南相馬市在住の弟を訪ね一泊二日ひとりドライブの旅。快晴。風も少なく絶好のドライブ日和。
常磐道が今月1日に開通したので、これを利用する。常磐道はもともとあったのだと思っていたら、実は開通間近だったのが震災で中断を余儀なくされたのだそうだ。4年遅れでの全面開通となる。
いわきあたりまでは中央道や東名とあまり変わらない。混雑もなく走りやすい。友部のサービスエリアを通過。ちょうど昼時だったが、もう少しローカルで小さなSAで食事しようと思ってスルー。いわき中央ジャンクションから突然片側一車線となる。路肩も狭く、ここで事故やパンクがあったらけっこう面倒なことになりそうだと思った。あまり需要がないのか交通量は少なく、渋滞もない。周辺に住居がないから防音壁もほとんどなくて、思う存分景色を眺めることができる。ただ見て面白みはない。退屈な茶色い風景がどこまでも続いている。
四倉パーキングエリアでトイレ休憩。ここまで185kmをノンストップで運転してきて、さすがに少し疲れた。腹が減っていた。食堂はなし。せめて売店でもあればと期待したが、自動販売機があるだけ。20kmのならはPAにも寄ってみたが、そこにもフードサービスはない。ルート情報を確認すると、常磐道下り線は友部を過ぎると食事を取れるPAがないことが判明。失敗した。
常磐富岡インターチェンジからルートは原発事故の影響による、いわゆる「帰宅困難区域」へと入っていく。ここから先は二輪車での通過が禁じられている。道路脇に放射線量を知らせる掲示板が設置されていて、最初0.2(マイクロシーベルト/時)だったのが、2.5、3.5、5.0、と、原発に近づくに連れて上昇していく。相変わらずの単調な景色。畑だか田んぼだかわからない荒れた茶色い土地にぽつぽつと民家。おそらく明治時代ぐらいからたいして変わってないのではなかろうか。ただし、今はあちこちに放射性廃棄物の入った黒いシートが積み上げられている。
午後3時。南相馬はもう間近。放射線の数値は5ポイント台をマックスに、いつしか0.2レベルに減少していた。時おり遠くに見える海のエメラルド色にハートがゾクゾクしていた。頭の中ではマイケルジャクソンがビリージーンにのせてセクシーに腰をふりふりダンスし続けていた。空腹感はすでに頂点を超え苦痛ではなくなっていた。体内に心地よい「振動」が築かれていた。
アクセルを踏み続け、気がついたら仙台にいた。
市内に入ると、そこは渋滞のカオスだった。マイケルジャクソンは踊るのをやめ、ふてくされて地面に座り込んでしまっていた。車内のムードは醒めて冷え切っていた。忘れていた苦痛が戻ってきた。すなわち僕は恐ろしく空腹だった。押し寄せるゾンビたちをかきわけ、ようやく駅近くの駐車場に車を停めた。前に仙台に来た時に、駅のレストランで食べたトマトソースのスパゲッティが美味しかったのを思い出し、記憶をたどりながらその場に行ってみたら、レストランはなくなって切符売り場になっていた。
寿司屋の看板を見つけ、矢印に従って歩むと、5、6件の寿司屋がのれんを掲げるエリアに出た。そのひとつに入ってカウンターに席を取った。ほやの刺身、蒸した貝の盛り合わせ、刺身の盛り合わせ、握り寿司、それからノンアルコールビールを注文し、出て来た順にパクパク食べた。すべて美味だったが、中でも貝の蒸し汁が最高だった。スパゲッティのレストランがなくなっていて、ちょっとラッキーだった。
南相馬に到着したのは日がどっぷり暮れてからのことだった。仕事を終えて帰宅した弟と合流し、彼のなじみのレストランに行った。平日だというのに店内はほぼ満席だった。「今日はたまたま」とは店主の弁だったが、実際、このエリアの飲食店や商店の置かれた状況は、一般的な地方の町とは事情が異なるようだ。
おっと、それについてはここでは語らない。
サラダとスパゲッティとピザを食べ、ハートランドビールを3杯飲んだ。メニューはなくて(あるのかも知れないが)こちらのペースに合わせて適当に食事が出てくる。どれもとても美味しく、仙台でスパゲッティを食べなくてよかったとここでもまた思った。
体調によって飲める日と飲めない日があって、今夜はその「飲めない日」であるようだった。まだ夜は早かったが早々に退散することにした。タクシーは台数が少なく、呼んでもいつ来るかわからないので、歩いて帰った。夜空には雲ひとつなく、星がキラキラと輝いていた。何だ?この小学生みたいな表現は。でも本当に、星がキラキラと輝いていたのだ。
弟のアパートに着き、風呂に入り、こたつでぼおっとしていたらいつの間にか寝ていた。何時間ぐらい寝たのだろう。喉が渇いて目が覚めた。つけっぱなしのテレビが深夜番組を放送していた。弟はベッドでいびきをかいていた。冷蔵庫を開けると中はほぼ空っぽだった。1本だけ転がっていたポカリスエットのペットボトルを拝借して、蓋を開け、ぐびぐびと一気飲みした。酔いは完全に醒めていた。普段ならここから飲み始めるところだが、翌日の運転のことを考えて飲むべきではないと判断した。パソコンを開き、FacebookやTwitterなどを行ったり来たりして、朝6時ぐらいに今度は寝る前に弟が敷いてくれていた布団に入って寝た。
9時に起きて、歯を磨き、布団を畳んで、身支度を整え、奥さんにメールをして、アパートを出た。予報どおり、「初夏のような」天気だった。大通りは少し渋滞気味だった。3年前にここに来た時、ほとんど車が走ってなかったことを思い出した。弟のアパートの近所に大きなスーパーマーケットがあって、内容はともかく、外見がグアムやハワイにありそうな、いかにもアメリカンな風貌で、前に立っているだけでまるで海外旅行に来たかのような高揚感が湧くのが好きで、今回もそこに立ち寄ることにした。
スーパーの駐車場には開店を待つ客が乗った車がすでに10台近く停車していた。時計9時55分。10時が開店時間なのだろう。僕も彼らに混じって車を停め、向かいのセブンイレブンでコーヒーを買った。セブンのコーヒー。ドトールもスターバックスもない南相馬では貴重な存在だ。一説には旨く感じさせるために薬が入れてあるなんて噂も飛び交うが、ま、仮に毒入りだったとしても、日本全国どこにいても、朝のコーヒーが簡単に手に入るのは、やはりありがたい。
車に戻ってみると、ずいぶん枠からはみ出て停車していることに気がつき、エンジンをかけて駐車し直そうと思ったら、後ろの車にクラクションを鳴らされた。頭の狂ったヒゲ野郎がぶつけに来るとでも思ったのだろうか。その車はすぐさま移動して別の場所に駐車していた。
スーパーで菓子パンをふたつ買った。のろのろ渋滞の列に加わってルート6を目指した。
ルート6、国道6号は東京都と仙台を結ぶ一般国道。概ね常磐道と並走している。ルート内に原発事故の影響による警戒区域(現在は帰宅困難区域)を含むため一部の区間の通行が禁止されていたが、昨年9月から規制が解除された。とはいえ、通行できるのは車のみ、徒歩、自転車、バイクなど、生身の身体を晒した状態での通行は禁止されている。また、帰宅困難区域内での停車は禁止ということになっている。
要するに「通ってもいいけど、止まってはいけない。」というわけだ。これと全く同じセリフを25年ぐらい前に聞いたことがある。その時、僕たちは車でオランダから東ドイツを横切って西ベルリンに入ったのだけど、東ドイツへ入る際に検問所で言われたセリフがまさに「到着するまで決して車を停めてはいけない。」というものだった。それが法的なルールだったのか、身の安全のための忠告だったのかは知る術もないが、その体験は今でも色濃く僕の記憶に刻み込まれている。(実際には現地の警察に止められてカツアゲくらったりした。)
ルート6に入るとすぐに見覚えのあるセブンイレブンがあった。3年前に来た時に、そのセブンの目の前にバリケードが設けられていて、そこから先は立ち入り禁止に指定されていた。中に入れるのは、しかるべき手続きを踏んだ者だけで、彼らがここで車を停めて、白い防護服を着込んでいる様子を見ることができた。
バリケードの物々しい雰囲気と、淡々と営業するコンビニエンスストアの対比が強烈で、このシーンも僕の脳裏に深く記憶されている。
セブンイレブンでミネラルウォーターを買い、ふたたび国道6号に入っていく。浪江町、双葉町、大熊町、富岡町、楢葉町、、テレビのニュース番組などで何度も名前を目にしたことのある町、現在でも人が住めない帰宅困難区域を通過する。不謹慎かも知れないが、その20kmあまりのドライブから連想したのは、映画ジュラシックパークのアトラクションだった。それぐらい現実味がない。とてもこれが現実に起きていることとは思えないのだ。
国道から横にそれる全ての道路にはバリケードが貼られて入れないようになっている。信じられないことに、バリケードの前には警備員や警察が立ち、不審な動きをする車がないか目を光らせている。しかも彼らは誰ひとりとして白い防護服を着用していない。バイクで通行することすら禁じられているエリアだぞ?あちこちで除染作業に勤しむ労働者たちの姿も見てとれる。彼らも防護服は着ていない。
田舎の国道にしては、道路脇に大型店舗が多いのが目に付く。洋服の青山、メガネドラッグのような誰でも知っているような店から、アミューズメント施設、カーショップ、地元民の経営する飲食店まで、10km以上にわたって数々の店舗が連なっている。寿司のアトム。パチンコアトム。意識的に見ればいかにも原発に乗っかった風な名称の店も少なくない。そして、全ての店は、もちろん、営業していない。
目にしたものを正確に表現する言葉を僕は持っていない。震災後、津波で瓦礫に埋もれた被災地の姿は、あれはショッキングだった。破壊するにしても何でここまで邪悪な壊し方をしなくてはならなかったのか、神に問い正したくなるぐらい、酷い有り様だった。誤解を恐れつつも敢えて言うが、僕はそこに誰かが「怒り狂っている」意思のようなものを感じた。
今、目の前に広がっているのは、それとは全く異なる世界だった。そこは静かで、静かで、ただ、静かだった。例えば未来、人類が完全に消滅した後に、宇宙人が地球にやってきたとして、彼らが最初に見るであろう光景は、まさにこんな感じになるのではなかろうか。
廃墟の世界を割って両脇をバリケードに挟まれた道路が走っていて、乗用車を始め、トラックやダンプカーやタンクローリーが普通に行き来している。ドライバーたちが何を考えながら運転しているかは知りようもないが、少なくとも彼らが、取り乱したり、混乱したり、落ち込んだりしている様子は感じられない。彼らにとってはこれが日常なのだ。
「帰宅困難区域ここまで」のサインが見えたと思ったら、すぐに食堂が営業しているのを見つけた。駐車場にはけっこうな数の車が停まっていた。こちらはと言えば、とても食事をするような気分ではなかった。しばらく走っていると、視界の隅にエメラルドグリーンの海が見えた。海の手前には線路が走っていて、その手前は放射性廃棄物の置き場になっているようだった。道をそれて線路の土手の下で車を止めた。線路によじ登ってみると、海はまだけっこう先の方にあった。
いわきから常磐道に入って柏で下りた。渋滞をかきわけて我孫子へ。友人が経営するカフェにたどり着いた。コーヒーを飲み、他愛のない世間話を交わした。もし飲んだのがコーヒーでなくてビールだったら30時間ぐらい喋り続けたかも知れない。
店を出たらいつもの僕に戻っていた。真っ赤な口紅を塗った白いTシャツの女の子が歩いていたら声をかけるんだけどな。