カテゴリー別アーカイブ: ことば、エッセイ、ポエム

休止

文章が書けなくなって久しい。このブログも放置状態が長く続いていて、有料プランの料金を支払い続けるのが馬鹿馬鹿しいのでプランを解約。すると無料で使える容量をすでにオーバーしているらしく、これ以上の更新ができなくなるとのメッセージが出た。これにて万事休すか。

いずれまた言葉に溢れ、ブログを再開したいと思う時が来るかも知れない。その時のために解約はせず、これまで書いた記事もこのままここに残しておこうと思う。断捨離(この言葉はあまり好きではないが)ムードになって突然削除することになるかも知れない。いずれにしても、このタイミングでマックロマンスEXPRESSを正式に休止することにした。

どんな方が僕の文章を読んでくれていたのか、ほとんど知らない。あなたはきっとコーヒーが好きだと思う。映画をよく見る人だと思う。読書も好きだけど、最近ちょっと本を読む機会が減っているかも知れない。いや、逆に昔は読めなかったロシアの作家の作品なんかをバリバリ読破しているかも知れない。

ああ、これ以上ことばが出てこない。

車と皿

車に乗る機会が増えた。こういうのはクセみたいなもんで、前なら自転車で行っていたような近場まで、わざわざ車を出す始末。毎日仕事もせずに家にいて暇そうに見えるらしく、家族を送迎する回数も以前よりもずっと増えた。

都会を車を利用して良いことは雨にぬれないことぐらいで、それ以外は煩しいことのオンパレードである。信号は多く、道はどこも渋滞している。マナーの悪いドライバーの粗暴な運転、意味不明なクラクション、すり抜け自転車の幅寄せ、、。例をあげればキリがない。

駐車場はどこも満杯でやっとの思いで駐車したら、今度は信じられないような高額の料金である。

デパートなどの施設に車を停めた際、駐車料金をまともに支払うか、施設で買い物をして割引を受けるか、どちらがよいかは議論が分かれるところだと思う。モノが増えることを好ましくないとするトレンドにおいては、潔く高額な料金を支払った方が健全なライフスタイルを築けるような気もする。僕のような貧乏性の人間は、同じ金をを払うならモノが残った方がよいと考えてしまう。最も前者においては車を所有すること、あるいは車を利用することそのものをクールなこととは捉えないだろうから、そもそもこの二択は議論の種にならないかも知れない。

娘を渋谷まで送迎して、1時間ほど待機することになった。あてもなく駅周辺をぐるぐる回っていると、ヒカリエの駐車場入り口を見つけた。東横線沿線に住む者としてヒカリエはこれまでに何度も利用したことがあるが、駐車場が備わっていることは初めて知った。考えてみればあって当たり前なのだけど、これまで車でヒカリエに行く用事が一度もなかったのだ。

僕は渋谷の地下に新しく秘密の入り口を見つけたみたいな気持ちになって少し高揚した。行ってみるとわかるけれど、ヒカリエの駐車場の入り口は建物の表からは全く見えず、見つけるのに少し苦労する場所にあって、そういうのは萌える。今となっては珍しくもなくなった機械式のパーキングシステムもいい。自分がSF映画の中に入ったような気分になる。ここまで話して気がついたが、おそらく僕は地下駐車場が好きなのだと思う。

地下駐車場は好きなのはけっこうなことだが、高い駐車料金はいただけない。1時間の駐車料金は800円とある。都心、しかも渋谷のど真ん中としては良心的な金額設定だと思う。それでも高い。1時間分の料金をチャラにするためには3000円以上の買い物をしなくてはならないとある。今買わなくても、近々確実に買わなくてはならないモノ、例えば米や醤油を買えば駐車料を実質ゼロ化できる。幸いヒカリエには食品売り場があって米も醤油も売っている。

しかし、僕の目は食べ物ではないものに引き寄せられた。見ての通り、青が美しい和物の皿である。適度な厚さともっちりとした手触りが何とも心地よく、手に持ったら離せなくなった。ブランドは愛媛の砥部で、実は湯呑みや茶碗など、いくつかのアイテムを持っている。基本的に何でも西洋のモノが好き(というより和物が嫌い)な自分としては、かなり珍しいセレクションである。

手提げ袋を「いらない」と言って、シールで済ませた。マイバッグを用意していなかった(買い物をするつもりはなかった。)ので、娘を待つまでの間、買った皿を生のまま手に持って、ヒカリエの中をうろちょろと物色して時をつぶすことになった。これも初めての感覚でなかなか気持ちが良かった。奥様方はルイヴィトンの財布を手に、若者らはスマホを手に、僕は砥部焼の皿を手に。誰がどう見ても僕がいちばんクールであるに違いない。

ペティナイフ

僕はもともと手先の不器用な人間だが、長い間バーテンダーをやっていたから、ナイフでレモンやオレンジをカットするぐらいのことはできる。当時、バーテンの間では果物用のペティーナイフは輸入物のステンレス製ではなく、日本製の鋼のものが良いとされていて、僕も国産のまあまあ良い値段のするものを買って使っていた。鋼の包丁は、放っておくと錆びるし、手入れをしないとすぐに切れなくなる。そんなわけで、週に何度か砥石を使ってペティナイフを研ぐわけだ。砥石の使い方なんぞ誰に習ったわけでもない自己流だが、長年やっているうちにコツもわかってきて、そこそこ切れるナイフを研げるようにはなった。

写真のペティナイフの存在を知ったのはわりと最近になってからのことである。フランス製の、その辺の輸入雑貨屋などで簡単に購入できる代物。値段も1000円もしなかったんじゃないかと思う。これがめちゃくちゃ良く切れる。見ての通り刃がギザギザになっていて、あまり使えそうな感じはしないのだけど、トマトでも何でもスパスパ気持ち良いように切れる。その上にどれだけ使っても切れ味が全く衰えない。メンテも全く必要ない。

寿司屋や魚屋の職人さんとかが仕事で使うために高級な包丁が必要なのはわかる。素人がリンゴの皮を剥いたり、にんにくを刻んだりするために使うならコレで十分だと僕は思う。バーテンダーも(もちろん程度によるとは思うけど)街場のバーでジントニックのためのライムをカットするぐらいの作業のために、わざわざ手のかかる鋼の高級ナイフを持つ必要はないように思う。

そう、僕は怒っているのだ。どこの誰かが「バーテンダーたるもの国産の鋼の包丁を使うべし。」みたいなことを言ったせいで、たくさんの時間をしょうもない砥石と共に費やすことになった。生まれてから今まで砥石でナイフを研いで得したことは一度もないし、これから先もないだろう。だいたいにして砥石は重いし妙な存在感があって置き場所に困るのだ。

僕がナイフを研ぐために使った無駄な時間をかき集めたら1週間ぐらいタヒチでのんびりするぐらいになっただろう。つまり、僕がタヒチに行ったことがないのは、砥石のせいだとも言える。タヒチの美しい自然に囲まれて、熟した南国フルーツを食し、褐色の肌をした現地の美女らに囲まれてダンスを踊ったなら、きっと僕は世にも美しい絵を描いたことだろう。そう、僕がゴーギャンになれなかったのは、芸術的な才能に恵まれなかったからでも、努力をしてこなかったからでもない。ひとえにすべて砥石が悪いのである。オレは悪くない。文句は砥石に言ってくれ。

らせん

8時間
マックブックの前に座りっぱなしで作業して
ようやく曲ができあがる
素晴らしい
これまでの人生で
私が作ったどの曲よりも
素晴らしい

適当な映像をつけて
インスタグラムに掲載する

5分後
iPhoneをチェックする

反応はない

10分後
いつもの友人が
いいねをつけてくれている

20分後
いいねの数が20ぐらいに増える

30分後
何も変化はない
閲覧数を増やすことを意識して
ハッシュタグをつけた単語をいくつか記事に付け足す

1時間後
変化はない

自己嫌悪がやってくる

ダメだ
オレには才能がない

才能以前に
存在がない
クソだ
いやクソだって臭いがある
オレには
それもない
クソ以下だ
無だ

12時間後

オレはまた
マックブックの前に座って作業している
頭の中で
これまでの人生で
聴いたことのないような
素晴らしいメロディーが
渦巻いている



コーヒーブレイク

平日、午前中の青山。曇り空。熱を帯び湿った空気が重く街にのしかかっている。通りの店らはすでにドアを開けていたが、人の姿はまばら。ふと目についたカフェに入店した。朝の準備で忙しいのか、あるいはフランスの様式を真似たのか給仕の愛想はない。私はカフェで歓迎される要素を何ら持たない初老のダメ人間で(そして年甲斐もなく半ズボンを履いている。)自らそれを自覚しているので、私自身はそれで全くかまわないのだが、私の登場によって彼女たちの気分が少なからず害されたならば、それはこのあと、この店を訪れるお客の気分にも悪影響を与える要素になり得るわけで、それは私の本望ではない。

それも自意識過剰かも知れない。よく考えてみれば、ただ訪れただけでひとりの人間の気分を変えるほどの存在感が自分に備わっているとは思えない。彼女は単に機嫌が悪いか、そもそも機嫌が悪い人なのだろう。

誰もいない広々としたテラスのひとりがけソファに席を取り、コーヒーとケーキを注文。ほどなく給仕がそれらを運んできた。テーブルの位置が低く、彼女がケーキを置く時に前屈みになったせいで、大きく開いた胸元から胸の谷間がちらりと見えた。そういう時に動揺しないクールな人間でいたいと日頃から思っているが、おそらく私は取り乱したであろう。給仕は何も気がつかないふりをして店内に去っていった。

コーヒーは薄く、ぬるく、チョコレートのケーキは趣味が合わなかった。ソファの座り心地もイマイチだったし、テーブルは低すぎた。しかし私はこのひとときを楽しんでいた。ひとりでカフェに入ってコーヒーを飲むこと自体が数ヶ月ぶりのことだった。その行為(つまりカフェを訪れること)が、私の生活にとってどれだけ救いであるかをあらためて体現したのである。悪いことばかりではない。ケーキの上にちょこんとのせられた小さな赤いマカロンが美味だった。

ケーキの皿にチョコレートで文字が描かれていた。私の知らない言葉だった。フランス語かと思ってグーグルで調べてみたらマオリ語で「姿を消す」という意味だった。それがこの店で働く女たちの希望なのか、何らかの予言なのか、私にはわかりかねた。いずれにしても私はこの店に歓迎された客ではないようだった。

アイヌ人だったか、人の命名に動詞や形容詞を用いるという話を聞いたことがある。例えば「昇る黄色い太陽」とか「死せる美しい熊」とか、そんな感じだろうか。既存のルールを無視して勝手に自分に新しい名前をつけることができるなら「姿を消す」はミステリアスでなかなかクールな名称であるような気がする。

病人のひとりごと

自戒を込めて記録しておくけど、FacebookとかSNS「やめます」と宣言するタイプの人はほぼ間違いなく戻ってくるね。ほんとにやめる人は何も言わず静かに去っていく。死ぬ死ぬと言ってずっと生きてる人いるけど、それと同じだよね。SNS、何ひとつ楽しくなくてね。だいたい他人のこと興味ないし、誰ともつながりたくないし。自分のあげた記事は反応がなくて凹むだけだし。あまりにも反応がないからアカウントいくつも持って、記事作るの忙しくってしょうがない。一日中そればっかりやって、反応なくてまた凹んで。

SNSやめたら相当楽になるはずだってわかってるんだけどね。やめられない。ドラッグみたい、っていうかドラッグそのものだ。僕がはまったドラッグの中ではいちばんタチが悪い。タバコも酒もテレビもやめられたんだけどね。SNSはやめられない。せめて1日、1日だけでもやめてみようか。たぶん無理だろうな。これ書いている間にもう100回ぐらいインスタとかチェックしている。インスタの画面開く度に気分が悪くなる。やめりゃいいのに。今も気になってしょうがない。病気かな。病気だね。

Facebook広告やってみた

作った曲をiTunesなどで販売しているが、僕は事務所やレコード会社のバックアップがないフリーランスのアーティストなので、ただ売っているだけでは何も起こらず、自分で何らかの告知活動を行わなくてはならない。告知の手段としてはまずSNS、なご時世だが、フォロワの少ないアカウントから宣伝したところでたいした効果は期待できぬ。それでも何もやらないわけにはいかないので、タイムラインに散々流れてくるFacebook広告をやってみることにした

ひとまずは5日間10ドルのコースにエントリー。iTunesのサイトへ導くリンクが貼られた記事が対象。エリアは昨年のヨーロッパツアー で回った各国と、アメリカ、そしてブラジル、少数なれども僕のKOTAとしての音楽活動を知る人たちがいる可能性がある国を選択した。年齢層は10代から60代と幅広く設定した。

まだ5日の期日を消化していないが、3日目で広告の記事に付けられた「いいね」が400オーバー、今もどんどん増え続けている。普段ならひとつの記事に付く「いいね」は多くても5ぐらいだから、絶大な効果と言ってよいと思う。広告代金を「いいね」の数で割ると、1いいねあたり0.01ドル以下。あまりの高パフォーマンスにこれはヤラセなのではないかと疑い、反応があったいくつかのアカウントをチェックしてみたが、実在しない人間によって作られた偽アカウントの類ではなさそうに見える。Facebookもそこまで悪どくはないようだ。

ただし広告効果という点では疑問は残る。「いいね」を押したクライアントの中で実際にiTunesサイトへのリンクをクリックしたのはわずか6人。400人以上の人が「いいね」をしているのにも関わらず、彼らは肝心の記事の内容には無関心なのだ。こうなってくると「いいね」の価値というか意味が不明だ。何を思っての「いいね」なのか理解できない。

単純計算になるが、iTunesのサイトまでクライアントを誘導するために1人1ドルと算出できよう。それを高いと思うか否かは広告を出す者によってそれぞれだと思う。よくわかったのは「いいね」は金で買える。という事実だ。たくさんの「いいね」でページをにぎやかにしたいユーザーにとってはある程度有効な広告システムではあろう。ただ「いいね」を金で買ったかどうかは、そのアカウントを見ればすぐにわかる。むしろ印象が悪くなるという懸念も拭えない。

興味深いのは、「いいね」をくれたユーザーの居住地である。ほとんど全てがブラジル人と言ってよい。ヨーロッパ及びアメリカ各国のユーザーは僕の広告をほとんど「無視」した格好だ。彼ら欧米のFacebookユーザーが広告に引っかからないのは、おそらくそれだけ長い期間Facebookを使っているということなんじゃないかと僕は推測した。自分自身を振り返ってもそうだったが、Facebookを始めた当初は、広告とは意識せずに記事をアクセスしたり、情報を集めるためにせっせと他人のタイムラインをチェックしたりしていた。今は親しい友人の記事ですらほとんど見ることもない。ブラジルのFacebookユーザーにとっては、まだまだいろんなことが目新しいのではなかろうか。

以上、広告の目的はファンの獲得、それ以前に、まずは作った曲を10秒でも聴いてもらうことであり、大量の「いいね」をもらうことではなかったので、その意味ではこの投資(というか出費)は失敗に終わったと判断すべきだと思う。でもまあ、内容が把握できたのはよかったし、何よりもアカウントを開けるたびに大量の「いいね」が付いていく様子は見ていて爽快だった。もう一度やるかと聞かれればちょっと考えてしまうが、まあ今回の10ドルは惜しかった気はしていない。

余談だが、サウンドクラウド経由で「おまえをもっと有名にしてやるよ」と言ってきた輩がいて、方法を問うたところ「Facebook広告で告知する。」と堂々と返答してきた。プロフィール写真を見て僕のことをよほどバカな奴だと思ったのだろう。

アートワークは悩ましい

曲を作ってウェブに投稿。まあ砂漠に水を撒くような作業を毎日あきずに続けています。投稿するのは音楽ですが、必ずアートワークが付いてきます。僕のことを知らない人はまずジャケットを見てその曲を聴くかどうかを判断するので、プロモーションという意味では曲そのもの以上に重要なのがアートワーク。これも当然自分でやります。曲作りの方もまだかけだしですが、こちらはもっと素人。僕のまわりにはグラフィックデザイナーやイラストレーターなどグラフィック関係の友人が多いので(音楽関係者より多い)お願いすれば、かなりお安く相談にのってもらえるのですが、まあとにかく彼らは時間がかかります。グラフィックの世界では商品の売価の相場がだいたい決まっているので、稼ぎたければ数をこなすしかないというシステム。なので売れっ子は常に仕事に追われていてとにかく忙しい。友人からの依頼はそれらの仕事の隙間、もともと少ない睡眠時間を削ったりして対応するので、どうしても時間がかかります。僕は朝に思いついたフレーズをその夜には商品にしてオンラインに載せるというペースで曲を作っているので、それに対応できるデザイナーは世界中探してもいません。なのでしょうがないから自分でやることになります。素人がゼロから作るのはなかなか困難なので、雑誌やインターネットで拾った画像をコラージュするのですけど、やはりここでも著作権の問題が。

盗用は音楽もそうですけど、やはり素材、つまり元の作品のクオリティがそのまま反映されます。一流のフォトグラファーが撮影した写真は切ったり貼ったりしてもやはりいいんですよね。逆に著作権フリーで無料ダウンロードできるようなものは煮ても焼いてもどうにもならないことが多いです。

冒頭の写真は、今回の曲に合いそうと思って作ってみたイメージ。90年代のアレクサンダー・マックイーンを着用したモデルを撮影したファッションフォトですが、このままジャケットにして、万が一曲が売れたら後日盗用問題になりそうな気がするし、これ以上手を加えて元が何だかわからなくしたのでは意味がないということでボツにしました。こんな写真、誰でも撮れるじゃん、と思うかも知れないけど、撮れないんだよなあ。

画像をクリックするとbandcampのサイトに繋がります。今回はちょっとジャズ的な要素も入った洒落乙なブレイクビーツ。好きな人と一緒にカウチでまどろみながら聴くといいかも。あ、ジャケットも見比べてみてくださいね。こっちの方がぜんぜんいいから。

ラジオ・ステーション

Welcome to Tokyo Cowboy Resort / B.A.D RADIO STATION

また曲のお知らせかよ!でごめんなさい。毎日ほとんど曲作りしかやってないので、他に日記することがあまりないのです。

このB.A.D RADIO STATIONというプロジェクトは僕とビリーふたりのユニットなのですけど、知らない人のために紹介すると、ビリーは僕が93年に開業したプースカフェというバーを僕がやめたあと引き継いでずっと切り盛りしながら、凱旋門ズというバンドのギターをやっている者です。

ビリーとはお店以外でも一緒にバンドやったり、そういえばフットサル一緒にやったりもしてたよな。彼が10代だったころからのながーい付き合いです。

話は変わって、以前、ラジオの放送局を持ちたいなと思っていたことがありました。そこからご機嫌な音楽を流しながら、コーヒーとかビールを飲みに人が集まってこれるような空間があったらいいよなって。ビリーがバーテンをやって僕がDJをやればいいじゃんね。で、その放送局の名前を「B.A.D」にしようと 思っていたわけだ。B.A.Dの「B」はビリーの「B」ですね。

このウイルス騒動でプースカフェも休業を強いられる中、業務的なやりとりをしているうちに、するするとビリーと音楽コラボする話が持ち上がり、作風が僕がひとりでやってるのと全く違うので別プロジェクトにすることになり、新しく名前が必要だわ、となった時にそのラジオ・ステーションのことを思い出して、そのまま引用したというわけです。

あ、こんな話をすると僕がまた店を始めるというようなことを想像する人もいるかも知れないけど、それはないです。ラジオの話も思いついたのはずっと前のことで、僕はこの3年ぐらいで価値観とか生活スタイルに大きな変化があって、今は「ムラ」とか「サロン」のような「人がつるむ」環境(そういうものに迎合し属していた過去の自分も)を心底憎んでいますので、自らがそっせんして世の中に「つるむ空間」を提供することは今後一切ありません。

と、また話がそれてしまったけれど、そのようにしてスタートした新ユニットの役割を説明すると、まず僕がリズムトラックを作ってビリーに送ります。ビリーはそれにいくつかのギターフレーズをのせて送り返し、僕がそれに音を加えて、構成を決め、ラフにミックス。同時進行でイメージのアートワークを作って、即発表。ってな具合です。

ビリーのギターはよく知っているけれど、彼も最近は腕を上げて、ギターが笑ったり喋ったりします。ザ・スミスのジョニー・マーさんが、ラジオで流れている曲を聴いて母親が自分の演奏だと気が付くようになったら一人前。というようなことをインタビューか何かに答えて言っていたけど、ビリーもその粋に入ってきている気がするね。上手いだけのギタリストは何百万人もいるけど、自分の音を持ってる者は本当に少ないです。

このシリーズはトラックの中に人の声のサウンドエフェクトを入れるのがお決まりの「お題」になっていて、まあ自分で喋ってみたり、古い映画やテレビ番組からサンプリングしたりしています。今回はちょっとビッチな女の子の声が欲しくて、グーグルで検索かけてみたらポルノに行きついて、若いカップルが湖畔の別荘でいちゃついていたら、そこにパパが帰ってきちゃって、、というチープな寸劇仕立てになっていて、シチュエーションもそうですし、主演の女優さんの声や喋り方がイメージにぴったりでサンプリングしたんですけど、男優の方の演技がポンコツすぎて、音の処理にずいぶん苦労しました。

そんなわけでタイトルも「リゾート」になっております。シリーズのタイトルはなるべくナンセンスになるように心掛けているのですが、今回はちょっと筋が通ってしまいましたね。そうでもないか。曲のラスト、ポルノ男優のポンコツなセリフ回しをぜひお楽しみください。

画像をクリックするとBANDCAMPのサイトに繋がります。

お知らせ

RESPIRI ALL SPECCHIO Parte 2 / KOTA feat. TRINITY

毎回毎回お知らせばっかりで恐縮なんですけど、まあ、このブログだけでマックロマンス情報を仕入れている方もいらっしゃるのでいちおうお知らせしておきますね。Parte 2はイタリア語でパート2。パート1が発売されたばかりなんですけど、パート2が6月6日にApple Music/iTunesから配信販売スタート、本日から先行予約開始です。別に予約したところで何か特典があるわけでもないので、配信が始まったらぜひご試聴だけでも。(画像をクリックするとアップルのサイトに繋がります。)

パート2とはいえ、ぜんぜん違う曲と言ってもよいぐらいの変わりようです。もともと別バージョンの曲があったのを商品化するためにミックスしているうちにどんどん変化していって原曲が何だかわからないぐらい変わりました。特徴的なのはビートレス、ドラムやパーカッションの音が一切入っておりません。でもダンスミュージックのムードは残したので、ビートがないのに踊りたくなるという奇妙な仕上がりになりました。狙ってやったわけではないのですけど、この感じはもう少し突き詰めてみようかなと思っています。

ウイルス騒動で世界の時間が止まっている間に、いろいろ仕込んでおいて時計が動き出すのに備えようと思っていたのですが、まあ正直何もできませんでした。それなりに忙しくしていたはずなんだけど、まあ音楽で言えば10曲ぐらい作っただけ。2ヶ月もあって2日に1曲作るだけでも30曲ぐらいはできてるはずなのに、いったい何をやってたんだか。

むかし、ソ連でクーデター騒動みたいのがあって、よくわかんないんだけど、それまでたいして有名でもなかったエリツィンさんがひょろひょろって出てきたと思ったらいつのまにロシアの大統領の椅子にちゃっかり座っていて、別にエリツィンさんのことは好きでも何でもないんだけど、世の中が混乱する時はチャンスなんだってことだけは頭にしっかり刻み込まれています。先の震災があって、今回のウイルスがあって、これで何もできなかった僕にはきっともう何のチャンスも巡ってこないんだろうな。

静かな暴動

きのう、重要な案件があり、車で都心を横切った。あまりの人出にちょっと目を疑ったのである。カップル、家族連れ、観光客と見受けられるような人々までが、何をするでもなく街をぶらぶら闊歩しているのだ。多くの店舗が休業していることを除けば、ふだんの都心とあまり変わらない光景。奥渋谷のストリートなんかはいつもより人が多く車で通るのに難儀したぐらいのお祭り騒ぎである。

自分としては相当久しぶりの外出だったわけだが、一瞬自分の頭がどうにかなってしまったのではないかと思うぐらいの浦島太郎体験だった。ふと、終戦を知らずに29年間フィリピンの奥地に隠れていた小野田さんのことを思い出した。とっくに戦争は終わっていたのだ。

結局そこまで大騒ぎするほどのことではなかったということだろうか?しかし、このケチな国が国民全員に10万配るなんて話はこれまでに聞いたことはない。今朝も町内放送でステイホームを呼びかけるアナウンスが流れていた。公共の駐車場は閉鎖されたまま、海はサーフィンはおろか立ち入りすら禁止されている。少なくとも国サイドは事態が収束したと考えているようには思えない。そんな中、玉川高島屋は営業を再開。朝から晩までサーフィンするのと、高島屋で1時間買い物するのと、どっちが感染のリスクが高いか。要するに騒動に対する認識が官と民で乖離しているのである。

これは暴動なのだ。

国民の命をかけた静かな暴動なのだ。国民は耐えられないのだ。この不安に、この貧困に、この退屈に、この孤独に。彼らは火炎瓶を投げたり、スーパーマーケットを破壊したり、車に火をつけて爆発させたりはしない。彼らは自分自身、愛する恋人や家族を身の危険にさらすことで、支配者へ無言のメッセージを送っているのだ。俺たちを解放しろ。自由を与えろ。

国はここで対応を間違うべきではないと思う。従順な国民が、風でも嵐でも地震でも汚職でも原発でも、何があっても絶対服従してきた従順な国民が、今、初めて怒っているのだ。命をかけて支配者に抵抗しようとしているのだ。10万円としょうもないマスク2枚でごまかしきれると思わない方がよい。

さあ立ち上がれ。「ステイホーム」は今や禁句だ。「自粛ポリス」は公開処刑しろ。外出しない人間は吊るせ。街に出よう。買い物をして酒を飲め。唾を吐け。死ぬまで歌って踊りまくれ。赤信号はみんなで渡れば怖くない。これは暴動だ。支配からの卒業だ。俺たちを解放しろ。自由を与えろ。

と、まあ半分冗談なんだけどさ、ここは民をナメててはいかんところだとは思います。僕個人的には世間のトレンドやバッシングには関係なく、できる限り家にいようと思っています。もちろん、こんな状況下で外で働いていただいている方々に深く感謝と尊敬の念を忘れずに。

MOVIE VIEW

スティーブン・ソダーバーグ監督のコンテイジョンをHULUで観た。確か映画館で観た記憶があるが、内容はうろおぼえ。何もこのタイミングでこんなものを観なくてもよいものを、最近我が家に導入したばかりの動画配信サービスHULUのメニューをチェックしていて何となくクリックしてしまったら画面に釘付けになって離れられなくなってしまった。

早い話が現在の我々が置かれた状態そのまんまみたいな内容である。不謹慎であることは承知で敢えて正直に言うが、これまでにあまり体験したことのない新鮮な感覚で、もう一度観てみたいという気すらしている。VRのヘッドセットを装着しジェットコースターに乗るゲームをプレイしながら、本物のジェットコースターに乗る感覚、とでも言えばイメージは伝わるだろうか。

ウイルスがものすごいスピードで世界を恐怖に陥れてゆく様は、まるで予言のようでもあるが、映画と現実で決定的に異なる点がある。映画の登場人物が、主要な者から通りを歩いているだけの脇役まで、皆、非常にシリアスなのである。逆に言えば、我々の現実社会には多く存在する「能天気」な人がひとりもいない。「カンケーねえじゃん、飲もうぜ〜。」みたいな輩が全くおらず、登場人物全員が一様にウイルスと感染に恐れ慄いているのである。

もちろん被害の程度の差と言ってしまえばそれまでなのだけど、私は、仮に現在のこの騒動がもっと深刻なレベルまで達したとしても、あまり動じず「能天気」な人たちの数は一定数存在し続けると思う。現在「カンケーねえじゃん、飲もうぜ〜。」な人たちだって、決して自分らの身の安全の保障があって能天気でいられるわけではないのだ。何の根拠もないけれど「カンケーねえじゃん」なのである。

ソダーバーグさんもそこまでは想像することができなかった。現実は映画よりもずっと怖い。だってその映画には描かれていなかった「カンケーねえ」人たちが文字通り誰それ関係なくウイルスを撒き散らすことになるわけだから。

でも、同時にそこがリアルな人間の強みであるとも思う。映画で描かれていたレベルのパニックに現実の世界が陥っていない背景には、おそらく物事をあまりシリアスに取らない楽天的な人々が一定数存在することが大きく付与していると思う。私、個人的には、人々はできる限り外出を控えてステイホームすべきだと思うが、世の中の人間が全員私のような心配性かつ悲観的な放射脳タイプだったとしたら、世界はもっと深刻な状況に追い込まれていたに違いない。全体としてよくバランスが取れているのだなと、思いもよらぬ感想をもってして、今日も一歩も家から出ずにいるわけである。さて、次は何の映画を観ようか。

追記:これを書いた後に同じくHULUでオーシャンズ13を観たのですけど、ぜんぜん違う映画なのに何だか同じリズムが続いてる感じするなあって、考えてみたら監督同じでしたね。で、調べてみたら「セックスと嘘とビデオテープ」がソーダバーグさんのデビュー作なんですね。何だか得体の知れない新しいトレンドの始まりを象徴するような変な映画で、(新時代に自分が)ついていけるか自信ないなあと不安に思ったことをよく覚えています。

無力

あまり気分の良い話ではないが
ウイルス騒動について
また現在の心境を記しておく
騒動が深刻化してきた時から
何となく原発のことが
脳裏をチラホラしていたが
頭を整理すると
両者にいくつもの共通点
というか
ある側面から見れば
ほぼ同じ話であることに気がついた
一般的に
今回のこの騒動は
ウイルスと人類の戦いである
と認識されているようであるが
ウイルス側に戦う意思はない
そもそもウイルスは思考しない
脳もないし哲学も文化も何もない
もし全ての人類が
自宅から一歩も外に出なかったら
この騒動はひと月
遅くとも2ヶ月で収束する
ウイルスが増殖するためには
人の移動と接触が必要不可欠
人類の協力なしには
奴らは存在すらできない
つまり
この騒動を収束させるか長期化させるかは
完全に人間サイドの都合である
もしこれが戦いであるとするならば
人間vs社会のシステム
と考えるのが適切だと思う
要するに
我々は我々自身との戦いを強いられている

またその話か

ここから先は
同じやりとりの繰り返しで
話すのも憂鬱だ
やめよう

対応

外出自粛生活に完全に対応した
もともと
サーフィンとDJ以外で
ほとんど外出しない生活をしていたから
ライフスタイルそのものが
劇的に変化したわけではない
働きもしないで家にいることに
罪悪感を持っていたことが判明した
今は堂々と家にいられる
荒れ放題の自宅を片付けて
自分のスペースを確保し
朝から晩までヘッドホンをして
パソコンに向かって曲を作っている
誰に聴いてもらえるわけでもないが
今は創作そのものを楽しんでいる
庭と玄関に椅子を置き
即席のカフェコーナーを設けた
春の植物の成長や
狭い空を流れる雲を見ながら
コーヒーを1日10杯ぐらい飲む
腹は減らないし
料理も面倒なので
毎日パンばっかり食べている
6枚切りの食パンを2枚焼き
バターとジャムはちみつを塗って
これを1日3回くりかえす
あいかわらずテレビやラジオはシャットアウト
SNSも一方通行で
基本的に人の記事は見ていないが
世の中の状況はだいたい想像できる
外出と言えば近所のパン屋に行くぐらいだろうか
寂れた商店街だが
普段より人が多い気がする
人の数は同じで
営業している店の数が減ったわけだから
店舗あたりの客数が増えるのは当然だ
ずっと夢の中にいるような気分ではある
自分60%ぐらいで生きている感覚だ
残りの40%はどこに行っただろう




ロマルー再開?

長くマックロマンスを知っている人は
ロマンスルームのことをおぼえているかと思う
当時
私がきりもりしていた
プースカフェという店のホームページに
書き記していた営業日誌である
といっても
店のことはほとんど書いておらず
趣味から時事問題
悪態や愚痴にいたるまで
まだブログなども一般化する前の時代の話で
世の中の目もあまく
今なら炎上しそうな内容のことも
好き放題書き散らしていた
他にライバルもおらず
けっこうな数の読者がいたと思う
そこに目をつけた人がいて
人様のサイトに連載を持つまでになった
その後
フェイスブックやツイッターが一般化し
埋もれるがごとくフェードアウトした

ふと
ロマンスルームの記事を書くにあたって
句読点を使わず
改行で文章をくくる
というマイルールがあったことを思い出し
それにしたがってこの文章を書いているわけだ
その当時のリズムが戻ってくるから不思議なものだ
何となくその当時に戻ったような気分すら
おもしろいから
しばらくロマンスルーム式で
文章を書いてみようかな

ちなみにロマンスルームは略してロマルー
コアな読者
つまり
ロマンスルームマニアのことを
ルーマニア
と呼んでいた

そうそう
ロマルーは
書き直しをしない
もルールだった
うむ
システム的にできなかっただけかも知れぬ

話にオチはない
あることないことを一方的にだらだら喋り倒すのがスタイル
ああ
これも口癖だったわ

新曲リリース

Tokyo Cowboy Disco / B.A.D RADIO STAITION bandcampで絶賛発売中!

サーフィンやジムはおろか買い物などの用事も必要最小限にして要請にかなり忠実に外出自粛生活を送っている。毎日やることがたくさんあって、たいくつということはほとんどない。むしろちょっと前よりも忙しくしているような気がする。

特に外出自粛とは関係なく、ひと月ぐらい前からトラックメイク、つまり作曲活動を開始した。これまでもトラック作りはやっていたが、あれは主にDJライブのためのネタ作りで、「リミックス」という手法を選択していた。ざっくばらんに言えば「他人の曲」のアレンジである。買ってきたサンドイッチをバラして別のパンに挟み、新しくサンドイッチを作るような行為と思っていただければわかりやすいかと思う。何でわざわざそんなことを、と思う方もいらっしゃるかと思うが、ひとつのセオリーとして音楽、特にDJの世界では定着している。

リミックスはもともとが人の曲なので基本売ることができない。(作曲者からの依頼あるいは許可を得た場合はこの限りではない。)今や音楽は知的財産で著作権法のコントロール下にある。私は著作権法が大嫌いで存在そのものに反対の立場にいるが、その話はまた別の機会にする。とにかく著作権法のおかげで私(たち)は作ったものを売ることができない。

売れるものを作らないと商売にならないので、作曲を始めたわけである。昔は作曲と言えば一部の才能のある人間にしかできない特殊な技術だったが、今は機械や環境が進歩して、素人でもわりと簡単に曲を作ることができるようになった。また料理で例えるなら、ホットケーキミックスやカレーのルー、機械で言えば電子レンジやセンサー付きの調理器のように簡単な作業でプロが作るのに近いものを作れる環境が整ってきているわけだ。

また、作った曲を販売するまでのプロセスもかなり簡略化できるようになった。以前ならレコード会社を通さずに楽曲をリスナーに届けることはまず不可能で、そのために好きでもない男の射精を手伝うなど作曲以外の能力がモノを言うこともあったとかなかったとか噂はともかく、一曲がリリースされるまでの間にそこに関わる人間の数が無名の新人アーティストでも100人やそこいらは軽く超えるような状態で、とにかく時間がかかるし、その人間たち全員が何某かの金を受け取らなければならないわけで、金もかかる。

曲やレコードは売価がだいたい決まっていて、ホテルオークラだからレトルトカレーでも一皿3000円、みたいなのはない。つまり儲けたければ量産して数を売るしか他に方法がない。万人に好まれる音楽(だいたいどれも似ている)が世の中に氾濫するのはシステム上の問題と言えよう。事実、そこまで大金をかけなくても(つまり携わる人間の数が少なくても)楽曲をリスナーの元に届けられるようになってから、音楽のトレンドは細分化されてきているように思う。そんな中で星野源のように飛び抜けたヒットを飛ばし続けるアーティストもいて、それはそれで凄いことだとは思う。

話がそれた。さて、作曲から販売までどれぐらいの人数と時間がかかるか?もちろん曲の内容やクオリティーにもよるが、人数は間違いなく一人でできる。時間は、、物理的には10分。現実的に捉えるなら1日あればできる。

写真はビリー凱旋門とふたりで作った曲で、着想からリリースまでおよそ3日ですべて行った。何だ3日もかかっているじゃないかと言うなかれ、別に我々はリリースまでのスピードを競っていたわけではない。もしもっと早くやる必要があれば1日でじゅうぶんできたはずだ。関わった人間は僕とビリーちゃん(あと女性のコーラスをiPhoneで録音して送ってもらった。)のみ。スタジオには一度も入ってないし、電通のまぬけと打ち合わせもしていない。先にも言ったように僕が作曲を始めたのはひと月ほど前のことで、専門的な技術や経験はほとんどないに等しい。(過去にミュージシャンだった時の経験はある程度役に立ったかとは思うが。)セオリーは作曲しながら勉強するといった具合だから、たぶん正当な曲の作り方は今でも全く理解していないと思う。それでも曲はできたし、実際に買うことができる状態にある。

何が言いたいか?私はこの状態が正常であると思う。つまり音楽なんてものは、アーティストとリスナーがいれば他はいらないってことだ。高度なテクノロジーを駆使して芸術が「人」の元に戻ってきた。音楽はレコード会社のものではないし、広告代理店のものでもないし、ましてや背中にポロシャツを引っ掛けてペニスを勃起させた中年男性のものではない。音楽は表現者とリスナーのものでしかない。奏でる者、歌う者、聴く者、踊る者。良い時代になったのではない。本来の姿に戻ったのである。

記録

半月ほど前に「記録」というタイトルでコロナ騒動について書いた。あれから状況は悪くなるばかりで、あれよと言う間に首都圏に緊急事態宣言が発令された。自宅と海にしかいない自分にはあまり関係のない話だろうと思っていたが、波情報のアプリを見たら、情報の一部が見れないようになっていた。海にも行くなということなんだな。都内の満員電車は放置状態(未確認)らしいから要するに、会社の仕事>感染>その他もろもろ、ということらしい。世の中で何が重要とされているか、このような非常事態になるとよくわかる。

刻一刻と変化し続ける状況に思考がついていけず、この記事も何度か書き直しているのだが、手短に現在のスタンスというか心境を記しておく。

最初、コロナの話を耳にした時に、私はこれはモンサントが菌を撒いて特効薬で一儲けしようとしているのだと思った。先の震災以来、私の頭は放射脳化しているので、何が起こっても一度はそのような陰謀説を疑ってかかるようになっている。その後、日々の状況を見聞きしていく中で、これは意図的にセットアップされたものではなく、偶発的に起きた事件であると認識し、自身の当初の目論見を恥じることになるのだが、実は今またその気持ちも少し揺らぎ始めている。

さすがにもう陰謀とまでは言わないが、このコロナ騒動には公には発表されていない何か重要なことが隠されているような気がする。根拠はないが何となく感じるのである。嘘はついていないが全て話しているわけではない。という類の文章にはそれ相応の特徴があって、下手な歌手の歌の良いところだけを切り貼りして作った曲を聴くみたいに、どこか居心地の悪さが付着していて、わかる人にはわかるのだ。

あるいは国民がパニックに陥らないための配慮がなされているというだけの話かも知れない。長引く外出自粛生活であれこれ考え過ぎて私の脳がメルトダウンし始めたのかも知れない。パニックを煽るようなつもりは毛頭ない。現在の心境をなるべく正直に簡潔に書いた。また恥じることになろうが、言うまでもなくそうなった方が良い。

サーフィン日記

強風がひゅうひゅうと上空を渦巻いていた。雨戸が揺れ、どこかで物が倒れる音がした。ベッドから出るのに勇気のいる朝だった。今日はサーフィンはダメだなと思った。カフェオレをいれ、焼いたトーストにジャムを塗って、途中まで観た映画にチャンネルを合わせた。ちょうど主人公が悪の巣窟に喧嘩を売りに行くシーンだった。ポールダンサーが胸もあらわに踊っている姿が映し出されるのを見てスイッチを消した。娘たちがいつ2階から降りてくるかも知れない。学校も仕事も休みなのだ。

予報を見ると、嵐のような風にもかかわらず、海のコンディションは悪くなさそうだった。そこそこのうねりがあり、穏やかな北風で面が乱されることもないとあった。

9.5フィートのシングルフィンを車に積んで出発した。セブンイレブンに寄ったら大きいサイズのペットボトルのミネラルウォーターが全て売り切れだった。500mlのを2本とバナナとコーヒーを買って高速道路に乗った。相変わらず風は強かったが空は快晴で気温も20度近くあった。もし波がなかったらビーチで日光浴すればよかろう。

高速道路の車線規制の影響で少し渋滞があった。ふと、制作中のトラックに叫び声のSEが欲しかったことを思い出し、録音するにはちょうどよい環境であることに気がついた。スタジオに入るほどの大仕事ではないが、自宅で叫んだらきっと通報される。録音の機会がなくて先送りになっていたのだ。

狂人のように雄叫びを上げ、その様子をiPhoneで録音した。心拍が早くなり、体温が上昇するのを感じた。パーカーの中に着込んだ下着にうっすらと汗が滲むのがわかった。

駐車場で準備をしていると、後からやってきた同い年ぐらいのサーファーがブーツは必要かと聞いてきた。私は末端冷え性なので(普通ならいらないと思います。)と答えておいた。日常生活の中で見知らぬ他人に声をかけられることはまずないが、海の近くではよく話しかけられる。

予報通り、風はさほど強くはなかった。天気のよい春の海日和だった。水はまだ冷たかったけど手袋が必要なほどでもない。ただ北風というのは嘘で完全なオンショアだった。おそらくこの時間帯までコンディションが良かったのだろう、けっこうな数のサーファーが海に浮かんでいた。なるべく人の少ないところから入ったらカレントがあってあっというまに沖に出た。オンショアの影響で押しつぶされたぐちゃぐちゃの波ばかりだったが、とりあえず来たやつを捕まえたらぐちゃぐちゃのまま波打ちぎわまで連れて行ってもらえた、乗った波はプルアウトせず最後まで丁寧に、砂浜にフィンが突き刺さるまで乗る、が信条のひとつ。友人の受け売りだがそれがかっこいいと自分では思っている。

こんにちは。目があったサーファーと挨拶を交わす。日常生活の中で目があった人に挨拶する習慣はないし、だいたい街では誰も私と目をあわさない。

コンディションはどんどん悪くなり、風も流れも出て、浮いているだけでもしんどくなってきた。サーファーがどんどん上がっていくのでスペースはできるが、肝心の波がないではどうしようもない。

ボードを浜に上げ、いい感じに転がっていた石に腰かけ、ビニール袋に入れて持ってきたバナナを食べた。波にあぶれたサーファーたち、手を繋いで歩く若い恋人たち、平日にはめずらしい家族連れの姿もちらほら見えた。

目を閉じるとオレンジ色だった。波や風の音を感じながら黒点が泳ぐのを追いかけ、しばし「何も考えない」ことに集中した。不安や恐怖や虚無がかわるがわるやってくるのを跳ね除けているうちにペンギンにたどり着いた。無の象徴をピクチャーするにペンギンはあまりにも実在的すぎたが、それでもわけのわからぬ恐怖に取り憑かれるよりはずっとマシだった。2羽のペンギンはしばらく宙に浮かんでゆらゆらしていたが、やがてオレンジ色に飲み込まれ、そのオレンジも次第に色褪せ、波の音だけが暗闇の中に残されてじゃぶじゃぶしていた。

目を覚ますと海の様相は一変していた。肩ぐらいのサイズの波が幾重にもなって押し寄せて、崩れ落ちた泡が波打ち際を白く彩っていた。誰かが放置したビーチボールが左からやってきて私を目の前を横切り、右の方に転がって行った。風が東に回ったようだった。どこに姿を隠していたのか、ショートボードのサーファー達が波のにおいを嗅ぎつけて、続々とビーチに集まり始めていた。

外から見ているよりも波は大きく、休む暇なくやってくるので、海に出るのに難儀した。目の前を、長身でバケツハットをかぶったサーファーが、上手に波とやりくりして、ニーパドルであっという間に沖に出て行った。前にも見たことがあるサーファーだった。上手い奴は存在感が違う。それにその男はドイツ語を喋っていた。この辺の海でドイツ語を耳にすることはとても珍しい。

東からの風を押し除けるぐらいパワーのある波だった。ほとんどパドルせずに波に押されるようにテイクオフして、削るように斜面を滑る。バランスを崩して振り落とされたところに別の波がやってきた。そのまま乗って岸まで行った。苦労して沖に戻ったらサーファーの数が3倍ぐらいに増えていた。内側にもショートの連中がたむろし始めていた。渋滞のエリアを諦め横にそれたエリアの少し内側にポジションを取り、小さめの波と戯れることにした。

狙いをつけた波に左からやってくるサーファーが視界に入った。距離はあったが流したところ、男が笑顔をよこしながら滑っていった。フィニッシュした後に男が振り返ってまた笑った。しつこいようだが、街で私に笑顔をよこす人間はいない。

良い状態は長くは続かなかった。波は突然なくなって、風に煽られたぐちゃぐちゃ状態に戻っていた。空を見上げるとナマコのような形をした邪悪な黒い雲が東から押し寄せてくるのが見えた。雲から飛び降りるように雨が降り落ちている様子も見て取れた。思い残すことはない。潔くリーシュを外し、深くお辞儀をして海を後にした。

着替えを済ませて駐車場を出たら先ほどの黒い雲はすっかり姿を消していた。波もまた少し良くなっているように見えた。

となりのビーチまで車を走らせ、以前に行ったことのあるカフェに足を運んでみた。混雑していたらやめようと思っていたが、幸いお客の姿はなかった。テーブル4台ぐらいの小さな店で、いつもウクレレ音楽が静かに流れている。無口で少々人相の悪い店主(どこからどう見てもサーファーだ。)が、美味しいパンを焼き、コーヒーをいれてくれる。開け放たれたドアから柔らかな風がそろりそろりと入ってきていた。吊るされたハワイの木の風鈴が揺れてポコポコと可愛らしい音を奏でていた。

ベジタブルバーガーを口に放り込んでむしゃむしゃやっていると、母と娘の親子連れがやってきた。母親は40ぐらい。娘の方は小学生高学年といったところか。娘はアイスティーを注文し、慣れた感じで席を取り、リュックサックからノートや文房具を取り出して宿題か何か勉強を始めた。母親は何も注文せずに行ってきまーすと言って店を出ていってしまった。出ぎわに私の方を見てちょっと笑ったような気がしたが、一瞬のことで反応できなかった。人に笑顔をもらうことに慣れていないのだ。

母親がサーフィンをしている間、娘は宿題をして待っているということなのだろう。女の子にお小遣いをあげたいような気持ちになったが、もちろんそんなことはせずに黙ってバーガーを食べ、コーヒー飲み、デザートにイチゴと生クリームの乗ったデニッシュを食べ、勘定を支払って店を出た。ごちそうさま。

駐車場に戻ると、隣に停めた車がちょうど出るところだった。私のと同じ古いホンダの車だった。同じ車なんて珍しいよねえ。と男がわざわざウインドーを開けて話しかけてきた。そうですね。と、出来る限りの笑顔を作って答えた。もう27万キロ走ったよ。と男が言った。そりゃすごいですね。僕の倍だ。と答えた。我々のホンダは中途半端にオフロードなデザインが受けず、あまり売れないうちに製造中止になったモデルで、確かに海で見かけることはほとんどない。弟が車を買い替える時にくれたのをもう5年ぐらい乗り続けている。このぶんだとあと5年ぐらいは乗れそうだ。

都心に近づくにつれ、また風が強くなってきた。おそらく東京は強風に翻弄される1日だったのだろう。得したような気もしたが、少し申し訳ないような気分でもあった。日に焼けた顔や首の皮膚が心地よくヒリヒリしていた。

記録

だいたい一月前に「見ざる聞かざる」というタイトルで昨今のコロナウィルス騒動についての記事を書いた。実は騒動については全体としてもっと楽観的に捉えていたのだが、目論見は外れた。正直に言うと少々「怖い」。

現時点では、ウィルスよりも人間の方が怖い。拳銃と食べ物と薬のどれかひとつを選べと言われたら、おそらく銃を選択すると思う。後になってこのブログを読み返して「バカなことを」と笑えるようになることを祈るしかない。

今やウィルスは世界中に蔓延して、まるで悪い夢を見続けているような状況だ。悪影響が僕のような社会からほとんどドロップアウトしたような人間にもひたひたと押し迫って来ている。

アメリカDJツアーの日程はすべて延期、もしくは中止になった。現地の温度の急降下が怖い。ほんの1週間前までは「いくつかのショーは中止になるかも知れないね。」ぐらいのムードだったのが、現在では「もし生き残れたらまた仲良くしようね。アデオス!」みたいな感じになっている。

東京でのDJの機会もほぼ消失した。もともとほとんど仕事が来ない状況だったから、今後のことを考える良い機会になったかも知れない。

反面、我が日本国民は自粛モードに飽きたらしく、街に人が戻り始めている。実際に目にしたわけではないが、花見や酒場は例年よりも盛り上がっているようにすら感じる。赤信号はみんなで渡れば怖くない。

もともと「引きこもり」と言ってもよいような生活をしているので、自宅でいることそのものはさほど苦痛ではない。「何もしない」ことは私の特技で、思えば数年前の入院生活も非常に有意義なものだった。自分が社会に何ひとつ貢献できていないことを常に恥じているが、今は堂々と「何もしない」でいられる。

2020年3月23日。私の憂鬱は私の中にある。つまり私は「まだ」このウィルス騒動を楽観的に捉えている。

この記事は何も伝えていない。この異常事態において、現時点での自分の立ち位置を記しておいた方がよいような気がして書いた。

見ざる聞かざる

昨年、3週間ヨーロッパにいて、テレビやラジオ、新聞、SNSなどから断絶された環境にいて、自分が抱えている多くのストレスがそれらの媒体から発信されていることに気がついた。

政治や社会の情勢にセンサーを尖らせ、正しい情報を得て、しっかりした自分の考えを持つべきである。と、先の震災で学び、特に時事問題には興味を持って積極的に社会に参加しようとしてきたし、外を出歩くことの少ない私の生活環境において、SNSは他人とコミニュケーションが取れる貴重なツールだった。

しかし日本の首相のツラをテレビで見るたびに腑が煮え繰りかえるような思いをし、「いいね」の数に翻弄され、無記名のディスコメントに凹まされ、私の心はいつしか、憔悴していたようである。テレビやiPhoneを見ないだけで、こんなに毎日が楽になるとは思いにもよらなかった。

そんなわけで、6月に帰国してからもう半年以上、テレビやラジオは一切見聞きしないようにしている。SNSは発信専用にして、基本的に人の記事は見ていない。

いくら耳をふさいでいても、入ってきてしまう情報というのはあるもので、例えば新型肺炎のニュースについてはだいたい把握していると思う。政治や経済においては、何が起こっているかむしろニュースを見ない方がよく見えているような気がする。

基本、世界はアメリカを中心に回っている。新型肺炎は製薬会社が儲けるために開発して撒いた。調子に乗ってる中国を牽制する意味もあったかも知れない。日本ではナショナリズムを高める(なぜか中国人が悪いということになっている。)のにちょうど良い材料になったし、経済がうまくいってない理由をぜんぶ肺炎のせいにできて好都合だ。オリンピックがコケてもきっと肺炎のせいにするだろう。全体として「自分らがうまくいってないのは全部中国のせいだ。」というシナリオでごまかし続けていくつもりだろう。

金は回ってないが、労働者に還元せずに留保した金がたくさんある。それで自社株を買うから株価は安定。同じことを国もやっている。アメリカがコケたら日本もコケるが、またトランプが当選するだろうからしばらくは安泰。と、みなが思っている。

実際には金は回ってないから、国民の生活は苦しくなっている。重税も厳しいが、まわりも同じだ。日本人は自分だけ辛いのは耐えられないが、みんなで一緒に辛いのには恐ろしく強い。物理的な苦痛よりも「人と違う」ということがいちばん恐怖だ。

賭けても良い。消費税10%はジャブに過ぎない。そのうちものすごいストレートパンチが飛んでくるが、みんなで一緒に気を失うのなら本望だ。日本人はみな喜びノーガードで受け入れるだろう。

すべて私の妄想だ。情報が入ってこないから想像するしかない。妄想だから現実とは全然違うのだろう。コンビニで買ったアイスがやたら小さく見えるのは私が太って大きくなったからに違いない。

告白

セルフオーガナイズができてない。というと何だかちょっとかっこいい感じがするけれど、つまりはうっかり者、不注意な人間である。きのうは車の鍵を落とし、最近ではシャンプーを洗い流すのを忘れてそのままサウナに入るという小さな事件を起こした。もしかして痴呆症なのではないかと不安になることもあるが、不注意は子供の頃からなので、そうだとしても老人性というわけではないと思う。普通の痴呆である。

そんなわけだからモノをよく無くす。最近は痴呆に健忘が加わり、無くしたことも忘れてしまったりして手に負えない。モノは所詮モノ、しょうがない。と執着せずに諦めることにしているが、どうしても忘れられないものもある。

師エスケンに帽子をプレゼントしてもらったことがある。南アメリカのどこかの国からの輸入品だと聞いたが、存在感からしてそうとう高価なものだと思う。エレガントなベルベットの太巻きリボン、頭に吸い付くようにぴったりなサイズ、肌触りのよいマテリアル、美しいシルエット。本当にお気に入りで、DJする時は必ず被ってトレードマークになっていた。

エスケンさんも「上げた帽子を被ってくれて嬉しいもんだねえ。」なんて、まるで孫に誕生プレゼント上げたおじいちゃんみたいになって喜んでくれて幸せだった。

帽子は好きでたぶん100以上持っているが、本当に気に入るものには滅多に出会えない。というか、出会ったことがない。もしかしたら、一生にひとつ、見つかるかどうかぐらいの確率かも知れない。つまり人生とは「正しい帽子を探す旅」であると言い換えることができるわけだ。

私は師に導かれその使命を果たすことができた運の良い人間である。エスケンさんのことを無意識に(そして勝手に)「師」と呼んでいたが、ちゃんと筋が通っていたのだ。

文脈から想像するに容易いと思うが、その通り。よりによってその帽子を無くしたのである。気がついたら消えていた。どこでどう無くしたのか全く検討がつかない。まだ酒を飲んでいた頃の話だが、暴漢に襲われて身包み剥がれたとしても帽子だけは守ったと思う。羽が生えてどこかに飛んでいったとしか思えない。

実は紛失についてエスケンさんには何も伝えていない。言えるわけがない。でもたぶん、マックロマンスは最近あの帽子を被ってないなあぐらいのことは何度か思っているに違いない。心が痛い。エスケンさんがこのブログを読んでいるとは到底思えないが、もしかして誰かから伝わって目にすることがあるかも知れない。面と向かってはとても告白できないので、ここに謹んで謝罪の意を表明する。って偉そうだな。本当にごめんなさい。

帽子の紛失からもう3年、もしかしたら5年ぐらいになるが、あの帽子が頭に乗っかっている時の興奮感は忘れない。身に着けるものは人にパワーを与えるし、奪い取りもする。人が服を作るのではない。服が人を作るのである。

Photo by Noah Suzuki

CUT UP & REMIX

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そういうことはやらない方がいいよと言われたが、googleに「マックロマンス」と打ち込んで検索してみた。(暇なのだ。)ディスりも含めて、たいして目ぼしい情報は得られず、自分の社会への影響力の低さ(ほとんどゼロ)を再確認することになり、別の意味で少し気分が落ちる結果となった。

しかし収穫も全くなかったわけではなく、削除していたと思っていた過去のブログ記事を発見。いくつか目を通してみたが、なかなか良いリズムの文章で、読ませる。少なくとも文章を書く能力については、今よりもその当時(15年ぐらい前だろうか)の方がずっと高いように思った。つまり私は退化しているわけだ。

ただし、文章の内容についてはいただけない。社会や政治について辛めの意見を突きつけるものが多いのだが、本当にそう思って書いているのかあやしいのである。盗作とまではいかないまでも、他人が書いたものを読んで、それを自分の文章に書き換えて、あたかも自分のものであるかのごとく表現しているのがわかる。他人にはバレないかも知れないが、書いた張本人にはわかる。

何だ、今やってることと同じじゃんね。サブジェクトは文章から音楽にかわったが、現在自分がやっているCUT UP & REMIX、”他人の曲をサンプリングしてリミックスし新しい曲に作りかえる”と全く同じである。私はそういうことが得意、うむ、少なくとも好きであるようだ。

そんなことを考えながら、朝っぱらから雑誌をやぶったりコピーしたり、CUT UP & REMIXは題材を特定しない。理論もいらない。オリジナリティーなんて概念を否定するところからスタートする。私はそれを「自由」と呼ぶ。

ラジオ体操とほうれん草

最近の口癖は「前にも話したことあると思うんだけど」。これも前に話したことがある気がするが、今朝、茶のための湯を沸かしていてる途中に記憶の扉が開いたのでここに記しておく。

小学校1年か2年だったと思う。体育の授業でラジオ体操の練習をさせられていた。「体を回す運動」の途中で教師から「やめ」の号令がかかった。「ホンダ(僕の本名だ。)くん、ちょっとこの運動をみんなの前でやってみて。」

僕はおそろしく運動神経の鈍い子供で体育は本当に苦手だった。走るのが遅いぐらいなら他人に迷惑はかけないが、球技などでは僕の入ったチームが負けて忌み嫌われるし、本人は真面目にやっているのに、奇妙で予測不可な動きをする様子がふざけているように見えるらしく、笑い者になるのを通り越して怒りを被ったり、体育の授業はまあ控えめに言って地獄だった。

その日のラジオ体操でもきっとまた変な動きをしていたのだろう。教師は「悪い手本」としてわざわざクラスメートの前で僕にその運動をさせるわけだ。公開処刑である。

僕は顔を真っ赤にさせ、体をブルブル震わせながら、校庭に体育座りで整列したクラスメートの前に出て、ひとりで「体を回す運動」をやった。

体を回す運動:両腕で円を描くように体を大きく回す。左右2回繰り返す。腰周辺の筋肉をほぐし柔軟性を高める。

「ホンダくんの運動をどう思いましたか?」

僕の一連の運動が終わった後で、教師が生徒らに尋ねた。僕は顔を真っ赤にしたまま、涙が出てきそうなのを堪え、下を向いて突っ立っている。

「はい!」

イシマルさんが手を挙げた。イシマルさんは学級委員長で勉強ができて、明るく、クラスの人気者で、そして小学生でもそれとはっきりわかるような美人だった。家もお金持ちだったと思う。

「何だか動きがちょっと変だと思います。くねくねしていて。」

生徒たちが顔を見合わせながら「そうだそうだ」と彼女に同調した。

「ふうん。動きが変。なるほど、他には?」

クラスメートはざわざわしていたが、それ以上意見をいう者はいなかった。

「ホンダくん、もう一回やってみて。」

僕はもう教師に殺意を抱きながら、もう一度そのくねくねダンスを披露した。

「みなさんホンダくんの動きをよく見て、ほら、体を大きく動かして綺麗な円を描いているでしょう?とても素晴らしい。このようにすると腰の柔軟性が高まるのです。みんなもホンダくんのように円を作るように体全体を使って動かしてみてください。ホンダくん、戻ってよし。ありがとう。」

今度はイシマルさんが赤面する番だった。生徒たちは「オレも実はそう思ってた。」みたいな顔をして、体を回したり、友達同士で動きを見せ合ったり、僕のことを羨望の目で見るような奴もいた(おそらく僕の妄想だろう。)が、チャイムが鳴った瞬間に、すべてなかったことのように僕以外の者らからこの授業の記憶が消えた。

+ + +

ある日、給食の時に、イシマルさんが下を向いたまま大粒の涙をボトボト落として泣いていることがあった。ほうれん草にアレルギーがあって食べられず、それで泣いているらしい。給食は好き嫌いをせずに、よく噛んで、残さず全部食べましょう。というのがルールだった。責任感の強い生徒だったから、学級委員長の立場でそのルールを守れないのが悔しかったのか、あるいはこの不幸を受け入れられず悲しかったのか。

今にして思えば、その時に彼女の机のところに行って、ほうれん草をムシャムシャ食べてやればよかった。その頃の僕は内気で、暗く、自分のことだけで精一杯のダメな少年だった。(そしてほぼその時のまま大人になった。)

ラジオ体操を真面目にやっても、柔軟性のある体にはならない。今年2度目のギックリ腰は患ってからもう3週間になるが、まだ大好きなキックボクシングの練習ができるまでには治っていない。ヨガや整体いろいろやったが、大した効果はない。まあ腰痛は持病らしく、うまく付き合いながらやっていくしかないようだ。

ほうれん草は好きでよく食べる。葉酸が体に悪いという人もいるが、ここまで生きられたんだからそれで多少寿命が縮んだところで問題ないと思っている。特にインド料理のほうれん草とチーズのカレーが好きで、こうやって話をしている間にも食べたくなってきた。

映画鑑賞記 ”ドルフィン・マン”

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自分の方は特に何も悪いことはしていないはずなのにちょくちょく理不尽な扱いを受けたり、トラブルに巻き込まれたりする。そこまで大きな問題に発展せずとも、何だか自分だけ損をしながら生きているような気がする。そういうのは全て前世での行いが悪かったから今になって罰を受けているのだそうだ。前世の自分が何でどんな生き方をしていたか知る術もないが、よほどの悪事を働いていたらしい。何だかフェアじゃない気もするが、受け入れるべきは受け入れるしかなかろう。

映画館を訪れると、どういうわけか前の席の客の座高が高い。あるいはテンガロンハットをかぶっている。もしくは巨大なアフロヘアーだったりする。それだけでもまあまあ前世を恨むが、きのうの客は身長190センチぐらいある巨漢の上に、館内でビへイブが非常に悪かった。すなわち映画に集中できずに何度もスマートフォンを取り出してはオンにして何やらチェックしている。しまいにはそれを落とし、でかい身体をシートの下に潜り込ませてもごもごやっている。分別のわからない若者ならいたしかたない部分もあろうが、年の頃、私たちと同年の中高年である。連れの女(おそらく妻だろう。)が、注意でもすれば良いものを、そんなそぶりもなく、やっと落ち着いた男の肩に頭を乗せて気持ちよく眠りに入りそうな始末である。

注意のひとつでもしようかとは思ったが、私は肝っ玉の小さい人間なので、仮に相手が下に出て謝罪したとしても、そのことばかりが気になってとても映画を楽しむことはできぬだろう。もし相手が強気に出た場合の被害については想像するだけで憂鬱になる。

そんなわけで60%ぐらいの感じの映画鑑賞だったが、まあ結論から言えばそれなりに楽しめた。

我々は25歳ぐらいでグランブルーに直撃された世代である。私が経営していた自由が丘のバーが南欧風のデザインだったり、店名がフランス語なのも、グランブルーの影響が大きい。私の友人には生まれた子供に「ENZO」と命名した者もいるぐらいだ。なわけで、海やイルカやダイビングに興味がなくてもジャックマイヨールのことはだいたい皆知っている。彼が日本に住んでいたことや、晩年、鬱病を患って自殺したことも、別段、新しいニュースではない。

それでもこの映画はやはりグランブルーでは語られなかったリアルなジャックマイヨールの素顔に迫っていると思った。グランブルーのファンタジーに酔いしれた私たちは、こちらも見なければならない義務がある。

そんなことを想定したかどうかは知らないが、ナレーションをジャン=マルクバールが担当している。「私」と一人称を使い、ジャックマイヨール自身に成り代わってストーリーを紹介していく。役者としては他にそこまで大きな成功を収めた記憶はないが、グランブルーに関して言えば彼以外に適役はいなかったと思う。

70にもなって自死するって、どんな感じなんだろう。よほど前向きでパワフルな人間じゃないと死ぬ気も起きないような気がする。

死ぬ少し前にジャックマイヨールが雑誌のインタビューに答えているのを読んだことがある。リュックベッソンに映画についてイチャモンをつけている内容で(自分を映画に出せばよかったとか言ってたと思う。)カリスマにのくせにちっちゃいことばっかり言っていてまあまあかっこ悪かった。個人的にはそういうところに好感を持ってしまう。いいじゃんね。人間らしくって。

死ぬに死ねない

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DJやミュージシャンは11月がいちばん忙しい、はずなんだけど、私のスケジュール帳は年内真っ白。今年のDJも残り1本で終わりです。とは言え、もうすでに来年の準備は始まっている。今年は夢のDJ海外ツアーが実現した(こんなに話題にならないとは思っていなかった、つーか、もう少し話題にしてくれよ。50からDJはじめて海外ツアーまで漕ぎ着けれる奴は世の中に一体何人いると思ってんだ?と思うけど、まあ誰も興味ないんだからしょうがない。でも実現はしました。)ので、来年はまた別方向でこれまでやってないことにトライしようと思っています。日々修行ですわ。

最近は本当に毎週のように親戚やら知人が亡くなったニュース。自分もいつどうなるかわからんぞってことで、生命保険を見直したんだよね。遺族が受け取る死亡保険金とかが増えたわけなんだけど、今回の契約、三年内に自殺したら全てがパアになるそうで、まあ自殺なんかする気は毛頭ないのだけど、仮に死にたいと思っても死ねないわけで、本当にまあ消費税の計算はややこしいし、ライブハウスでタバコも吸えない(自分は吸わないけど)し、何だか不自由なことになってくな、この世の中は全く。

何をやるにしても予定を立てなきゃね。ってんで、2020年度もダイアリーはモレスキン。

褒められたい

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僕は他人から褒められる機会の少ない人間だと思う。なぜそうなのか自分ではよくわからないが、そのように生まれ、そのように育ってきた。中学校の時に市の水泳大会で2位になり、自分ではまあまあ凄いことだと思ったけれど、両親も教師も友達も誰も褒めてくれなかった。今年は海外DJツアーを敢行して、50を超えたおっさんが海外でDJデビューって自分ではまあまあ凄いと思ったが、誰にも褒められないどころか何の話題にすらならなかった。これがイナバさんだったら賞讃の嵐できっと大田区の電話回線がパンクしたことだろう。

滅多に褒められることがないので一度褒められたことはずっと忘れない。

15年くらい前に若い男性に「マックさんてすごく美味そうにメシを食いますね。」と言われて、なるほどオレにはそのような特技があったのか、と真に受け、自分が食事するところを撮影するようになった。スマホなどなかった時代の話である。20万円以上もするSONYのデジタルビデオカメラを購入し、自宅や店(僕はそのころ飲食店に従事していた。)で食べる姿を撮影した。人のお店に頼み込んでカメラを入れさせてもらったこともある。撮ったビデオをMACで編集してビデオコンテストに出場したこともある。(結果は惨憺たるものだった。)そのうちにYouTube、連動するようにスマートフォンが出てきてそこに撮影した動画をアップするようになった。全く何の話題にもなったことはないが、それから現在までずっと続いている。おそらく言った本人も忘れているような「褒め」のひと言が10年の時を経て今も僕を鼓舞し続けているのである。

褒めで持ち上がる人間というのは、だいたいにして謗りで落ち込むのが常で、僕も例外ではない。僕は基本ダメな人間なので、謗りのネタ提供にはいとまがない。これまでありとあらゆるタイプの謗りを受けながら生きてきた。謗られのエキスパートと言ってもよいかも知れない。僕のタイプの謗ラレストは「何をやっても謗られる」のが特徴で、例えば毎日のように深酒に沈んでいた頃は普通に「クズ」とか言われていたが、酒をやめたらやめたで「シラフのマックロマンスに価値はない。」とかって面と向かって言われるような次第でやるせない。

YouTubeでもこのところ否定的なコメントが目立つようになってきた。アクセス数が上がっているならば、クソリプのひとつやふたつ無視することもできようが、アクセスは減っているのにディスり系のコメントが増え続けていくのには我慢がならない。

他方、「クレームは財産だ。」という話を聞いたことがある。考えてみれば、見知らぬ誰かがアップした動画について、わざわざコメントを寄せるという行為だって、まあまあのエネルギーを要する所業である。腹が立ったにせよ、何にせよ、少なくとも動画を見て何かを感じたわけである。彼らのディスコメントの中に何かヒントがあるのではなかろうか。一度、彼らの話を真摯に聞いてみることにした。彼らは何を怒っているのだ?

答えは簡単に出た。

見たことのない人(おそらく誰も見たことないだろう。)のために簡単に説明すると、この「食べるシリーズ」は、その名の通り、僕が食事やスイーツを食べるところをiPhone撮影した(だけ)の動画である。ストーリーや演出や編集は一切なく、撮影したものをそのままYouTubeにアップしている。

食べたものがそのままタイトルになっている。例えば、きのうは天丼を食べたのでタイトルは「天丼」である。

これが良くなかった。

「天丼」のタイトルを見て、僕の動画に行き当たった人が見たいのものは「天丼」なのである。それを食う人ではない。彼らは天丼そのもの、どんぶりから上がる湯気とか、カリッと揚がったエビ天とか、甘辛いタレが衣に浸透していく様子とか、そういうものを期待してタイトルをクリックするわけだ。で、登場するのが、冴えない髭面の初老の男である。

ちなみに「食べる僕」にフォーカスを当てているので、食べている物はちゃんと映っていないことが多い。例えば天丼ならその多くはどんぶりの中に隠れているし、「シャケおにぎり」なんて場合は、中がシャケなのか梅干なのか外から見たのでは全くわからない。

例えば動画タイトルに「裸の女性」と書いてあったとして、蓋を開けてみたら裸の女性は全く映ってなくて、それを眺めてニヤニヤしている初老の男性の顔が映し出されていたとしたら、それは僕でも怒ると思うし、まあ機嫌が悪ければディスコメントのひとつでもよこすかも知れない。

そんなことに10年近くも気が付かず、全くもって申し訳ない。反省して、すぐに対応策を考えることにした。要するにタイトルを見た時点で、これが「マックさんがものを食べている」動画であることがわかるようにすれば良いのである。

「食べるマックさん」。何週間も考え抜いた末に決断した動画のタイトルである。今後、動画にはこれをかならず明記するようにした。例えば天丼を食べたとしたら、タイトルは「食べるマックさん/天丼」である。ついでにタイトルロゴも作ってみた。(こういう仕事はわりと早い。が、もちろんそれを褒められたことはない。)

これで動画へのクレーム、嫌がらせ、クソリプなどは飛躍的に激減するはずである。これを読んでマックさんのことを褒めたくなったら、ぜひYouTubeにアクセスして賞賛のコメントを投稿することをお勧めする。

キダオレ日記 ハット

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HAT : agnes b.

かっこ悪いこと、ダメな感じがかっこいい(あるいは許されてしまう)のがロックだと思う。ガンズ&ローゼズは全く好きなグループではないが、ボーカルの人のあのダサいダンスを見て、ああこれはロックだなと思った。敬愛するジョンライドンがステージで女の子のファンにボコられているところを見て、ああ、やっぱりロックだなあと思った。今や大作家として活躍されている町田康さんはまるでロック(彼の場合はパンクと言った方がよかろうか)を捨てたみたいにクールに変身してしまったが、遊びで始めたバンドのメンバーと方針で揉めて殴られたのだそうだ。それを警察に被害届け出したというのを聞いて、この方もロックを忘れていなかったと思った。言うまでもなく内田裕也さんはロックだったと思う。恋人と破局しそうになって「オレを捨てたらヤクザが出てくる。」とかって脅しただけでもけっこうなニュースだったが、マイウェイのBGMにのって謝罪会見に現れた時は本当にロックンロールだなあって思った。まったく反省してないじゃんね。スタイルカウンシルのポールウェラーさんなんかは何もかもが洗練されすぎていて、ちょっとロックとは言いたくない感じがする。スタンス的に似ているスティングさんは意外とダメでかっこ悪い側面があって好感が持てる。サザンオールスターのリーダーの方が「自分はロックだ」と言っていたのを聞いて全然違うよと思ったし、それが原因で彼らのことを嫌悪していたけれど、震災の時に一目散に関西方面?に逃げたという話を聞いた時に、ああなるほどこの人にもロック的な側面があるんだなと少し見直したことをおぼえている。

自分自身のことを言えば、実は僕はみなさんが想像している以上のダメ人間である。何がどうダメなのか恥ずかしくて公表できないが、ちょっと辺りを見回してみて、自分よりダメな人間はいないと自信を持って言える。今のうちからダメ録を書き留めておいて、遺言状に残しておくべきかも知れない。後で「あいつは本当にダメな奴だったよね。」「ロックだよね。」と誰かが噂してくれるかも知れない。あまりにダメすぎてロックですらないかも知れないけれど。

*文中の見聞は事実と異なる場合があります。半分ぐらいフィクションのつもりで読んでいただければ幸いです。

虫の居所が悪い

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今日は高校生の娘が文化祭の催しに出演する予定だったが、ハンザワ王子がレコードを持って我が家に来るというので、娘の方はキャンセルして自宅で待機することにした。例によって当日の朝になって王子から体調が悪くて行けないとの連絡が入り、それならば娘の演奏を聴くことができると、自転車に乗って学校を訪れてみたところ、間違えた時間を教えられていたらしく、娘の出演するはずの催しは終わった後だった。そのまま帰るのも何だか癪なので、同じ会場でタイミング良くスタートした全く知らない他人の子供たちが演じるミュージカルを観たら、けっこう感動して泣きそうになった。しかし、自分はと言えば、ただでさえ存在が怪しい上に(単に車を運転しているだけで職務質問を受けたばかりである。)よりによって今日は真っ赤なTシャツを着用していて目立つ、まわりを見回しても夫婦や家族で和気藹々のムード、オッサンひとりの客は自分だけのようである。誰の親かもわからぬ不審者が他人の子供の演技を観て泣きだしては、騒動の原因になりかねぬ。こぼれそうになる涙をこらえてどうにか校の外に出た次第である。

こういう日は、何をやってもうまくはいかぬ。まあ自分の人生において何かがうまくいったことなんぞないが、朝のうちにズレた歯車はその日のうちには元には戻らない。映画、散髪、コーヒーブレイク、思いつきで訪れた先はすべて満杯、服屋で目に留まったパンツは試着の段階で自分に似合っていないことがわかったが、試着して似合わなかった服を「いらない」と言えない性格である。パン屋で買った菓子パン(帰路でベンチでも見つけて食べようと思ったが、座り心地の良さそうなベンチをルート上で見つけることができなかった。)と、二度と足を通すことはないであろう新品のパンツを持ち帰り、この記事を書き始めたら眠くなってきたのでちょっと遅めの昼寝をしたら、暗くなるまで寝てしまい、真っ暗な中で目が覚めた。相変わらず機嫌は良くないが、思えば生まれてこのかた機嫌が良かったことなど一度もなかったような気がする。

ところで、午前中に、書斎に山積みになっている90年代のファッションやサブカルチャーの雑誌に目が行って、ペラペラとめくり始めたらなかなか楽しくて止まらなくなった。まだ今ほどインターネットが一般に普及していなかった時代の話。デザインや編集も素晴らしいが、特に写真が面白い。懐かしいとか、ノスタルジックな感じではなくて、むしろ新しいものを初めて発見した時のような刺激を受けた。

いちおう釈明しておくと、僕とハンザワ王子の関係というのは持ちつ持たれつとでも言うべきか、約束なんかは最初からあってないようなもんで、お互いドタキャンとかで相手のことを悪く思ったりは全くしない。事実、前回は確か僕の方が当日キャンセルしちゃったと記憶している。ふたりとも気まぐれで気分屋なので、会いましょうかとなっても三度に一度ぐらいしか実現しない。他の人が介入すると面倒なことにもなるが、二人の間では自由で良い関係性だと僕は思っている。

ふむ。こうやって見返してみると、決して悪くない一日だったように見える。何をぶつくさブーたれてたのやら?

 

存在感の欠如

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電車や街で知り合いを見かける。こっちは100メートルも先から相手を認識しているのに、そちらは真横をすれ違ってもこちらの存在に気がつかず何だか悔しい。イベントの告知でフライヤーやSNSの記事などに名前を入れ忘れられる。一度や二度ではない。そっちから出演を依頼しておいて、そのことを忘れたわけだ。注文した料理が僕の分だけ運ばれて来ないということもよくある。みんながデザートを食べている時間帯にようやく届いたメイン料理をひとりでもぐもぐやっている姿を想像すると我ながら哀れだなと思う。

それもこれも要するに存在感の欠如が原因ということになろう。自分ではけっこう頑張っているつもり(赤いシャツを着たり、ロン毛を編み込んでみたり)なのだけど、存在感というのはもっと内面から湧き上がってくる類いのものであるらしく、まあ何をやっても他人からの印象は薄いようである。

人にどう思われるか?ということだけを念頭に、長い間生きて来たわけなのだけど、人からはどうも思われていない、目にも入っていないというのが、その答えで、こんなことなら他人の目など気にせずに自分の好きなことだけを追求し続ければよかったと思う。

ヨーロッパをぐるりと周ってみたところ、イタリアやドイツに僕のことを気にかけてくれる特殊な人種が存在することを知った。イギリスにも少し、ルーマニアやアメリカにもいるみたいで、彼らから届くメールやメッセージ(写真やビデオ、詩なんかも送られて来る。)に何度も目を通し、自分の存在を確認し、他人から承認されたいという欲求の足しにしている次第である。(自分という人間の存在を確認するのに他人の目が必要というのは奇妙なもんだな、なんて考えたりもする。)

きのう、都内を車で移動していたら、パトカーに停車を求められ、そのまま職務質問を受けた。警官が4人も出てきて、道路が渋滞していたこともあり、ちょっと周辺が騒然とした雰囲気になった。買い物中のおばちゃんとかこの時ばかりは地味な僕も他人からの視線を感じた。警官らが僕に何を求めていたのかは知らないが、少なくとも彼らの目に僕は「認識」されたわけだ。こんなにありがたいことはない。

職務質問を受けることって普通の人は人生で何回ぐらいあるんだろう?僕は数え切れないぐらいある。日常生活では全く存在感のない僕だけど、警察官の目にはちゃんとひとりの人間(あるいはそれ以上)として見えているようである。将来はイタリアかルーマニアのリゾート地にでも住んで、退役した警官をボディーガードに雇って暮らそうと思う。エルビスプレスリーの衣装みたいのを着て。

犬の目

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犬の目は色を識別することができず、すべてがモノトーンで見えていると聞いた。最近では、実は色が見えているという人もいて、何が本当かはわからないが、この世界の中にモノトーン(に見える)エリアがあるのは事実であるようだ。

サーフィンの帰りなどに田舎の道をドライブしていて、白黒だけで彩られた墨絵のような景色に遭遇することがある。徐々に光が失われていく物悲しい時間帯で、以前はあまり好きではなかったが、ある時期から一転してマジックアワーの、特に後半を好むようになった。暗闇の後に必ず朝が現れることを長い時間をかけて学んだのだろうと自分では思っている。思考のスピードが遅いのでモノを理解するのに時間を要するんだ。

花屋でDJさせていただく機会を得た。友人のフォトグラファーが撮影した花の写真を何となくモノトーンに加工してみたら、その美しさに息を呑んだ。犬たちの目には花がこんな風に見えているのかと思うと少し羨ましく感じる。淡い青のブルースターとか、微妙なピンクのバラとか、全てが灰色に見えてしまうのは、残念な気もするけれど。

30年ほど前に東ヨーロッパのどこかの国を訪れた時、街全体がどんよりと、建物も空も人も酒場も煙草も、何もかもがモノトーンに見えたのを記憶している。その時の自分に、後に壁が崩壊して、街に光が、色が戻ってくることを想像する力があったなら、その暗い白黒の世界をもっと美しいものとして捉えることができたかも知れない。