WALKING IN L.A.

だんだん「コロナ」というワードを耳にする回数が減ってきたかな。でも、もうコロナ以前の平和な?日々はもう二度と帰ってこないという感覚はありますね。そうでなくても、世の中は物凄いスピードで変化していると感じるし、時は前に進むもので、誰にも止めることはできません。日々更新される新しい世界が少々居心地の悪いものであったとしても、それに対応して生きていくしかないんだよね。

きのう蕎麦屋に入ったんですけど、スマホを使ってオーダーするシステムで、うまく商品を検索することができなくて、とりあえず目に入った盛り蕎麦を注文しました。本当はもう少しにぎやかな食事にしたかったんだけど。今後、僕が死ぬまでにどのぐらい蕎麦屋で食事をするかはわからないけれど、「小さな蕎麦のついた天丼セット」とか、「肉を抜いた南蛮カレー蕎麦」みたいなものをランチに食べたいと思うなら、ある程度スマホを使いこなせるようにならなくてはいけない。あきらめて、「蕎麦屋では盛り蕎麦しか食べない。」というのもひとつの選択ではあるでしょう。スマホに翻弄される無駄な時間を全てクリエーションに注げば、もう少しマシなものが作れるようになるかも知れません。

数日前、久しぶりにエスケン師匠と会ってお茶しました。師匠もニューアルバムを発表したばかりで、相変わらず多忙でクレイジーな日々を過ごしてらっしゃる様子。スマホやタブレットなどのツールもフルに使いこなしているようで、僕のインスタの投稿なんかも、けっこうチェックしてくれているそうです。特に動画制作についてたくさんお褒めの言葉をいただいて光栄。

しかしだな。日本を代表するオルタナティブミュージックのプロデューサーが、映像と音楽で構成された作品を観てくれて、音楽の方には全く興味を示さないという事実。音楽を作っている者としては屈辱ではあります。エスケンさんは芸術に対して100%ピュアな人間で、いいものはいい、興味のないものは、どんなに高明な人間の作品であっても興味がないというスタンスで生きてらっしゃる方なので、まあ僕の音楽が師匠のセンサーに引っかからないのは、それまでの作品でしかないと言うことで仕方がない。

エスケンさんのところには今でも毎日何百という数のデモ曲が送られてくるそうです。師匠はそのほとんど全部を「聴かない」と言っていました。その膨大な曲の中にはきっと、ヒットソングの卵となりえる名曲も含まれているはずです。それらを差し終えて、いわば「飛び級」で自分の曲を聴いてもらえる立場にいるにもかかわらず、師匠の鋭いの耳のセンサーをかすることもできず、何と言えばよいか、申し訳ない気持ちも。できれば才能があるのに人に知られていない金の卵に自分の特等席を譲ってあげたいぐらいだ。

でもまあね。凄い奴はやっぱり凄くて、結局どこかから芽を出して来るもんなんだよね。「埋もれた才能」なんてのはゴッホの時代の話、売れるには理由があるし、売れないのにも理由がある。それが現代だと僕は思います。

僕のインスタなどをフォローしてくれている方は知っていると思いますが、最近、ロサンゼルスのロックフェスティバルに出演することができまして、まあ相変わらず世間的には何の話題にもなっていないのですけれど、自分としてはまあなかなか大層な出来事ではありました。ライブの映像などもオンラインに出回っておりますが、個人で撮影(苦手なスマホを使って)した動画や写真に音楽をつけたショートムービーをYouTubeにアップしてあります。エスケンさんが絶賛してくれたわりには、再生は全く伸びず、現在30アクセスぐらいかな。(以前、友人に、どうやったらそんなに低い再生回数のYouTube動画を作ることができるのか?とマジ顔で訊かれたことがあります。)ぜひご覧になってみて下さい。

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