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渋谷パルコでネクタイを買う

ウイルス騒動で自宅にいる時間が長くなり、妻に任せっぱなしにしていた家事を多少分担することになった。いちおう食器などの洗い物と洗濯物のたたみ、それからゴミ出しは僕の役割ということになっている。

長く飲食業に従事していたこともあるので、洗い物は(何をやっても半人前の僕にしては珍しく)得意分野のものごとであると言ってもよいかも知れない。特に皿や茶碗など、形状がシンプルな食器を洗浄するのは成果が目に見えて気持ちが良い。逆に苦手なのはタッパーウェア。こびりついた油がなかなか取れずにイライラする。あとカトラリー類。あれは嫌だね。

時は1989年、僕は5年近くに及ぶ海外でのミュージシャン生活に区切りをつけ帰国、東京で新生活を始めようとしていた。当時のイギリスの暗く重い雰囲気の中で暗く重い音楽を演奏しながら生きていた僕の目には、ちょうどバブル期だった東京は煌びやかな魔法の世界のように見えた。最新のファッションに身を包んで街を往来する人々は勝ち誇った笑顔に満ち溢れ、男性も女性も誰もがとても魅力的だった。カラーテレビの中で自分だけが白黒でいるような疎外感はあったけれど、ロンドンの田舎から「上京」してきた僕にとって東京の人は憧れの存在だった。カフェに入ってコーヒーを注文するといった日常的なやりとりでさえ、芸能人と会話を交わしているような夢見心地な気分になったもんだ。

当時、渋谷パルコの確か地下だったと思うが、おしゃれな和製の食器や雑貨を取り扱っていたショップがあった。ちょうど新生活のための日用品を買い集めていた時期だったので、それとなく商品を物色していたところ、いい感じの箸が陳列されているのに目がいった。シンプルなシルエットの丸箸だったが、ざらざらとした手触りのカラーコーティングが施されていていかにもトーキョースタイル。カラーも淡い紫色など普通の和箸にはないムードで気に入り、すぐに購入を決めた。

おそるおそる商品をレジに持っていく。僕にとってはコーヒーショップの店員でさえ芸能人である。パルコの店員ともなれば、もはやスーパーモデルとかハリウッドスターレベルの超セレブだ。会計をするだけでもハートがドキドキする。店員はパルコの人間としてはかなり庶民派であるように見受けられた。愛想も良さそうだしお高くとまっている感じもない。僕の頭の中に「このセレブと会話を交わしてみたい」という欲求が渦巻いて来た。いちどそうなったら止めることはできない。

あ、あのう。この箸は何か特殊なコーティングがしてあるんですかね?

言ってみた。

そうですね。

素っ気のない返事だったが、悪い印象はない。少なくとも僕がロンドンから出て来た田舎者だということはバレてないように感じた。

あの、これってゴシゴシ洗ったりしたらコーティングが落ちたりしませんかね?

え?でも、お箸をそこまでゴシゴシ洗ったりしないですよね?

撃沈である。そうだ。彼女は正しい。東京の人間が、芸能人が、セレブが、箸をゴシゴシ洗うわけがない。そんなことをするのは田舎者だけだ。だいたい何なんだその意味のない質問は?コーティングが落ちたりしませんかね?だと?アホだ。アホだ、アホの質問だ。駄目だ。わかっていたのだ。彼女は最初から僕が田舎者であることを最初からわかっていたに違いない。恥ずかしい。違うんです。僕はただ店員さんとセリフを交わしてみたかっただけなんです。コーティングのことなんかどうでもよかったんです。すみません。田舎者が東京のセレブと会話をしてみたいと思ったりして身分不相応でした。

僕は顔を真っ赤にして半泣きになりながら支払いをして逃げるようにパルコを後にしたのである。あまりの恥ずかしさに東京で生活するのをやめてしまおうかと思うぐらいだったが、幸い反省の気持ちが持続しない性格である。やがて都会の生活にも慣れ、パルコで買い物をするのに怖気付くこともない図太い東京人へと成長した。後にパルコで働いている女性スタッフと友人を介して知り合って、少しいい感じになったこともある。結局付き合うところまでは漕ぎ着けなかったが、箸を買うだけでビビっていた時からすると随分な成長だったと言えよう。ただ、その「箸のやりとり」については自分の中で相当なトラウマになっているようで、今でも台所で箸を洗うためにその時のエピソードが脳裏に蘇る。箸はゴシゴシ洗わない。箸はゴシゴシ洗わない。箸はゴシゴシ洗わない。

その後パルコは解体されて、今年リニューアルオープンした。先日別件で渋谷に用があった際に、地下の駐車場を利用した。機械式の最新システムの駐車場に生まれ変わっていたが、細部に何となく以前の面影も残っていて、ああパルコはパルコなんだなあなんて、少々ノスタルジックな気分にも。用を済ませて車を出す前に店内を少し物色して歩いた。特に気になる店があるわけではないが、パーキングチケットの割引を受けるために何か気に入ったものがあれば購入しても良いと思った。ところがだ。

ところが、店内を上から下までざっと見て回ったが、欲しいものが全く見当たらないのである。もちろん大枚を叩いても良ければ手に入れたい高価なものはあるが、たかが駐車場の割引を受けるためにわざわざ清水の舞台から飛び降りることもない。

最近、欲しいものが売ってなかったり、行きたい店が閉店したりというようなことが多々あるが、それは商品や店の方に問題があるわけではなく、要するに社会の中における自分の存在(価値)がどんどん小さくなっているということの表れだと僕は考えている。生まれた時からずっと消しゴム擦り続けてるような人生だったが、いよいよ最後のひとつまみぐらいの大きさというところまでやってきた感はある。

店内にいたらどんどん駐車料金が加算されていく。このまま手ぶらで帰ろうかと思い、帰りのエレベーターに向かおうとしたらトムブラウンのショップがあるのを発見。ジャケット一着で車が買えるぐらいの狂った値段設定のブランドだが、小物やアクセサリー類は意外と手に入れやすかったりもする。特にネクタイはだいたい2万円台が主流で、それを身につけた際の高揚感からするとむしろ安いような気すらする。

で、買ったネクタイの入ったショッピングバッグを片手に意気揚々と駐車場に向かったわけである。そしたら何と、割引される駐車料金は2時間分オンリー。車は3時間以上停めたので、その分の駐車料金を支払って帰宅した。3時間分の割引を受けるためにはいくら買い物すれば良いのだろう?ま、パルコの駐車場に車を停めることは2度とないので、知ったところでもはや意味はないか。

何年たっても結局渋谷パルコは僕を受け入れてはくれなかった。きっと僕は消しゴムの擦りカスとしてロンドンの暗く重い空の下で暮らすべきなのだろう。東京の太陽は僕には明るすぎる。

また走り出した

ウイルス騒動の外出自粛期間にぶくぶく太り、久しぶりにダイエットを始めた。食べ物をコントロールするだけではなかなか痩せず、運動もした方がよかろうと、少し近所を走ってみた。ナイキのランニング用アプリの履歴を見ると、最後の記録が2017年だったから、実に3年ぶりのランニングということになる。

僕がいちばん最初に走ったのは小学生の頃で、喘息にランニングが良いらしいという情報を仕入れてきた両親に言われるがままに、毎日学校に行く前に近所をジョギングをするのが日課だった。毎朝同じ2kmぐらいのルートを自転車に乗った父親のサポート付きで走るのだが、それを恥ずかしいこととも思わず普通に受け入れていた。子供の頃の僕は親には一切反抗せず何でも言うことを聞く「良い子」だった。

走ることそのものも嫌いではなかったのだろう、苦しかったり嫌だったりした記憶はない。走っているうちに気分が高揚してきて、道で出会う人に「おはようございます!」なんて声をかけたりして、引っ込み思案で暗い少年だった僕とは思えないような行動。走ると脳内モルヒネが出るというような話を聞いたことがあるが、子供の脳はそれにダイレクトに反応するのかも知れない。

中学生になってもっと内に篭るようになり、両親や家族とも口を聞かないような状態(今から思えばあれが僕の反抗期だったのだろう。)になって、その父親のサポート付きランニングはそのままフェードアウトしてしまった。

中学2年生の時にクラス対抗の陸上大会があった。僕は運動は何をやってもからっきしダメで、特に短距離走は苦手。運動会の徒競走は9年間ビリだった。クラスの生徒がそれぞれ参加する種目を与えられていく中で、最後に残ったのが僕と長距離走だった。誰も長距離を走りたがらなかったし、「運動神経ゼロ」の僕には種目を選ぶ権利がなかった。

3000メートル走は400メートルのトラックを7周半する。僕が7周半走ってゴールしようとしたら、ちょうどゴールの前に担任の先生がいて「ホンダ(僕の本名だ。)はもう1周だ。」と言う。僕の前には3人の選手がいて、そのままゴールしていたら学年で4位ということになる。「運動神経ゼロのホンダ」がそんなに走れるわけがない。と担任は思ったのだろう。

こともあろうに僕の考えも担任と同じだった。自分がそんなに早いはずはないと思い、素直にもう1周走って(走る気力を完全に失って歩いている生徒を抜きながら)ビリに近い順位でゴールした。

僕が次に走り出したのは29歳の時だった。30を迎える記念として、自分がこれまで経験のない新しいものごとに挑戦してやろうと思い、トライアスロンの大会に出場したのだ。幸い、僕は小学校の時にスイミングスクールに通っていた(水泳が喘息に良いと両親が聞いてきたのだ。)ことがあるから、水泳はできる。知り合いを通じて中古で自転車を買い、駒沢公園のランニングコースを毎日のように走って練習した。

出場したレースは短い距離の初心者向けだったが、生涯で運動をした経験が全くない僕にとっては未知の世界だった。ビリでもゴールできれば良かったし、最悪ゴールまで辿りつかずとも出場するだけで意味があると思っていた。しかし結果は自分が想像していたよりも良く、僕の順位は出場選手の中で半分よりもずっと上だった。

8周半走ったな。僕は中学の時の陸上大会の3000メートル走で、ひとりだけ8周半走ったと思う。

トライアスロンは僕のライフスタイルを根本から変えてしまった。それは全く新しい生き方だった。その後、僕はフットサル、キックボクシング 、今ではサーフィンと、アクティブに体を動かすことがライフワークの中で重要なポジションにあり、常に「カラダ」が「アタマ」よりも上位にある生き方をしているが、そのスタートは29歳にトライアスロンに挑戦した地点だったと思う。

毎年開催されるトライアスロンのレースに狂ったようにエントリーして「運動神経ゼロのホンダ」のことが嘘であったかのような良い成績も残したが、あるタイミングでバーンアウトがやってきた。

バーンアウトの明確な理由はよくわからないが、ひとつは「記録」が原因なのではないかと想像する。レースに出て自己タイムを縮めることばかりに集中するあまりに、走ったり泳いだりの本来の楽しさを忘れてしまうんだ。

現在はランニングアプリがあって、レースに出なくても自分のランニングデータを記録することができる。希望すれば人と情報を共有して戦うこともできる。むろんそれはそれで走るためのモチベーションにはなるが、どうだろう?僕はまた走り出したが、今のところ距離や時間は計測していない。何も持たずに家を出てルートも決めずに走りたいだけ走る。疲れて走るのが嫌になったら歩けば良い。

何をやるのもまずは格好から。というわけで新しくキャップを購入した。ボサボサに伸び放題の髪の毛をまとめる用途のつもりだったが、たまたま最初に被って走った日が雨で、非常に使い勝手が良いことを知った。ゴアテックス素材だから水は弾くし、頭の中が蒸れずに快適だ。かなり大降りの雨の中のランだったのだけど、顔への滴はほぼ完璧にシャットされて快適だった。防寒効果もありそうだし、これから冬に向けて重宝しそう。オンリーブラックの清いデザインもグッド。別にノースフェイスからお金をもらってるわけじゃないからね。

車と皿

車に乗る機会が増えた。こういうのはクセみたいなもんで、前なら自転車で行っていたような近場まで、わざわざ車を出す始末。毎日仕事もせずに家にいて暇そうに見えるらしく、家族を送迎する回数も以前よりもずっと増えた。

都会を車を利用して良いことは雨にぬれないことぐらいで、それ以外は煩しいことのオンパレードである。信号は多く、道はどこも渋滞している。マナーの悪いドライバーの粗暴な運転、意味不明なクラクション、すり抜け自転車の幅寄せ、、。例をあげればキリがない。

駐車場はどこも満杯でやっとの思いで駐車したら、今度は信じられないような高額の料金である。

デパートなどの施設に車を停めた際、駐車料金をまともに支払うか、施設で買い物をして割引を受けるか、どちらがよいかは議論が分かれるところだと思う。モノが増えることを好ましくないとするトレンドにおいては、潔く高額な料金を支払った方が健全なライフスタイルを築けるような気もする。僕のような貧乏性の人間は、同じ金をを払うならモノが残った方がよいと考えてしまう。最も前者においては車を所有すること、あるいは車を利用することそのものをクールなこととは捉えないだろうから、そもそもこの二択は議論の種にならないかも知れない。

娘を渋谷まで送迎して、1時間ほど待機することになった。あてもなく駅周辺をぐるぐる回っていると、ヒカリエの駐車場入り口を見つけた。東横線沿線に住む者としてヒカリエはこれまでに何度も利用したことがあるが、駐車場が備わっていることは初めて知った。考えてみればあって当たり前なのだけど、これまで車でヒカリエに行く用事が一度もなかったのだ。

僕は渋谷の地下に新しく秘密の入り口を見つけたみたいな気持ちになって少し高揚した。行ってみるとわかるけれど、ヒカリエの駐車場の入り口は建物の表からは全く見えず、見つけるのに少し苦労する場所にあって、そういうのは萌える。今となっては珍しくもなくなった機械式のパーキングシステムもいい。自分がSF映画の中に入ったような気分になる。ここまで話して気がついたが、おそらく僕は地下駐車場が好きなのだと思う。

地下駐車場は好きなのはけっこうなことだが、高い駐車料金はいただけない。1時間の駐車料金は800円とある。都心、しかも渋谷のど真ん中としては良心的な金額設定だと思う。それでも高い。1時間分の料金をチャラにするためには3000円以上の買い物をしなくてはならないとある。今買わなくても、近々確実に買わなくてはならないモノ、例えば米や醤油を買えば駐車料を実質ゼロ化できる。幸いヒカリエには食品売り場があって米も醤油も売っている。

しかし、僕の目は食べ物ではないものに引き寄せられた。見ての通り、青が美しい和物の皿である。適度な厚さともっちりとした手触りが何とも心地よく、手に持ったら離せなくなった。ブランドは愛媛の砥部で、実は湯呑みや茶碗など、いくつかのアイテムを持っている。基本的に何でも西洋のモノが好き(というより和物が嫌い)な自分としては、かなり珍しいセレクションである。

手提げ袋を「いらない」と言って、シールで済ませた。マイバッグを用意していなかった(買い物をするつもりはなかった。)ので、娘を待つまでの間、買った皿を生のまま手に持って、ヒカリエの中をうろちょろと物色して時をつぶすことになった。これも初めての感覚でなかなか気持ちが良かった。奥様方はルイヴィトンの財布を手に、若者らはスマホを手に、僕は砥部焼の皿を手に。誰がどう見ても僕がいちばんクールであるに違いない。

Born to lose

LAURYN / A.D.S.R

ここ数年、ほとんどずっと毎日かけ続けているサングラス。もはや僕の顔の一部、というか顔そのものと言ってもよい。こうやって写真を撮っただけで自分の顔に見えてくるぐらい愛着がある。昨年壊してしまって、新しいのに買い換えたのに、今度は紛失してしまった。日本の新鋭メガネブランド A.D.S.RのLAURYNというモデル。知らなかったが同ブランドの定番商品であるらしい。ネットショッピングで見つけてすぐさま購入した。これが3本目になるわけだが、4本目、5本目の可能性は安易に想像できる。デザインは完璧すぎるぐらい完璧でかけ心地も非常に良好なのだが、あえて苦言を申せば、少々高級感に欠ける。フレームの素材だろうか、全体として少し安っぽい感じがするのは否めない。ストリートの若者向けのブランドと言ってしまえばそれまでなのだけど、おじさんとしては、このままのデザインでハイラグジュアリーブランドばりの質感を持ったものが見てみたい。値段も今の倍ぐらいしてもいいと思う。モノは安ければよいというわけではない。

外出するのにマスクが必要で、ただでさえ気分が落ちる中、お気に入りのサングラスをなくして意気消沈していたが、これで少し外に出る気がしてきた。と、思っていたら、梅雨入りが発表されたとのこと。実は頑張ってトムブラウン で買った傘もこの春に紛失したばかり。あまりに傘をなくすので高価なものを持てばなくさないかと思っていたが結果は同じだった。このまま紛失し続けながら残りの人生を生きるか、ギラギラ太陽の日にも素目で、雨が降っても傘をささず、何があっても外出をしない生活をするか。

モニターヘッドホン

モニターヘッドホン/Pioneer DJ HRM-5

外出自粛生活では悪いことばかりでもなく、ひとつには金をあまり使わないで済むというのがあります。カードの請求明細の金額が通常の半分、出費が多い月に比べると5分の1ぐらい。こうなってくると普段どこにどう金を使っているのか不思議な気分にすらなります。(おそらく半分は服とレコードなのでしょうが。)今の生活で特に物が無くて不自由ってことはないので、普段は知らぬうちに無駄なことにお金使ってるってことなんだろうな。

日々のハードユーズでヘッドホンの具合が悪くなってきたので、モニター用にヘッドホンを購入しました。DJ機材ではトップブランドのPioneerDJも専門分野外とあってか、あまりこれを奨める人がいないみたいなんだけど、僕はDJ機器はプレーヤーからスピーカーまでひと通りPioneerDJで揃えていて、ある程度信頼しているので、あまり迷わずコレに決めました。他と比べてないので何とも言えないのですけど、まあ値段なりの役割はしっかり果たしていると思います。一番気になる装着感は少々タイトだけど、許容範囲内。1時間とかなら着けっぱなしでも痛みや違和感なく作業できそう。音漏れにこだわるとある程度キツめに設計しなくてはいけないのは理解できます。その、音の遮断性は高いと思います。僕のスタジオ部屋の真上で娘がピアノ弾いてるの、全く気にせず作業できます。他のPioneerDJ製品同様、デザインは何も面白くないですが、そもそもヘッドホンで気に入ったデザインのものにあまり出会ったことがありません。(CHANELがヘッドホン発売した時はちょっと欲しいなと思ったけど、たしか150万円ぐらいしたっけ?)

ちなみに僕はDJでは同じPioneerDJの2000mk2-Sを使っています。もう生産終了品だけど買った当時は最高峰モデルとされていました。パーツは劣化したら交換できるので、よほどデザインのよいものと出会わない限りは、このまま使い続けると思います。散歩や電車に乗るときの普段使いはMarshall。これは前にもここで紹介しました。ロシアの軍用機で使用されていたヘッドホン付き飛行帽というのも持っているのですけど、音は鳴りません。

対応

外出自粛生活に完全に対応した
もともと
サーフィンとDJ以外で
ほとんど外出しない生活をしていたから
ライフスタイルそのものが
劇的に変化したわけではない
働きもしないで家にいることに
罪悪感を持っていたことが判明した
今は堂々と家にいられる
荒れ放題の自宅を片付けて
自分のスペースを確保し
朝から晩までヘッドホンをして
パソコンに向かって曲を作っている
誰に聴いてもらえるわけでもないが
今は創作そのものを楽しんでいる
庭と玄関に椅子を置き
即席のカフェコーナーを設けた
春の植物の成長や
狭い空を流れる雲を見ながら
コーヒーを1日10杯ぐらい飲む
腹は減らないし
料理も面倒なので
毎日パンばっかり食べている
6枚切りの食パンを2枚焼き
バターとジャムはちみつを塗って
これを1日3回くりかえす
あいかわらずテレビやラジオはシャットアウト
SNSも一方通行で
基本的に人の記事は見ていないが
世の中の状況はだいたい想像できる
外出と言えば近所のパン屋に行くぐらいだろうか
寂れた商店街だが
普段より人が多い気がする
人の数は同じで
営業している店の数が減ったわけだから
店舗あたりの客数が増えるのは当然だ
ずっと夢の中にいるような気分ではある
自分60%ぐらいで生きている感覚だ
残りの40%はどこに行っただろう




告白

セルフオーガナイズができてない。というと何だかちょっとかっこいい感じがするけれど、つまりはうっかり者、不注意な人間である。きのうは車の鍵を落とし、最近ではシャンプーを洗い流すのを忘れてそのままサウナに入るという小さな事件を起こした。もしかして痴呆症なのではないかと不安になることもあるが、不注意は子供の頃からなので、そうだとしても老人性というわけではないと思う。普通の痴呆である。

そんなわけだからモノをよく無くす。最近は痴呆に健忘が加わり、無くしたことも忘れてしまったりして手に負えない。モノは所詮モノ、しょうがない。と執着せずに諦めることにしているが、どうしても忘れられないものもある。

師エスケンに帽子をプレゼントしてもらったことがある。南アメリカのどこかの国からの輸入品だと聞いたが、存在感からしてそうとう高価なものだと思う。エレガントなベルベットの太巻きリボン、頭に吸い付くようにぴったりなサイズ、肌触りのよいマテリアル、美しいシルエット。本当にお気に入りで、DJする時は必ず被ってトレードマークになっていた。

エスケンさんも「上げた帽子を被ってくれて嬉しいもんだねえ。」なんて、まるで孫に誕生プレゼント上げたおじいちゃんみたいになって喜んでくれて幸せだった。

帽子は好きでたぶん100以上持っているが、本当に気に入るものには滅多に出会えない。というか、出会ったことがない。もしかしたら、一生にひとつ、見つかるかどうかぐらいの確率かも知れない。つまり人生とは「正しい帽子を探す旅」であると言い換えることができるわけだ。

私は師に導かれその使命を果たすことができた運の良い人間である。エスケンさんのことを無意識に(そして勝手に)「師」と呼んでいたが、ちゃんと筋が通っていたのだ。

文脈から想像するに容易いと思うが、その通り。よりによってその帽子を無くしたのである。気がついたら消えていた。どこでどう無くしたのか全く検討がつかない。まだ酒を飲んでいた頃の話だが、暴漢に襲われて身包み剥がれたとしても帽子だけは守ったと思う。羽が生えてどこかに飛んでいったとしか思えない。

実は紛失についてエスケンさんには何も伝えていない。言えるわけがない。でもたぶん、マックロマンスは最近あの帽子を被ってないなあぐらいのことは何度か思っているに違いない。心が痛い。エスケンさんがこのブログを読んでいるとは到底思えないが、もしかして誰かから伝わって目にすることがあるかも知れない。面と向かってはとても告白できないので、ここに謹んで謝罪の意を表明する。って偉そうだな。本当にごめんなさい。

帽子の紛失からもう3年、もしかしたら5年ぐらいになるが、あの帽子が頭に乗っかっている時の興奮感は忘れない。身に着けるものは人にパワーを与えるし、奪い取りもする。人が服を作るのではない。服が人を作るのである。

Photo by Noah Suzuki

キダオレ日記(春コート)

コート:JUNYA WATANABE MAN

パリのファッションウィークのレビュー記事を見て、このコートを手に入れたいと思った。シーズンが開けて早速、六本木ヒルズのストアを訪れたが、入荷されておらず。クルーの方が調べてくれたところ、国内には広島と丸の内、にそれぞれ一着のみの入荷だと判明した。しかも僕の適正サイズであるXSは丸の内店のみ。その足で同店を訪れ、即決で購入した。

物欲がどんどんなっていく中で、コム・デ・ギャルソンの服だけが僕を魅了し続ける。コムデに袖を通す時、僕は「愛されている」と感じる。他のブランドの服ではあまり得ることのない感覚だが、BLACKを着ても、HOMME PLUSを着ても、JUNYAを着ても、コム・デ・ギャルソンにおいては同じように愛を感じる。

それは「作り手が着る者を思う気持ち」というような売り手買い手の間に芽生える美談的な安っぽい感情ではない。もっと壮大な、言わば「神の愛」である。サーフィンをやっている時に海から愛を感じることがあるが、体感としてはそれに一番近い。

以前、どこかで同じような話をしたら、先輩で友人のハリー山下に「ブランドは売上を上げたいだけで、マックロマンスはそれにうまく乗せられてるんだよ。」と身も蓋もないコメントをもらって、少し凹んだが、まあ正論ではあると思う。他人からはきっと宗教に狂信的にのめり込む猿のように見えるのだろう。

他方、コム・デ・ギャルソンもサーフィンもなかったら、おそらく僕の生活はもっと苦悩に満ちたものになったと思う。それ(つまり安らぎである。)を提供してくれているチームに「売上」という形で貢献できるのであれば、それは本望でだ。

やれやれ、たかがコート買ったぐらいで大騒ぎしすぎだな。嬉しいのである。

キダオレ日記

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アンダーウェア:5351 POUR LES HOMMES × BETONES

個人事業主になってから毎年、一月は確定申告の書類作りと、そのプレッシャーにつぶされる。思えば人生の半分以上の一月を憂鬱な気分と共に過ごしているわけで、それを思うだけで事業なんか始めなければ良かったと悔やんでも悔やみきれない。と、のっけから愚痴でスタートした2020年。まあ、せめてパンツぐらいは新調して気分良くいきたいもんだ。

死ぬに死ねない

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DJやミュージシャンは11月がいちばん忙しい、はずなんだけど、私のスケジュール帳は年内真っ白。今年のDJも残り1本で終わりです。とは言え、もうすでに来年の準備は始まっている。今年は夢のDJ海外ツアーが実現した(こんなに話題にならないとは思っていなかった、つーか、もう少し話題にしてくれよ。50からDJはじめて海外ツアーまで漕ぎ着けれる奴は世の中に一体何人いると思ってんだ?と思うけど、まあ誰も興味ないんだからしょうがない。でも実現はしました。)ので、来年はまた別方向でこれまでやってないことにトライしようと思っています。日々修行ですわ。

最近は本当に毎週のように親戚やら知人が亡くなったニュース。自分もいつどうなるかわからんぞってことで、生命保険を見直したんだよね。遺族が受け取る死亡保険金とかが増えたわけなんだけど、今回の契約、三年内に自殺したら全てがパアになるそうで、まあ自殺なんかする気は毛頭ないのだけど、仮に死にたいと思っても死ねないわけで、本当にまあ消費税の計算はややこしいし、ライブハウスでタバコも吸えない(自分は吸わないけど)し、何だか不自由なことになってくな、この世の中は全く。

何をやるにしても予定を立てなきゃね。ってんで、2020年度もダイアリーはモレスキン。

キダオレ日記:タオル

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タオル:5351 POUR LES HOMMES

多汗症である。非常にめんどくさい。特に冬場が困る。寒さの中でも少し運動などしようものなら体の芯が燃えて汗が噴き出すのである。僕の通うキックボクシングジムがある大岡山商店街をよく歩く人なら、木枯らしが吹く真冬の夜にノースリーブに半ズボン姿で寒さにぶるぶる震えつつ噴き出す汗をタオルで拭きながら歩く僕の姿を見かけたことがあるかも知れない。

汗かきってことはつまり、体から常に蒸気を放出しているわけだ。例えばスキーに行った時、ちょっと滑っただけで発汗しゴーグルが真っ白に曇って使い物にならなくなる。もちろんゴーグルには空気孔が開けられているのだけど、これが何の役にも立たない。

僕は戦闘機のパイロットには絶対なれないだろう。ヘルメットの内部が汗で曇って前が見えないでは敵に撃ち落とされる前に墜落して終わりだ。

現在は研究も進み、多汗症にも様々な治療法があるらしい。しかしこれを受けるつもりは毛頭ない。寒かったりめんどうだったりするけれど、汗をかくのはやはり気持ちが良いのである。逆に治療で発汗を押さえ込んでしまった場合、体の中に放出できなかった汗がたまると思うと非常に気持ちが悪い。治療を受ければパイロットになれると言われても、やはり僕は汗かきのままでいたいと思う。

言いたいことは別にない。新しいショップ・ミュージックを納品に5351の代官山店に行ったら良さそうなタオルを見つけた。

*ちなみに:現在5351 POUR LES HOMMES 代官山フラッグシップショップではマックロマンスの新作DJクリスマスミックスが流れています。お買い物の際はぜひ耳を傾けてみてください。

キダオレ日記 ハット

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HAT : agnes b.

かっこ悪いこと、ダメな感じがかっこいい(あるいは許されてしまう)のがロックだと思う。ガンズ&ローゼズは全く好きなグループではないが、ボーカルの人のあのダサいダンスを見て、ああこれはロックだなと思った。敬愛するジョンライドンがステージで女の子のファンにボコられているところを見て、ああ、やっぱりロックだなあと思った。今や大作家として活躍されている町田康さんはまるでロック(彼の場合はパンクと言った方がよかろうか)を捨てたみたいにクールに変身してしまったが、遊びで始めたバンドのメンバーと方針で揉めて殴られたのだそうだ。それを警察に被害届け出したというのを聞いて、この方もロックを忘れていなかったと思った。言うまでもなく内田裕也さんはロックだったと思う。恋人と破局しそうになって「オレを捨てたらヤクザが出てくる。」とかって脅しただけでもけっこうなニュースだったが、マイウェイのBGMにのって謝罪会見に現れた時は本当にロックンロールだなあって思った。まったく反省してないじゃんね。スタイルカウンシルのポールウェラーさんなんかは何もかもが洗練されすぎていて、ちょっとロックとは言いたくない感じがする。スタンス的に似ているスティングさんは意外とダメでかっこ悪い側面があって好感が持てる。サザンオールスターのリーダーの方が「自分はロックだ」と言っていたのを聞いて全然違うよと思ったし、それが原因で彼らのことを嫌悪していたけれど、震災の時に一目散に関西方面?に逃げたという話を聞いた時に、ああなるほどこの人にもロック的な側面があるんだなと少し見直したことをおぼえている。

自分自身のことを言えば、実は僕はみなさんが想像している以上のダメ人間である。何がどうダメなのか恥ずかしくて公表できないが、ちょっと辺りを見回してみて、自分よりダメな人間はいないと自信を持って言える。今のうちからダメ録を書き留めておいて、遺言状に残しておくべきかも知れない。後で「あいつは本当にダメな奴だったよね。」「ロックだよね。」と誰かが噂してくれるかも知れない。あまりにダメすぎてロックですらないかも知れないけれど。

*文中の見聞は事実と異なる場合があります。半分ぐらいフィクションのつもりで読んでいただければ幸いです。

虫の居所が悪い

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今日は高校生の娘が文化祭の催しに出演する予定だったが、ハンザワ王子がレコードを持って我が家に来るというので、娘の方はキャンセルして自宅で待機することにした。例によって当日の朝になって王子から体調が悪くて行けないとの連絡が入り、それならば娘の演奏を聴くことができると、自転車に乗って学校を訪れてみたところ、間違えた時間を教えられていたらしく、娘の出演するはずの催しは終わった後だった。そのまま帰るのも何だか癪なので、同じ会場でタイミング良くスタートした全く知らない他人の子供たちが演じるミュージカルを観たら、けっこう感動して泣きそうになった。しかし、自分はと言えば、ただでさえ存在が怪しい上に(単に車を運転しているだけで職務質問を受けたばかりである。)よりによって今日は真っ赤なTシャツを着用していて目立つ、まわりを見回しても夫婦や家族で和気藹々のムード、オッサンひとりの客は自分だけのようである。誰の親かもわからぬ不審者が他人の子供の演技を観て泣きだしては、騒動の原因になりかねぬ。こぼれそうになる涙をこらえてどうにか校の外に出た次第である。

こういう日は、何をやってもうまくはいかぬ。まあ自分の人生において何かがうまくいったことなんぞないが、朝のうちにズレた歯車はその日のうちには元には戻らない。映画、散髪、コーヒーブレイク、思いつきで訪れた先はすべて満杯、服屋で目に留まったパンツは試着の段階で自分に似合っていないことがわかったが、試着して似合わなかった服を「いらない」と言えない性格である。パン屋で買った菓子パン(帰路でベンチでも見つけて食べようと思ったが、座り心地の良さそうなベンチをルート上で見つけることができなかった。)と、二度と足を通すことはないであろう新品のパンツを持ち帰り、この記事を書き始めたら眠くなってきたのでちょっと遅めの昼寝をしたら、暗くなるまで寝てしまい、真っ暗な中で目が覚めた。相変わらず機嫌は良くないが、思えば生まれてこのかた機嫌が良かったことなど一度もなかったような気がする。

ところで、午前中に、書斎に山積みになっている90年代のファッションやサブカルチャーの雑誌に目が行って、ペラペラとめくり始めたらなかなか楽しくて止まらなくなった。まだ今ほどインターネットが一般に普及していなかった時代の話。デザインや編集も素晴らしいが、特に写真が面白い。懐かしいとか、ノスタルジックな感じではなくて、むしろ新しいものを初めて発見した時のような刺激を受けた。

いちおう釈明しておくと、僕とハンザワ王子の関係というのは持ちつ持たれつとでも言うべきか、約束なんかは最初からあってないようなもんで、お互いドタキャンとかで相手のことを悪く思ったりは全くしない。事実、前回は確か僕の方が当日キャンセルしちゃったと記憶している。ふたりとも気まぐれで気分屋なので、会いましょうかとなっても三度に一度ぐらいしか実現しない。他の人が介入すると面倒なことにもなるが、二人の間では自由で良い関係性だと僕は思っている。

ふむ。こうやって見返してみると、決して悪くない一日だったように見える。何をぶつくさブーたれてたのやら?

 

SDカードリーダー

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新しくもなく、本当にどうでもよいことなのですけど、MacBookを買い替えてUSBも差し込めないし、CDも入れられない、なんてパニックしてる僕のようなパソコン音痴の方のために、いちおう情報を共有しておきます。SDカードが挿せないのはけっこう不便なもんだと、差込口がなくなって気がつきました。アップルストアでアダプタを買えるのですが、これがけっこういい値段。僕は基本的には何でも純正品を使うことにしているのですけど、たかがアダプタひとつに5千円は高いと思ってネットで調べてみたら写真のブツを発見。以前にUSBを差し込めるようにApple純正のアダプタを購入したので、それと組み合わせて使います。お値段800円程度。使ってみた感じは「全く問題なし。」でした。

現在の僕のパソコンの使用頻度は50%がDJ、音楽制作関係、あとはインターネットで調べ物したりYouTube観たり、画像や写真の加工、デザイン、ショートムービー制作がそれぞれ10%ぐらいづつという感じでしょうか。現在のところはMacBook Pro(2017)でひととおり賄えていますが、音楽制作ソフト使っているうちに容量超えてフリーズするなど、すでに少々負担のかかる使い方をしているようです。おそらくそのうちにデスクトップのiMACが必要になってきそうな気がしています。前のMacBook Proから乗り換えてよかった点は画質が圧倒的に綺麗になったことと、薄く軽くなったことがあげられますが、それ以外ではちょっと不便になったことの方が多いように感じています。あと、繊細すぎて壊れるのも早そう。高くてもいいから「一度買ったら一生もんでごわす。」みたいな心強いPCが世に普及する日がくることを願っています。

キダオレ日記

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今期のコムデギャルソンはオムプリュスのテーマが「ゴス」。これにレディースも連動しているようです。ゴスウェア?の定番とも言えるフィッシュネット素材のアイテムもラインナップに登場していました。

現在の僕は東京で細々とジャズDJやりながら、次の海外遠征に向けて音素材の製作を始めたところ。しばらく黒装束のゴス仕様で人前に登場することはないと思ってトレードマークだったロン毛もばっさり切ってしまいました。コムデギャルソンがこのタイミングでよりによって「ゴス」をキーワードに持ってくるというのも何かしら縁のようなものを感じてしまうけど、ほんの1歩だけ遅かった。でも、いつ着るかわかんないのを承知でフィッシュネットのワンピースとカットソー(もちろん両方ともレディース)を購入しました。ファンなんでね。

 

 

キダオレ日記

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何年ぶりかに良いシャツに出会いました。肩、袖、丈、シルエット、すべて完璧。素材もしなやかで体に吸い付くかのようです。襟がないのが清くてよろしい。当然ネクタイは介入してこれません。唯一、首回りが僕の(太く短い)首に対して小さいのだけが難点。一番上のボタンは開放にするしかありません。しかし、敢えてドレスダウンして着るにはちょうどいいかもね。洗ってそのままハンガーで乾かしたらよい表情が出ました。アイロンかけずにこのまま着ます。良いシャツに出会えた時、長生きしてよかったなあと思います。

 

セールではない

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セールで物を買ってやろうと意気込んでセールじゃない物を買って帰ってくるというね。髪の毛を切ったら持っている帽子がぜんぶ大きくなってしまったので、新しいのを揃えなければなりません。ニットキャップはこれでいいとして、あとはハットとベレーを仕入れれば夏を乗り越えらえるでしょう。帽子に似合うスニーカーも欲しくなってきちゃったりして。

セール戦利品

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セールでものは買わないぞと思っていたのですけど、40%オフとか言われるとやっぱり買っちゃうよね。このところモノトーンの服ばかり着ていたせいか、少し派手めなものに目が行きます。メッシュのインナーが付いていて海やジムで活躍しそう。僕はこれでカフェでもどこでも行っちゃうけどね。

再会

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少し前に壊してしまったお気に入りのサングラス。購入したショップに行ってみたのだけど、入荷がないとのことで、もう同じものは手に入らないと毎晩泣きながら暮らしていました。何の気なしに訪れたラフォーレ原宿内の若者クラヴァー向けのお店に普通に売っておりました。フレームやレンズのカラーは同じではありませんが、デザインやサイズはそのまんま。もちろん即購入です。ハゲ頭に髪の毛が戻ってきたような気分であります。

ラフォーレ原宿では以前アルバイトをしていたことがあり、大ポカをやらかし、相当長い間足を踏み入れることを許されておりませんでした。問題の店が閉店して、ここ数年でやっとわだかまりがおさまったところであります。

今これを書いていて、このサングラスを買った店、僕がポカをやらかしたアルバイト先の跡地にあるということに気がつきました。歴史はいつもどこかで繋がっています。

定番の死

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普段からちまたのニュースに耳をかたむけてないので、何がトレンドで何が流行遅れなのかわからない。音楽関係にしても、新しいレコードはレコードショップの店員に勧められるがままに購入し、曲のタイトルはおろかアーティストの名前にしてももう憶える気すらないのが実情。ニコラスケイジの名前を思い出すのに何十分もかかるのだ。新たに人の名前をおぼえらえるわけがない。

流行を知らなくて困ることはあまりないが、たまに事件があっても自分だけ何も知らないということがある。レコード針を購入しようとショップに行ったら、何と、SHUREがカートリッジ部門から撤退したと聞いて驚いた。どれぐらいの事件かと言うとだな。うむ。アップルがスマホ事業から撤退したレベルに等しい。いや、それ以上かも知れない。マクドナルドがハンバーガーを作るのやめたとか、それぐらいの規模のニュースである。にわかには信じられなかったが、どうやら本当のようだ。

偶然、別の楽器屋に売れ残っていたのを見つけ、在庫全てまとめ買いしたので1年やそこらはもちそうだが、やれやれ、今回のニュースは心に痛みを伴う。自分が「定番」と思って愛用していたものが世の中から無くなっていくのである。すなわち自分の居場所がどんどん小さくなっていくことを意味する。「もうおまえの場所はここにはない。出て行け。」と宣言される日が、そこまでやってきているような気がする。

*4月に書いた記事に加筆した。

急須

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急須が欠けたので新調しました。お茶はやはり急須で味が露骨に変わります。鉄瓶(お湯は鉄瓶で沸かします。)や金属系よりも陶器がよくて、つるつるした素材よりも素焼きっぽいザラザラしてる方が良し。そして金属系のフィルターは使わない。サイズは小ぶりな方が美味しいお茶を淹れられるみたいですけど、僕は何杯も飲むのでこれぐらいの大きさ必要です。

コーヒー

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海から上がり、ひととおりの儀式を済ませる。すなわち、用意してきたタンクのお湯(冬場には水になっていることもある)をかぶり、ウェットスーツを脱ぎ去り、用意してきたスウェットやTシャツに着替え、フィンやリーシュコードなどの道具をボックスにしまい、ボードの砂を落として車のルーフに取り付け、普通ならこれで、後は車のエンジンをスタートさせて帰路に向かうだけなのだが、しばらくその場に留まって海の余韻に浸るのも、行動様式の中に含まれている。

となると、やはりコーヒーが欲しい。

で、簡易的な湯沸しのツールを揃えて常備するようになった。コーヒー豆はあらかじめ自宅で挽いて専用の瓶に入れて持参する。折りたたみ式のドリッパーも手に入れた。少しの面倒がかえって楽しみをもたらす。風をもろともせずゴオと音を立てて燃える火、ぶくぶくと湧き上がってくるあぶく。落とした湯に弾けるコーヒーの粉。立ち上がる燻し香が海のにおいと混ざる。できあがったコーヒーをチタン製のマグカップに注ぐ。湯気、波の音、チリチリする肌。海を前にして飲むコーヒーは本当に旨い。

帰り道、海ほたるの渋滞にはまったあたりで、ふと、飲み終わったあとのマグカップを置きっぱなしにしてきてしまったことに気がついた。うむ。ということは当然、他のツールもそっくりそのまま海にある。

数ヶ月後、コールマンのアウトレットショップでようやく小型ストーブを入手した。コンビニで売っている真空パック入りのコーヒーを持って海に行ったが、何故か湯を沸かしてを飲む気にはならなかった。

ヘッドホン

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海外DJツアーが決まって、生活スタイルががらりと変わり、ここでもその話題を発信しまくると自分でも思っていたが、毎日あちらとやりとりしたり、トラックを作ったりみたいなことばっかりやっていると、現実逃避でDJとは関係のない話ばかりしたくなるところが怠け者の怠け者たる性(サガ)であって我ながら情けない。

5351POUR LES HOMMESがタイアップしているマーシャルのヘッドホンを購入した。ヘッドホンと言ってもDJツールとしてではなく、僕の場合は音楽ではなく、移動時、実はラジオを聴いている。しかも音楽番組の多いFMではなく、AMラジオである。

現在はラジコがあるので、オンタイムでなくても好きな番組が聴けるようになった。一番好きな番組はTBSの荒川強啓のデイキャッチというお昼の時事ネタ番組で、ラジコが導入されてからはほとんど欠かさず聴いていた。僕の政治社会的な発言はほとんどこの番組からの受け売りと言ってもよいかも知れない。これがこの春、突然の打ち切りとなった。理由はイマイチ定かではないが、政府筋から圧力がかかったのだと視聴者のほとんどは思っているだろう。

さておき、ヘッドホンの実用性はじゅうぶん合格ラインだと思う。Bluetooth通じてiPhoneとの相性は良い。(BOSEのBluetoothスピーカーとiPhoneの相性は悪いと思う。よく繋がらないことがある。)電波もかなりの広範囲をカバーしている。それとなくスイッチを入れたらとなりのとなりの部屋に置いてあったiPhoneのiTunesが起動して音が流れてきてちょっとびっくりした。密閉性は高く音漏れの心配が少ない。環境によってだがDJ時にも使えてしまうかも知れない。音もいいと思う。(実はもともと音のクオリティはさほど気にしていない。自分の音を人に聴かせる時は話は別だが。)装着感はややきつい。長時間の連続使用は耳や頭に辛いかも知れない。まあ、そのぶんホールド感はしっかりしている。首にかけた時も左右のスピーカー部分がフロントでくっつくぐらいバネが強いので、僕のように首が短い(ほとんどない)人間は使わない時は首から外してポケットやバッグに引っ掛ける、さもなくばスピーカーで顎を挟むという不恰好な姿で歩くしかない。ファッションアイテムとして首にかけることを想定するなら人並みの長さの首を持っていることが条件となろう。

見ての通り、デザイン性、身につけた時のインパクト、共に文句なし、当然5351の服にもよく似合う。特にエレガントなスーツスタイル時にしっくりくる風貌のヘッドホンは他にそうないと思う。ボタンスイッチやピンなどの金具がさりげなくゴールドなのもマーシャルらしくてかっこいい。

渋谷駅で海をばらまく

IMG_4880.jpegフレグランス:CHANEL/PARIS-BIARRITZ

このブログを毎回読んでいるマニアの方はあれ?と思ったかも知れません。昨年買ったのと同じフレグランス。 気に入って毎日つけたとしても半年でなくなるはずはありません。実は先日、渋谷駅の構内で落として割ってしまったんです。フレグランスを持ち歩くという行動が野暮であることは重々承知しているのですが、DJでロングセットの時、後半のダレる時間帯に香りがあると集中力が戻ってくるんですよね。どんな香水でも最初のトーンのインパクトは強力ですが、特にこのシャネルはつけた瞬間に「海」を感じます。

最近はこの数ヶ月で2回ほど車に傷をつけてしまったり、先日の靴のソール全張り替えもそうなんですけど、新しいモノを買うのではなく、すでに持っているモノをニュートラル状態に戻すためにお金を使っていることが多いような気がします。(CDで持ってるアルバムをレコードで買い直したりもそうですね。)

何だろう、深層心理では、この人生では「もう新しいものはいらない。」と思っているのかも知れません。いらないけど「お金を使う」という気持ちの良いドラッグはやめたくなくて、それでわざわざ持ってるものを壊しちゃうというね。

なわけで2月1日の夕方、東急渋谷駅の東横線と半蔵門線の間の通路で海のことを思い出した人がいたら、ごめんなさい、それは私のせいです。

 

 

盗人の美学

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キーボード:KORG microKEY25

「DJは演奏してはいけない。」というのが私の理念のひとつである。楽曲があり、オーディエンスがいる。その間をつなぐのがDJ。「演奏」は熟練を重ねたミュージシャンに与えられた特権、あくまで作られた楽曲を人様に届けるのがDJの役割である。そこをはき違えてはいけない。

切ってもよい。つなげてもよい。逆回しにしても、エフェクトをかけても、めちゃくちゃにして他の曲に作り変えてしまってもよい。だけれど、自分で演奏するのだけはダメだ。

例えば、いい感じのドラムセットをサンプリングしてループさせ、そこにベース音を加える際は、わざわざ何枚ものレコードを聴きまくって、音階やBPMの合うベースラインを見つけて切り取り、加工して貼り付ける。自分でベースを弾いてしまえば数分で済む作業を数時間、場合によっては何日もかけて行うわけだ。

「私の店には盗んできたものしか売っていません。」盗人の美学とでも言えばよかろうか。

新しく楽器を購入した私はもはや盗人ですらない、私の活動名であるDJ MACROMANCEから「DJ」の文字が消える日もそう遠くはないかも知れない。

 

Time

5年ぐらい前になろうか。友人に「恥ずかしながら腕時計を所有していないのだ。」という話をしたら、哀れに思ったのかオメガのスピードマスターをほとんどただみたいな値段で譲ってくれた。気に入って使っているが、服によっては似合わないケースもないではない。

新調するにあたって、少しポップなデザインのものがよいかと、あまり迷うことなく人生初のG-SHOCKオーナーになった。

さっそく腕につけて海に入ってみたが、海では時計を全く見ないことに気がついた。太陽の位置でだいたいの時間はわかるし、そもそも、そういう(時間といった)概念から解放されるために我々は海に入るのかも知れない。(と、書いてちょっとかっこつけすぎだよなと自分で思った。)

おそらくこれがこの人生最後のG-SHOCKということになろう。人が一生のうちにできることは以外と少ない。

 

新しい機材

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TORAIZ SP16 / Pioneer DJ

買ってみました。「箱を開けたらすぐ使える。」の前評判通り、僕のような機械音痴な人間でも数時間でおおまかな使い方を理解できるように作られています。頭の中で思いつく「やりたいこと」はだいたいこの一台でできてしまいそう。知識がなく楽器が弾けなくても誰でも作曲ができてプレイまでできてしまうという時代になりました。

あえて言うならば、その「使い勝手のよさ」に違和感を持たないではない。例えるならモーターとスクリューがついたサーフボードみたいな。そいつで海の上を疾走して、果たしてこれをサーフィンと呼んでよいものでしょうか?

このマシン持参でブースに入って、仮にお客さんが盛り上がったとしても、同業のDJからはきっとリスペクトされないだろうなあ。

あえて何もプログラミングしておかずに、その場でゼロから曲を作っていくような使い方は緊張感があっていいかも知れません。(すでにそういうプレイヤーも多々いるはずです。)

ダンスミュージックを奏でることを想定して作られたマシン(まあDJ機器は基本全部そうですけど)ですので、クラシック音楽のようなビートレスでループしない楽曲を作るのにはあまり向いてなさそう。ただそれもアイデア次第でいろいろできそうです。

使用方法で質問があってPioneerに問い合わせしたのですけど、ものすごい丁寧な答えがメールで返ってきてちょっと驚きました。そういうところからもメーカーの「本気度」が伺えます。

このマシンで作った記念すべき最初の曲をプレイしている動画をYouTubeに載せてありますので興味のある方はご覧になってみてください。

 

キダオレ日記「フリース」

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首がない。胴体から直接頭が生えている。
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ウルトラマンの怪獣にジャミラというのがいた。アレと同じシルエットだ。
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若い頃の写真では頭と胴の間に首が見てとれる。ほっそりとした素敵な首だ。そいつは一体はどこに行ったのか?
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太って首が胴体に吸収されるということはあろう。しかし体重は10代の頃とほぼ同じ。腹のまわりに少々ゆるみが出てきたが、全体として体型に大きな変化はない。ただ首だけが消えて無くなった。
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ジャミラの服探しは苦労を伴う。基本的には何も似合わないが、ふとある日、コムデギャルソンを着るとうまくいくことに気がついた。奇抜なデザインが異形な身体をうまくカバーしてくれるのだ。
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日常的にコムデギャルソンを着ているような生活に憧れはするが、実際はそうもいかない。サーフィンに全身コムデで登場したら、きっと地元のサーファーにボコられるだろう。
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サーフィン時に限らず日常生活において使い勝手のよいアウトドア用ウェアは当然、機能性を重視したデザインが採用されている。フリースの中着も風や雨が入り込まぬようよく考えられていて、首の部分はタートルネックが基本。
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これが我々のような首なしジャミラ族には厄介な代物であるわけだ。タートルネック、すなわち襟の部分がせり上がって、前から見ると口のあたり、横からだと耳の上あたりまでをすっぽり覆うことになる。
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僕の場合は前のジッパーを下げ、襟を折り返して、ジャージの用にして着用していた。不恰好だが他に選択の余地がない。
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今年、Patagoniaからクルーネックのフリースが発売された。8月に店頭に登場し、あっという間に売り切れたそうだ。この国にはどうやら僕と同じように、ない首、短い首に悩む者が多く存在しているのだと想像する。
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そこまで爆発的に売れたのであれば、メーカーも首なしのウェアを作り続けるしかなかろう。首なし族の、いや民衆の勝利と言えよう。
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53もなると、地味な色の服は危険で、特にモスグリーンのスウェットなんかを着ると本当におじいちゃんにしか見えなくなる。だから年甲斐もなく派手な色や柄の服を着るのだけど、若作りをする様子がかえって痛々しいという意見もあって無視できない。
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聞けば磯野波平さんは54歳なのだそうだ。いくら若者に迎合したところで、53歳とはつまり老人なわけである。首が短いのもモスグリーンも全てを受け入れて老人らしく静かに生きていこう。そうしよう。

キダオレ日記 フレグランス

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日常的にフレグランスは使っていませんが、夜に出歩く時は身だしなみ程度に香りをまといます。長くラルフローレンのロマンス(名前からして選択の余地がありませんし、爽やかな香りも好みでした。)を愛用していたのですが、終売になって数年。ストックもとうとう最後の一滴まで使い切ってしまい、新たな香りを探すことになりました。

もともと僕はクリスチャンディオールのポワゾンとか、イヴサンローランのオピウムのような主張が強く、かつ、エグめの香りが好きで、こっそりシャネルのエゴイストを持っていたりもします。(まあ実際にエゴイストを使う場面って年に1度あるかないかぐらいのものですが。)シャネルの香水はとにかくボトルのデザインがかっこよくて、オブジェクトとしても萌えますね。

映画の帰りに渋谷の西武百貨店(古巣です。)のシャネルのショップで香りの吟味をしていたところ、お店の方に勧められたのが、写真の真ん中=パリ-ビアリッツ。ずばり、南ヨーロッパの「海」を連想させる、ロマンティックな香り。その前に10種類ぐらいくんくんやってたの全部吹き飛んでしまいました。これで決まり。2018年の新作というのもいいし、ユニセックスというのがまたいい。

よい香りとの出会いは本当に気分が高揚します。これはたぶん自力では見つけられなかったんじゃないかな。勧めてくれたお姉さん(の感性)に感謝です。これだけインターネット中心の世の中にあっても、香水売り場は最後までなくならないでしょうね。きっと。

キダオレ日記 安全ピン?

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今いちばん気になるブランドと言えばもちろん ART COMES FIRSTなんだけど、知る限りではまだ日本に直営店はなく、服の現物も見たことがありません。代官山で安全ピンを売ってるのを見つけたので買ってみました。例のデコボココンビの写真はネット上のあちこちで見かけますが、最近はずいぶんロック風に流れてるなあという印象。僕はもうロックには興味がないんだよね。