カテゴリー別アーカイブ: ことば、エッセイ、ポエム

呪縛からの解放

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コウモリランは2シーズンめに入って、長い梅雨も、夏の猛暑も乗り越えた。風を好むということで、いくつかの株を外に出しっぱなしにしてみたのだけど、部屋の中にいる者たちの方が機嫌が良さそうなので、結局全て室内に戻すことになった。植物はかまいすぎるとよくないと聞く。実際、過度な愛情に耐えられず、枯らしてしまった草木は少なくないが、こいつらはむしろそばにいて面倒を見てやった方がうまく育つようである。

「なんとなくクリスタル」という小説(たしか映画にもなった。)が発表されたのが、1980年。僕は15歳で、本は読んでなかったが、この「なんとなく」というキーワードが世の中のムードを変えていく様は、(なんとなく)体感している。なにごとにもあまり一生懸命に取り組まないスタイルがクールとされる雰囲気で、当然、熱血漢の僕にとっては居心地が悪かった。思えば僕の落ちこぼれ人生は、そのトレンドにうまく乗れなかったところからスタートしたような気がしないでもない。燃えたぎる魂を封印して人に見せないように努めて生きてきて、結局、燃えてもない燃えてなくもない、中途半端な人間に仕上がった。

「なんとなく」の呪縛を解いたところで、今さら熱い自分が戻ってくるわけでもないが、「枯れるのを防ぐために意図的に放ったらかしにする。」なんていうややこしいことは今の僕にはできない。毎日たっぷり愛情を注いで育て、枯れてしまったらそれまで。コウモリランたちは見ての通り、過度な愛を肥やしに自由奔放に葉を伸ばし続けている。

皿洗いのつぶやき

BLUESNIKことハンザワさんが我が家のスタジオに遊びに来てくれた。DJとしては30年近くのキャリアを持つ大先輩なのだけど、近年はほとんど活動していない。尖りすぎた選曲スタイルについて来れる雇い主がいないのだと僕は思っているが真実は知らない。

持参したレコードをミックスしながら、そのセオリーをこと細かにレクチャーしてくれる。ハンザワさんのプレイはいろいろ凄くて普通のDJの10年ぐらい先を突っ走っているが、最近ではヘッドホンすら使わない。つまり次にかける曲を全くモニターせずに、それでもうまい具合に違和感なく曲をポンポン繋いでいく。とても真似できるものではない。やり方を教えてもらっても真似できない。

20分ぐらいだろうか、わりとまともな流れが続いているなと思っていたら、そのまま終わるわけがなく、途中で暗黒モードに入っていく。ただ「暗い」とかだけではない。ひとことで言えばすごくダサい。もちろん本人はよくわかってやっている。「この辺でお客さんがだんだん怒り出すんだよね。」とか言って、最初から客の怒りがセオリーの中に入っているらしい。

15年かそれぐらい前に、シャンパンのヴーヴクリコのイベントでデュランデュランをかけて、雇用主にこっぴどく怒られていた。当時は80’s音楽はDJのネタとしてはタブー扱いされていた。今やそれが王道中の王道であることを一体誰が予測しただろう?その後も、ジャズフュージョン、ディストーションギター、日本のニューミュージック。タブーに挑戦しては、顧客やクライアントを怒らせ続けてきた。十八番にホラー映画のサスペリアのテーマ曲なんてのもあって(あれをレストランとかでカップルやファミリーが和やかに食事をしている後ろに流すのである。)顰蹙を買っていたが、サスペリアはその後リメイク版が制作され、音楽は何と、かのトムヨークが担当したことで脚光を浴びた。みんながハンザワさんを追いかけているのである。

僕はDJは基本的にはアーティストではなくて、皿洗いやバーテンや警備員と同じ、お店やイベントのスタッフのひとりと思っている。つまり顧客やクライアントが喜ぶような選曲をするのが正しいスタンスだと考えている。東京ではレストランやバーのBGMの依頼が多いから、必然的にジャズ中心のラウンジ系の楽曲におさまる。クライアントにもいろいろいて、例えば、クリスチャン・デスのヨーロッパツアーの時はハードでディープなエレクトロ/ダンス/ミュージックというオーダーが入ったので、それに対応した。店によって皿の洗い方にもいろいろある。オーガニックな洗剤を使えと言われればそうするし、食洗機があるなら、その使い方を学ぶ。

それで、楽しいのか?と聞かれれば、別に楽しくはない。他にやることもないし、できることもない。声をかけてもらっているからやっている。どこからもオファーが来なくなったらやめるしかない。ハンザワさんのような究極のアーティストタイプのDJとは取り組み方が全く異なる。正直言って少し、いや、かなり羨ましいが、僕に彼の真似はできない。

僕にはやりたいこと(創りたいもの)が何もない。あるふりをしてずっと生きてきたけど、実はない。これを書いていて、それに気がついた。おもしろいな。ハンザワさんのことを紹介しようと思って、こんな話になった。

マックロマンスにご用心?

イラレの話をする。わざわざ説明するまでもないが、イラストレーターはアドビシステム社が販売する画像編集のソフトウェアである。イベントのフライヤーからブランドのロゴ、ビル屋上のポスターなどなど、我々が日常、目にするほとんどのデザインワークはこのイラストレーターを利用して製作されていると言ってよいと思う。僕も長年使っていて、ホームページやSNSにアップするためのアートワークでは大変重宝している。

イラストレーターの素晴らしいところは、プロユースのツールでありながらにして、専門的な知識がない素人でもそこそこ扱えてしまう利便性で、事実、コンピューター音痴、デザインずぶの素人の僕でも、まあ何となくそれっぽく見えるものが作れている。操作に困った時はグーグルにキーワードを入れれば、ありとあらゆる情報があちらこちらから発信されていて、これまで一度も説明書(そんなものがあるのかどうかも知らないが)の世話になったことはない。

20年ぐらい前だったか、友人からCDにコピーしたソフトをもらって、しばらくそれを使っていた。厳密には違法だが、コピーガードなどもなかった時代で、皆、普通に使いまわしていたと思う。ヴァーションがアップして使い勝手が悪くなり、ある時期にソフトを自分で新しく買いなおしたのが5、6年ぐらい前だったろうか。その時はもうCDではなくて、アドビのサイトからダウンロードしたような記憶がある。2万円ぐらいだったかな。現在に至るまで何の不具合もなく使えていたが、最近、PCの方が先にダメになった。

新しく買ったMacBookはクリーンインストール(前のPCから移行しない。)でスタートしたので、これを期にイラレの方も新調しようとウェブサイトを訪れてみて驚いた。

販売はオンラインで、月額プラン、年額プランのどちらかを選ぶとある。すなわち、これまでのようにソフトを買ってその後は使い放題というわけではなく、いわば契約して使用権利をレンタルするというシステムだ。契約期間中は永遠に使用料がかかる。料金がすごい。イラストレーター単体で月々2500円程度、フォトショップなど他のアプリケーションと抱き合わせのフルプランだと6000円近くする。これまで2万円(あるいは無料)で使い放題だったものが、同じ金額だと3ヶ月で終了という信じられないような値上げである。仮に僕があと10年生きて、その間ずっとイラストレーターを使い続けたら60万円。これまで20年で2万円だったものがだぞ。

ユーザーに選択の余地はない。現在イラストレーターを使わずにデザインワークを行うことはほぼ不可能。仮に同様のソフトが安価が開発されたとしても(無理だと思うけど)、互換性という問題がある。作った作品を印刷屋に出しても、あちらが同じソフトに対応していなければ元も子もない。

アドビはこの機会をずっと待っていたと思う。ほとんど無料でタネを撒き散らして、世界中の人間がそれなしでは生きられないという状況を作り、今ようやく収穫の時期に入ったというわけだ。シャブを売るのと同じセオリー。ビジネスの基本的モデルと言えよう。

同じことはこれからあちこちで起こると思う。LINE、Google、Facebook、、タダと思って使っていて、気がつくとそれなしでは生活できなくなっている。タダより高いものはない。昔の人はよく言ったものである。

あなたが読んでいるこのブログも、タダだと思っていたらある日突然1本60万円とかになるかも知れない。1日に何度も、記事の更新をチェックしに来ているようなら、すでに中毒の可能性がある。ご用心を。

 

ロゴの呪い

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10年ぐらい前に買ったシアサッカーのセットアップ(日本製)がデザインもシルエットもどことなく今期のトムブラウンに似ていることに気がつき、ワードローブの奥から出してきて袖を通してみた。うむ。少々野暮ったい感じはあるけれど、なるほど、2019年にじゅうぶん通用しそうである。で、これに合わせるためトムブラウンのソックスを購入してみたら、予想通りにうまくいった。

エセ、トムブラウンルックにて気分良く街に出てみたはよいものの、やはりこのトリコロールは人様の目につくようで、行く先々で「ジャケットやパンツもトムブラウンなのか?」と尋ねられる。「いえ、これは10年前の日本製でして、、。」と説明する時の敗北感ったらない。

10年も前の服を今になって綺麗に着こなすことはむしろ胸を張るべきだと思うのだけど、ブランド品がかえって全体の足を引っ張っているという逆効果の一例である。とはいえ買ってしまったソックス、トリコロールを剥がして履くかどうかは未だ検討中である。

再会

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少し前に壊してしまったお気に入りのサングラス。購入したショップに行ってみたのだけど、入荷がないとのことで、もう同じものは手に入らないと毎晩泣きながら暮らしていました。何の気なしに訪れたラフォーレ原宿内の若者クラヴァー向けのお店に普通に売っておりました。フレームやレンズのカラーは同じではありませんが、デザインやサイズはそのまんま。もちろん即購入です。ハゲ頭に髪の毛が戻ってきたような気分であります。

ラフォーレ原宿では以前アルバイトをしていたことがあり、大ポカをやらかし、相当長い間足を踏み入れることを許されておりませんでした。問題の店が閉店して、ここ数年でやっとわだかまりがおさまったところであります。

今これを書いていて、このサングラスを買った店、僕がポカをやらかしたアルバイト先の跡地にあるということに気がつきました。歴史はいつもどこかで繋がっています。

存在の耐えられない軽さ

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2017年の夏に我が家にやってきて、無事に冬を越し、どんどん増殖して、ひと安心と思っていたところ、ひとつひとつと枯れていって結局全滅した多肉植物。結局1年もたなかったわけだ。多肉はほどよく放っておくのがよいと聞く。愛情が重過ぎて耐えられなかったのだろうか。いらぬ愛に押しつぶされる苦しさはわからんでもないが、何も死ななくともよいのにと思う。

と、思っていたら、生きていたのだ。出窓に置いてある他の植物の植木鉢の影でひっそり、土もなく1滴の水も与えられない環境で人知れず越冬し、春先に小さな分身らを携えた状態で、発見された。いくら何でもそのまま放ったらかしにしておいては枯れると思い、ひとまず土の上に置いてみた。愛情が苦痛にならぬよう、見てみないフリをするよう努めているが、まあかわいいものを見てかわいいと思ってしまうのはしょうがない。心までは詐れず、時おり水を与えたい欲求に駆られてしまう。

ふと、存在の耐えられない軽さ。というタイトルの映画があったことを思い出した。ダニエル・デイ=ルイスが主演で、特に映画通の間で高い評価を受けたと記憶しているが、若かったせいか、今ひとつその良さが理解できなかった。断片を頭の中に浮かべてみるに、おそらくとても良い映画だったのだと思う。今観たらきっと楽しめるような気がする。何で突然その瑛のことを思い出したのか、隠れるようにして冬を越した多肉植物との関連性が判明するかも知れない。

*春先に書いた記事に加筆した。

コーヒー

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海から上がり、ひととおりの儀式を済ませる。すなわち、用意してきたタンクのお湯(冬場には水になっていることもある)をかぶり、ウェットスーツを脱ぎ去り、用意してきたスウェットやTシャツに着替え、フィンやリーシュコードなどの道具をボックスにしまい、ボードの砂を落として車のルーフに取り付け、普通ならこれで、後は車のエンジンをスタートさせて帰路に向かうだけなのだが、しばらくその場に留まって海の余韻に浸るのも、行動様式の中に含まれている。

となると、やはりコーヒーが欲しい。

で、簡易的な湯沸しのツールを揃えて常備するようになった。コーヒー豆はあらかじめ自宅で挽いて専用の瓶に入れて持参する。折りたたみ式のドリッパーも手に入れた。少しの面倒がかえって楽しみをもたらす。風をもろともせずゴオと音を立てて燃える火、ぶくぶくと湧き上がってくるあぶく。落とした湯に弾けるコーヒーの粉。立ち上がる燻し香が海のにおいと混ざる。できあがったコーヒーをチタン製のマグカップに注ぐ。湯気、波の音、チリチリする肌。海を前にして飲むコーヒーは本当に旨い。

帰り道、海ほたるの渋滞にはまったあたりで、ふと、飲み終わったあとのマグカップを置きっぱなしにしてきてしまったことに気がついた。うむ。ということは当然、他のツールもそっくりそのまま海にある。

数ヶ月後、コールマンのアウトレットショップでようやく小型ストーブを入手した。コンビニで売っている真空パック入りのコーヒーを持って海に行ったが、何故か湯を沸かしてを飲む気にはならなかった。

ヘッドホン

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海外DJツアーが決まって、生活スタイルががらりと変わり、ここでもその話題を発信しまくると自分でも思っていたが、毎日あちらとやりとりしたり、トラックを作ったりみたいなことばっかりやっていると、現実逃避でDJとは関係のない話ばかりしたくなるところが怠け者の怠け者たる性(サガ)であって我ながら情けない。

5351POUR LES HOMMESがタイアップしているマーシャルのヘッドホンを購入した。ヘッドホンと言ってもDJツールとしてではなく、僕の場合は音楽ではなく、移動時、実はラジオを聴いている。しかも音楽番組の多いFMではなく、AMラジオである。

現在はラジコがあるので、オンタイムでなくても好きな番組が聴けるようになった。一番好きな番組はTBSの荒川強啓のデイキャッチというお昼の時事ネタ番組で、ラジコが導入されてからはほとんど欠かさず聴いていた。僕の政治社会的な発言はほとんどこの番組からの受け売りと言ってもよいかも知れない。これがこの春、突然の打ち切りとなった。理由はイマイチ定かではないが、政府筋から圧力がかかったのだと視聴者のほとんどは思っているだろう。

さておき、ヘッドホンの実用性はじゅうぶん合格ラインだと思う。Bluetooth通じてiPhoneとの相性は良い。(BOSEのBluetoothスピーカーとiPhoneの相性は悪いと思う。よく繋がらないことがある。)電波もかなりの広範囲をカバーしている。それとなくスイッチを入れたらとなりのとなりの部屋に置いてあったiPhoneのiTunesが起動して音が流れてきてちょっとびっくりした。密閉性は高く音漏れの心配が少ない。環境によってだがDJ時にも使えてしまうかも知れない。音もいいと思う。(実はもともと音のクオリティはさほど気にしていない。自分の音を人に聴かせる時は話は別だが。)装着感はややきつい。長時間の連続使用は耳や頭に辛いかも知れない。まあ、そのぶんホールド感はしっかりしている。首にかけた時も左右のスピーカー部分がフロントでくっつくぐらいバネが強いので、僕のように首が短い(ほとんどない)人間は使わない時は首から外してポケットやバッグに引っ掛ける、さもなくばスピーカーで顎を挟むという不恰好な姿で歩くしかない。ファッションアイテムとして首にかけることを想定するなら人並みの長さの首を持っていることが条件となろう。

見ての通り、デザイン性、身につけた時のインパクト、共に文句なし、当然5351の服にもよく似合う。特にエレガントなスーツスタイル時にしっくりくる風貌のヘッドホンは他にそうないと思う。ボタンスイッチやピンなどの金具がさりげなくゴールドなのもマーシャルらしくてかっこいい。

夕食

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最後の晩餐にどんな料理がふさわしいかについては自分の中でも諸説ある。キリストのように大勢で食卓を囲むのだけは避けたい。小さなテーブルと座り心地のよい椅子がひとつづつあればよい。酒はいらない。音楽も必要なかろう。てきぱきと動く程度のよい給仕のいる店で、できれば通りに面して行き交う人を眺められる席がよい。風は少し冷たく、昼でもない、夜でもない時間帯が最高だ。皿いっぱいのフライドポテトを口の中に押し込み、コーヒーのおかわりをを注文する。ギトギトになった指をパンでぬぐい、そいつをまた口に放り込む。背後で交わされる男女の会話がフランス語だとより素晴らしい。デザート(ラズベリーの入ったタルトだ。)を運んできた給仕が、腕にかけた白いトーションの下から小さなピストルを取り出し、僕の後頭部に銃口を当て、無表情のまま引き金を引く。僕は口に入らなかったラズベリーの甘酸っぱい香りに思いを馳せながら、暗闇の中、地獄への階段をひた降るわけだ。何たる完璧な。

トラック作り開始

しばらくはクリスチャン・デスのUK/EUツアー関連の話が続きます。

さて、ツアー本番までちょうど2ヶ月です。いろんなことをやらなければならないのですけど、とにかく現場でどんなパフォーマンスをやるか決めなくてはなりません。

僕はふだんバーやカフェのような場所でジャズやノンビートの音楽を会話の後ろに静かに流す、というようなことをやっているのですが、デス・ロック・バンドのオープニングアクトとなると、やはりそれに合わせてスタイルを変更しなくてはなりません。当初、話が持ち上がった時は、現代音楽やアート系の作家の音楽を使って「静けさの中にある狂気」みたいのを表現したいと思っていたのですが、バンドの方から「ガンガン盛り上げちゃって」というまさかのオーダーが入ってしまい、東京でもやったことのないダンスチューンに手を出す羽目になってしまいました。

しかしながら、いわゆるエレクトロダンスミュージックにあまり興味を持ったことがないから何をやっていいかよくわからない。それにデス・ロックとダンスミュージックにはそもそもあまり接点がありません(あるのかもだけどよく知らない)。なので自分で作ってしまうことにしました。作ると言っても作曲するわけではありません。人の作った曲を盗んできて、切ったり貼ったりして新しい曲に生まれ変わらせるのがDJの仕事。

ドラムンベースやダブステップなどのちょっとダーク(レフトフィールドと呼ばれているらしい?)なビートをベースに、アフリカンブードゥのパーカッションを加えて厚みを作り、ディストーションギターのフレーズをサンプリングしてきてトッピング。ありそうでなかった新しい音楽が完成。こうやってみるとDJのミックスワークは料理にそっくりですね。

こんな感じのトラックを2〜30ぐらい作っておいて、それを現場でうまく繋ぎ合わせるというわけだ。1日1曲作ればひと月もかからないから、まあ余裕で間に合いそうです。

↑聴いてみてくれたかな?作品としてはちょっと完成度が低いと思うかも知れないですけど、これ、あくまで材料ですんでね。仕上げは現場でやるので、火を通しすぎないようにしています。料理と同じです。

つづく

KOTA A.K.A MACROMANCEの詳しい情報はH.Pをご覧ください。

凱旋しない

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僕が80年代にイギリスでゴスバンドに所属してベーシストとして活動していたことはこのブログでも話題にしてきた。長い人生において人に自慢できるようなことが他にないので、自分のことを話そうとするとどうしてもその話題になる。

メンバーを変えながらも現在も活動しているそのバンドがこの初夏にヨーロッパツアーを敢行するそうで、それに僕がDJとして参加するという話が突然浮上してきた。願ってもない海外デビューの機会である。

昨年、闘病を押して来日した盟友カム・キャンベルとの再会において、ヨーロッパ、特にロンドンへの凱旋は僕がどうしても果たしたい夢のひとつになった。何の成功を収めずに「凱旋」とはおこがましい、と怒られそうだが、さして華々しいものではないにしても、この難しい時代にこの年齢まで五体満足で生きて来られたことがすでに成功だと僕は思う。

そんな中、コムデギャルソンがパリコレで「ゴス」をテーマにしたコレクションを発表したというニュースが入ってきた。時代が僕を後押ししてくれているような気すらする。何ごとにも悲観的な僕としてはめずらしく前向きハイ。果たしてこのような状況が続くだろうか。

続くわけないよね。僕は恐ろしくネガティブな生き物なのだ。結論から言えば、今回のツアー参加の道はほぼ閉ざされたと思う。条件面で折り合いが合わず、交渉するのが途中でめんどくさくなって、こちらからフェードアウトした。どうせならライブにも参加してベースを弾いてくれ、みたいな話も飛び出して、何だかもうめちゃくちゃ。思えばこのブログでも前回「もうベースは弾かない」と宣言したばかりである。

写真と本文はほとんど関係ない、が、全く何も関係ないかと言えばそうでもないかも知れない。

呪いの突き指

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今年はどうも正月に母親から発表された呪いの占い「何をやってもうまくいかない。」が頭の片隅にくっついて離れないようである。もともとからネガティブな性格で、良い占いだと「そんな素晴らしいことが自分に起こるわけがない。」と結果を跳ね除けるくせに、悪い方は心の底から信じて受け入れてしまうのだ。そんな悲観的な性格の自分を本当に恨んでいるが、53年そうやって生きてきて、今さら楽天的で前向きな性格に生まれ変われるとは思わない。残りの人生も悪い予言だけを信じ、呪われ、死んだ後は地獄に落ちるのだろう。

さて、きのうサーフィンに行った際、ボードで突き指をしてしまった。折れてはいないが指と手がかなり腫れている。幸い、ターンテーブルなどDJ機材の扱い、パソコンのキーボードの操作、車の運転など、日常生活には大きな影響はなさそうだ。やれやれ、自分がピアニストや外科医でなくてよかった。と、必要もないような安心をしたところで、ふと、前回このブログで「音楽の新しい表現方法を発見した」と息巻いておったことを思い出した。

弾けないのである。この指では到底ベースは弾けない。他のことはだいたい何でもできるのに、ベースだけは弾けない。

要するに神は私に「ベースを弾くなんて考えは捨ててしまえ。」と言っているのだな。少なくとも私はそう解釈した。わかりました。弾きませんよ。弾きません。もう金輪際弾かねえわ。

まあものすごくポジティブに捉えるのであれば、これは「レコードだけで勝負しなさい。」というメッセージだと取れなくもない。事実、今朝、ターンテーブルの前に立っていくつかの曲を繋いでみたが、あまりにも素晴らしすぎて自分で感動してしまった。もしかしたら私は天才かも知れない。

とまあこのように、クリエーションに(そして生き方)については、毎日のように考えがコロコロ変わる。あれこれ考えて結局は何もやらない。というのを何万回と繰り返してきた。今回もきっと同じになるだろう。この後も悪い予言だけを信じ、呪われ、死んだ後は地獄に落ちるのだろう。

*写真と本文はあまり関係ないかも。

ノンタイトル

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D(レ)マイナーの和音を16に分割してインスタみたいに4×4列(インスタは3列だけど)に配置し、下の右から順に番号をふる。写真の番号の音をEマイナーフラットの音に合わせるとよいハーモニーを奏でる。

電子パット付きのサンプラーをブースに持ち込んで、曲(レコード)に合わせて演奏するというスタイルでのプレイを過去2回導入したが、どちらも満足な結果をもたらすことはできなかった。自宅やスタジオでの練習ではそこそこいい感じにいくのだけれど、本番ではどうも思うような音を作ることができない。おそらく自分にはマシンライブのようなスタイルでよいムードを作るための資質が備わってないのだろうと解釈している。たった2回で何がわかる?と突っ込まれそうだけど、同じ相手と2回セックスして、うまくいかなかったら3回めはもうなかろう。(普通は2回だってないと思う。)

話は変わるが、いただいたレコードを繰り返し聴いていたら、何となくベースを弾いてみたい気分になった。現役を引退して30年になるが、たまに無性に触りたくなることがあり、ベースはいつも弾ける状態で部屋にある。おもむろに流れるレコードの曲に合わせて弦を弾いてみたらこれがなかなか楽しくて止まらなくなった。もともと変拍子だらけの奇妙な曲ばかりのレコードだが、新しいリズムが加わって、あまり聴いたことのないアバンギャルドな雰囲気の音楽に変化した。試しに他のレコードでもやってみたところ、やはり面白いフレーズが浮かんでくる。これをくりかえし、改良を加えれば人に聴かせられるレベルのものになるやも知れぬ。

長い間、いろんな形で音楽に携わってきて、自分には作曲の能力、また演奏者としての資質がないことは重々承知している。簡単に言えば僕には「メロディー」がない。この致命的なハンデに痛み、一度は「音楽」を捨てたはずだったが、またその「音楽」に引っ張られるようにしていろいろなことが僕の身の回りで起こっている。この先どうなるかは全くわからぬが、まあね。アナログレコードとエレキベースという中途半端な組み合わせは自分らしくていいと思う。

電子パット付きのサンプラーはメルカリに出すかな。もう少し持ってた方がいいか。

MOVIE VIEW

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1965年に生まれた。

イギリスにおいてはThe Who のMy Generation、The Rolling Stonesの(I Can’t Get No)Satisfactionの年で、我々の属する社会においてはこの年を「文化元年」と断定してもよいぐらい、新世代の幕開けを象徴するような年号だと言えよう。

その当時のロンドンを、自らが新世代のメンバーのひとりだった俳優マイケルケインのナビゲートで、残された映像やインタビューで振り返るという映画。何となく見聞きして知っている話ではあるが、こうやって改めてまとめたものを見ると、やはり血が騒ぐ。同時に、自分自身がそこには属さぬ部外者であることを再確認して沈む。

1965年生まれの「マイ・ジェネレーション」たちの青春は、大学生の分際でオープンカーを乗り回し、似合いもしないジャンポールゴルチエを着て、夜は六本木、冬はスキー、女たちはボディコン、音楽はユーロビートというおぞましいものだった。当然そこに自分の居場所はなかった。

1965年、東京。時代と場所を間違えて生まれた。

コウモリラン

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コウモリラン。いくつか枯らしてしまったものもあるが七株残って、まずまず機嫌よく成長している。

植物は眺めているだけで心が和む、特にコウモリランは特別で、踊り狂う女たちの手のように思い思いの方向に咲き広がる葉、太陽の光に透けて見える美しい葉脈、丸っこくて可愛らしい貯水葉など、ずっと見続けていても飽きることがない。

水のやりすぎが枯らしてしまう原因のひとつと知り、水やりのタイミングは注意するようにしている。株によって二週間ほど放ったらかしにする時もあるが、このところ水が欲しいサインが何となくわかるようになってきた。

同様に、愛情を与えすぎるのも良くないかと考え、この胸の内を悟られないように演技しながら対応している。たぶんバレてると思うが。

自然界では他の木や岩石などに着生して成長するらしい。インターネットなどで情報を集め、見よう見まねで、流木(サーフィンに行った時に拾ってきた)や庭木の端材などにくっつけてみたら、なるほど植木鉢に入っている時よりも気分が良さそうに見える。私が死んだらぜひとも彼女たちを私の屍体に着生させてもらいたいものだ。(遺言に書いておこう。)何なら生きたまま一体化してみたいぐらいだが、はたして。

Music : “Why Can’t We Live Together” / Timmy Thomas

 

2019年

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年明けの占いで「今年の運勢は真っ黒。何をやってもうまくいかない。」と出た。別に占いを信じて自分の行動を決めているわけではないが、年初からやる気を削がれたので、今年は何もしないことにした。DJにおいては今年こそ海外ツアーを、アルバムでも作って、その発表会を。みたいなことを目論んでいたが、それも全部やめた。サーフィンでもやりながら来年が来るのを静かに待とうと思う。予言が当たれば、サーフィンをやってもどうせうまくはいかないのだろうが、うまくいかなくても面白いのがサーフィンなんだよね。

あ、あけましておめでとうございます。

納品 

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この夏から男服 5351 POUR LES HOMMESのショップミュージック(店の中で流れているBGM)を担当させてもらっている。その流れで2019 S/Sの展示会、会期中の音楽も作ることになった。ブランドの方向性を顧客に提示する場に流れる音楽だ。非常に重要な役割で、光栄であると同時にプレッシャーもある。

デザイナーから新シーズンのテーマ、キーワード、イメージ画像がデータで送られてきたのが10日前。まずはその意図をよく理解するところからスタートする。最初は何の音も聴こえてこない。大丈夫、まだ時間はある。

選曲集を作るときは最初の1曲が見つかるまでにいちばん時間がかかる。うまく説明できないのだけれど、それは最初から決まっているような気がする。どこにあるかはわからない。でも「ある」ことはわかっている。宝探しというよりは、どこにしまったか忘れてしまったものを探す感覚に近い。

やみくもに曲を聴きまくっていて見つかることもある。ラジオやSNSで偶然見つけることもある。多くの場合、それは突然やってくる。頭の中で音が鳴り出すのだ。

何も起こらずに数日が過ぎる。その間にもDJをやったり、サーフィンに行ったり、他にも用があってこちらには取りかかれない。音もまだ聴こえてこない。ただ、受け取ったビジュアルイメージが少しずつ動き始めている感覚がある。写真がスライドショーになり、ムービーとなってストーリーを語り始める。

6日め。ギターの音が聴こえる。はしっこを捕まえてたぐりよせる。「何だ、君か。」

レコードの棚からそいつを取り出してターンテーブルに置く。針を落とす。間違いない。コイツだ。残り3日。

翌日。別の音が鳴り始める。急遽、曲を集めて配列を考え、DJブースに立って一挙につなげる。おごそかで神聖なムードのミックスができあがる。いわゆるクリスマスソングは1曲も入ってないがこのシーズンの空気によく馴染むであろう。

その夜、やっと展示会用の曲を集めはじめる。この時点でイメージはすでに固まっているので、作業は難航することなく進む。雨が降っている。あと2日。

その次の日はサーフィンに行く。ドライブしながらクリスマスミックスを聴き、集めた素材を聴く。海に入った後は特によく音楽が体に浸透してくる。

納品日。いい感じでベッドから出る。午前中は整骨院、午後は歯医者。帰宅してから作業開始する。パソコンに取り込んだ音源をチェックしながら配置を決めてゆく。30ほどの候補曲を最終的には20曲ぐらいまで絞り込む。それらを今度はDJミックスのソフトに取り込む。ファッションブランドのイベントで流れる音楽が、8畳の和室のこたつの上で編集されているとは誰も知るまい。

パソコンを持ってDJブースまで移動し、配線を整えてレコーディングのセッティングをする。キッチンでコーヒーを入れ気分を落ち着かせると同時に高揚させる。

1曲めを放つ。実は最初に見つけたのとは違う曲だ。3日前はその存在すらも知らなかった。今は私の血と同期している。

選曲集とはいえ、ライブでDJしているのと全く同じ手法でレコーディングする。同じミックスでもスタジオで何度もこねくり回したものとは臨場感が違う。旋律はすべて私の体を通りまた新たな記号となってハードディスクに書き込まれていく。私は踊る。踊る。踊る。

およそ70分。最後の曲がフェードアウトして終わる。エピローグ用のダイアログ(映画のサントラからサンプルした。)を滑り込ませる時に操作ミスが起きて数秒のタイムラグができてしまう。おそらく問題なかろう。いやむしろ有効だったかも知れない。いずれにしてもやり直しをする気力は残っていない。時間もない。本物の一発録りだ。

ひどく体力を消耗しているのを感じる。に反して心の方は晴れ晴れとしている。ハードディスクの音源をCDに焼く。冬の格好をして車に乗り込む。また雨が降っている。

展示会の会場に納品しに行く。現場はディスプレーの作業が半分ぐらい終わったというところか。さっそくできたばかりのミックスを流してみるが、それがいいのか悪いのか、もう自分では判断できない。まあ「こりゃダメだよ。」となっても今更どうにもできない。何か不具合があれば連絡ください。本日中ならまだやり直しもできるので。と告げて会場を後にする。(実際はやりなおせと言われてもたぶんもう何もできない。)

一晩たって何も連絡がなかったから、おそらく合格だったのだと思う。何にしても気分はよい。今日は朝から晴れている。

 

 

 

 

パーティーレポート

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表参道の高級時計店ISHIDAのリニューアルパーティーでDJ。セレブリティが集まるファッションやジュエリーブランド関連のイベントにはバーテンダー時代、よくケータリングサービスで参加させてもらっていたが、私のDJ活動もようやくその域に足を踏み入れつつあるようで、何だか心がザワザワする。

この夜のスペシャルゲストがマジシャン=魔耶一星さん。機材のセッティング位置の関係で、急遽、私が音響のオペレーションを担当することになった。本番30分前に進行表を渡され、演出のキャプションを受けるが、想定外の事態に頭はパニック状態、言葉も何も入ってこない。

まあこういう時は、何を考えてもどうにかなるものではない。私は腹を決め、すべてを流れに委ねることにした。思考を止めて、真剣な顔つきで台本に目をやり、キャプションを真面目に聞いているふりだけをして場をやりすごし、頭の中を真っ白にしたまま本番に挑んだわけだ。

終わってみれば何のことはない。結果は大成功だった。アシスタントの方のナビゲーションが素晴らしかったし、進行表の時点で成功することはほぼ確約されていたと思う。(僕ではない誰か他の人がやっても同じようにうまくいっただろう。)

それにしても魔耶一星さんのマジックはすごかった。冒頭に何もないところからボーリングの玉が飛び出してきて、あまりのショックに今でも少しトラウマが残っている。

音響を担当したことで、マジックの演出の内側もちょっとだけ覗くことができた。野暮になるからこれ以上は何も言わないが、彼(ら)の技術が厳しい訓練の上に成り立っていることは間違いない。人前に立って芸を披露するということの重みを思い知らされた。

+ + +

これまでにいろいろなものごとにチャレンジしてきたが、気がつけばいつも、宴の裏方のようなことをやっている。自分が望んでそうなっているわけではないから、おそらく宿命のようなものなのだろう。

腕にはめたオメガは5年ほど前に友人からタダ同然で譲ってもらった。日常生活ではほとんど時計を使わないが、こういう時に役に立つ。

Photographed by Yusuke Sato

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イラストレーション:ナガイツトム

以前、若い頃にはあったはずの首が何故かいつのまにかなくなった。という話をしたが、今回はその、ないはずの首が痛いという話である。

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2018年の夏はほんとうによくDJをやった。8時間ノンストップのロングセットの後に2ラウンド目が待っているという過酷なDJ DAYを皮切りに休みなくあちこちに顔を出し、レコードをかけているうちに気がつくと夏が終わっていた。サーフィンや家族旅行なんかも返上して音楽演出に従事したわけだが、まあ好きでやってることで文句はない。ただし、楽しいことに副作用がつきものであるのは常で、すなわち首に痛みがやってきた。ヘッドホンを肩と片耳に挟んで首を曲げた姿勢を長時間続けたのが原因と思われる。

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最初はただの肩こり(首こり)とたかをくくり、時間が経てば治ると思っていたのだが、発症から数ヶ月経過してもよくなる様子はなく、むしろ痛みが頭や背中の方にまでひろがっていく感じがして、これはちゃんと診察してもらった方がよいと病院に行ってみた次第である。

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結果「頚椎症」と診断された。椎間板が摩り減り、変形した頚椎が神経を刺激しているのだそうだ。レントゲンを見ると、確かに頚椎と頚椎の間の隙間がなくなっている箇所があるのがわかる。

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これで冒頭の謎がとけた。私の首はなくなったのではなく、短くなっていたわけだ。首の骨は7個。つまり首と首の「間」は6箇所。仮に1箇所につき2ミリ短くなったとすると、全体で1センチ以上短くなっている計算になる。

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脊椎症の原因(つまり首が短くなった原因)は、DJで首を酷使したことよりも、加齢による影響の方が大きいとのことらしい。誰が何と言おうと(誰も何も言ってないが)私は着実に老化している。

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と、実は今朝、朝食の際に歯の詰め物がポロリと落ちた。歯の根っこが腐って持ちこたえられなくなったようだ。原因はいまさら聞かなくてももわかる。

コーヒーブレイク

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本屋をうろちょろしていたら、ふと「もしお金のために働かなくてもよいならあなたは何をしますか?」というコピー(うろおぼえなので正確ではないけれど、だいたいそんなだったと思います。)が目に入ってきました。おそらく「ベーシックインカム」がテーマの本だと思います。内容はともかく、頭の中で「そりゃあサーフィンだよなあ。」と即答。

よく考えてみたら僕は現在ほとんど働いておらず、つまりその本のコピーで謳われている「お金のために働かずに生活している人」そのものです。その気になれば毎日サーフィンに行くこともできますが、実際に海を訪れるのは多くても週に1度ぐらい。だいたい毎日、家から一歩も出ずにパソコンかiPhoneでツイッターなどを眺めているうちに日が暮れるという堕生活を何年も繰り返しています。

バリバリ働いている人はだいたい趣味、というか私生活の方も充実しているのではないかと僕は思います。僕のような本物の怠け者は、時間があっても自分の好きなことですらやらずに、ぼおっと何もしないことの方を選ぶんだわ。そんな自分のことをいつもとても残念に思っていますが、今更ライフスタイルを変えようとまでは思いません。

さておき、やっぱり海はいいなあ。いい波にのれた後のコーヒーは本当に美味しいです。せっかく時間があるんだから毎日行けばいいのにね。

朝食

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きのうの朝食(正確には朝食後のデザート)を写真にとってアップしたところ、たいへん面白かったとの感想をいただき、嬉しいようなちょっと複雑な気持ちです。

毎回どうでもよい内容の投稿ではあるのですけど、自分なりに、熱量を持って書いた記事とそうでないものがありまして、まあきのうのなんかはその中でもかなりやる気のないやつ。気合いを入れて書いた方を読んでくれよという気持ちもありますが、まあ当然、こちらサイドでどうこう言える筋合いのものではあらんせん。

そして褒められるとすぐにその気になる性格であります。さっそく今朝の食事を撮影したわけだ。

見てのとおり、パンにチーズをかけて焼いただけのシンプルなプレート。中に溶けたバターがたっぷり入っております。コーヒーでなくてミルクなのには理由があって、ほら、バター入れに使い切ったバターが残るでしょ?あれもったいないんだよね。なので、温めたミルクで残らずこそぎ落とすわけだ。無駄をなくすだけじゃなくて、バター入れを洗うのも楽になるし、濃厚なホットミルクができるし、一石三鳥。

ちなみにコレの前にちゃんと朝食(おにぎり3個とつみれ汁)食べてます。あくまでこれは食後のお楽しみ。そしてこの日も自宅から一歩も出ることなくうだうだと録画した映画とかを観て1日を無駄に過ごしました。外はもう真っ暗。

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朝食の後にコーヒーと共に焼いたパンを食べるのが習慣になっている。(朝食がそもそもパンの時もあるが、やはり同じように食後にパンを食べる。)食パンが多いが、特にこだわりはくクロワッサンでもブリオッシュでもパンなら何でもかまわない。これにバターとハチミツをたっぷり。それらのブランドや産地もあまり気にしない。ただ、ときどき手に入れられる高価なハチミツはやはりその辺のスーパーで売っているものよりずっと美味なのはまちがいない。

まあだいたいこれが私の1日のメインイベントだ。コーヒーを飲み干し、皿やカトラリーを洗ったらもうやることはほとんどない。パソコンの前に座り、ツイッターやインスタグラムをハシゴしているうちに夜がくる。その間に何度かコーヒーをいれるが、朝の一杯ほどは美味く感じない。

Time

5年ぐらい前になろうか。友人に「恥ずかしながら腕時計を所有していないのだ。」という話をしたら、哀れに思ったのかオメガのスピードマスターをほとんどただみたいな値段で譲ってくれた。気に入って使っているが、服によっては似合わないケースもないではない。

新調するにあたって、少しポップなデザインのものがよいかと、あまり迷うことなく人生初のG-SHOCKオーナーになった。

さっそく腕につけて海に入ってみたが、海では時計を全く見ないことに気がついた。太陽の位置でだいたいの時間はわかるし、そもそも、そういう(時間といった)概念から解放されるために我々は海に入るのかも知れない。(と、書いてちょっとかっこつけすぎだよなと自分で思った。)

おそらくこれがこの人生最後のG-SHOCKということになろう。人が一生のうちにできることは以外と少ない。

 

断食中

軽めの断食を始めて今日が3日め。少量のフルーツやコーヒーなどの飲料は摂取しても良いことになっているのだけど、少し食べるよりは全く何も口に入れない方が楽なので、今日は飲み物だけで辛抱している。

空腹に耐えられなくなったら腹筋運動などをして気を紛らせるというマゾヒスティックな手法。目的や目標があればよいのだけれど、何となくの思いつき企画だから、ただ苦しいだけで得るものは何もない。我ながらタチの悪い性格だと思う。やれやれ。

若い頃に1週間断食をした経験があるが、その時は初日からふらふらし始め、3日目で歩くことができなくなり、残りはベッドの上で過ごした。その後はほとんど記憶が作られず、気が付いたら一週間が経過していたという感じだったと思う。

今は別に体力的には何の問題もないから、やはり20代と50代では代謝が異なるようだ。食わなくても長期間動けるようになっているのだから、若い頃に比べてむしろ肉体が進化していると考えるべきだと思うのだが、そんなわけはないよね。いったいどういうメカニズムなのだろう。

限界までチャレンジしてみたいものだが、生憎、明日の夜は六本木でDJがある。空腹状態で集中とぎれず5時間の現場を乗り切る自信はないし、中途半端なプレイではお店にもお客様にも失礼だから、とりあえず明日の朝からはちゃんと食事を摂って万全の状態でブースに入るつもりでいる。今のところ特に変化は感じられないが、何かが覚醒してぶっ飛んだプレイができるかも知れない。

 

 

 

キダオレ日記「フリース」

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首がない。胴体から直接頭が生えている。
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ウルトラマンの怪獣にジャミラというのがいた。アレと同じシルエットだ。
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若い頃の写真では頭と胴の間に首が見てとれる。ほっそりとした素敵な首だ。そいつは一体はどこに行ったのか?
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太って首が胴体に吸収されるということはあろう。しかし体重は10代の頃とほぼ同じ。腹のまわりに少々ゆるみが出てきたが、全体として体型に大きな変化はない。ただ首だけが消えて無くなった。
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ジャミラの服探しは苦労を伴う。基本的には何も似合わないが、ふとある日、コムデギャルソンを着るとうまくいくことに気がついた。奇抜なデザインが異形な身体をうまくカバーしてくれるのだ。
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日常的にコムデギャルソンを着ているような生活に憧れはするが、実際はそうもいかない。サーフィンに全身コムデで登場したら、きっと地元のサーファーにボコられるだろう。
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サーフィン時に限らず日常生活において使い勝手のよいアウトドア用ウェアは当然、機能性を重視したデザインが採用されている。フリースの中着も風や雨が入り込まぬようよく考えられていて、首の部分はタートルネックが基本。
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これが我々のような首なしジャミラ族には厄介な代物であるわけだ。タートルネック、すなわち襟の部分がせり上がって、前から見ると口のあたり、横からだと耳の上あたりまでをすっぽり覆うことになる。
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僕の場合は前のジッパーを下げ、襟を折り返して、ジャージの用にして着用していた。不恰好だが他に選択の余地がない。
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今年、Patagoniaからクルーネックのフリースが発売された。8月に店頭に登場し、あっという間に売り切れたそうだ。この国にはどうやら僕と同じように、ない首、短い首に悩む者が多く存在しているのだと想像する。
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そこまで爆発的に売れたのであれば、メーカーも首なしのウェアを作り続けるしかなかろう。首なし族の、いや民衆の勝利と言えよう。
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53もなると、地味な色の服は危険で、特にモスグリーンのスウェットなんかを着ると本当におじいちゃんにしか見えなくなる。だから年甲斐もなく派手な色や柄の服を着るのだけど、若作りをする様子がかえって痛々しいという意見もあって無視できない。
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聞けば磯野波平さんは54歳なのだそうだ。いくら若者に迎合したところで、53歳とはつまり老人なわけである。首が短いのもモスグリーンも全てを受け入れて老人らしく静かに生きていこう。そうしよう。

僕はダサい帽子の男です

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湯浅佳代子さんとのセッション。課題の残る結果になってしまいました。凹んではなくて、逆に楽しくなってきた感じだけどね。そもそもやってることが「実験」なもんで。失敗はつきものなんだ。絶対に成功しかないものごとを実験とは呼びません。

終わった後すぐに湯浅さんも悔しがっててリベンジしたいと言ってましたので、このコンビでの活動はTO BE CONTINUE決定となりました。すぐにでも、と言いたいところだけど、湯浅さん忙しいんでね。年末は草彅剛さん主演のミュージカルに参加が決まっていて、しばらくはそちらに専念されるとのこと。なので2019年、何十倍もカッコよくなって戻ってくるので、どうぞ楽しみにしていてください。

今回もオフィシャルカメラマンのYUSUKE SATOくんが乗船していました。上がってきた写真を見て唖然。ぼ、帽子が。そう、帽子がぐにゃぐにゃしてるんだ。ダサい。ダサすぎる。

こいつは昨年入手したSCHAのハット。シルエットの美しさと優しい素材もさながら、折りたたんでポッケに入れて持ち運べ、かぶると形状記憶で元に戻るという機能性も気に入って、タイプ別に3つも買ったんですけど、どうやら形状記憶能力が時間と共に劣化するようです。ポーラーハットのつもりでかぶってるのに、ぐにゃぐにゃとまるでノッポさんのチューリップハット。この日のために新調したジャケットやら早起きしてセットしてもらったヘアスタイルやらすべてが台無しですわ。ちょっとぐにゃぐにゃしてるの気がついてはいたけど、これほどとは。帽子はもちろん燃やすけど、写真も人の記憶も燃やしたい。メラメラメラー。

DJ INFO

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一流の人は、人を色眼鏡で見ない。肩書きとか経歴に惑わされない。自分の感性に自信があるからね。だから一流なんだ。

自分に言い聞かせてるみたいだけど、本当にそう思います。

さておき、この金曜日は久しぶりにホームのCAYでDJします。このひと月ぐらい、いろいろ感動する出来事にたくさん遭遇したので、ひとまわり大きくなったプレイができるんじゃないかと思っています。

旅のコラム

旅行サイト「リスヴェル」。連載中のコラム=「行ってみたいなヨソの国」の新作が掲載されています。

旅行サイトのコラムと言えば、旅行に行ったところについてあれこれウンチクを語るのが普通ですが、僕のは「行ったことのない国や土地」のことを書くという内容です。こういう偏屈なことを自由にやらせてくださるおおらかな編集チームのみなさまに感謝。

このブログを読んでくださっている(かなり物好きで変わり者と思われる)方々にはきっと気に入ってもらえる世界観と思います。ぜひご覧になってください。

旅サイト>RISVEL

MOVIE VIEW

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酒をやめて1年以上になります。タバコはたぶん20年ぐらい前にやめたし、肉もそれぐらいの間ずっと食べていません。大麻とかドラッグの類はそれよりもずっと前にやめて、最近ではセックスもしていない。テレビも見ない。本を読む機会も少なくなりました。それからそうだ、僕は仕事をしていません。

仕事もせず、酒も飲まず、セックスもしないで、何が楽しくて生きているのだ?と聞かれたら、別に何も楽しくはない。ただ生きているだけさ。と答えるしかありません。

自分がはまっていたものごとをやめるたびに「解放」されるという感覚はあります。これを「自由」と言い換えることはできるかも知れない。

自由は無味無臭で退屈なものであるらしい。それでも自由は自由です。

外食をすると歯を磨かなくてはならないので、歯ブラシセットを持ち歩かなくてはなりません。ご存知のように歯ブラシセットというのは持っていて気分が高揚するアイテムではありません。ポケットではかさばるし、カバンの中でも何となくウェットでおさまりが悪い。で、外食をやめればその問題は一挙に解決します。僕はこの先二度と歯ブラシセットで煩わしい思いをすることはない。自由だ。

とはいえ、まだまだやめられていないものはたくさんあります。DJがその筆頭だし、サーフィンもそう簡単には捨てられなさそう。あと一番やめたくてなかなかやめられないのはこのインターネットですね。本物の自由を手にいれるのには、もう少し時間がかかりそう。

さておき、映画「ポップ・アイ」をユーロスペースで観ました。洋画とも邦画とも異なるアジア映画独特の宇宙観になかなか慣れられず、他人の下着を着てるみたいな居心地の悪さが終始つきまといます。ここにリズムがばっちり合う人もいらっしゃるでしょうし、不協和音を楽しむことができる体質の人にはたまらない作品なのではないでしょうか。事実、後になってからもう一度観たいような気がしています。あと、やたらに放尿シーンがあって、途中で一度トイレに立ちました。ご注意ください。

 

DJ日記 

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5351POUR LES HOMMES代官山リニューアルレセプションでDJしてきました。

写真だとBARかレコードショップみたいけれど、もちろん服屋です。売り場から独立した場所にあるこのカウンター、普段はレジが置いてあって、お会計のやりとりをする場所なんだけど、機材をセットして、そこから酒も出すという言わば即席DJ BARな展開。

前面ガラス張り、売り場のフロアに通ずる手前側にも仕切りガラスがはめ込まれていて、ラジオの公開スタジオのようでもあります。この空間、そのまま欲しいよね。

お客様はとなりのフロアにいらして、離れたところからのオペレーション。まあ正直なところ選曲はとてもむずかしかったです。人の動きとかは何となく見えるんですけどね。空気がわからない。自分はいつも(無意識的に)空間のムードを読みながらDJしているんだなあって実感しました。

この夜はPiece of PeaceのChihiroさんがゲストで登場。時々、レコードに合わせて即興で言葉をのせるという例のヤツをやってくれたんですけど、あまりにもうまく馴染みすぎて、たぶんお客様のほとんどはライブとは気がつかなかったんじゃないかな。

そして終盤にまた素晴らしすぎるパフォーマンスが炸裂しました。これはその時の写真。彼女、叫んでるみたいに見えるけど違うんです。「ささやいている」んだ。

静かに流れるピアノソロに合わせて雑踏のすきまにポルトガル語のポエムを流し込む。その聞こえるか聞こえないかぐらいの小さな声を出すために、彼女、全身全霊を使っているんだ。ほんとに驚いたね。ちょっと言葉にならない。「感動」を超える意味の新しい言葉をこさえなくてはなりません。

録音できたからこれはジャイルスピーターソンにデータを送りつけてやろうと思ってます。

同じカウンターからお酒を出していたので、やはりバーテン魂?が騒いでしまって、何となくそっちのお手伝いも。その流れでChihiroさんまでバーテンやる羽目になりました。とんでもなく想定外の展開になってしまったけど、ご本人、楽しんでらっしゃったみたいだから、ま、いいか。

5351関係者のみなさま、おめでとうございます。素晴らしい機会を与えていただきありがとうございました。服と酒(僕はもう飲まないけど)と音楽と、傍に美しい詩を携えた美女と。もオレはもうそろそろ死んでもいいかなすらと思います。

Photo by @secret_citywalk