カテゴリー別アーカイブ: ことば、エッセイ、ポエム

借りた本を返さなきゃ

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何十年も借りたままになっている本が出てきました。

30をすぎたばかりの頃、都内で自転車のメッセンジャーをやっていた時代があります。興味本位で始めたのですが、「メッセンジャーをやっていた。」と公言するには最低1年間、つまり4シーズンを通して業務遂行の必要があると聞き、結局まるまる1年間。メッセンジャーの冬の仕事は本当に過酷、春先の気分の良い時だけチャラチャラ走っただけで「メッセンジャーを語るな。」というわけですね。

同僚たちのほとんどは歳下で、おじさんが若者のパーティーにまぎれこんじゃったみたいな感じでなかなか馴染むことができませんでしたが、それでも気の合う人というのはどこにでもいるものです。写真の本を貸してくれた同僚は知的で、物静かで、ちょっとおっとりしたキャラクターの好青年(今じゃおじさんになってることでしょうけど)でした。確かご両親がラーメン屋を経営されているとかで、でもラーメンにはあまり興味がなくカレーが好きなんだ。(笑)というような話をしていたのをおぼえています。

この本が僕の手元にあるってことは、大好きなカレーの素晴らしさを伝えたかったのでしょうか。残念ながら、その頃の僕にはこのキーワードはヒットしなかったようで、ページをめくることもなく、メッセンジャーも卒業してしまって、そのまま20年が経過してしまいました。

「好きな本を貸し合ったりする関係」て、すごく理想的と僕は思います。一冊の本が一人の人間からもう一人に手渡される。そこにまつわるストーリー。いいよね。うまく説明できないのですけど、そういうものごとが人の心と生活を豊かにしてくれているような気がします。

ただし、相手が女性の場合はちょっと話が違うかも。「好きな本や作家が似ている女性との間に芽生えた恋はうまく発展しない。」というのが僕のつたない恋愛経験から学んだひとつの定説です。(どころか、趣味の合いすぎる相手とはドロドロの結末を迎えるケースも少なくない気がします。)

さておき、今日は荒天でお昼の予定がすっ飛んでしまいましたので、久しぶりにゆっくり読書してすごそうと思います。

それと、借りた本はちゃんと返さないとね。連絡先もわかんないし、今どこで何をやってるかも知らないですけど、何だかまたそのうち会えるような気がしています。

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ゴミ箱

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サーフィンとかアウトドアなシチュエーションに携帯式のゴミ箱があると便利かなと思っていたら、しっかり商品としてあるんですね。別に他の用途に使ってもよいのでしょうけど、いちおうゴミ用として売られていました。思いつくモノは何でも売ってる2017年。

写真はたたんだ状態、留め具を外すとビローンと伸びて高さ30cmぐらいになります。内部に小さな洗濯バサミみたいのが付いていて、ビニール袋などを固定できるようになっている。外に置きっ放しだと風に飛ばされてしまうので車内専用。思っていたほど便利でもないような気もします。そのうちこれそのものがゴミになっちゃったりして。

「ゴミ」は英語で”Dust”とか”Garbage”が一般的だと思うのですけど、イギリスでは”Rubbish”で、頻繁に会話に登場してくる単語だったと記憶しています。ゴミそのものを意図するよりも、気に入らない音楽とか映画とかを指して「あの曲はクソだ。」みたいな使い方をすることが多かったと思います。鋭利でスノッブなイギリス英語の発音で言われるとけっこうグサッときちゃうよね。

バターナッツ

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葉山にあるお気に入りのレストランで食事。

気になったのはコレ「バターナッツ」。見てのとおりカボチャの仲間らしいけど、果肉がやわらかく煮物などには適さず、もっぱらスープの材料になるのだそうな。この日はパスタソースに使われていました。サルディーニャ島に伝わるというコンキリエのような小さなパスタにからんだ黄色いソース、バターナッツという呼び名のままに、ナッツのような風合いを含み、なめらかに甘く、チーズがとけたみたいなボリューム感もあり非常に美味でした。歯ごたえのある枝豆もよいアクセントになっていました。

バターナッツ。名前がいいよね。ラ・フランスみたいにセールスのための和製造語なのかと思いきや、もとからバターナッツなのだそうです。原産はアメリカとのこと。

カリフォルニアのビーチなんかに行くとこんな感じの太ったおばさんいるよね。あちらの方は太ってるとかぜんぜん気にしないでビキニ着ちゃったりして、そういうところは好きです。

朝の写真

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薄曇りの夏の朝。出窓に入ってくる光線が弱いせいか、偶然おもしろい色の写真が撮れました。構図もマイテイスト的にはけっこうイケてると思うのですが、左の観葉植物の植木鉢に刺さったプレートの緑がすべてをだいなしにしているようにも感じられ、もういちど撮り直してみたのですけど、うまくいかず。トリミングしたのではせっかくの世界観がだいなしになりそうですので、これはこれで完成と思うことにしました。

中央の雑誌は1988年のSwitch。おととい訪れた我孫子のNORTH LAKE CAFE & BOOKSで入手しました。濃厚な内容のヴィムヴェンダース特集で、見がい、読みごたえたっぷりの保存版。今どき、わざわざ写真に撮って残したいと思うような雑誌に出会えることは稀、このところ新しい発見は過去の中にあることが多いような気がします。いや、もしかしたら僕の美を求める感覚が1990年ぐらいでストップしているのかも知れません。

ここ数日、朝イチで写真を撮ることが日課みたいになっています。ずっと続けるとおもしろいかも。

ジャングル

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土地の境界線の確認作業に立ち会ってきました。僕がまだ子供の頃に祖父から譲り受けた土地らしく、おそらくその当時はそれなりに価値があった(あるいはその後価値が上がると想定していた)のだと思うのですが、現在は見ての通りのジャングル状態で、どうにもなりません。聞けばもともと畑だったところにわざわざ植林したのだそうで、おじいちゃんとしてはきっと「金に困ったら木を切って売ればよかろう。」というようなつもりでいたのでしょう。今や木の値段よりもそれを切るコストの方がずっと高く、もくろみは外れたわけなのですけど、うっそうと茂った木々のエネルギーをそのまま「愛」だと解釈すれば、ああ自分はご先祖様に愛されているんだなと感じることはできます。何もこんな南国調の木を植えることもなかったような気はしますけど。

ボックス

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起床してからの行動は何時に起きてもほぼ毎朝同じ、その動きやルートも時間の経過と共にどんどん固定化されていくように思います。

我が家には親の代から譲り受けた仏壇と神棚がありまして、毎朝これらに祈りを捧げる短い儀式があります。水、お茶を取り替えて手を合わせ、頭を下げるだけの簡易的なものですが、これがないと一日が始まりません。僕自身は実際そこまで真神深くはないですし、特定の教えに深く関わることにはむしろ懐疑的なスタンスに立っている人間ですが、ご先祖様をはじめ、海、山、自然らに敬意を表し、感謝の気持ちを持って祈りを捧げる行為は、うむ、まあそう悪くないものです。むかし「人には神を信じたいという欲求が備わっている。」と言った人がいますが、たぶん、そういうことなのでしょう。

祈りのあと、観葉植物の様子をチェックしたり、庭のオリーブに水を与えたり、カメの水槽を掃除したりなどの作業が終わるのが起床から1時間後くらい。その間ずっと立ったまま動き回っているのですから、まあまあ忙しい朝と言えましょう。

熱いお茶を片手にやっとリビングの椅子に腰かけて、ノートブックを開け、メールやメッセージ、SNSをチェック。そしてこのブログへとたどり着きます。

ご存知、このブログはほとんど読者がおりません。しかし、更新は順調で、最近は回数も増えつつあります。なぜ誰も読んでいないブログをテンション落とさず長期に渡って続けていくことができるのか?

答えは複数あると思うのですけど、この行為(情報をアウトプットすること)が自分にとってある種「癒し」になっていることは間違いありません。「救い」と言ってもよいかも知れない。メカニズムはよくわかりませんが、これがなければ僕の日々の生活はもう少し窮屈で苦しいものになっているような気がします。

受け手の存在はブログ更新のモチベーションにあまり関係ないようですが、しかし、全く誰も聞いていないというのではストーリーが成立しません。(それならわざわざオンラインで世界中に向けて恥を発信する必要はありません。)もしかしたら誰かが見てくれているかも知れない。その「もしかしたら」が重要で、実際に読者がいるかどうかは、たいした問題ではないようです。

そんなわけでね。今日も「どうでもいい話題」のオンパレードです。

写真のボックスは、小物とかのディスプレー用に置いてあったところを近所のカフェで見つけ、無理を言って譲っていただいたもの。言ってみるもんだなあって思いました。

贈り物センス

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数ヶ月前、娘への誕生プレゼント用に剪定鋏を購入。

何で、こんなものを女子中学生がもらって喜ぶと思ったのか?

贈り物のセンスの良し悪しは生まれ持っての才能だと僕は思っています。自分の持ち物やライフスタイルは他人が羨むぐらい趣味がよいのに、贈り物のセレクションが全くなってない人は意外と多い。

かくいう自分も我ながらそのセンスが備わっていないと承知しています。例えば服や音楽に関しては、センスのなさを長年の学習と鍛錬でどうにかカバーできるようになってきた(と自分では思っている)のですけど、贈り物に関してはいくつになってもこの有様。自覚はあるのに変わることができない、おそらく自分の意思とか努力ではどうにもならない分野の話なのでしょう。

ただし、「女子中学生への誕生日プレゼント」という枠を外してしまえば、モノとしては非常に価値のある(そしてセンスのよい)この鋏。結局、娘に渡すことなく数ヶ月、静かに箱の中でたたずんでいましたが、今日、庭木の剪定作業をしたもんで、初めて使ってみました。切れ味、重さ、握り心地、どれをとっても素晴らしく、作業もはかどりましたよ。

以前、ベジタリアンの女性に狐の毛皮の襟巻きをプレゼントした男がいたけど、あれもなかなかひどかったな。