平日、午前中の青山。曇り空。熱を帯び湿った空気が重く街にのしかかっている。通りの店らはすでにドアを開けていたが、人の姿はまばら。ふと目についたカフェに入店した。朝の準備で忙しいのか、あるいはフランスの様式を真似たのか給仕の愛想はない。私はカフェで歓迎される要素を何ら持たない初老のダメ人間で(そして年甲斐もなく半ズボンを履いている。)自らそれを自覚しているので、私自身はそれで全くかまわないのだが、私の登場によって彼女たちの気分が少なからず害されたならば、それはこのあと、この店を訪れるお客の気分にも悪影響を与える要素になり得るわけで、それは私の本望ではない。
それも自意識過剰かも知れない。よく考えてみれば、ただ訪れただけでひとりの人間の気分を変えるほどの存在感が自分に備わっているとは思えない。彼女は単に機嫌が悪いか、そもそも機嫌が悪い人なのだろう。
誰もいない広々としたテラスのひとりがけソファに席を取り、コーヒーとケーキを注文。ほどなく給仕がそれらを運んできた。テーブルの位置が低く、彼女がケーキを置く時に前屈みになったせいで、大きく開いた胸元から胸の谷間がちらりと見えた。そういう時に動揺しないクールな人間でいたいと日頃から思っているが、おそらく私は取り乱したであろう。給仕は何も気がつかないふりをして店内に去っていった。
コーヒーは薄く、ぬるく、チョコレートのケーキは趣味が合わなかった。ソファの座り心地もイマイチだったし、テーブルは低すぎた。しかし私はこのひとときを楽しんでいた。ひとりでカフェに入ってコーヒーを飲むこと自体が数ヶ月ぶりのことだった。その行為(つまりカフェを訪れること)が、私の生活にとってどれだけ救いであるかをあらためて体現したのである。悪いことばかりではない。ケーキの上にちょこんとのせられた小さな赤いマカロンが美味だった。
ケーキの皿にチョコレートで文字が描かれていた。私の知らない言葉だった。フランス語かと思ってグーグルで調べてみたらマオリ語で「姿を消す」という意味だった。それがこの店で働く女たちの希望なのか、何らかの予言なのか、私にはわかりかねた。いずれにしても私はこの店に歓迎された客ではないようだった。
アイヌ人だったか、人の命名に動詞や形容詞を用いるという話を聞いたことがある。例えば「昇る黄色い太陽」とか「死せる美しい熊」とか、そんな感じだろうか。既存のルールを無視して勝手に自分に新しい名前をつけることができるなら「姿を消す」はミステリアスでなかなかクールな名称であるような気がする。