箸を洗う

魚を揚げた油のにおいが
まだ部屋に残っている
夜になっても気温はさほど下がらず
湿度の重い空気に
テーブルやグラスや床の敷物や
目に入るものすべてがベタベタねとついている

ガス台に飛び散った油にうんざりしながら
食器洗いにとりかかる
皿は皿
茶碗は茶碗
食器を種類ごとに分けて重ねる
何ごとにも秩序が必要だ

いつも最後に
箸の束が残る
そのままに洗わずに
奥さんに後を委ねることもある
シンクの中の箸
苦手なものごとのうちのひとつだ

箸を洗っていると
僕はいつも
同じ時と場所に導かれる
1991年
渋谷の公園通り

今は取り壊されて跡形もないビルの中に
和食器を取り扱う雑貨屋があった
僕はその店で
カラフルでポップなデザインの箸を見つける
購入する気持ちはほぼ確定していたが
僕は店員の女の子に質問を投げかける

このコーティングはゴシゴシ洗うと落ちちゃいませんかね?

その箸には砂粒をまぶして塗料を塗ったような
特殊なコーティングが施されていて
独特の手触り感を醸していた

僕の質問に店員は

お箸はゴシゴシ洗ったりしませんよね?

と逆に質問で返してきた

僕は何だか悪いことを言ってしまったような気持ちになって
小さな声で
そうですね
と言って
代金を払い
逃げるようにその店を出た

違うんだ
コーティングのことなんか
どうでもよかったんだ
僕はちょっと
店員とコミニュケーションをはかりたかっただけなんだ
別にその店員が美人で気に入ったとか
そういうことじゃない

東京に住んでいて
渋谷で買い物をして
そこの店員と
軽い世間話をしている

それが僕の
他愛もないストーリー

店員の女の子はきっと
そんな僕の頭の中を
見透かしているのだと僕は思った

あんたのチープなストーリーの中に勝手に私を入れないで

それが彼女からのメッセージだった

箸を洗う時
僕は必ずその小さな事件のことを思い出す
僕は絶対に
ショップの店員に世間話などを
持ちかけてはいけなかったのだ

最後に5人分の箸をゴシゴシと洗い
洗い物受けに立てかけて
キッチンの明かりを消す

戸締りするために
窓を開けると
25度くらいに冷めた風が
室内にこもったギトギトした空気をさらって行った

おやすみ
今日は疲れた
アルコールなしでも眠れそうだ

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