まさかのダウンから退院後、約3週間が経過しました。酒を抜いているせいもあるかとは思いますが、体調は入院する前より良くなっている感覚があります。
僕が患ったのは「腸閉塞」という腸が炎症を起こして機能不全に陥る病気で、直接的な原因は不明ですが、やはり日頃の不摂生、暴飲暴食(特に飲む方)が祟ったことは間違いないようです。
検査の際に腹部のレントゲンを撮り、見せていただいたのですが、まるで死んだ鰻の群れが桶の中で腐乱して浮いているような有様で、素人目にもこれはちょっとマズイことになっているのがよくわかりました。
普段は腸のことなんて全く意識したことはありませんが、こんなになるまで酷使してしまって腸に対して申し訳ない気持ちになると同時に、何も言わずに献身的にボロボロになるまで働き続けてくれた腸に「ありがたい」と思う気持ちも芽生えます。
病室のベッドの上で腸のことをあれこれ考えているうちに、ふと、ある仮説に導かれます。すなわち、「腸は独立したひとつの生命体なのではないか」というストーリーです。彼は僕の体内に存在しているけれど、僕の一部ではない。僕たちはお互い協力しあって生きている、言わば運命共同体。つまり腸は僕の「バディ」であるわけだ。
となると、はて、我々は何のために協力しあっているのだろう?という疑問が生じます。
その答えは頭を捻るまでもなくすぐにわかります。僕と腸が協力しあって成しているものごと=それは「うんこ」以外に考えられません。そう僕たちはタッグを組んで、せっせと「うんこ」を作っているんだ。
原始より動物の排出物は大地にとって重要な栄養分である。これには誰も異論がないはずです。もちろん人間の排出物も。
現在、我々の大便は処理場で分解されて海に流されるもの、つまり生態系の循環に寄与していないと思っていたのですが、ちょっと調べてみると、分解後の人糞を肥料やレンガ(うんこのレンガ?!)などに活用してもいるようで、我々のうんこも全く無駄の産物ではないようです。
そこまで細かく考えずとも、シンプルに人類がうんこを作るために存在するという事実を認めるならば、我々が抱える様々な日々の悩みなど取るに足らない小事にすぎません。地球を回すサイクルの中に自分の席があることを誇りに、腸という心強きバディと共にもりもりと良質なうんこを量産し、残りの人生をまっとうしてまいりたいと思います。
たくさんのお見舞いの言葉ありがとうございました。