存在の耐えられない薄さ

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よく割り込まれます。列に並んでいる時の話。コーヒーを買ったり、パスモのチャージをしたりなど日常生活の中でね。

急いでいる時は最初から列に並ぶようなことはしませんので、(つまり急いでないので)割り込まれたところで困ることは何もなく、「どうぞお先に」と、いつもジェントルマンの精神で順番を譲るのですが、全く問題がないかと言えばそうでもない。

割り込まれる理由のひとつに、相手が僕の「存在に気がついていない。」というのがあると思います。そういえば、電車に乗っていたり、カフェでコーヒーを飲んでいたりする時、ふと自分が透明人間になったような気持ちになることは多々あるよなあ。そこそこカラダを鍛え、オシャレに気を使い、身だしなみも整えて、そんで街に出るわけなんだけどね。中身の薄っぺらさがそのまま存在感の薄さに反映されるのでしょう。

もうひとつ。僕がそこにいることがわかってて、割り込んでくるというケース。つまり確信犯。悪いよなあ。要するにナメられているということだと思うのですけど、ここで疑問。僕ってそんなに人畜無害で気弱な善良人に見えるのかしら?

どこまで自分を客観的に見れるかは別の問題として、もし自分が他人で、コーヒーを買う列に加わろうとしているケースで、マックロマンスがその列に並んでいたら、その前に割り込むようなことは絶対にしないと思います。マックロマンスにチンピラや暴走族のような怖さは全くないけれど、行動が予測不可能というか、「この人とはあまり関わりを持たない方がよさそうだ。」と感じるのが普通の人の神経なんじゃないのかな。自分で言うのも何ですけど。

そんなわけで、1、存在感がない。あるいは2、存在をナメられている。どちらにしても少し憂鬱な気持ちにさせられる昨今の列並事情をご報告させていただきました。「だから何?」って話ですけどね。(僕の話はそういうのが多いです。英語で言うと「SO WHAT?」ね。)

写真は中央自動車道の談合坂パーキングエリアからのショット。ここでもコーヒーを買う際に二人の男女に割り込まれました。

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