カテゴリー別アーカイブ: ことば、エッセイ、ポエム

見ざる聞かざる

昨年、3週間ヨーロッパにいて、テレビやラジオ、新聞、SNSなどから断絶された環境にいて、自分が抱えている多くのストレスがそれらの媒体から発信されていることに気がついた。

政治や社会の情勢にセンサーを尖らせ、正しい情報を得て、しっかりした自分の考えを持つべきである。と、先の震災で学び、特に時事問題には興味を持って積極的に社会に参加しようとしてきたし、外を出歩くことの少ない私の生活環境において、SNSは他人とコミニュケーションが取れる貴重なツールだった。

しかし日本の首相のツラをテレビで見るたびに腑が煮え繰りかえるような思いをし、「いいね」の数に翻弄され、無記名のディスコメントに凹まされ、私の心はいつしか、憔悴していたようである。テレビやiPhoneを見ないだけで、こんなに毎日が楽になるとは思いにもよらなかった。

そんなわけで、6月に帰国してからもう半年以上、テレビやラジオは一切見聞きしないようにしている。SNSは発信専用にして、基本的に人の記事は見ていない。

いくら耳をふさいでいても、入ってきてしまう情報というのはあるもので、例えば新型肺炎のニュースについてはだいたい把握していると思う。政治や経済においては、何が起こっているかむしろニュースを見ない方がよく見えているような気がする。

基本、世界はアメリカを中心に回っている。新型肺炎は製薬会社が儲けるために開発して撒いた。調子に乗ってる中国を牽制する意味もあったかも知れない。日本ではナショナリズムを高める(なぜか中国人が悪いということになっている。)のにちょうど良い材料になったし、経済がうまくいってない理由をぜんぶ肺炎のせいにできて好都合だ。オリンピックがコケてもきっと肺炎のせいにするだろう。全体として「自分らがうまくいってないのは全部中国のせいだ。」というシナリオでごまかし続けていくつもりだろう。

金は回ってないが、労働者に還元せずに留保した金がたくさんある。それで自社株を買うから株価は安定。同じことを国もやっている。アメリカがコケたら日本もコケるが、またトランプが当選するだろうからしばらくは安泰。と、みなが思っている。

実際には金は回ってないから、国民の生活は苦しくなっている。重税も厳しいが、まわりも同じだ。日本人は自分だけ辛いのは耐えられないが、みんなで一緒に辛いのには恐ろしく強い。物理的な苦痛よりも「人と違う」ということがいちばん恐怖だ。

賭けても良い。消費税10%はジャブに過ぎない。そのうちものすごいストレートパンチが飛んでくるが、みんなで一緒に気を失うのなら本望だ。日本人はみな喜びノーガードで受け入れるだろう。

すべて私の妄想だ。情報が入ってこないから想像するしかない。妄想だから現実とは全然違うのだろう。コンビニで買ったアイスがやたら小さく見えるのは私が太って大きくなったからに違いない。

告白

セルフオーガナイズができてない。というと何だかちょっとかっこいい感じがするけれど、つまりはうっかり者、不注意な人間である。きのうは車の鍵を落とし、最近ではシャンプーを洗い流すのを忘れてそのままサウナに入るという小さな事件を起こした。もしかして痴呆症なのではないかと不安になることもあるが、不注意は子供の頃からなので、そうだとしても老人性というわけではないと思う。普通の痴呆である。

そんなわけだからモノをよく無くす。最近は痴呆に健忘が加わり、無くしたことも忘れてしまったりして手に負えない。モノは所詮モノ、しょうがない。と執着せずに諦めることにしているが、どうしても忘れられないものもある。

師エスケンに帽子をプレゼントしてもらったことがある。南アメリカのどこかの国からの輸入品だと聞いたが、存在感からしてそうとう高価なものだと思う。エレガントなベルベットの太巻きリボン、頭に吸い付くようにぴったりなサイズ、肌触りのよいマテリアル、美しいシルエット。本当にお気に入りで、DJする時は必ず被ってトレードマークになっていた。

エスケンさんも「上げた帽子を被ってくれて嬉しいもんだねえ。」なんて、まるで孫に誕生プレゼント上げたおじいちゃんみたいになって喜んでくれて幸せだった。

帽子は好きでたぶん100以上持っているが、本当に気に入るものには滅多に出会えない。というか、出会ったことがない。もしかしたら、一生にひとつ、見つかるかどうかぐらいの確率かも知れない。つまり人生とは「正しい帽子を探す旅」であると言い換えることができるわけだ。

私は師に導かれその使命を果たすことができた運の良い人間である。エスケンさんのことを無意識に(そして勝手に)「師」と呼んでいたが、ちゃんと筋が通っていたのだ。

文脈から想像するに容易いと思うが、その通り。よりによってその帽子を無くしたのである。気がついたら消えていた。どこでどう無くしたのか全く検討がつかない。まだ酒を飲んでいた頃の話だが、暴漢に襲われて身包み剥がれたとしても帽子だけは守ったと思う。羽が生えてどこかに飛んでいったとしか思えない。

実は紛失についてエスケンさんには何も伝えていない。言えるわけがない。でもたぶん、マックロマンスは最近あの帽子を被ってないなあぐらいのことは何度か思っているに違いない。心が痛い。エスケンさんがこのブログを読んでいるとは到底思えないが、もしかして誰かから伝わって目にすることがあるかも知れない。面と向かってはとても告白できないので、ここに謹んで謝罪の意を表明する。って偉そうだな。本当にごめんなさい。

帽子の紛失からもう3年、もしかしたら5年ぐらいになるが、あの帽子が頭に乗っかっている時の興奮感は忘れない。身に着けるものは人にパワーを与えるし、奪い取りもする。人が服を作るのではない。服が人を作るのである。

Photo by Noah Suzuki

CUT UP & REMIX

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そういうことはやらない方がいいよと言われたが、googleに「マックロマンス」と打ち込んで検索してみた。(暇なのだ。)ディスりも含めて、たいして目ぼしい情報は得られず、自分の社会への影響力の低さ(ほとんどゼロ)を再確認することになり、別の意味で少し気分が落ちる結果となった。

しかし収穫も全くなかったわけではなく、削除していたと思っていた過去のブログ記事を発見。いくつか目を通してみたが、なかなか良いリズムの文章で、読ませる。少なくとも文章を書く能力については、今よりもその当時(15年ぐらい前だろうか)の方がずっと高いように思った。つまり私は退化しているわけだ。

ただし、文章の内容についてはいただけない。社会や政治について辛めの意見を突きつけるものが多いのだが、本当にそう思って書いているのかあやしいのである。盗作とまではいかないまでも、他人が書いたものを読んで、それを自分の文章に書き換えて、あたかも自分のものであるかのごとく表現しているのがわかる。他人にはバレないかも知れないが、書いた張本人にはわかる。

何だ、今やってることと同じじゃんね。サブジェクトは文章から音楽にかわったが、現在自分がやっているCUT UP & REMIX、”他人の曲をサンプリングしてリミックスし新しい曲に作りかえる”と全く同じである。私はそういうことが得意、うむ、少なくとも好きであるようだ。

そんなことを考えながら、朝っぱらから雑誌をやぶったりコピーしたり、CUT UP & REMIXは題材を特定しない。理論もいらない。オリジナリティーなんて概念を否定するところからスタートする。私はそれを「自由」と呼ぶ。

ラジオ体操とほうれん草

最近の口癖は「前にも話したことあると思うんだけど」。これも前に話したことがある気がするが、今朝、茶のための湯を沸かしていてる途中に記憶の扉が開いたのでここに記しておく。

小学校1年か2年だったと思う。体育の授業でラジオ体操の練習をさせられていた。「体を回す運動」の途中で教師から「やめ」の号令がかかった。「ホンダ(僕の本名だ。)くん、ちょっとこの運動をみんなの前でやってみて。」

僕はおそろしく運動神経の鈍い子供で体育は本当に苦手だった。走るのが遅いぐらいなら他人に迷惑はかけないが、球技などでは僕の入ったチームが負けて忌み嫌われるし、本人は真面目にやっているのに、奇妙で予測不可な動きをする様子がふざけているように見えるらしく、笑い者になるのを通り越して怒りを被ったり、体育の授業はまあ控えめに言って地獄だった。

その日のラジオ体操でもきっとまた変な動きをしていたのだろう。教師は「悪い手本」としてわざわざクラスメートの前で僕にその運動をさせるわけだ。公開処刑である。

僕は顔を真っ赤にさせ、体をブルブル震わせながら、校庭に体育座りで整列したクラスメートの前に出て、ひとりで「体を回す運動」をやった。

体を回す運動:両腕で円を描くように体を大きく回す。左右2回繰り返す。腰周辺の筋肉をほぐし柔軟性を高める。

「ホンダくんの運動をどう思いましたか?」

僕の一連の運動が終わった後で、教師が生徒らに尋ねた。僕は顔を真っ赤にしたまま、涙が出てきそうなのを堪え、下を向いて突っ立っている。

「はい!」

イシマルさんが手を挙げた。イシマルさんは学級委員長で勉強ができて、明るく、クラスの人気者で、そして小学生でもそれとはっきりわかるような美人だった。家もお金持ちだったと思う。

「何だか動きがちょっと変だと思います。くねくねしていて。」

生徒たちが顔を見合わせながら「そうだそうだ」と彼女に同調した。

「ふうん。動きが変。なるほど、他には?」

クラスメートはざわざわしていたが、それ以上意見をいう者はいなかった。

「ホンダくん、もう一回やってみて。」

僕はもう教師に殺意を抱きながら、もう一度そのくねくねダンスを披露した。

「みなさんホンダくんの動きをよく見て、ほら、体を大きく動かして綺麗な円を描いているでしょう?とても素晴らしい。このようにすると腰の柔軟性が高まるのです。みんなもホンダくんのように円を作るように体全体を使って動かしてみてください。ホンダくん、戻ってよし。ありがとう。」

今度はイシマルさんが赤面する番だった。生徒たちは「オレも実はそう思ってた。」みたいな顔をして、体を回したり、友達同士で動きを見せ合ったり、僕のことを羨望の目で見るような奴もいた(おそらく僕の妄想だろう。)が、チャイムが鳴った瞬間に、すべてなかったことのように僕以外の者らからこの授業の記憶が消えた。

+ + +

ある日、給食の時に、イシマルさんが下を向いたまま大粒の涙をボトボト落として泣いていることがあった。ほうれん草にアレルギーがあって食べられず、それで泣いているらしい。給食は好き嫌いをせずに、よく噛んで、残さず全部食べましょう。というのがルールだった。責任感の強い生徒だったから、学級委員長の立場でそのルールを守れないのが悔しかったのか、あるいはこの不幸を受け入れられず悲しかったのか。

今にして思えば、その時に彼女の机のところに行って、ほうれん草をムシャムシャ食べてやればよかった。その頃の僕は内気で、暗く、自分のことだけで精一杯のダメな少年だった。(そしてほぼその時のまま大人になった。)

ラジオ体操を真面目にやっても、柔軟性のある体にはならない。今年2度目のギックリ腰は患ってからもう3週間になるが、まだ大好きなキックボクシングの練習ができるまでには治っていない。ヨガや整体いろいろやったが、大した効果はない。まあ腰痛は持病らしく、うまく付き合いながらやっていくしかないようだ。

ほうれん草は好きでよく食べる。葉酸が体に悪いという人もいるが、ここまで生きられたんだからそれで多少寿命が縮んだところで問題ないと思っている。特にインド料理のほうれん草とチーズのカレーが好きで、こうやって話をしている間にも食べたくなってきた。

映画鑑賞記 ”ドルフィン・マン”

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自分の方は特に何も悪いことはしていないはずなのにちょくちょく理不尽な扱いを受けたり、トラブルに巻き込まれたりする。そこまで大きな問題に発展せずとも、何だか自分だけ損をしながら生きているような気がする。そういうのは全て前世での行いが悪かったから今になって罰を受けているのだそうだ。前世の自分が何でどんな生き方をしていたか知る術もないが、よほどの悪事を働いていたらしい。何だかフェアじゃない気もするが、受け入れるべきは受け入れるしかなかろう。

映画館を訪れると、どういうわけか前の席の客の座高が高い。あるいはテンガロンハットをかぶっている。もしくは巨大なアフロヘアーだったりする。それだけでもまあまあ前世を恨むが、きのうの客は身長190センチぐらいある巨漢の上に、館内でビへイブが非常に悪かった。すなわち映画に集中できずに何度もスマートフォンを取り出してはオンにして何やらチェックしている。しまいにはそれを落とし、でかい身体をシートの下に潜り込ませてもごもごやっている。分別のわからない若者ならいたしかたない部分もあろうが、年の頃、私たちと同年の中高年である。連れの女(おそらく妻だろう。)が、注意でもすれば良いものを、そんなそぶりもなく、やっと落ち着いた男の肩に頭を乗せて気持ちよく眠りに入りそうな始末である。

注意のひとつでもしようかとは思ったが、私は肝っ玉の小さい人間なので、仮に相手が下に出て謝罪したとしても、そのことばかりが気になってとても映画を楽しむことはできぬだろう。もし相手が強気に出た場合の被害については想像するだけで憂鬱になる。

そんなわけで60%ぐらいの感じの映画鑑賞だったが、まあ結論から言えばそれなりに楽しめた。

我々は25歳ぐらいでグランブルーに直撃された世代である。私が経営していた自由が丘のバーが南欧風のデザインだったり、店名がフランス語なのも、グランブルーの影響が大きい。私の友人には生まれた子供に「ENZO」と命名した者もいるぐらいだ。なわけで、海やイルカやダイビングに興味がなくてもジャックマイヨールのことはだいたい皆知っている。彼が日本に住んでいたことや、晩年、鬱病を患って自殺したことも、別段、新しいニュースではない。

それでもこの映画はやはりグランブルーでは語られなかったリアルなジャックマイヨールの素顔に迫っていると思った。グランブルーのファンタジーに酔いしれた私たちは、こちらも見なければならない義務がある。

そんなことを想定したかどうかは知らないが、ナレーションをジャン=マルクバールが担当している。「私」と一人称を使い、ジャックマイヨール自身に成り代わってストーリーを紹介していく。役者としては他にそこまで大きな成功を収めた記憶はないが、グランブルーに関して言えば彼以外に適役はいなかったと思う。

70にもなって自死するって、どんな感じなんだろう。よほど前向きでパワフルな人間じゃないと死ぬ気も起きないような気がする。

死ぬ少し前にジャックマイヨールが雑誌のインタビューに答えているのを読んだことがある。リュックベッソンに映画についてイチャモンをつけている内容で(自分を映画に出せばよかったとか言ってたと思う。)カリスマにのくせにちっちゃいことばっかり言っていてまあまあかっこ悪かった。個人的にはそういうところに好感を持ってしまう。いいじゃんね。人間らしくって。

死ぬに死ねない

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DJやミュージシャンは11月がいちばん忙しい、はずなんだけど、私のスケジュール帳は年内真っ白。今年のDJも残り1本で終わりです。とは言え、もうすでに来年の準備は始まっている。今年は夢のDJ海外ツアーが実現した(こんなに話題にならないとは思っていなかった、つーか、もう少し話題にしてくれよ。50からDJはじめて海外ツアーまで漕ぎ着けれる奴は世の中に一体何人いると思ってんだ?と思うけど、まあ誰も興味ないんだからしょうがない。でも実現はしました。)ので、来年はまた別方向でこれまでやってないことにトライしようと思っています。日々修行ですわ。

最近は本当に毎週のように親戚やら知人が亡くなったニュース。自分もいつどうなるかわからんぞってことで、生命保険を見直したんだよね。遺族が受け取る死亡保険金とかが増えたわけなんだけど、今回の契約、三年内に自殺したら全てがパアになるそうで、まあ自殺なんかする気は毛頭ないのだけど、仮に死にたいと思っても死ねないわけで、本当にまあ消費税の計算はややこしいし、ライブハウスでタバコも吸えない(自分は吸わないけど)し、何だか不自由なことになってくな、この世の中は全く。

何をやるにしても予定を立てなきゃね。ってんで、2020年度もダイアリーはモレスキン。

褒められたい

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僕は他人から褒められる機会の少ない人間だと思う。なぜそうなのか自分ではよくわからないが、そのように生まれ、そのように育ってきた。中学校の時に市の水泳大会で2位になり、自分ではまあまあ凄いことだと思ったけれど、両親も教師も友達も誰も褒めてくれなかった。今年は海外DJツアーを敢行して、50を超えたおっさんが海外でDJデビューって自分ではまあまあ凄いと思ったが、誰にも褒められないどころか何の話題にすらならなかった。これがイナバさんだったら賞讃の嵐できっと大田区の電話回線がパンクしたことだろう。

滅多に褒められることがないので一度褒められたことはずっと忘れない。

15年くらい前に若い男性に「マックさんてすごく美味そうにメシを食いますね。」と言われて、なるほどオレにはそのような特技があったのか、と真に受け、自分が食事するところを撮影するようになった。スマホなどなかった時代の話である。20万円以上もするSONYのデジタルビデオカメラを購入し、自宅や店(僕はそのころ飲食店に従事していた。)で食べる姿を撮影した。人のお店に頼み込んでカメラを入れさせてもらったこともある。撮ったビデオをMACで編集してビデオコンテストに出場したこともある。(結果は惨憺たるものだった。)そのうちにYouTube、連動するようにスマートフォンが出てきてそこに撮影した動画をアップするようになった。全く何の話題にもなったことはないが、それから現在までずっと続いている。おそらく言った本人も忘れているような「褒め」のひと言が10年の時を経て今も僕を鼓舞し続けているのである。

褒めで持ち上がる人間というのは、だいたいにして謗りで落ち込むのが常で、僕も例外ではない。僕は基本ダメな人間なので、謗りのネタ提供にはいとまがない。これまでありとあらゆるタイプの謗りを受けながら生きてきた。謗られのエキスパートと言ってもよいかも知れない。僕のタイプの謗ラレストは「何をやっても謗られる」のが特徴で、例えば毎日のように深酒に沈んでいた頃は普通に「クズ」とか言われていたが、酒をやめたらやめたで「シラフのマックロマンスに価値はない。」とかって面と向かって言われるような次第でやるせない。

YouTubeでもこのところ否定的なコメントが目立つようになってきた。アクセス数が上がっているならば、クソリプのひとつやふたつ無視することもできようが、アクセスは減っているのにディスり系のコメントが増え続けていくのには我慢がならない。

他方、「クレームは財産だ。」という話を聞いたことがある。考えてみれば、見知らぬ誰かがアップした動画について、わざわざコメントを寄せるという行為だって、まあまあのエネルギーを要する所業である。腹が立ったにせよ、何にせよ、少なくとも動画を見て何かを感じたわけである。彼らのディスコメントの中に何かヒントがあるのではなかろうか。一度、彼らの話を真摯に聞いてみることにした。彼らは何を怒っているのだ?

答えは簡単に出た。

見たことのない人(おそらく誰も見たことないだろう。)のために簡単に説明すると、この「食べるシリーズ」は、その名の通り、僕が食事やスイーツを食べるところをiPhone撮影した(だけ)の動画である。ストーリーや演出や編集は一切なく、撮影したものをそのままYouTubeにアップしている。

食べたものがそのままタイトルになっている。例えば、きのうは天丼を食べたのでタイトルは「天丼」である。

これが良くなかった。

「天丼」のタイトルを見て、僕の動画に行き当たった人が見たいのものは「天丼」なのである。それを食う人ではない。彼らは天丼そのもの、どんぶりから上がる湯気とか、カリッと揚がったエビ天とか、甘辛いタレが衣に浸透していく様子とか、そういうものを期待してタイトルをクリックするわけだ。で、登場するのが、冴えない髭面の初老の男である。

ちなみに「食べる僕」にフォーカスを当てているので、食べている物はちゃんと映っていないことが多い。例えば天丼ならその多くはどんぶりの中に隠れているし、「シャケおにぎり」なんて場合は、中がシャケなのか梅干なのか外から見たのでは全くわからない。

例えば動画タイトルに「裸の女性」と書いてあったとして、蓋を開けてみたら裸の女性は全く映ってなくて、それを眺めてニヤニヤしている初老の男性の顔が映し出されていたとしたら、それは僕でも怒ると思うし、まあ機嫌が悪ければディスコメントのひとつでもよこすかも知れない。

そんなことに10年近くも気が付かず、全くもって申し訳ない。反省して、すぐに対応策を考えることにした。要するにタイトルを見た時点で、これが「マックさんがものを食べている」動画であることがわかるようにすれば良いのである。

「食べるマックさん」。何週間も考え抜いた末に決断した動画のタイトルである。今後、動画にはこれをかならず明記するようにした。例えば天丼を食べたとしたら、タイトルは「食べるマックさん/天丼」である。ついでにタイトルロゴも作ってみた。(こういう仕事はわりと早い。が、もちろんそれを褒められたことはない。)

これで動画へのクレーム、嫌がらせ、クソリプなどは飛躍的に激減するはずである。これを読んでマックさんのことを褒めたくなったら、ぜひYouTubeにアクセスして賞賛のコメントを投稿することをお勧めする。