に「マックさんてすごく美味そうにメシを食いますね。」と言われて、なるほどオレにはそのような特技があったのか、と真に受け、自分が食事するところを撮影するようになった。スマホなどなかった時代の話である。20万円以上もするSONYのデジタルビデオカメラを購入し、自宅や店(僕はそのころ飲食店に従事していた。)で食べる姿を撮影した。人のお店に頼み込んでカメラを入れさせてもらったこともある。撮ったビデオをMACで編集してビデオコンテストに出場したこともある。(結果は惨憺たるものだった。)そのうちにYouTube、連動するようにスマートフォンが出てきてそこに撮影した動画をアップするようになった。全く何の話題にもなったことはないが、それから現在までずっと続いている。おそらく言った本人も忘れているような「褒め」のひと言が10年の時を経て今も僕を鼓舞し続けているのである。

褒めで持ち上がる人間というのは、だいたいにして謗りで落ち込むのが常で、僕も例外ではない。僕は基本ダメな人間なので、謗りのネタ提供にはいとまがない。これまでありとあらゆるタイプの謗りを受けながら生きてきた。謗られのエキスパートと言ってもよいかも知れない。僕のタイプの謗ラレストは「何をやっても謗られる」のが特徴で、例えば毎日のように深酒に沈んでいた頃は普通に「クズ」とか言われていたが、酒をやめたらやめたで「シラフのマックロマンスに価値はない。」とかって面と向かって言われるような次第でやるせない。

YouTubeでもこのところ否定的なコメントが目立つようになってきた。アクセス数が上がっているならば、クソリプのひとつやふたつ無視することもできようが、アクセスは減っているのにディスり系のコメントが増え続けていくのには我慢がならない。

他方、「クレームは財産だ。」という話を聞いたことがある。考えてみれば、見知らぬ誰かがアップした動画について、わざわざコメントを寄せるという行為だって、まあまあのエネルギーを要する所業である。腹が立ったにせよ、何にせよ、少なくとも動画を見て何かを感じたわけである。彼らのディスコメントの中に何かヒントがあるのではなかろうか。一度、彼らの話を真摯に聞いてみることにした。彼らは何を怒っているのだ?

答えは簡単に出た。

見たことのない人(おそらく誰も見たことないだろう。)のために簡単に説明すると、この「食べるシリーズ」は、その名の通り、僕が食事やスイーツを食べるところをiPhone撮影した(だけ)の動画である。ストーリーや演出や編集は一切なく、撮影したものをそのままYouTubeにアップしている。

食べたものがそのままタイトルになっている。例えば、きのうは天丼を食べたのでタイトルは「天丼」である。

これが良くなかった。

「天丼」のタイトルを見て、僕の動画に行き当たった人が見たいのものは「天丼」なのである。それを食う人ではない。彼らは天丼そのもの、どんぶりから上がる湯気とか、カリッと揚がったエビ天とか、甘辛いタレが衣に浸透していく様子とか、そういうものを期待してタイトルをクリックするわけだ。で、登場するのが、冴えない髭面の初老の男である。

ちなみに「食べる僕」にフォーカスを当てているので、食べている物はちゃんと映っていないことが多い。例えば天丼ならその多くはどんぶりの中に隠れているし、「シャケおにぎり」なんて場合は、中がシャケなのか梅干なのか外から見たのでは全くわからない。

例えば動画タイトルに「裸の女性」と書いてあったとして、蓋を開けてみたら裸の女性は全く映ってなくて、それを眺めてニヤニヤしている初老の男性の顔が映し出されていたとしたら、それは僕でも怒ると思うし、まあ機嫌が悪ければディスコメントのひとつでもよこすかも知れない。

そんなことに10年近くも気が付かず、全くもって申し訳ない。反省して、すぐに対応策を考えることにした。要するにタイトルを見た時点で、これが「マックさんがものを食べている」動画であることがわかるようにすれば良いのである。

「食べるマックさん」。何週間も考え抜いた末に決断した動画のタイトルである。今後、動画にはこれをかならず明記するようにした。例えば天丼を食べたとしたら、タイトルは「食べるマックさん/天丼」である。ついでにタイトルロゴも作ってみた。(こういう仕事はわりと早い。が、もちろんそれを褒められたことはない。)

これで動画へのクレーム、嫌がらせ、クソリプなどは飛躍的に激減するはずである。これを読んでマックさんのことを褒めたくなったら、ぜひYouTubeにアクセスして賞賛のコメントを投稿することをお勧めする。

虫の居所が悪い

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今日は高校生の娘が文化祭の催しに出演する予定だったが、ハンザワ王子がレコードを持って我が家に来るというので、娘の方はキャンセルして自宅で待機することにした。例によって当日の朝になって王子から体調が悪くて行けないとの連絡が入り、それならば娘の演奏を聴くことができると、自転車に乗って学校を訪れてみたところ、間違えた時間を教えられていたらしく、娘の出演するはずの催しは終わった後だった。そのまま帰るのも何だか癪なので、同じ会場でタイミング良くスタートした全く知らない他人の子供たちが演じるミュージカルを観たら、けっこう感動して泣きそうになった。しかし、自分はと言えば、ただでさえ存在が怪しい上に(単に車を運転しているだけで職務質問を受けたばかりである。)よりによって今日は真っ赤なTシャツを着用していて目立つ、まわりを見回しても夫婦や家族で和気藹々のムード、オッサンひとりの客は自分だけのようである。誰の親かもわからぬ不審者が他人の子供の演技を観て泣きだしては、騒動の原因になりかねぬ。こぼれそうになる涙をこらえてどうにか校の外に出た次第である。

こういう日は、何をやってもうまくはいかぬ。まあ自分の人生において何かがうまくいったことなんぞないが、朝のうちにズレた歯車はその日のうちには元には戻らない。映画、散髪、コーヒーブレイク、思いつきで訪れた先はすべて満杯、服屋で目に留まったパンツは試着の段階で自分に似合っていないことがわかったが、試着して似合わなかった服を「いらない」と言えない性格である。パン屋で買った菓子パン(帰路でベンチでも見つけて食べようと思ったが、座り心地の良さそうなベンチをルート上で見つけることができなかった。)と、二度と足を通すことはないであろう新品のパンツを持ち帰り、この記事を書き始めたら眠くなってきたのでちょっと遅めの昼寝をしたら、暗くなるまで寝てしまい、真っ暗な中で目が覚めた。相変わらず機嫌は良くないが、思えば生まれてこのかた機嫌が良かったことなど一度もなかったような気がする。

ところで、午前中に、書斎に山積みになっている90年代のファッションやサブカルチャーの雑誌に目が行って、ペラペラとめくり始めたらなかなか楽しくて止まらなくなった。まだ今ほどインターネットが一般に普及していなかった時代の話。デザインや編集も素晴らしいが、特に写真が面白い。懐かしいとか、ノスタルジックな感じではなくて、むしろ新しいものを初めて発見した時のような刺激を受けた。

いちおう釈明しておくと、僕とハンザワ王子の関係というのは持ちつ持たれつとでも言うべきか、約束なんかは最初からあってないようなもんで、お互いドタキャンとかで相手のことを悪く思ったりは全くしない。事実、前回は確か僕の方が当日キャンセルしちゃったと記憶している。ふたりとも気まぐれで気分屋なので、会いましょうかとなっても三度に一度ぐらいしか実現しない。他の人が介入すると面倒なことにもなるが、二人の間では自由で良い関係性だと僕は思っている。

ふむ。こうやって見返してみると、決して悪くない一日だったように見える。何をぶつくさブーたれてたのやら?

 

犬の目

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犬の目は色を識別することができず、すべてがモノトーンで見えていると聞いた。最近では、実は色が見えているという人もいて、何が本当かはわからないが、この世界の中にモノトーン(に見える)エリアがあるのは事実であるようだ。

サーフィンの帰りなどに田舎の道をドライブしていて、白黒だけで彩られた墨絵のような景色に遭遇することがある。徐々に光が失われていく物悲しい時間帯で、以前はあまり好きではなかったが、ある時期から一転してマジックアワーの、特に後半を好むようになった。暗闇の後に必ず朝が現れることを長い時間をかけて学んだのだろうと自分では思っている。思考のスピードが遅いのでモノを理解するのに時間を要するんだ。

花屋でDJさせていただく機会を得た。友人のフォトグラファーが撮影した花の写真を何となくモノトーンに加工してみたら、その美しさに息を呑んだ。犬たちの目には花がこんな風に見えているのかと思うと少し羨ましく感じる。淡い青のブルースターとか、微妙なピンクのバラとか、全てが灰色に見えてしまうのは、残念な気もするけれど。

30年ほど前に東ヨーロッパのどこかの国を訪れた時、街全体がどんよりと、建物も空も人も酒場も煙草も、何もかもがモノトーンに見えたのを記憶している。その時の自分に、後に壁が崩壊して、街に光が、色が戻ってくることを想像する力があったなら、その暗い白黒の世界をもっと美しいものとして捉えることができたかも知れない。

 

 

キダオレ日記

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今期のコムデギャルソンはオムプリュスのテーマが「ゴス」。これにレディースも連動しているようです。ゴスウェア?の定番とも言えるフィッシュネット素材のアイテムもラインナップに登場していました。

現在の僕は東京で細々とジャズDJやりながら、次の海外遠征に向けて音素材の製作を始めたところ。しばらく黒装束のゴス仕様で人前に登場することはないと思ってトレードマークだったロン毛もばっさり切ってしまいました。コムデギャルソンがこのタイミングでよりによって「ゴス」をキーワードに持ってくるというのも何かしら縁のようなものを感じてしまうけど、ほんの1歩だけ遅かった。でも、いつ着るかわかんないのを承知でフィッシュネットのワンピースとカットソー(もちろん両方ともレディース)を購入しました。ファンなんでね。

 

 

祝開店

もう10年になるんだな。長女が小学校を卒業した時にふたりでパリに行って、従業員がひとりとかふたりしかいないような小さな店がたくさんあって、これは素敵だなと思い、また自分でもお店をやってみたくなって、帰国してすぐに田園調布にパンクな絵本の店を開きました。その名はダダティーク。従業員は僕ひとり。

ひとりだと止めてくれる人がいないので、店のスタイルは思いつきのままにどんどん変容していきます。後半は友人にスペースをレンタルしたりもして、アート展、お花やパンのワークショップ、かき氷屋さんってのもあったな。それはもうカオスでした。

そこで知り合って仲良くなった友だちのことを「ダダトモ」と呼んでいます。僕は幸運なことにどの時代においても良き人たちに囲まれて生きてきましたが、その中でもダダトモには、ちょっと特別な思いがあります。同じ宇宙船に乗って旅をしたような。何が特別なのかうまく説明できないのですけどね。小学校3年生の時のクラスメートだけ今でも時々集まったりする。みたいな感じだと思います。そういうのあるよね。

うむ。そんな風にして知り合ったダダトモのひとりが、この春、町田に新しくカフェをオープンしました。美術館の前にあって、いい感じの緑と光が入ってきて、趣味の良いアンティークのソファがあって、2回はアトリエ、夢のように素敵な空間です。お店に打ち合わせに行った時に彼女とあれこれやりとりしていて、あら、訪れる側と迎える側の役割は変わったけれど、これ、何だか前と同じ感じがするよ。デジャブみたいだ。ってなりました。お店の雰囲気とか全然違うんですけどね。不思議なもんだ。

そんなわけで、明日(4月26日)のお披露目会でDJやらせていただきます。光栄なことであります。あ、開店おめでとうございます。

トラック作り開始

しばらくはクリスチャン・デスのUK/EUツアー関連の話が続きます。

さて、ツアー本番までちょうど2ヶ月です。いろんなことをやらなければならないのですけど、とにかく現場でどんなパフォーマンスをやるか決めなくてはなりません。

僕はふだんバーやカフェのような場所でジャズやノンビートの音楽を会話の後ろに静かに流す、というようなことをやっているのですが、デス・ロック・バンドのオープニングアクトとなると、やはりそれに合わせてスタイルを変更しなくてはなりません。当初、話が持ち上がった時は、現代音楽やアート系の作家の音楽を使って「静けさの中にある狂気」みたいのを表現したいと思っていたのですが、バンドの方から「ガンガン盛り上げちゃって」というまさかのオーダーが入ってしまい、東京でもやったことのないダンスチューンに手を出す羽目になってしまいました。

しかしながら、いわゆるエレクトロダンスミュージックにあまり興味を持ったことがないから何をやっていいかよくわからない。それにデス・ロックとダンスミュージックにはそもそもあまり接点がありません(あるのかもだけどよく知らない)。なので自分で作ってしまうことにしました。作ると言っても作曲するわけではありません。人の作った曲を盗んできて、切ったり貼ったりして新しい曲に生まれ変わらせるのがDJの仕事。

ドラムンベースやダブステップなどのちょっとダーク(レフトフィールドと呼ばれているらしい?)なビートをベースに、アフリカンブードゥのパーカッションを加えて厚みを作り、ディストーションギターのフレーズをサンプリングしてきてトッピング。ありそうでなかった新しい音楽が完成。こうやってみるとDJのミックスワークは料理にそっくりですね。

こんな感じのトラックを2〜30ぐらい作っておいて、それを現場でうまく繋ぎ合わせるというわけだ。1日1曲作ればひと月もかからないから、まあ余裕で間に合いそうです。

↑聴いてみてくれたかな?作品としてはちょっと完成度が低いと思うかも知れないですけど、これ、あくまで材料ですんでね。仕上げは現場でやるので、火を通しすぎないようにしています。料理と同じです。

つづく

KOTA A.K.A MACROMANCEの詳しい情報はH.Pをご覧ください。

KOTA IS BACK

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古巣のゴスバンド=クリスチャン・デスのツアーに30年ぶりに参加することになりました。経緯はバックナンバーをご覧ください。

本番まで2ヶ月しかありませんので準備をしなくてはなりません。まずは航空チケットの手配。その段階でパスポートが切れていることに気がつきます。

続いては機材。日本で使っている機材は持っていくのも大変だし、電圧の問題もあります。なので、現地で機材を買う(そしてたぶん帰国前に売り払う。)ことにします。国をまたいで数週間となるとレンタルよりは買った方がずっと安い。そして毎晩同じ機材を使えるというメリットもあります。オンラインで買って、向こうに住んでいる友人の家に置いておいてもらう手はずを整えます。

パスポートと航空チケットと機材があれば、まあ後はどうにでもなるでしょう。が、やらなくてはいけないことは山ほどある。

まずは名前を決めなくてはなりません。バンドに属していた時は「KOTA」が名称でしたので、そのままKOTAでもよい気もしたのですけど、DJとして参加するものですからやはり「MACROMANCE」は謳いたい。いくつか候補が出まして、結局シンプルに「KOTA A.K.A MACROMANCE」に落ち着きました。A.K.Aは as known asの略で、直訳すると「〜として知られる」つまり「マックロマンスとして知られているKOTA」ということになります。複数の名前を用途によって使い分けるヒップホップ系のアーティストがよく使っている手法です。

そしてアーティスト写真の撮影。バンドの方から「髭なしロン毛でよろしく」とのオーダーがありましたので、本当に久しぶりに髭を剃りました。そして30年ぶりの白塗りメイク。衣装は撮影のためにしつらえたのではなく、普段から気に入って着ているコムデギャルソンです。メイクひとつでここまで印象が変わるとは思いませんでした。

ちなみに撮影は今や湿板写真で世界的にも有名な和田高広さん。この写真の他にも今回の撮影でスーパーショットが生まれましたので、また折を見てご紹介いたします。

つづく

 

 

凱旋しない

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僕が80年代にイギリスでゴスバンドに所属してベーシストとして活動していたことはこのブログでも話題にしてきた。長い人生において人に自慢できるようなことが他にないので、自分のことを話そうとするとどうしてもその話題になる。

メンバーを変えながらも現在も活動しているそのバンドがこの初夏にヨーロッパツアーを敢行するそうで、それに僕がDJとして参加するという話が突然浮上してきた。願ってもない海外デビューの機会である。

昨年、闘病を押して来日した盟友カム・キャンベルとの再会において、ヨーロッパ、特にロンドンへの凱旋は僕がどうしても果たしたい夢のひとつになった。何の成功を収めずに「凱旋」とはおこがましい、と怒られそうだが、さして華々しいものではないにしても、この難しい時代にこの年齢まで五体満足で生きて来られたことがすでに成功だと僕は思う。

そんな中、コムデギャルソンがパリコレで「ゴス」をテーマにしたコレクションを発表したというニュースが入ってきた。時代が僕を後押ししてくれているような気すらする。何ごとにも悲観的な僕としてはめずらしく前向きハイ。果たしてこのような状況が続くだろうか。

続くわけないよね。僕は恐ろしくネガティブな生き物なのだ。結論から言えば、今回のツアー参加の道はほぼ閉ざされたと思う。条件面で折り合いが合わず、交渉するのが途中でめんどくさくなって、こちらからフェードアウトした。どうせならライブにも参加してベースを弾いてくれ、みたいな話も飛び出して、何だかもうめちゃくちゃ。思えばこのブログでも前回「もうベースは弾かない」と宣言したばかりである。

写真と本文はほとんど関係ない、が、全く何も関係ないかと言えばそうでもないかも知れない。

ノンタイトル

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D(レ)マイナーの和音を16に分割してインスタみたいに4×4列(インスタは3列だけど)に配置し、下の右から順に番号をふる。写真の番号の音をEマイナーフラットの音に合わせるとよいハーモニーを奏でる。

電子パット付きのサンプラーをブースに持ち込んで、曲(レコード)に合わせて演奏するというスタイルでのプレイを過去2回導入したが、どちらも満足な結果をもたらすことはできなかった。自宅やスタジオでの練習ではそこそこいい感じにいくのだけれど、本番ではどうも思うような音を作ることができない。おそらく自分にはマシンライブのようなスタイルでよいムードを作るための資質が備わってないのだろうと解釈している。たった2回で何がわかる?と突っ込まれそうだけど、同じ相手と2回セックスして、うまくいかなかったら3回めはもうなかろう。(普通は2回だってないと思う。)

話は変わるが、いただいたレコードを繰り返し聴いていたら、何となくベースを弾いてみたい気分になった。現役を引退して30年になるが、たまに無性に触りたくなることがあり、ベースはいつも弾ける状態で部屋にある。おもむろに流れるレコードの曲に合わせて弦を弾いてみたらこれがなかなか楽しくて止まらなくなった。もともと変拍子だらけの奇妙な曲ばかりのレコードだが、新しいリズムが加わって、あまり聴いたことのないアバンギャルドな雰囲気の音楽に変化した。試しに他のレコードでもやってみたところ、やはり面白いフレーズが浮かんでくる。これをくりかえし、改良を加えれば人に聴かせられるレベルのものになるやも知れぬ。

長い間、いろんな形で音楽に携わってきて、自分には作曲の能力、また演奏者としての資質がないことは重々承知している。簡単に言えば僕には「メロディー」がない。この致命的なハンデに痛み、一度は「音楽」を捨てたはずだったが、またその「音楽」に引っ張られるようにしていろいろなことが僕の身の回りで起こっている。この先どうなるかは全くわからぬが、まあね。アナログレコードとエレキベースという中途半端な組み合わせは自分らしくていいと思う。

電子パット付きのサンプラーはメルカリに出すかな。もう少し持ってた方がいいか。

渋谷駅で海をばらまく

IMG_4880.jpegフレグランス:CHANEL/PARIS-BIARRITZ

このブログを毎回読んでいるマニアの方はあれ?と思ったかも知れません。昨年買ったのと同じフレグランス。 気に入って毎日つけたとしても半年でなくなるはずはありません。実は先日、渋谷駅の構内で落として割ってしまったんです。フレグランスを持ち歩くという行動が野暮であることは重々承知しているのですが、DJでロングセットの時、後半のダレる時間帯に香りがあると集中力が戻ってくるんですよね。どんな香水でも最初のトーンのインパクトは強力ですが、特にこのシャネルはつけた瞬間に「海」を感じます。

最近はこの数ヶ月で2回ほど車に傷をつけてしまったり、先日の靴のソール全張り替えもそうなんですけど、新しいモノを買うのではなく、すでに持っているモノをニュートラル状態に戻すためにお金を使っていることが多いような気がします。(CDで持ってるアルバムをレコードで買い直したりもそうですね。)

何だろう、深層心理では、この人生では「もう新しいものはいらない。」と思っているのかも知れません。いらないけど「お金を使う」という気持ちの良いドラッグはやめたくなくて、それでわざわざ持ってるものを壊しちゃうというね。

なわけで2月1日の夕方、東急渋谷駅の東横線と半蔵門線の間の通路で海のことを思い出した人がいたら、ごめんなさい、それは私のせいです。

 

 

MOVIE VIEW

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1965年に生まれた。

イギリスにおいてはThe Who のMy Generation、The Rolling Stonesの(I Can’t Get No)Satisfactionの年で、我々の属する社会においてはこの年を「文化元年」と断定してもよいぐらい、新世代の幕開けを象徴するような年号だと言えよう。

その当時のロンドンを、自らが新世代のメンバーのひとりだった俳優マイケルケインのナビゲートで、残された映像やインタビューで振り返るという映画。何となく見聞きして知っている話ではあるが、こうやって改めてまとめたものを見ると、やはり血が騒ぐ。同時に、自分自身がそこには属さぬ部外者であることを再確認して沈む。

1965年生まれの「マイ・ジェネレーション」たちの青春は、大学生の分際でオープンカーを乗り回し、似合いもしないジャンポールゴルチエを着て、夜は六本木、冬はスキー、女たちはボディコン、音楽はユーロビートというおぞましいものだった。当然そこに自分の居場所はなかった。

1965年、東京。時代と場所を間違えて生まれた。

MOVIE VIEW

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映画 “A GHOST STORY”を新宿シネマカリテで観ました。途中ちょっと退屈した時間帯もあったのですが、こういう映画もなくてはならんよな。というのが最初の感想です。「最初の」と言ったのには意味があって、これ、後になってじわじわといろんな感情がやってきます。このような「時間差」で人の感情を揺り動かすことのできる作品は映画であれ音楽であれ美術であれ、良い作品であると僕はカテゴライズしています。そしてこれは絶対に劇場で見ないとだめですね。音の演出が素晴らしいのでできるならサウンド環境の整った映画館で鑑賞されることをお勧めいたします。あとね、音のするものは食べられないですよ。よほど図太い神経の持ち主でないと。

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イラストレーション:ナガイツトム

以前、若い頃にはあったはずの首が何故かいつのまにかなくなった。という話をしたが、今回はその、ないはずの首が痛いという話である。

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2018年の夏はほんとうによくDJをやった。8時間ノンストップのロングセットの後に2ラウンド目が待っているという過酷なDJ DAYを皮切りに休みなくあちこちに顔を出し、レコードをかけているうちに気がつくと夏が終わっていた。サーフィンや家族旅行なんかも返上して音楽演出に従事したわけだが、まあ好きでやってることで文句はない。ただし、楽しいことに副作用がつきものであるのは常で、すなわち首に痛みがやってきた。ヘッドホンを肩と片耳に挟んで首を曲げた姿勢を長時間続けたのが原因と思われる。

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最初はただの肩こり(首こり)とたかをくくり、時間が経てば治ると思っていたのだが、発症から数ヶ月経過してもよくなる様子はなく、むしろ痛みが頭や背中の方にまでひろがっていく感じがして、これはちゃんと診察してもらった方がよいと病院に行ってみた次第である。

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結果「頚椎症」と診断された。椎間板が摩り減り、変形した頚椎が神経を刺激しているのだそうだ。レントゲンを見ると、確かに頚椎と頚椎の間の隙間がなくなっている箇所があるのがわかる。

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これで冒頭の謎がとけた。私の首はなくなったのではなく、短くなっていたわけだ。首の骨は7個。つまり首と首の「間」は6箇所。仮に1箇所につき2ミリ短くなったとすると、全体で1センチ以上短くなっている計算になる。

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脊椎症の原因(つまり首が短くなった原因)は、DJで首を酷使したことよりも、加齢による影響の方が大きいとのことらしい。誰が何と言おうと(誰も何も言ってないが)私は着実に老化している。

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と、実は今朝、朝食の際に歯の詰め物がポロリと落ちた。歯の根っこが腐って持ちこたえられなくなったようだ。原因はいまさら聞かなくてももわかる。

断食中

軽めの断食を始めて今日が3日め。少量のフルーツやコーヒーなどの飲料は摂取しても良いことになっているのだけど、少し食べるよりは全く何も口に入れない方が楽なので、今日は飲み物だけで辛抱している。

空腹に耐えられなくなったら腹筋運動などをして気を紛らせるというマゾヒスティックな手法。目的や目標があればよいのだけれど、何となくの思いつき企画だから、ただ苦しいだけで得るものは何もない。我ながらタチの悪い性格だと思う。やれやれ。

若い頃に1週間断食をした経験があるが、その時は初日からふらふらし始め、3日目で歩くことができなくなり、残りはベッドの上で過ごした。その後はほとんど記憶が作られず、気が付いたら一週間が経過していたという感じだったと思う。

今は別に体力的には何の問題もないから、やはり20代と50代では代謝が異なるようだ。食わなくても長期間動けるようになっているのだから、若い頃に比べてむしろ肉体が進化していると考えるべきだと思うのだが、そんなわけはないよね。いったいどういうメカニズムなのだろう。

限界までチャレンジしてみたいものだが、生憎、明日の夜は六本木でDJがある。空腹状態で集中とぎれず5時間の現場を乗り切る自信はないし、中途半端なプレイではお店にもお客様にも失礼だから、とりあえず明日の朝からはちゃんと食事を摂って万全の状態でブースに入るつもりでいる。今のところ特に変化は感じられないが、何かが覚醒してぶっ飛んだプレイができるかも知れない。

 

 

 

新しい機材

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TORAIZ SP16 / Pioneer DJ

買ってみました。「箱を開けたらすぐ使える。」の前評判通り、僕のような機械音痴な人間でも数時間でおおまかな使い方を理解できるように作られています。頭の中で思いつく「やりたいこと」はだいたいこの一台でできてしまいそう。知識がなく楽器が弾けなくても誰でも作曲ができてプレイまでできてしまうという時代になりました。

あえて言うならば、その「使い勝手のよさ」に違和感を持たないではない。例えるならモーターとスクリューがついたサーフボードみたいな。そいつで海の上を疾走して、果たしてこれをサーフィンと呼んでよいものでしょうか?

このマシン持参でブースに入って、仮にお客さんが盛り上がったとしても、同業のDJからはきっとリスペクトされないだろうなあ。

あえて何もプログラミングしておかずに、その場でゼロから曲を作っていくような使い方は緊張感があっていいかも知れません。(すでにそういうプレイヤーも多々いるはずです。)

ダンスミュージックを奏でることを想定して作られたマシン(まあDJ機器は基本全部そうですけど)ですので、クラシック音楽のようなビートレスでループしない楽曲を作るのにはあまり向いてなさそう。ただそれもアイデア次第でいろいろできそうです。

使用方法で質問があってPioneerに問い合わせしたのですけど、ものすごい丁寧な答えがメールで返ってきてちょっと驚きました。そういうところからもメーカーの「本気度」が伺えます。

このマシンで作った記念すべき最初の曲をプレイしている動画をYouTubeに載せてありますので興味のある方はご覧になってみてください。

 

DJ info

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MOVIE VIEW「ハナレイベイ」

映画「ハナレイベイ」を観ました。村上春樹さんの短編映画化。

10代の頃に初めて村上春樹さんの「風の歌を聴け」を読んで、それはそれは深くハマって、最初の三部作と「世界の終わり〜」の4冊は常に持ち歩いて時間があったら読み返すぐらいよく読みました。英国でパンクロックバンドやりながら、ひとりになったら村上春樹読んでるわけだ。変な奴だよね。

僕は読書家というわけでは全くなくて、特に小説は年に1冊読むか読まないかぐらい。買うには買うんですけどね。だいたい30ページぐらいで集中力が途切れて放り出してしまいます。でも村上春樹さんの小説だけは他と何かがちがって、ぐいぐい言葉が入ってくるんですよね。彼は何かそういう「バカの操作法」みたいな特殊なテクニックを持ってらっしゃるのだと思います。

しかしまあ、世の中には数え切れないぐらいのたくさんの素晴らしい物語が本になっているというのに、一生のうちにその中のたかだか50冊ぐらいしか読まないで死んでいくというのはいささか悲しいことであるような気もします。

そういう村上春樹さんの本も近頃は手に取ることが少なくなってしまいました。最近発売されるものはチェックすらしていない。作家としての能力に磨きがかかって、当時のものとは比べものにならないぐらい力作で読めば楽しいはずなんですけどね。何だか興味が湧いてこないの。

ローリングストーンズがどれだけ長く活動しても「サティスファクション」を超えるような曲を発表できないことからも言えるように、最初にインパクトの強すぎる作品を世に送り出したアーティストはその後ずっと自分の作品の亡霊みたいのにつきまとわれながら活動していくことになります。ちょっとかわいそうな気もします。まあそういうこと気にしない人がずっと長く活動し続けられるのだとは思いますけど。

さて、映画の方はいろいろよかったですけど、まあやはり主演の女優さんの演技力とそれを引き出した監督が素晴らしい。ということに尽きると思います。あと脇役ではサーファーの少年役のひとりがすごくよかった。セリフ棒読みみたいな喋り方。もしかしたら演技ではなくてナチュラルなのかも知れないけど、最近の若者ってほんとにああいう風に喋るんだよね。感情が備わってないみたいな態度でちょっとかっこいいよなあ、とおじさんは思っているのだけど、真似したくても真似できないんだわ。

映画っていいなあ。

僕はダサい帽子の男です

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湯浅佳代子さんとのセッション。課題の残る結果になってしまいました。凹んではなくて、逆に楽しくなってきた感じだけどね。そもそもやってることが「実験」なもんで。失敗はつきものなんだ。絶対に成功しかないものごとを実験とは呼びません。

終わった後すぐに湯浅さんも悔しがっててリベンジしたいと言ってましたので、このコンビでの活動はTO BE CONTINUE決定となりました。すぐにでも、と言いたいところだけど、湯浅さん忙しいんでね。年末は草彅剛さん主演のミュージカルに参加が決まっていて、しばらくはそちらに専念されるとのこと。なので2019年、何十倍もカッコよくなって戻ってくるので、どうぞ楽しみにしていてください。

今回もオフィシャルカメラマンのYUSUKE SATOくんが乗船していました。上がってきた写真を見て唖然。ぼ、帽子が。そう、帽子がぐにゃぐにゃしてるんだ。ダサい。ダサすぎる。

こいつは昨年入手したSCHAのハット。シルエットの美しさと優しい素材もさながら、折りたたんでポッケに入れて持ち運べ、かぶると形状記憶で元に戻るという機能性も気に入って、タイプ別に3つも買ったんですけど、どうやら形状記憶能力が時間と共に劣化するようです。ポーラーハットのつもりでかぶってるのに、ぐにゃぐにゃとまるでノッポさんのチューリップハット。この日のために新調したジャケットやら早起きしてセットしてもらったヘアスタイルやらすべてが台無しですわ。ちょっとぐにゃぐにゃしてるの気がついてはいたけど、これほどとは。帽子はもちろん燃やすけど、写真も人の記憶も燃やしたい。メラメラメラー。

DJ INFO “EXTRA+FRIDAY”

YUASA&MACDUBWISE

えー、このところ、マックロマンスがDJするともれなく美女がついてくるという夢のような夜が続いておるのですが、あの人の姿をまだ見ていないと思ってる方も多数いらっしゃるのではないかと思います。うむ、お待たせいたしました。トロンボーンのユアサ嬢、満を持しての登場であります。湯浅佳代子さんのことは今さら説明する必要もないですね。今や日本でいちばん忙しいトロンボーンプレーヤーと言っても過言ではない、東に西に大活躍中のアーティストでらっしゃいます。

もう10年ぐらいになるかなあ、彼女がデビューしてすぐの頃から目を付けていました。いえいえ僕に人を見る目があったわけではありません。竹林の中でその竹だけ光り輝いていましたので。

思えば数年前、彼女が声をかけてくれて成田(湯浅さんは千葉県成田市出身です。僕のルーツも。)で開催されたパーティーに出演したのがミュージシャンとの初セッションなんだよな。現在の僕の様々な(DJらしからぬ)実験的な活動は、間違いなくその成田の夜がスタート地点です。

めくらめっぽうに突き進んできた僕のDJライフですが、このところ大まかにやりたいことが三方向ぐらいに定まってきたように思います。

1、空間演出:花びんの花や壁の絵のように空間を音で彩るインテリアミュージック。

2、ダブワイズ:ダブの手法を取り入れたビートレス、あるいはダウンビートなDJミックス、リミックス。

3、アートワーク:よりコンテンポラリーなサウンドインスタレーション作品。

いずれにしてもクラブやフェスで需要のありそうな内容ではなく(そもそも「ダンス」という概念が抜けています。)、概存のいわゆる「クラブシーン」「DJシーン」からはまともに相手にしてもらえる感じはしません。彼らとはこれからもあまり関係を持つことなく、自分で道を切り開いていくしかないんだろうなあって思っています。

東京の音楽業界はほぼ僕の存在を知らないし、知っていても完全に無視されている状態な中で、湯浅さんのように第一線で活躍しているミュージシャンらが、キャリアに何のメリットもないことは承知の上で僕の活動につきあってくれてるんだよね。何でもおもしろがってチャレンジしていく姿勢に今更ながら感服してしまいます。

さておき、今回は上記の中の2番で行きますよ。湯浅さん最近シンセとか買ってエレクトロづいてるらしいから、けっこうビガビガした内容になるかも知れません。

DJ MACROMANCE feat. KAYOKO YUASA in “EXTRA+FRIDAY”

10月19日(金)JICOO THE FLOATING BAR 日の出桟橋をよる8時出港

 

DJ INFO

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一流の人は、人を色眼鏡で見ない。肩書きとか経歴に惑わされない。自分の感性に自信があるからね。だから一流なんだ。

自分に言い聞かせてるみたいだけど、本当にそう思います。

さておき、この金曜日は久しぶりにホームのCAYでDJします。このひと月ぐらい、いろいろ感動する出来事にたくさん遭遇したので、ひとまわり大きくなったプレイができるんじゃないかと思っています。

どんどん短くなる

DJ MACROMANCE feat.CHIHIRO SINGS LIVE AT 5351 POUR LES HOMMES DAIKANYAMA FLAGSHIP SHOP REOPEN RECEPTION / 24 AUG,2018

先日YouTubeに公開したのと同じ内容ですが、インスタ用に短く編集しました。

YouTubeの動画は3分以内におさめないと観てもらえない。と、どこかで聞いたのを真に受けて、ずっと3分という時間にこだわっていたのですが、僕のアカウントについては、アクセス数と動画の長さはあまり関係性がないようです。逆に「もっと長いのを観たい。」なんてリクエストが入ったりもして、最近は尺のことあまり気にせずやっています。

ただし、通りがかりのユーザーに作品をちゃんと観てもらうためには、それなりの工夫は必要なようですね。ぱっと見た瞬間にインパクトを与えられないと、どんどんすっ飛ばされてしまうのはネットならでは。情報過多の世の中においては人が短気になるのが道理なのでしょう。

これは動画だけじゃなくてiTunesなんかの音楽配信もそうで、どんなに素晴らしいエンディングが用意されていたとしても、イントロで心を掴めない曲はどんどん埋もれてしまいます。曲を作る方もその辺は熟知しているらしく、最近の曲(特にヒットソング)はどれも頭にパンチラインが来ています。

帰ろうかなと思いながらずっと我慢して観ていたら最後にご褒美が待っていた。ヴィンセントギャロの「バッファロー’66」のような作品は今の時代には生まれにくくなっていると思います。ま、だからこそ挑戦のしがいがあるんですけどね。

インスタに掲載できる動画の長さは1分。他の人のを見ると今や10秒とか15秒ぐらいが主流であるように感じます。たった10秒でちゃんといろいろ表現できているからすごいなあっていつも感心しながら見ていますよ。どんどん短くなって、そのうち動かなくなるかも。

A SLIED SHOW

DJ日記 

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5351POUR LES HOMMES代官山リニューアルレセプションでDJしてきました。

写真だとBARかレコードショップみたいけれど、もちろん服屋です。売り場から独立した場所にあるこのカウンター、普段はレジが置いてあって、お会計のやりとりをする場所なんだけど、機材をセットして、そこから酒も出すという言わば即席DJ BARな展開。

前面ガラス張り、売り場のフロアに通ずる手前側にも仕切りガラスがはめ込まれていて、ラジオの公開スタジオのようでもあります。この空間、そのまま欲しいよね。

お客様はとなりのフロアにいらして、離れたところからのオペレーション。まあ正直なところ選曲はとてもむずかしかったです。人の動きとかは何となく見えるんですけどね。空気がわからない。自分はいつも(無意識的に)空間のムードを読みながらDJしているんだなあって実感しました。

この夜はPiece of PeaceのChihiroさんがゲストで登場。時々、レコードに合わせて即興で言葉をのせるという例のヤツをやってくれたんですけど、あまりにもうまく馴染みすぎて、たぶんお客様のほとんどはライブとは気がつかなかったんじゃないかな。

そして終盤にまた素晴らしすぎるパフォーマンスが炸裂しました。これはその時の写真。彼女、叫んでるみたいに見えるけど違うんです。「ささやいている」んだ。

静かに流れるピアノソロに合わせて雑踏のすきまにポルトガル語のポエムを流し込む。その聞こえるか聞こえないかぐらいの小さな声を出すために、彼女、全身全霊を使っているんだ。ほんとに驚いたね。ちょっと言葉にならない。「感動」を超える意味の新しい言葉をこさえなくてはなりません。

録音できたからこれはジャイルスピーターソンにデータを送りつけてやろうと思ってます。

同じカウンターからお酒を出していたので、やはりバーテン魂?が騒いでしまって、何となくそっちのお手伝いも。その流れでChihiroさんまでバーテンやる羽目になりました。とんでもなく想定外の展開になってしまったけど、ご本人、楽しんでらっしゃったみたいだから、ま、いいか。

5351関係者のみなさま、おめでとうございます。素晴らしい機会を与えていただきありがとうございました。服と酒(僕はもう飲まないけど)と音楽と、傍に美しい詩を携えた美女と。もオレはもうそろそろ死んでもいいかなすらと思います。

Photo by @secret_citywalk

 

 

GQOM GQOM GQOM!

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DJmacromance with MAKI on Flute. Photographed by @seacret_citywalk / at JICOO THE FLOATING BAR / 17 AUG,2018

予想を超えることは想定内として、さらにその上をいく圧巻のパフォーマンスでした。僕もまあ頑張りましたけどね。やはり女王様は凄かった。猛獣使いが猛獣に使われてるみたいな(まあそれはそれでひとつのスタイルとして機能しそうだけど。)ショータイムでした。

今回もあれこれチャレンジしたのですが、個人的にはGQOM(ゴム)のレコードでセッションできたことがとても嬉しかった。エレクトロなのに有機的で土の匂いのする不思議なダンスミュージックGQOMは南アフリカはダーバン発信。全体的に呪術的でおどろおどろしいムードなので、なかなかかけられる機会がなかったのだけど、前日のスタジオで合わせてみたら、すごくうまくいったので、急遽導入したわけだ。変態エレクトロに女王様の笛がのると本当に魔法がかかったみたいに優美なアフリカンミュージックに変身します。また新たな扉が開いてしまいました。

Snipe Shot

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DJmacromance photographed by Masanori Kamide

同じ場所で同じようにDJしているのに、撮影する人によってここまで違うのか。以前に別のカメラマンに撮影していただいた写真とぜひ見比べていただきたい。こりゃまるで別人だよ。

撮影は上出 優之利さん。フォトグラファーの前はDJだったとか。なるほど。音の趣味が滲み出してきそうなショットです。ゴロワーズとかジタンの匂いも漂ってくる感じもするよね。ここまでドブ臭いジジイに撮ってもらえたのは初めて。現実を超えて、ひと足先に「なりたい自分」になっちゃってるんだ。

そういう意味では写真家は未来を映し出す預言者であるとも言えましょう。

上出氏は現在、師エスケンの生活に密着して撮影してるほか、大好きなガールズ=BimBamBoomのLIVE会場でも必ず姿を見かけます。たぶん年齢も近いし、要注目アーティストのうちのひとりです。

DJ info スペシャルゲスト

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with Chihiro Sings. Photo by sercret_citywalk

5351POUR LES HOMMES のリニューアル・レセプション。Chihiro Singsさんのゲスト参加が決まりました。6月のJICOO(東京湾クルーズ)以来、2度目のセッション。何がどうなるかは当日になってみないとわからない。自分たちにもわからない。

5351 POUR LES HOMMES DAIKANYAMA REOPEN RECEPTION

8月24日(金)18:00-21:00 (Invited Guest Only)

Sound by DJmacromance feat. Chihiro Sings

 

DJ info “GINZA9”

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雑誌LEONやサントリーの広告などでご存知の方も多いと思います。イラストレーターの桑原節さんが銀座で個展を開催されます。夜はダンディな大人たちが集まるサロンに変身。レコードかけにまいります。四夜連続です。ちょっとビビっているというのはここだけの話。