庭で育てていたバジルとシソが勝手に交配したらしく、バジルシソになって繁殖していた。
ティーンエイジャーだった頃(当時、四国の田舎町に住んでいた。)、友達と連れ立って、フェリーに乗ってはるばる大阪に出向いたことがある。あてもなく街をぶらぶらしているうちに腹が減り、あてずっぽうに入った店のメニューに「スパゲティーバジリコ」を発見した。名前からどのような食べ物出てくるか全く想像できず、興味津々で注文してみたところ、登場したのが今になって思えば何の変哲もないスパゲティバジリコ。たいしてインパクトのある味ではなかったし、見た目からして地味な料理だったが、少年の好奇心を満たすには十分だったようで、「ほお、都会の人はスパゲティーにシソを混ぜて食べるんや。」などと感心して、満足げに平らげたのをおぼえている。以来、後にバジルという植物が別に存在することを知るまで、ずっとバジルのことをシソだと信じ込んでいた。
とは言え、時代背景から想定するに、少年が大阪で食べたスパゲティーバジリコは、バジルの代用品としてシソが使われていた可能性は高いと思う。和風パスタと称される奇妙な料理の定番メニューとしてイカと納豆のスパゲティーというのがあるが、あれのトッピングはシソの代わりにバジルというわけにはいかぬだろう。そもそもシソはバジルを凌ぐほどにパスタと相性が良いのだ。
僕は母親の作る料理をあまり好まずに育ったが、好きだったものもいくつかあって、そのひとつがシソの焼きおにぎりだった。梅干しの入った塩にぎりにシソの葉をへっとくっつけて焼くだけのシンプルなアイテムだが、ミイラになるぐらいまでシソに火を通すのがポイントで、ちょっと他で目にかかったことはない。
もうひとつはスポンジケーキで、極端に薄いのが特徴。おそらく生地を泡だてすぎたか何かで、うまく膨らまなかった失敗作である。クッキーとケーキの間ぐらいの硬さで、当然ケーキとしては失格なのだけど、まあ、そもそもケーキなんかを食べさせてもらえる機会も貴重だった中で、大好物のごちそうだった。毎回、同じように失敗するので、母親のケーキとはそういうものだと思っていたのだが、それから数十年経過して、母親も腕を上げ、普通のスポンジケーキを作れるようになってしまった。あの噛みごたえのあるケーキがもう食べられないのは残念である。
僕が肉を食さないのは30年ほど前にイギリスで生活していた時につきあいのあった連中(多くはミュージシャン、絵描き、などのダメな人たち)の影響で、健康や動物愛護の精神などは全く関係なく、単に肉を食べないことが「クール」と感じたというだけの安易な理由で、要するに「ファッション」なわけなのだけど、今回、ヨーロッパに行って当時の連中(半分ぐらい死んでいなくなっていた。)と再会したところ、今でも肉を食さないのは僕ぐらいで、どいつもこいつも自分らがベジタリアンだった記憶すら曖昧といった具合。ただし「食生活から何かをマイナスする。」という思考そのものは健在で、多くが砂糖と小麦を憎んで忌み嫌っていた。グルテンフリー、シュガーフリーが現在の彼らのトレンドであるらしい。
砂糖や小麦を食さないことを、今回は別段「クール」とは感じなかったし、肉だけでなく、酒もタバコもドラッグも、最近ではテレビやラジオをもやめた削ぎ落としの痩せ細り人生において、何かをやめるのもこのぐらいにしておいた方がよかろうと、今のところケーキやパスタを食べなくなることはないと思っている。こうやって書いているうちに腹が減ってきた。朝っぱらからスパゲティーを茹でてやろうかなんて思い始めている。
話はそれたが冒頭のバジルシソ、味の方がこれまた不思議で「甘みのあるバジル」という感じ。用途はいろいろありそうだが、最初に思いついたのはフェタチーズ。かけらを葉で巻いて食べたら美味しそう。感想はまた後日。