静かな暴動

きのう、重要な案件があり、車で都心を横切った。あまりの人出にちょっと目を疑ったのである。カップル、家族連れ、観光客と見受けられるような人々までが、何をするでもなく街をぶらぶら闊歩しているのだ。多くの店舗が休業していることを除けば、ふだんの都心とあまり変わらない光景。奥渋谷のストリートなんかはいつもより人が多く車で通るのに難儀したぐらいのお祭り騒ぎである。

自分としては相当久しぶりの外出だったわけだが、一瞬自分の頭がどうにかなってしまったのではないかと思うぐらいの浦島太郎体験だった。ふと、終戦を知らずに29年間フィリピンの奥地に隠れていた小野田さんのことを思い出した。とっくに戦争は終わっていたのだ。

結局そこまで大騒ぎするほどのことではなかったということだろうか?しかし、このケチな国が国民全員に10万配るなんて話はこれまでに聞いたことはない。今朝も町内放送でステイホームを呼びかけるアナウンスが流れていた。公共の駐車場は閉鎖されたまま、海はサーフィンはおろか立ち入りすら禁止されている。少なくとも国サイドは事態が収束したと考えているようには思えない。そんな中、玉川高島屋は営業を再開。朝から晩までサーフィンするのと、高島屋で1時間買い物するのと、どっちが感染のリスクが高いか。要するに騒動に対する認識が官と民で乖離しているのである。

これは暴動なのだ。

国民の命をかけた静かな暴動なのだ。国民は耐えられないのだ。この不安に、この貧困に、この退屈に、この孤独に。彼らは火炎瓶を投げたり、スーパーマーケットを破壊したり、車に火をつけて爆発させたりはしない。彼らは自分自身、愛する恋人や家族を身の危険にさらすことで、支配者へ無言のメッセージを送っているのだ。俺たちを解放しろ。自由を与えろ。

国はここで対応を間違うべきではないと思う。従順な国民が、風でも嵐でも地震でも汚職でも原発でも、何があっても絶対服従してきた従順な国民が、今、初めて怒っているのだ。命をかけて支配者に抵抗しようとしているのだ。10万円としょうもないマスク2枚でごまかしきれると思わない方がよい。

さあ立ち上がれ。「ステイホーム」は今や禁句だ。「自粛ポリス」は公開処刑しろ。外出しない人間は吊るせ。街に出よう。買い物をして酒を飲め。唾を吐け。死ぬまで歌って踊りまくれ。赤信号はみんなで渡れば怖くない。これは暴動だ。支配からの卒業だ。俺たちを解放しろ。自由を与えろ。

と、まあ半分冗談なんだけどさ、ここは民をナメててはいかんところだとは思います。僕個人的には世間のトレンドやバッシングには関係なく、できる限り家にいようと思っています。もちろん、こんな状況下で外で働いていただいている方々に深く感謝と尊敬の念を忘れずに。

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