奥さんが釜揚げのしらすと桜海老を買ってきた。これを遅い朝食にいただく。奥さんがネギを細かくきざみ、しょうがをすりおろしてくれる。ネギのカットぐらい僕にもできるが、彼女の方がずっと手際がよいし、盛り付けも上手だ。包丁がまな板をたたくトントンと小気味のよいリズム。窓の外では曇り空に蝉たちがあらんかぎりの叫び声を上げている。
僕は寸胴鍋の底に水を5センチぐらい張って火にかける。鍋は2人ぶんの量のパスタを茹でるのにちょうどよい大きさ、サイズは家庭用だがプロ仕様で使い勝手がよい。結婚したときに友人がプレゼントしてくれたのをもう20年も使っている。
鉄瓶にお湯を沸かす。
寸胴鍋ではお湯が沸騰している。カフェオレボウルによそったきのうの夜のごはんを取っ手付きのざるにすぽりと入れ、鍋の上にセットしてペーパーナプキンをかぶせて蓋をする。我が家には何故かどんぶりがない。しょうがないので大盛りライスを食べたいときはカフェオレボウルを使用する。蓋の下で冷や飯が蒸気を受ける様を想像して僕は何か嬉しい気持ちになる。
急須に緑茶、鉄瓶のお湯を注いでしばらく蒸す。1杯めを仏壇に、2杯めはマグカップに。カップにはエッフェル塔とルイヴィトンのモノグラムをパクったみたいな花柄のイラストとPARISという書体文字が印刷されている。
蒸し上がったごはんが誇らしげにテカテカ光っている。桜海老としょうがとネギをごはん、冷たい醤油をかけ、箸にのせて口に運ぶ。桜海老のひげが口の中をくすぐり僕にある種の罪悪感をもたらす。神が予言する。おそらく僕は将来すすんで昆虫を食べることになるだろう。僕は想像する。釜揚げにした大量のイナゴやバッタをほおばってむしゃむしゃと咀嚼することを。
僕は桜海老がいちばん好きかも知れない。鰻よりもね。
と僕は言う。
あなたは桜海老を食べるたびに必ずそのセリフを口にするわね。
と奥さんが言う。
思い出した。奥さんも毎回このシチュエーションで必ずそのセリフを口にする。
A.桜海老としょうがとネギのチームとB.しらすとしょうがとネギのチームの間を行ったり来たりした後に禁断の「ぜんぶいっしょ」タイムが到来する。おおかたを食べ終わり、カフェオレボウルの内側に激しくこびりついた米粒の始末にかかる。冷や飯を蒸すとなぜかこびりつきが酷くなるのだ。科学者ならその理由を説明できるだろうか。なんてことを考えながらマグカップの熱いお茶をじゃぶじゃぶとボウルに注ぐ。箸で米粒をこそぎおとし、お茶と共にのどの奥に流し込む。これぞお茶漬けだよなあ。なんて思う。
僕の首筋にエアコンで冷やされた空気があたっている。他は湿度高くぬるまっちい空気が部屋の中を支配している。