ボックス

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起床してからの行動は何時に起きてもほぼ毎朝同じ、その動きやルートも時間の経過と共にどんどん固定化されていくように思います。

我が家には親の代から譲り受けた仏壇と神棚がありまして、毎朝これらに祈りを捧げる短い儀式があります。水、お茶を取り替えて手を合わせ、頭を下げるだけの簡易的なものですが、これがないと一日が始まりません。僕自身は実際そこまで真神深くはないですし、特定の教えに深く関わることにはむしろ懐疑的なスタンスに立っている人間ですが、ご先祖様をはじめ、海、山、自然らに敬意を表し、感謝の気持ちを持って祈りを捧げる行為は、うむ、まあそう悪くないものです。むかし「人には神を信じたいという欲求が備わっている。」と言った人がいますが、たぶん、そういうことなのでしょう。

祈りのあと、観葉植物の様子をチェックしたり、庭のオリーブに水を与えたり、カメの水槽を掃除したりなどの作業が終わるのが起床から1時間後くらい。その間ずっと立ったまま動き回っているのですから、まあまあ忙しい朝と言えましょう。

熱いお茶を片手にやっとリビングの椅子に腰かけて、ノートブックを開け、メールやメッセージ、SNSをチェック。そしてこのブログへとたどり着きます。

ご存知、このブログはほとんど読者がおりません。しかし、更新は順調で、最近は回数も増えつつあります。なぜ誰も読んでいないブログをテンション落とさず長期に渡って続けていくことができるのか?

答えは複数あると思うのですけど、この行為(情報をアウトプットすること)が自分にとってある種「癒し」になっていることは間違いありません。「救い」と言ってもよいかも知れない。メカニズムはよくわかりませんが、これがなければ僕の日々の生活はもう少し窮屈で苦しいものになっているような気がします。

受け手の存在はブログ更新のモチベーションにあまり関係ないようですが、しかし、全く誰も聞いていないというのではストーリーが成立しません。(それならわざわざオンラインで世界中に向けて恥を発信する必要はありません。)もしかしたら誰かが見てくれているかも知れない。その「もしかしたら」が重要で、実際に読者がいるかどうかは、たいした問題ではないようです。

そんなわけでね。今日も「どうでもいい話題」のオンパレードです。

写真のボックスは、小物とかのディスプレー用に置いてあったところを近所のカフェで見つけ、無理を言って譲っていただいたもの。言ってみるもんだなあって思いました。

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