愛の定義

ビールが好きで毎日飲みますが、お酒はあまり強い方ではありません。すぐに酔っ払って、調子が良いとアホみたいになって騒ぎ、悪いとぐうぐう寝てしまいます。

初飲酒はたしか中学生で、地域のお祭りで子供たちが公民館に集まった時に、大人の宴用の酒が用意されていたのを見つけ、湯飲みにじゃぶじゃぶ注いで飲みました。興味本位と、あと、下級生もいたから大人ぶってカッコつけたかったのでしょう。すぐに酔ってあっという間に記憶を無くすのですが、その当時好きだった女の子の名前を叫び続けていたことはおぼえています。サカモトさーん好きですー!サカモトさーん!

サカモトさん(どうしても苗字しか思い出せません。)は、転校生で、何が気に入ったかって、彼女の喋る言葉です。僕の家族は東京から移り住んだヨソ者で、現地徳島の人と話す言葉が全くちがいます。住み始めたのが4歳の時ですので、中学生ともなると僕自身はすでに完璧な阿波弁を習得していましたが、家の中と外ではやはり言葉を使い分けていました。

そして、やはり自分がヨソ者という意識は常に傍にありました。さらに体が弱くて暗い少年だったもんでね。友だちという友だちもいなくて孤独でした。そこに突如登場したのがサカモトさんです。彼女の喋り方は僕の知っている故郷(つまり東京です)の言葉と同じではありませんでしたが、日頃耳にしている阿波弁よりずっと親近感がありました。彼女が話すのを聞いた瞬間に、僕と彼女は同じ立場、エイリアン同士うまくやっていけるんじゃないかと直感したのです。

と思ったのは僕だけで、サカモトさんの方は僕のことを見向きもしませんでした。すぐにクラスに溶け込んで、あっという間に阿波弁を喋るようになってね。みんなの人気者です。

男子たちは彼女のことを「恐竜の足」と呼んでからかっていました。彼女は大柄で体格も良く、特に下半身がしっかりしていて太ももなんかも太くてがっちりしていて、まさに恐竜の足みたいで素敵でした。退屈な授業の間、椅子の下から漏れて見える立派なふくらはぎをチラ見しながら、彼女の太い足に抱きついてすりすりするところをよく想像したものです。

僕がサカモトさんを気に入っていたことは彼女も気がついていたと思います。そしてちょっと僕のことを迷惑がっているようでした。

教室の後ろの黒板に標語とか格言を書くコーナーがあって、彼女が当番だった時に「愛とは、お互いを見つめ合うことではなく、ふたりで同じものを見つめることである。」という格言を書いて、キッっと睨むようにこっちを見たことがありました。何だか「あなたには愛というものが全くわかっていない。」と言われたようでショックと言うかちょっと怖かったのをおぼえています。それで、僕は彼女を追いかけるのをあきらめてしまうんですけど、今にしてみれば、全然脈がなかったわけでもなかったんじゃないかという気もしますね。たしかに僕には愛というものが全くわかってなかったのかも知れません。

と、ここまでのお話をFacebookに載せたのですが、友達からコメントが入りまして、どうやらその愛についての格言はサン=テグジュペリから引用されているらしいです。「愛の定義」と言うんだそうな。つまりですね。もし中学生の僕がサン=テグジュペリを読んでいたとしたら、「それって愛の定義だよね?君はデグジュペリが好きなの?」とか言ってサカモトさんとの恋に発展したかも知れないわけです。

あれから40年近くになる今、もっと本を読んでおけばよかったと、ビールを飲みながら後悔しています。

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