横浜マラソン2015

横浜マラソン2015に参加した。そのレポート。

練習:1月まではマラソンのための練習は全くやってない。2月になってさすがにこれではマズイと思い10km程度のジョギングを3回。本番のおよそ2週間前となる3月2日に20km走ってみたら、足に痛みなどが出なかったので、仕上げに翌週30kmぐらい走ってみるつもりでいたが、直前の追い込みはオーバーワークになるとの話を聞いて中止。結局、今回のマラソンのために走った合計距離はたったの71km。回数は7回。

作戦:練習量がこれだから、最初から(歩かずに)完走できるとは思っていなかった。ウォーキングを入れながら、どうにか制限時間以内にゴールするのが目標だった。キロ7分ペースで25km走ることができれば、残りの37kmは時速5kmのウォーキングで、ちょうど制限時間6時間でフィニッシュすることができる計算になる。6分台で行けるところまで走って残りは歩いてゴール。これが大まかな作戦。 

 前日:前日受付に行って規模の大きさに少しビビる。この日はさすがに酒を抜いた。なかなか寝付けずに苦労したが、本番が近づくにつれて根拠のない自信がフツフツと湧き始めていた。すなわち、歩かずにゴールできるかも知れないと考え始めたわけだ。

当日:5時起床。薄い睡眠だったが5時間近くは眠ることができた。(歩かずに)ゴールする自信はいつしか確固たるものになっていた。走ってゴールしよう。と心に決めた。朝食にモチ。奥さんがおにぎりを持たせてくれた。

ルール:走ってゴールすると決めたからには、一歩でも歩いたら負け。止まって休憩したり、ストレッチするのはオッケーとした。また給水時やスタート時の混雑の中でのやむを得ない歩きはカウントしない。

スタート前:余裕を持ってスタートエリアに入ったせいで、寒さの中で待機することになってしまった。防寒のためにウインドブレーカーを持参していたが、寒さは予想以上で、ものすごく辛かった。あまりにも寒くて腹が立った。正直、帰ろうかなと何度か思った。

スタート:号砲からスタートラインにたどり着くまで30分近くかかった。体は冷え切っていて、悲しかった。二度と冬のマラソンには出ないと固く心に誓った。

スタート〜5km:みなとみらいから市内、山下公園の横の道路など「ザッツ横浜」なエリアを走る。「歩かずに完走。」を目標に掲げたために、作戦も変更した。できるかぎりペースを落とし、体力を温存し、筋肉への負担を減らし、のろのろ走りで、しかし一歩一歩確実にゴールを目指すことにした。

5km〜10km:とにかく寒い。のろのろ走りで体が温まってこないのも寒さの原因のひとつだろう。かじかんだ指先が痛い。コースは郊外の倉庫工場地帯。頭の上を首都高が走っている。応援も少なく、見るものもなく、たいくつな景色が続く。

10km〜15km:iPhoneのNIKE RUNが5kmごとにペースや走った距離を教えてくれる。それとは別に今日は時計も持っている。キロ7分半ペース。歩くようなスピードだが、これなら永遠に走り続けられるような気がする。背中にはトレイルラン用のキャメルバックを背負っていて、水、ゼリードリンク、雨、タオル、替えの手袋などが入っている。混雑が苦手なので、前半は給水所は無視することにしていた。

15km〜20km:15kmから携帯している水を摂取し始める。何度にもわけてこまめに給水する。折り返し地点までは足を一歩も止めずに、リズムも変化させないつもりでいた。もし、前半の時点で足や体に不調が出るようだったら、とても歩かずには完走できるはずもなく、作戦を再変更する必要が生じると思っていた。今のところ問題はなさそうだ。正確にキロ7分半を刻んでいく。

20km〜25km:相変わらず単調で面白くない景色。僕はイヤホンから聞こえてくるオーディオブックの小説の朗読に集中する。英語なので、時々意味がわからなくなるが、走るにはそれぐらいがちょうどいい。ありがたいことに体に不調はない。折り返し点を通過した後、コースは通行止めの首都高速へ。高速道路を走れるということで最初だけ気分が上がるが、入ってみれば何のことはない、永遠に続くかと思える単調な道。しかも、ずっと斜めに傾いていて走りにくい。

25km〜30km:26kmを過ぎたあたりで、突然、足に違和感。どこかが痛いか重いかするのだけど、どこが問題なのか特定できない。止まってストレッチして、また走り出す。痛みは消えているが、しばらくするとまた痛み出す。そのように止まったり走ったりしているうちに、いつしかめちゃくちゃ調子が良いことに気がついた。28km。下り坂にまかせて加速した。まわりにはもう歩き始めているランナーもいた。他のランナーたちもペースは遅い。ぐんぐん抜いていくのが気持ちよかった。

30km:また足に重さがやってきて、少しスピードを落とした状態で30kmポイントに到着。「30kmからは強い精神力が必要だ。」と青山くんが言っていたのを思い出す。一度足を止め、プラカードをバックにiPhoneで記念写真を撮った。そこで突然iPhoneの電源が落ちた。気まぐれなiPhoneにかまっている時間はないので、そこからはNIKE RUNもオーディオブックもなしで行くことにした。バッグからキットカットを出して食べ、タオルで顔を拭く。手袋を交換する。ストレッチをして気合を入れ直す。「さ、ここからが本物のレースだ。」

30km〜35km:足は休憩前より重くなっていた。でも、気持ちはまだ前を向いていた。痛みに耐えられなくなったら止まってストレッチして、また走り出す。というのを繰り返す。気を紛らせるために、ほぼすべての給水所に立ち寄った。トマト、おにぎり、きゅうり、アンパン、飴、レーズン、、。空腹ではなかったが手を出さずにはいられなかった。

35km:集中力が途切れ始めた。ミシェルが「1歩1歩を楽しんで。」と言っていたのを思い出し、ひとつひとつのステップに集中してみようと思った。右、左、右、左、を繰り返しているうちに、さっきみたいに痛みがどこかに消えるかも知れない。しかし今回はそううまくはいかなかった。下半身の関節という関節、筋肉という筋肉を、何百もの律儀な金槌でコツコツと叩き続けているような悪夢的な痛みだった。それでも僕は走っていた。ふと、後ろからランナーが歩きながら僕のことを抜いていった。そのすぐ後からもまたランナーが歩きで僕を抜いていった。今や僕は歩くよりも遅いスピードで走っているらしかった。時計を見ても時間の計算ができない。このあたりからしばらく記憶が途切れ途切れだ。

38km:「歩いてしまえ。痛みから解放されるぞ。さあ、歩くんだ。」と悪魔が耳元で囁いた。僕はそれに従った。

歩き始めてすぐに、僕の思考は正常に戻っていた。僕は自分に失望していた。「残り4キロですよ。がんばって!」と沿道でギャラリーが叫んでいるのが聞こえた。

40km:僕は負け犬だった。負け犬は負け犬らしく、このまま歩いてゴールしようと思った。ここまで歩いてきて、最後だけ走って笑顔でゴールなんて、まるで偽善者だ。ゴール手前はたくさんの応援の観客でごったがえしていて、彼らの前に歩く姿を晒すのは屈辱だったが、僕は屈辱を受け入れるべきだと思った。明日のFacebookに僕は今日のことを何と書くだろうか?「神さま、僕は根性なしのクソ野郎です。」とでも書くのだろうか。たぶんそうだろう。

残り300m:「マックさーん。」と声がした。沿道にヒデくん一家がいて、笑顔でこちらに手を振っていた。僕は彼らに近づいて行って、それぞれの手にタッチした。「ダメでした。歩いちゃいました。」と僕は言った。「あと少し、ここから最後がんばって。」と誰かが言った。

ゴール:僕は笑顔で彼らにお礼を言って、そこからゴールに向けて一目散に走り始めた。走りながら「何だ、まだ走れるんじゃないか。」と思った。

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