コウモリランは2シーズンめに入って、長い梅雨も、夏の猛暑も乗り越えた。風を好むということで、いくつかの株を外に出しっぱなしにしてみたのだけど、部屋の中にいる者たちの方が機嫌が良さそうなので、結局全て室内に戻すことになった。植物はかまいすぎるとよくないと聞く。実際、過度な愛情に耐えられず、枯らしてしまった草木は少なくないが、こいつらはむしろそばにいて面倒を見てやった方がうまく育つようである。
「なんとなくクリスタル」という小説(たしか映画にもなった。)が発表されたのが、1980年。僕は15歳で、本は読んでなかったが、この「なんとなく」というキーワードが世の中のムードを変えていく様は、(なんとなく)体感している。なにごとにもあまり一生懸命に取り組まないスタイルがクールとされる雰囲気で、当然、熱血漢の僕にとっては居心地が悪かった。思えば僕の落ちこぼれ人生は、そのトレンドにうまく乗れなかったところからスタートしたような気がしないでもない。燃えたぎる魂を封印して人に見せないように努めて生きてきて、結局、燃えてもない燃えてなくもない、中途半端な人間に仕上がった。
「なんとなく」の呪縛を解いたところで、今さら熱い自分が戻ってくるわけでもないが、「枯れるのを防ぐために意図的に放ったらかしにする。」なんていうややこしいことは今の僕にはできない。毎日たっぷり愛情を注いで育て、枯れてしまったらそれまで。コウモリランたちは見ての通り、過度な愛を肥やしに自由奔放に葉を伸ばし続けている。