震災の年、けっこうハマっていたのがtumblr。ユーザー同士のコミニュケーションがほとんどなく、気に入った記事(多くは写真)を無言でひたすらリブログし続けるドライなシステムは、コミニュケーション過多気味のTwitterやFacebookに疲れはじめていた僕たちの目には非常にスマートに映りました。地球上のありとあらゆる場所から寄せられた情報が同じテーブルの上に次々登場するスケールの大きさ、ワールドワイドな感覚も魅力的だった。世界にこんなにもたくさんの見知らぬ景色やアートやファッションが存在することに驚愕し、それらの情報をコレクトすることができる喜びに心浮き立ったものです。
震災の少し前に父親が他界して、葬式やら何やらひととおりのゴタゴタが片付きそうになったところでグラグラ、そして原発の爆発です。夢中だったはずのtumblrは放置状態に。その間もFacebookとTwitterはずっと(コミニュケーションツールとして)使い続けてきましたから、非常時となったら自分に必要なのは「人とのつながり」であり、アートその他は二の次なんだ。という事実が判明してしまったことになります。
当たり前と言えば当たり前の話ではありますが、日頃から「アートが世界を救う」をモットーに生きてきたつもりの自分としては、ちょっと自身に失望したことは報告しておかねばなりません。となりの家が燃えていても、かまわず弓を引き続けるチェロ弾きのような人間でありたかった。
震災から時間は経過しましたが、僕の人生はあそこで大きく二つに分断されてしまっていて、元だったところにはもう戻ることができません。もっとも、世界は常に変化し続けているものですし、過去についてあれこれ気を病むのはナンセンスかも知れませんね。今の居場所にも夢や希望、美しいものは満ち溢れていますし、僕自身もあの震災によって学んだものごとは少なくなかったように思います。
さておき、久しぶりにtumblrをのぞいてみたら、新しい機能などが付け加えられているものの、当時とさほど変わらない様相で安心しました。
tumblrのダッシュボードに写真や映像が流れ込んで来る様は、僕に巨大な工場を思い起こさせます。冷戦時代の東ヨーロッパとかにありそうな、暗く、寒く、古く、巨大な工場。中央に施されたベルトコンベアに乗って流れてくるオブジェクトを、工員らが選別してせっせと袋にしまいこんでゆく。誰も喋らず、誰も笑わず。構内にはただ、モーターがベルトを回すガラガラという機械音が響き渡っている。
*写真はきのうtumblrで見つけました。どこのブランドのものかわからないが、このシャツは欲しい。
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