母によると父が亡くなったその日は梅が満開だったそうなので、今年はずいぶん開花が遅いようです。いずれにしても父の命日と梅の花は何となくセットになって頭の中にしまわれています。
父の死は自分でも大丈夫かと思うぐらい悲しみがありませんでした。成人してからもいろんな意味で父に依存して生きてきて、普通よりも距離が近い親子の関係だったと思います。喪失感のようなものがあってしかるべきと思うのですが、何年たっても父がこの世に存在しないという事実がうまく飲み込めない感じがずっと続いています。
父に一度もいいところを見せられなかったことを認めたくないのだろうと自己分析しています。もし僕が何かひとつでも父に自慢できるようなことを成し遂げることができたら、きっとその時に、心の奥底に溜め込まれているであろう悲しみが一挙に吹き出てくるのではないか。そんな風に考えています。
さもなくば、恐ろしく心の冷たい人間というだけのことやも知れません。