コーヒーブレイク

平日、午前中の青山。曇り空。熱を帯び湿った空気が重く街にのしかかっている。通りの店らはすでにドアを開けていたが、人の姿はまばら。ふと目についたカフェに入店した。朝の準備で忙しいのか、あるいはフランスの様式を真似たのか給仕の愛想はない。私はカフェで歓迎される要素を何ら持たない初老のダメ人間で(そして年甲斐もなく半ズボンを履いている。)自らそれを自覚しているので、私自身はそれで全くかまわないのだが、私の登場によって彼女たちの気分が少なからず害されたならば、それはこのあと、この店を訪れるお客の気分にも悪影響を与える要素になり得るわけで、それは私の本望ではない。

それも自意識過剰かも知れない。よく考えてみれば、ただ訪れただけでひとりの人間の気分を変えるほどの存在感が自分に備わっているとは思えない。彼女は単に機嫌が悪いか、そもそも機嫌が悪い人なのだろう。

誰もいない広々としたテラスのひとりがけソファに席を取り、コーヒーとケーキを注文。ほどなく給仕がそれらを運んできた。テーブルの位置が低く、彼女がケーキを置く時に前屈みになったせいで、大きく開いた胸元から胸の谷間がちらりと見えた。そういう時に動揺しないクールな人間でいたいと日頃から思っているが、おそらく私は取り乱したであろう。給仕は何も気がつかないふりをして店内に去っていった。

コーヒーは薄く、ぬるく、チョコレートのケーキは趣味が合わなかった。ソファの座り心地もイマイチだったし、テーブルは低すぎた。しかし私はこのひとときを楽しんでいた。ひとりでカフェに入ってコーヒーを飲むこと自体が数ヶ月ぶりのことだった。その行為(つまりカフェを訪れること)が、私の生活にとってどれだけ救いであるかをあらためて体現したのである。悪いことばかりではない。ケーキの上にちょこんとのせられた小さな赤いマカロンが美味だった。

ケーキの皿にチョコレートで文字が描かれていた。私の知らない言葉だった。フランス語かと思ってグーグルで調べてみたらマオリ語で「姿を消す」という意味だった。それがこの店で働く女たちの希望なのか、何らかの予言なのか、私にはわかりかねた。いずれにしても私はこの店に歓迎された客ではないようだった。

アイヌ人だったか、人の命名に動詞や形容詞を用いるという話を聞いたことがある。例えば「昇る黄色い太陽」とか「死せる美しい熊」とか、そんな感じだろうか。既存のルールを無視して勝手に自分に新しい名前をつけることができるなら「姿を消す」はミステリアスでなかなかクールな名称であるような気がする。

病人のひとりごと

自戒を込めて記録しておくけど、FacebookとかSNS「やめます」と宣言するタイプの人はほぼ間違いなく戻ってくるね。ほんとにやめる人は何も言わず静かに去っていく。死ぬ死ぬと言ってずっと生きてる人いるけど、それと同じだよね。SNS、何ひとつ楽しくなくてね。だいたい他人のこと興味ないし、誰ともつながりたくないし。自分のあげた記事は反応がなくて凹むだけだし。あまりにも反応がないからアカウントいくつも持って、記事作るの忙しくってしょうがない。一日中そればっかりやって、反応なくてまた凹んで。

SNSやめたら相当楽になるはずだってわかってるんだけどね。やめられない。ドラッグみたい、っていうかドラッグそのものだ。僕がはまったドラッグの中ではいちばんタチが悪い。タバコも酒もテレビもやめられたんだけどね。SNSはやめられない。せめて1日、1日だけでもやめてみようか。たぶん無理だろうな。これ書いている間にもう100回ぐらいインスタとかチェックしている。インスタの画面開く度に気分が悪くなる。やめりゃいいのに。今も気になってしょうがない。病気かな。病気だね。

Facebook広告やってみた

作った曲をiTunesなどで販売しているが、僕は事務所やレコード会社のバックアップがないフリーランスのアーティストなので、ただ売っているだけでは何も起こらず、自分で何らかの告知活動を行わなくてはならない。告知の手段としてはまずSNS、なご時世だが、フォロワの少ないアカウントから宣伝したところでたいした効果は期待できぬ。それでも何もやらないわけにはいかないので、タイムラインに散々流れてくるFacebook広告をやってみることにした

ひとまずは5日間10ドルのコースにエントリー。iTunesのサイトへ導くリンクが貼られた記事が対象。エリアは昨年のヨーロッパツアー で回った各国と、アメリカ、そしてブラジル、少数なれども僕のKOTAとしての音楽活動を知る人たちがいる可能性がある国を選択した。年齢層は10代から60代と幅広く設定した。

まだ5日の期日を消化していないが、3日目で広告の記事に付けられた「いいね」が400オーバー、今もどんどん増え続けている。普段ならひとつの記事に付く「いいね」は多くても5ぐらいだから、絶大な効果と言ってよいと思う。広告代金を「いいね」の数で割ると、1いいねあたり0.01ドル以下。あまりの高パフォーマンスにこれはヤラセなのではないかと疑い、反応があったいくつかのアカウントをチェックしてみたが、実在しない人間によって作られた偽アカウントの類ではなさそうに見える。Facebookもそこまで悪どくはないようだ。

ただし広告効果という点では疑問は残る。「いいね」を押したクライアントの中で実際にiTunesサイトへのリンクをクリックしたのはわずか6人。400人以上の人が「いいね」をしているのにも関わらず、彼らは肝心の記事の内容には無関心なのだ。こうなってくると「いいね」の価値というか意味が不明だ。何を思っての「いいね」なのか理解できない。

単純計算になるが、iTunesのサイトまでクライアントを誘導するために1人1ドルと算出できよう。それを高いと思うか否かは広告を出す者によってそれぞれだと思う。よくわかったのは「いいね」は金で買える。という事実だ。たくさんの「いいね」でページをにぎやかにしたいユーザーにとってはある程度有効な広告システムではあろう。ただ「いいね」を金で買ったかどうかは、そのアカウントを見ればすぐにわかる。むしろ印象が悪くなるという懸念も拭えない。

興味深いのは、「いいね」をくれたユーザーの居住地である。ほとんど全てがブラジル人と言ってよい。ヨーロッパ及びアメリカ各国のユーザーは僕の広告をほとんど「無視」した格好だ。彼ら欧米のFacebookユーザーが広告に引っかからないのは、おそらくそれだけ長い期間Facebookを使っているということなんじゃないかと僕は推測した。自分自身を振り返ってもそうだったが、Facebookを始めた当初は、広告とは意識せずに記事をアクセスしたり、情報を集めるためにせっせと他人のタイムラインをチェックしたりしていた。今は親しい友人の記事ですらほとんど見ることもない。ブラジルのFacebookユーザーにとっては、まだまだいろんなことが目新しいのではなかろうか。

以上、広告の目的はファンの獲得、それ以前に、まずは作った曲を10秒でも聴いてもらうことであり、大量の「いいね」をもらうことではなかったので、その意味ではこの投資(というか出費)は失敗に終わったと判断すべきだと思う。でもまあ、内容が把握できたのはよかったし、何よりもアカウントを開けるたびに大量の「いいね」が付いていく様子は見ていて爽快だった。もう一度やるかと聞かれればちょっと考えてしまうが、まあ今回の10ドルは惜しかった気はしていない。

余談だが、サウンドクラウド経由で「おまえをもっと有名にしてやるよ」と言ってきた輩がいて、方法を問うたところ「Facebook広告で告知する。」と堂々と返答してきた。プロフィール写真を見て僕のことをよほどバカな奴だと思ったのだろう。

Born to lose

LAURYN / A.D.S.R

ここ数年、ほとんどずっと毎日かけ続けているサングラス。もはや僕の顔の一部、というか顔そのものと言ってもよい。こうやって写真を撮っただけで自分の顔に見えてくるぐらい愛着がある。昨年壊してしまって、新しいのに買い換えたのに、今度は紛失してしまった。日本の新鋭メガネブランド A.D.S.RのLAURYNというモデル。知らなかったが同ブランドの定番商品であるらしい。ネットショッピングで見つけてすぐさま購入した。これが3本目になるわけだが、4本目、5本目の可能性は安易に想像できる。デザインは完璧すぎるぐらい完璧でかけ心地も非常に良好なのだが、あえて苦言を申せば、少々高級感に欠ける。フレームの素材だろうか、全体として少し安っぽい感じがするのは否めない。ストリートの若者向けのブランドと言ってしまえばそれまでなのだけど、おじさんとしては、このままのデザインでハイラグジュアリーブランドばりの質感を持ったものが見てみたい。値段も今の倍ぐらいしてもいいと思う。モノは安ければよいというわけではない。

外出するのにマスクが必要で、ただでさえ気分が落ちる中、お気に入りのサングラスをなくして意気消沈していたが、これで少し外に出る気がしてきた。と、思っていたら、梅雨入りが発表されたとのこと。実は頑張ってトムブラウン で買った傘もこの春に紛失したばかり。あまりに傘をなくすので高価なものを持てばなくさないかと思っていたが結果は同じだった。このまま紛失し続けながら残りの人生を生きるか、ギラギラ太陽の日にも素目で、雨が降っても傘をささず、何があっても外出をしない生活をするか。

モニターヘッドホン

モニターヘッドホン/Pioneer DJ HRM-5

外出自粛生活では悪いことばかりでもなく、ひとつには金をあまり使わないで済むというのがあります。カードの請求明細の金額が通常の半分、出費が多い月に比べると5分の1ぐらい。こうなってくると普段どこにどう金を使っているのか不思議な気分にすらなります。(おそらく半分は服とレコードなのでしょうが。)今の生活で特に物が無くて不自由ってことはないので、普段は知らぬうちに無駄なことにお金使ってるってことなんだろうな。

日々のハードユーズでヘッドホンの具合が悪くなってきたので、モニター用にヘッドホンを購入しました。DJ機材ではトップブランドのPioneerDJも専門分野外とあってか、あまりこれを奨める人がいないみたいなんだけど、僕はDJ機器はプレーヤーからスピーカーまでひと通りPioneerDJで揃えていて、ある程度信頼しているので、あまり迷わずコレに決めました。他と比べてないので何とも言えないのですけど、まあ値段なりの役割はしっかり果たしていると思います。一番気になる装着感は少々タイトだけど、許容範囲内。1時間とかなら着けっぱなしでも痛みや違和感なく作業できそう。音漏れにこだわるとある程度キツめに設計しなくてはいけないのは理解できます。その、音の遮断性は高いと思います。僕のスタジオ部屋の真上で娘がピアノ弾いてるの、全く気にせず作業できます。他のPioneerDJ製品同様、デザインは何も面白くないですが、そもそもヘッドホンで気に入ったデザインのものにあまり出会ったことがありません。(CHANELがヘッドホン発売した時はちょっと欲しいなと思ったけど、たしか150万円ぐらいしたっけ?)

ちなみに僕はDJでは同じPioneerDJの2000mk2-Sを使っています。もう生産終了品だけど買った当時は最高峰モデルとされていました。パーツは劣化したら交換できるので、よほどデザインのよいものと出会わない限りは、このまま使い続けると思います。散歩や電車に乗るときの普段使いはMarshall。これは前にもここで紹介しました。ロシアの軍用機で使用されていたヘッドホン付き飛行帽というのも持っているのですけど、音は鳴りません。

お知らせ

ビリー凱旋門との新しいユニットは、名称を「THE TOKYO COWBOYS/東京カウボーイズ」に変更し、海外進出に向けて本格的にプロモーション活動を開始することになりました。まずはアルバムの制作→リリース先のレーベル探しからスタートしワールドワイドに活動してまいります。

上記に伴い、現在Bandcampから配信しているトラックを一旦削除することになりました。レコードレーベルとの契約がしっかり決まったらまたご案内させていただきます。短い期間でしたが、ご試聴、ダウンロードいただき、たいへんありがとうございました。尚、いくつかの曲はSoundCloudなどで試聴できるよう現在調整中です。引き続き応援よろしくお願いいたします。 

アートワークは悩ましい

曲を作ってウェブに投稿。まあ砂漠に水を撒くような作業を毎日あきずに続けています。投稿するのは音楽ですが、必ずアートワークが付いてきます。僕のことを知らない人はまずジャケットを見てその曲を聴くかどうかを判断するので、プロモーションという意味では曲そのもの以上に重要なのがアートワーク。これも当然自分でやります。曲作りの方もまだかけだしですが、こちらはもっと素人。僕のまわりにはグラフィックデザイナーやイラストレーターなどグラフィック関係の友人が多いので(音楽関係者より多い)お願いすれば、かなりお安く相談にのってもらえるのですが、まあとにかく彼らは時間がかかります。グラフィックの世界では商品の売価の相場がだいたい決まっているので、稼ぎたければ数をこなすしかないというシステム。なので売れっ子は常に仕事に追われていてとにかく忙しい。友人からの依頼はそれらの仕事の隙間、もともと少ない睡眠時間を削ったりして対応するので、どうしても時間がかかります。僕は朝に思いついたフレーズをその夜には商品にしてオンラインに載せるというペースで曲を作っているので、それに対応できるデザイナーは世界中探してもいません。なのでしょうがないから自分でやることになります。素人がゼロから作るのはなかなか困難なので、雑誌やインターネットで拾った画像をコラージュするのですけど、やはりここでも著作権の問題が。

盗用は音楽もそうですけど、やはり素材、つまり元の作品のクオリティがそのまま反映されます。一流のフォトグラファーが撮影した写真は切ったり貼ったりしてもやはりいいんですよね。逆に著作権フリーで無料ダウンロードできるようなものは煮ても焼いてもどうにもならないことが多いです。

冒頭の写真は、今回の曲に合いそうと思って作ってみたイメージ。90年代のアレクサンダー・マックイーンを着用したモデルを撮影したファッションフォトですが、このままジャケットにして、万が一曲が売れたら後日盗用問題になりそうな気がするし、これ以上手を加えて元が何だかわからなくしたのでは意味がないということでボツにしました。こんな写真、誰でも撮れるじゃん、と思うかも知れないけど、撮れないんだよなあ。

画像をクリックするとbandcampのサイトに繋がります。今回はちょっとジャズ的な要素も入った洒落乙なブレイクビーツ。好きな人と一緒にカウチでまどろみながら聴くといいかも。あ、ジャケットも見比べてみてくださいね。こっちの方がぜんぜんいいから。

ラジオ・ステーション

Welcome to Tokyo Cowboy Resort / B.A.D RADIO STATION

また曲のお知らせかよ!でごめんなさい。毎日ほとんど曲作りしかやってないので、他に日記することがあまりないのです。

このB.A.D RADIO STATIONというプロジェクトは僕とビリーふたりのユニットなのですけど、知らない人のために紹介すると、ビリーは僕が93年に開業したプースカフェというバーを僕がやめたあと引き継いでずっと切り盛りしながら、凱旋門ズというバンドのギターをやっている者です。

ビリーとはお店以外でも一緒にバンドやったり、そういえばフットサル一緒にやったりもしてたよな。彼が10代だったころからのながーい付き合いです。

話は変わって、以前、ラジオの放送局を持ちたいなと思っていたことがありました。そこからご機嫌な音楽を流しながら、コーヒーとかビールを飲みに人が集まってこれるような空間があったらいいよなって。ビリーがバーテンをやって僕がDJをやればいいじゃんね。で、その放送局の名前を「B.A.D」にしようと 思っていたわけだ。B.A.Dの「B」はビリーの「B」ですね。

このウイルス騒動でプースカフェも休業を強いられる中、業務的なやりとりをしているうちに、するするとビリーと音楽コラボする話が持ち上がり、作風が僕がひとりでやってるのと全く違うので別プロジェクトにすることになり、新しく名前が必要だわ、となった時にそのラジオ・ステーションのことを思い出して、そのまま引用したというわけです。

あ、こんな話をすると僕がまた店を始めるというようなことを想像する人もいるかも知れないけど、それはないです。ラジオの話も思いついたのはずっと前のことで、僕はこの3年ぐらいで価値観とか生活スタイルに大きな変化があって、今は「ムラ」とか「サロン」のような「人がつるむ」環境(そういうものに迎合し属していた過去の自分も)を心底憎んでいますので、自らがそっせんして世の中に「つるむ空間」を提供することは今後一切ありません。

と、また話がそれてしまったけれど、そのようにしてスタートした新ユニットの役割を説明すると、まず僕がリズムトラックを作ってビリーに送ります。ビリーはそれにいくつかのギターフレーズをのせて送り返し、僕がそれに音を加えて、構成を決め、ラフにミックス。同時進行でイメージのアートワークを作って、即発表。ってな具合です。

ビリーのギターはよく知っているけれど、彼も最近は腕を上げて、ギターが笑ったり喋ったりします。ザ・スミスのジョニー・マーさんが、ラジオで流れている曲を聴いて母親が自分の演奏だと気が付くようになったら一人前。というようなことをインタビューか何かに答えて言っていたけど、ビリーもその粋に入ってきている気がするね。上手いだけのギタリストは何百万人もいるけど、自分の音を持ってる者は本当に少ないです。

このシリーズはトラックの中に人の声のサウンドエフェクトを入れるのがお決まりの「お題」になっていて、まあ自分で喋ってみたり、古い映画やテレビ番組からサンプリングしたりしています。今回はちょっとビッチな女の子の声が欲しくて、グーグルで検索かけてみたらポルノに行きついて、若いカップルが湖畔の別荘でいちゃついていたら、そこにパパが帰ってきちゃって、、というチープな寸劇仕立てになっていて、シチュエーションもそうですし、主演の女優さんの声や喋り方がイメージにぴったりでサンプリングしたんですけど、男優の方の演技がポンコツすぎて、音の処理にずいぶん苦労しました。

そんなわけでタイトルも「リゾート」になっております。シリーズのタイトルはなるべくナンセンスになるように心掛けているのですが、今回はちょっと筋が通ってしまいましたね。そうでもないか。曲のラスト、ポルノ男優のポンコツなセリフ回しをぜひお楽しみください。

画像をクリックするとBANDCAMPのサイトに繋がります。

お知らせ

RESPIRI ALL SPECCHIO Parte 2 / KOTA feat. TRINITY

毎回毎回お知らせばっかりで恐縮なんですけど、まあ、このブログだけでマックロマンス情報を仕入れている方もいらっしゃるのでいちおうお知らせしておきますね。Parte 2はイタリア語でパート2。パート1が発売されたばかりなんですけど、パート2が6月6日にApple Music/iTunesから配信販売スタート、本日から先行予約開始です。別に予約したところで何か特典があるわけでもないので、配信が始まったらぜひご試聴だけでも。(画像をクリックするとアップルのサイトに繋がります。)

パート2とはいえ、ぜんぜん違う曲と言ってもよいぐらいの変わりようです。もともと別バージョンの曲があったのを商品化するためにミックスしているうちにどんどん変化していって原曲が何だかわからないぐらい変わりました。特徴的なのはビートレス、ドラムやパーカッションの音が一切入っておりません。でもダンスミュージックのムードは残したので、ビートがないのに踊りたくなるという奇妙な仕上がりになりました。狙ってやったわけではないのですけど、この感じはもう少し突き詰めてみようかなと思っています。

ウイルス騒動で世界の時間が止まっている間に、いろいろ仕込んでおいて時計が動き出すのに備えようと思っていたのですが、まあ正直何もできませんでした。それなりに忙しくしていたはずなんだけど、まあ音楽で言えば10曲ぐらい作っただけ。2ヶ月もあって2日に1曲作るだけでも30曲ぐらいはできてるはずなのに、いったい何をやってたんだか。

むかし、ソ連でクーデター騒動みたいのがあって、よくわかんないんだけど、それまでたいして有名でもなかったエリツィンさんがひょろひょろって出てきたと思ったらいつのまにロシアの大統領の椅子にちゃっかり座っていて、別にエリツィンさんのことは好きでも何でもないんだけど、世の中が混乱する時はチャンスなんだってことだけは頭にしっかり刻み込まれています。先の震災があって、今回のウイルスがあって、これで何もできなかった僕にはきっともう何のチャンスも巡ってこないんだろうな。

スタート地点

Oltre il confine / KOTA,TRINITY,YUASA

子供の日にリリースされた湯浅佳代子さん、アレッサンドラ・トリニティーさんとの合作 Oltre il confine が一足遅れで TRAXSOURCEに登場。他にもApple MusicやAmazonなどでも試聴、ダウンロードができるようになりました。今の時代、「作って売る」までのプロセスが容易になって、まあぶっちゃけ、ここまでは「誰でもできる」レベルで自慢にはなりません。個人でパンを作ってる人が楽天とかヤフーに自分のオンライン・パン屋をオープンした。ぐらいの感覚ですかね。

それでも普段使っているApple Musicの曲リストの中に自分の名前があるというのは、やはり嬉しいものですし、特にTRAXSOURCEは前出のBEATPORTと並んで世界中のDJで使ったことがない人がいないぐらいのダンスミュージック配信サイトで、誰のトラックでも取り扱うわけではないので、まあいちおうダンスミュージックのトラックメイカーとしてはスタート地点には立てたという達成感はあります。何といってもトラックメイクを始めてからまだ数ヶ月ですからね。2ヶ月前までジョギングシューズすら持ってなかったような輩がフルマラソンのスタート地点に立っているようなもんです。

ここから先のプランは全くないのですけど、まあとにかく曲を増やさなきゃね。1日15時間ぐらいPCの前にいて作業してますけど、ぜんぜん時間が足りません。不謹慎だけど世界の時間が止まっている今は自分にとって創作のチャンスです。

画像をクリック→TRAXSOURのサイト

静かな暴動

きのう、重要な案件があり、車で都心を横切った。あまりの人出にちょっと目を疑ったのである。カップル、家族連れ、観光客と見受けられるような人々までが、何をするでもなく街をぶらぶら闊歩しているのだ。多くの店舗が休業していることを除けば、ふだんの都心とあまり変わらない光景。奥渋谷のストリートなんかはいつもより人が多く車で通るのに難儀したぐらいのお祭り騒ぎである。

自分としては相当久しぶりの外出だったわけだが、一瞬自分の頭がどうにかなってしまったのではないかと思うぐらいの浦島太郎体験だった。ふと、終戦を知らずに29年間フィリピンの奥地に隠れていた小野田さんのことを思い出した。とっくに戦争は終わっていたのだ。

結局そこまで大騒ぎするほどのことではなかったということだろうか?しかし、このケチな国が国民全員に10万配るなんて話はこれまでに聞いたことはない。今朝も町内放送でステイホームを呼びかけるアナウンスが流れていた。公共の駐車場は閉鎖されたまま、海はサーフィンはおろか立ち入りすら禁止されている。少なくとも国サイドは事態が収束したと考えているようには思えない。そんな中、玉川高島屋は営業を再開。朝から晩までサーフィンするのと、高島屋で1時間買い物するのと、どっちが感染のリスクが高いか。要するに騒動に対する認識が官と民で乖離しているのである。

これは暴動なのだ。

国民の命をかけた静かな暴動なのだ。国民は耐えられないのだ。この不安に、この貧困に、この退屈に、この孤独に。彼らは火炎瓶を投げたり、スーパーマーケットを破壊したり、車に火をつけて爆発させたりはしない。彼らは自分自身、愛する恋人や家族を身の危険にさらすことで、支配者へ無言のメッセージを送っているのだ。俺たちを解放しろ。自由を与えろ。

国はここで対応を間違うべきではないと思う。従順な国民が、風でも嵐でも地震でも汚職でも原発でも、何があっても絶対服従してきた従順な国民が、今、初めて怒っているのだ。命をかけて支配者に抵抗しようとしているのだ。10万円としょうもないマスク2枚でごまかしきれると思わない方がよい。

さあ立ち上がれ。「ステイホーム」は今や禁句だ。「自粛ポリス」は公開処刑しろ。外出しない人間は吊るせ。街に出よう。買い物をして酒を飲め。唾を吐け。死ぬまで歌って踊りまくれ。赤信号はみんなで渡れば怖くない。これは暴動だ。支配からの卒業だ。俺たちを解放しろ。自由を与えろ。

と、まあ半分冗談なんだけどさ、ここは民をナメててはいかんところだとは思います。僕個人的には世間のトレンドやバッシングには関係なく、できる限り家にいようと思っています。もちろん、こんな状況下で外で働いていただいている方々に深く感謝と尊敬の念を忘れずに。

睡眠

人間たちとの騒動はよそに植物らにとっては嬉しい夏の到来である。特に今年は多肉らが元気でどんどん増殖、中には見たことのない花をつけたものもいる。そんな中、細い葉を枯らせて元気のない奴がいる。完全にご臨終の様相だが実はコイツ、夏に休眠する。最初の夏に枯れ、そのまま捨てるのも忘れて放置していたところ、寒くなったらとつぜん新しく葉を生やし、ぐんぐんと背を伸ばしたからびっくりした。伸びすぎて自分で支えられず、支柱をつけて育てている。鉢を換える時に確認したら根っこは不細工にも短く、これでは長い体を支えれらないのも無理はないと思った。自然界でどうやって生きていけるのかわからない。まあ、とにかく変な奴である。ホームセンターの観葉植物コーナーで同じ種類を見たら、サボテンのように手足状の株がニョキニョキ生えていた。ウチのは株をつけずに棒状のままひたすら空にむかって伸び続ける。もしかしたらダメな奴なのかも知れないが、他人とちがうのはいいことだ。ゆっくりおやすみ。君が目を覚ます頃、世界はどうなっているだろう?

MOVIE VIEW

スティーブン・ソダーバーグ監督のコンテイジョンをHULUで観た。確か映画館で観た記憶があるが、内容はうろおぼえ。何もこのタイミングでこんなものを観なくてもよいものを、最近我が家に導入したばかりの動画配信サービスHULUのメニューをチェックしていて何となくクリックしてしまったら画面に釘付けになって離れられなくなってしまった。

早い話が現在の我々が置かれた状態そのまんまみたいな内容である。不謹慎であることは承知で敢えて正直に言うが、これまでにあまり体験したことのない新鮮な感覚で、もう一度観てみたいという気すらしている。VRのヘッドセットを装着しジェットコースターに乗るゲームをプレイしながら、本物のジェットコースターに乗る感覚、とでも言えばイメージは伝わるだろうか。

ウイルスがものすごいスピードで世界を恐怖に陥れてゆく様は、まるで予言のようでもあるが、映画と現実で決定的に異なる点がある。映画の登場人物が、主要な者から通りを歩いているだけの脇役まで、皆、非常にシリアスなのである。逆に言えば、我々の現実社会には多く存在する「能天気」な人がひとりもいない。「カンケーねえじゃん、飲もうぜ〜。」みたいな輩が全くおらず、登場人物全員が一様にウイルスと感染に恐れ慄いているのである。

もちろん被害の程度の差と言ってしまえばそれまでなのだけど、私は、仮に現在のこの騒動がもっと深刻なレベルまで達したとしても、あまり動じず「能天気」な人たちの数は一定数存在し続けると思う。現在「カンケーねえじゃん、飲もうぜ〜。」な人たちだって、決して自分らの身の安全の保障があって能天気でいられるわけではないのだ。何の根拠もないけれど「カンケーねえじゃん」なのである。

ソダーバーグさんもそこまでは想像することができなかった。現実は映画よりもずっと怖い。だってその映画には描かれていなかった「カンケーねえ」人たちが文字通り誰それ関係なくウイルスを撒き散らすことになるわけだから。

でも、同時にそこがリアルな人間の強みであるとも思う。映画で描かれていたレベルのパニックに現実の世界が陥っていない背景には、おそらく物事をあまりシリアスに取らない楽天的な人々が一定数存在することが大きく付与していると思う。私、個人的には、人々はできる限り外出を控えてステイホームすべきだと思うが、世の中の人間が全員私のような心配性かつ悲観的な放射脳タイプだったとしたら、世界はもっと深刻な状況に追い込まれていたに違いない。全体としてよくバランスが取れているのだなと、思いもよらぬ感想をもってして、今日も一歩も家から出ずにいるわけである。さて、次は何の映画を観ようか。

追記:これを書いた後に同じくHULUでオーシャンズ13を観たのですけど、ぜんぜん違う映画なのに何だか同じリズムが続いてる感じするなあって、考えてみたら監督同じでしたね。で、調べてみたら「セックスと嘘とビデオテープ」がソーダバーグさんのデビュー作なんですね。何だか得体の知れない新しいトレンドの始まりを象徴するような変な映画で、(新時代に自分が)ついていけるか自信ないなあと不安に思ったことをよく覚えています。

無力

あまり気分の良い話ではないが
ウイルス騒動について
また現在の心境を記しておく
騒動が深刻化してきた時から
何となく原発のことが
脳裏をチラホラしていたが
頭を整理すると
両者にいくつもの共通点
というか
ある側面から見れば
ほぼ同じ話であることに気がついた
一般的に
今回のこの騒動は
ウイルスと人類の戦いである
と認識されているようであるが
ウイルス側に戦う意思はない
そもそもウイルスは思考しない
脳もないし哲学も文化も何もない
もし全ての人類が
自宅から一歩も外に出なかったら
この騒動はひと月
遅くとも2ヶ月で収束する
ウイルスが増殖するためには
人の移動と接触が必要不可欠
人類の協力なしには
奴らは存在すらできない
つまり
この騒動を収束させるか長期化させるかは
完全に人間サイドの都合である
もしこれが戦いであるとするならば
人間vs社会のシステム
と考えるのが適切だと思う
要するに
我々は我々自身との戦いを強いられている

またその話か

ここから先は
同じやりとりの繰り返しで
話すのも憂鬱だ
やめよう

5/40

Tokyo Cowboy Disco Part 2. / B.A.D RADIO STATION

時期的なものもあるかも知れないが、こと作曲に関しては世の中からのフィードバックが薄い。SNSやブログでディスられて凹むことは何度も経験してきているが、今回の場合はほぼ無視というか、イジメの対象にすらならないようで、やる気を削がれる。まあ作曲とは関係なく、私の賞味期限(賞味期間があったとしての話だが)がとっくに切れているというだけの話かも知れない。

以前にも話したことがあるが、甲斐バンドの甲斐よしひろさんが何かのインタビューに答えているのを見たか読んだかしたことがある。デビュー前、田舎から上京してきて右も左もわからない中で彼はまずオリジナル曲を40曲作ろうと思ったのだそうだ。40曲あればアルバムを3枚作ることができるし、アルバムが3枚あればプロの音楽家としてやっていけるだろうと目論んだ。と話していて、まあ数字の上ではその通りなのだけど、そこには大事な部分が抜けていて、つまり曲を作ってからそれがレコード屋の棚に並べられるようになるまでの「プロセス」が全く考慮されていないのである。40曲=プロの音楽家。あまりにもシンプルすぎる思考回路だが、その後の彼の活躍は私たち世代の人間なら誰しもがよく知っている。

私自身は甲斐よしひろさんのファンだったことは一度もないのだけれど、彼のこのデビューの逸話は教訓として頭の中にしまってある。

先月ぐらいから作曲を始めてみて、また彼のその能天気な教訓を思い出した。実際に、自分で納得のいく曲を40曲作るというのはなかなか大変なことだと思う。おそらく、40作れる人は100でも1000でも作れるとかそういう話なのかなと感じている。そこまで行ってみないと見えない景色というのがあるようにも思う。なので、ひとまず今は作ることに集中して、黙って40曲作ってみようと思っている。飽きずにできるか自信はないが、とりあえず現時点での目標。

そんなこと言われると聴く気も薄れるかも知れないが、5/40をbandcampに掲載した。(画像クリックで視聴/ダウンロードできます。)あと、35か。

リリース

Oltre il confine / KOTA,TRINITY,YUASA on BEATPORT

女流トロンボーンプレーヤー、作曲家、最近はシンセサイザーも使って唯一無二のアバンギャルドな活動をされている湯浅佳代子さんとイタリアはローマをベースに活動されているマルチアーティスト=アレッサンドラ・トリニティさんとの合作トラックが本日世界最強ダンスミュージック配信サイトBEATPORTからリリースされました。3人は一度も会うことなくメールのやりとりだけで制作した本作。制作開始からリリース決定まで約1週間、そのひと月後にはリリースというちょっと前まででは考えられなかったスピードですべてが進みました。聴いていただければわかりますが、僕がこれまで携わってきたどの音楽とも異なるタイプの新しい音になったと思います。小さな一歩ですが、世界に向けて動き出した最初の一歩です。

視聴してもし気に入ったらぜひダウンロードよろしくお願いします。次の一歩につながりますんでね。(画像をクリックするとBEATPORTのサイトにアクセスできます。)

対応

外出自粛生活に完全に対応した
もともと
サーフィンとDJ以外で
ほとんど外出しない生活をしていたから
ライフスタイルそのものが
劇的に変化したわけではない
働きもしないで家にいることに
罪悪感を持っていたことが判明した
今は堂々と家にいられる
荒れ放題の自宅を片付けて
自分のスペースを確保し
朝から晩までヘッドホンをして
パソコンに向かって曲を作っている
誰に聴いてもらえるわけでもないが
今は創作そのものを楽しんでいる
庭と玄関に椅子を置き
即席のカフェコーナーを設けた
春の植物の成長や
狭い空を流れる雲を見ながら
コーヒーを1日10杯ぐらい飲む
腹は減らないし
料理も面倒なので
毎日パンばっかり食べている
6枚切りの食パンを2枚焼き
バターとジャムはちみつを塗って
これを1日3回くりかえす
あいかわらずテレビやラジオはシャットアウト
SNSも一方通行で
基本的に人の記事は見ていないが
世の中の状況はだいたい想像できる
外出と言えば近所のパン屋に行くぐらいだろうか
寂れた商店街だが
普段より人が多い気がする
人の数は同じで
営業している店の数が減ったわけだから
店舗あたりの客数が増えるのは当然だ
ずっと夢の中にいるような気分ではある
自分60%ぐらいで生きている感覚だ
残りの40%はどこに行っただろう




交換

家族5人全員がほぼ24時間自宅にいるという状態を初めて経験している。PC4台とスマートフォン5台、これに最近ではApple TVが加わってWi-Fiもパンク状態。ようやく最新の設備を整えた。とりはずした旧ルーターに疲労感が漂っている。こいつを通って行き来した情報、音楽、数字、写真、映像、愛の言葉、、よくがんばりました。ありがとう。

プロモーションビデオ

ロマルー再開?

長くマックロマンスを知っている人は
ロマンスルームのことをおぼえているかと思う
当時
私がきりもりしていた
プースカフェという店のホームページに
書き記していた営業日誌である
といっても
店のことはほとんど書いておらず
趣味から時事問題
悪態や愚痴にいたるまで
まだブログなども一般化する前の時代の話で
世の中の目もあまく
今なら炎上しそうな内容のことも
好き放題書き散らしていた
他にライバルもおらず
けっこうな数の読者がいたと思う
そこに目をつけた人がいて
人様のサイトに連載を持つまでになった
その後
フェイスブックやツイッターが一般化し
埋もれるがごとくフェードアウトした

ふと
ロマンスルームの記事を書くにあたって
句読点を使わず
改行で文章をくくる
というマイルールがあったことを思い出し
それにしたがってこの文章を書いているわけだ
その当時のリズムが戻ってくるから不思議なものだ
何となくその当時に戻ったような気分すら
おもしろいから
しばらくロマンスルーム式で
文章を書いてみようかな

ちなみにロマンスルームは略してロマルー
コアな読者
つまり
ロマンスルームマニアのことを
ルーマニア
と呼んでいた

そうそう
ロマルーは
書き直しをしない
もルールだった
うむ
システム的にできなかっただけかも知れぬ

話にオチはない
あることないことを一方的にだらだら喋り倒すのがスタイル
ああ
これも口癖だったわ

新曲リリース

Tokyo Cowboy Disco / B.A.D RADIO STAITION bandcampで絶賛発売中!

サーフィンやジムはおろか買い物などの用事も必要最小限にして要請にかなり忠実に外出自粛生活を送っている。毎日やることがたくさんあって、たいくつということはほとんどない。むしろちょっと前よりも忙しくしているような気がする。

特に外出自粛とは関係なく、ひと月ぐらい前からトラックメイク、つまり作曲活動を開始した。これまでもトラック作りはやっていたが、あれは主にDJライブのためのネタ作りで、「リミックス」という手法を選択していた。ざっくばらんに言えば「他人の曲」のアレンジである。買ってきたサンドイッチをバラして別のパンに挟み、新しくサンドイッチを作るような行為と思っていただければわかりやすいかと思う。何でわざわざそんなことを、と思う方もいらっしゃるかと思うが、ひとつのセオリーとして音楽、特にDJの世界では定着している。

リミックスはもともとが人の曲なので基本売ることができない。(作曲者からの依頼あるいは許可を得た場合はこの限りではない。)今や音楽は知的財産で著作権法のコントロール下にある。私は著作権法が大嫌いで存在そのものに反対の立場にいるが、その話はまた別の機会にする。とにかく著作権法のおかげで私(たち)は作ったものを売ることができない。

売れるものを作らないと商売にならないので、作曲を始めたわけである。昔は作曲と言えば一部の才能のある人間にしかできない特殊な技術だったが、今は機械や環境が進歩して、素人でもわりと簡単に曲を作ることができるようになった。また料理で例えるなら、ホットケーキミックスやカレーのルー、機械で言えば電子レンジやセンサー付きの調理器のように簡単な作業でプロが作るのに近いものを作れる環境が整ってきているわけだ。

また、作った曲を販売するまでのプロセスもかなり簡略化できるようになった。以前ならレコード会社を通さずに楽曲をリスナーに届けることはまず不可能で、そのために好きでもない男の射精を手伝うなど作曲以外の能力がモノを言うこともあったとかなかったとか噂はともかく、一曲がリリースされるまでの間にそこに関わる人間の数が無名の新人アーティストでも100人やそこいらは軽く超えるような状態で、とにかく時間がかかるし、その人間たち全員が何某かの金を受け取らなければならないわけで、金もかかる。

曲やレコードは売価がだいたい決まっていて、ホテルオークラだからレトルトカレーでも一皿3000円、みたいなのはない。つまり儲けたければ量産して数を売るしか他に方法がない。万人に好まれる音楽(だいたいどれも似ている)が世の中に氾濫するのはシステム上の問題と言えよう。事実、そこまで大金をかけなくても(つまり携わる人間の数が少なくても)楽曲をリスナーの元に届けられるようになってから、音楽のトレンドは細分化されてきているように思う。そんな中で星野源のように飛び抜けたヒットを飛ばし続けるアーティストもいて、それはそれで凄いことだとは思う。

話がそれた。さて、作曲から販売までどれぐらいの人数と時間がかかるか?もちろん曲の内容やクオリティーにもよるが、人数は間違いなく一人でできる。時間は、、物理的には10分。現実的に捉えるなら1日あればできる。

写真はビリー凱旋門とふたりで作った曲で、着想からリリースまでおよそ3日ですべて行った。何だ3日もかかっているじゃないかと言うなかれ、別に我々はリリースまでのスピードを競っていたわけではない。もしもっと早くやる必要があれば1日でじゅうぶんできたはずだ。関わった人間は僕とビリーちゃん(あと女性のコーラスをiPhoneで録音して送ってもらった。)のみ。スタジオには一度も入ってないし、電通のまぬけと打ち合わせもしていない。先にも言ったように僕が作曲を始めたのはひと月ほど前のことで、専門的な技術や経験はほとんどないに等しい。(過去にミュージシャンだった時の経験はある程度役に立ったかとは思うが。)セオリーは作曲しながら勉強するといった具合だから、たぶん正当な曲の作り方は今でも全く理解していないと思う。それでも曲はできたし、実際に買うことができる状態にある。

何が言いたいか?私はこの状態が正常であると思う。つまり音楽なんてものは、アーティストとリスナーがいれば他はいらないってことだ。高度なテクノロジーを駆使して芸術が「人」の元に戻ってきた。音楽はレコード会社のものではないし、広告代理店のものでもないし、ましてや背中にポロシャツを引っ掛けてペニスを勃起させた中年男性のものではない。音楽は表現者とリスナーのものでしかない。奏でる者、歌う者、聴く者、踊る者。良い時代になったのではない。本来の姿に戻ったのである。

記録

半月ほど前に「記録」というタイトルでコロナ騒動について書いた。あれから状況は悪くなるばかりで、あれよと言う間に首都圏に緊急事態宣言が発令された。自宅と海にしかいない自分にはあまり関係のない話だろうと思っていたが、波情報のアプリを見たら、情報の一部が見れないようになっていた。海にも行くなということなんだな。都内の満員電車は放置状態(未確認)らしいから要するに、会社の仕事>感染>その他もろもろ、ということらしい。世の中で何が重要とされているか、このような非常事態になるとよくわかる。

刻一刻と変化し続ける状況に思考がついていけず、この記事も何度か書き直しているのだが、手短に現在のスタンスというか心境を記しておく。

最初、コロナの話を耳にした時に、私はこれはモンサントが菌を撒いて特効薬で一儲けしようとしているのだと思った。先の震災以来、私の頭は放射脳化しているので、何が起こっても一度はそのような陰謀説を疑ってかかるようになっている。その後、日々の状況を見聞きしていく中で、これは意図的にセットアップされたものではなく、偶発的に起きた事件であると認識し、自身の当初の目論見を恥じることになるのだが、実は今またその気持ちも少し揺らぎ始めている。

さすがにもう陰謀とまでは言わないが、このコロナ騒動には公には発表されていない何か重要なことが隠されているような気がする。根拠はないが何となく感じるのである。嘘はついていないが全て話しているわけではない。という類の文章にはそれ相応の特徴があって、下手な歌手の歌の良いところだけを切り貼りして作った曲を聴くみたいに、どこか居心地の悪さが付着していて、わかる人にはわかるのだ。

あるいは国民がパニックに陥らないための配慮がなされているというだけの話かも知れない。長引く外出自粛生活であれこれ考え過ぎて私の脳がメルトダウンし始めたのかも知れない。パニックを煽るようなつもりは毛頭ない。現在の心境をなるべく正直に簡潔に書いた。また恥じることになろうが、言うまでもなくそうなった方が良い。

サーフィン日記

強風がひゅうひゅうと上空を渦巻いていた。雨戸が揺れ、どこかで物が倒れる音がした。ベッドから出るのに勇気のいる朝だった。今日はサーフィンはダメだなと思った。カフェオレをいれ、焼いたトーストにジャムを塗って、途中まで観た映画にチャンネルを合わせた。ちょうど主人公が悪の巣窟に喧嘩を売りに行くシーンだった。ポールダンサーが胸もあらわに踊っている姿が映し出されるのを見てスイッチを消した。娘たちがいつ2階から降りてくるかも知れない。学校も仕事も休みなのだ。

予報を見ると、嵐のような風にもかかわらず、海のコンディションは悪くなさそうだった。そこそこのうねりがあり、穏やかな北風で面が乱されることもないとあった。

9.5フィートのシングルフィンを車に積んで出発した。セブンイレブンに寄ったら大きいサイズのペットボトルのミネラルウォーターが全て売り切れだった。500mlのを2本とバナナとコーヒーを買って高速道路に乗った。相変わらず風は強かったが空は快晴で気温も20度近くあった。もし波がなかったらビーチで日光浴すればよかろう。

高速道路の車線規制の影響で少し渋滞があった。ふと、制作中のトラックに叫び声のSEが欲しかったことを思い出し、録音するにはちょうどよい環境であることに気がついた。スタジオに入るほどの大仕事ではないが、自宅で叫んだらきっと通報される。録音の機会がなくて先送りになっていたのだ。

狂人のように雄叫びを上げ、その様子をiPhoneで録音した。心拍が早くなり、体温が上昇するのを感じた。パーカーの中に着込んだ下着にうっすらと汗が滲むのがわかった。

駐車場で準備をしていると、後からやってきた同い年ぐらいのサーファーがブーツは必要かと聞いてきた。私は末端冷え性なので(普通ならいらないと思います。)と答えておいた。日常生活の中で見知らぬ他人に声をかけられることはまずないが、海の近くではよく話しかけられる。

予報通り、風はさほど強くはなかった。天気のよい春の海日和だった。水はまだ冷たかったけど手袋が必要なほどでもない。ただ北風というのは嘘で完全なオンショアだった。おそらくこの時間帯までコンディションが良かったのだろう、けっこうな数のサーファーが海に浮かんでいた。なるべく人の少ないところから入ったらカレントがあってあっというまに沖に出た。オンショアの影響で押しつぶされたぐちゃぐちゃの波ばかりだったが、とりあえず来たやつを捕まえたらぐちゃぐちゃのまま波打ちぎわまで連れて行ってもらえた、乗った波はプルアウトせず最後まで丁寧に、砂浜にフィンが突き刺さるまで乗る、が信条のひとつ。友人の受け売りだがそれがかっこいいと自分では思っている。

こんにちは。目があったサーファーと挨拶を交わす。日常生活の中で目があった人に挨拶する習慣はないし、だいたい街では誰も私と目をあわさない。

コンディションはどんどん悪くなり、風も流れも出て、浮いているだけでもしんどくなってきた。サーファーがどんどん上がっていくのでスペースはできるが、肝心の波がないではどうしようもない。

ボードを浜に上げ、いい感じに転がっていた石に腰かけ、ビニール袋に入れて持ってきたバナナを食べた。波にあぶれたサーファーたち、手を繋いで歩く若い恋人たち、平日にはめずらしい家族連れの姿もちらほら見えた。

目を閉じるとオレンジ色だった。波や風の音を感じながら黒点が泳ぐのを追いかけ、しばし「何も考えない」ことに集中した。不安や恐怖や虚無がかわるがわるやってくるのを跳ね除けているうちにペンギンにたどり着いた。無の象徴をピクチャーするにペンギンはあまりにも実在的すぎたが、それでもわけのわからぬ恐怖に取り憑かれるよりはずっとマシだった。2羽のペンギンはしばらく宙に浮かんでゆらゆらしていたが、やがてオレンジ色に飲み込まれ、そのオレンジも次第に色褪せ、波の音だけが暗闇の中に残されてじゃぶじゃぶしていた。

目を覚ますと海の様相は一変していた。肩ぐらいのサイズの波が幾重にもなって押し寄せて、崩れ落ちた泡が波打ち際を白く彩っていた。誰かが放置したビーチボールが左からやってきて私を目の前を横切り、右の方に転がって行った。風が東に回ったようだった。どこに姿を隠していたのか、ショートボードのサーファー達が波のにおいを嗅ぎつけて、続々とビーチに集まり始めていた。

外から見ているよりも波は大きく、休む暇なくやってくるので、海に出るのに難儀した。目の前を、長身でバケツハットをかぶったサーファーが、上手に波とやりくりして、ニーパドルであっという間に沖に出て行った。前にも見たことがあるサーファーだった。上手い奴は存在感が違う。それにその男はドイツ語を喋っていた。この辺の海でドイツ語を耳にすることはとても珍しい。

東からの風を押し除けるぐらいパワーのある波だった。ほとんどパドルせずに波に押されるようにテイクオフして、削るように斜面を滑る。バランスを崩して振り落とされたところに別の波がやってきた。そのまま乗って岸まで行った。苦労して沖に戻ったらサーファーの数が3倍ぐらいに増えていた。内側にもショートの連中がたむろし始めていた。渋滞のエリアを諦め横にそれたエリアの少し内側にポジションを取り、小さめの波と戯れることにした。

狙いをつけた波に左からやってくるサーファーが視界に入った。距離はあったが流したところ、男が笑顔をよこしながら滑っていった。フィニッシュした後に男が振り返ってまた笑った。しつこいようだが、街で私に笑顔をよこす人間はいない。

良い状態は長くは続かなかった。波は突然なくなって、風に煽られたぐちゃぐちゃ状態に戻っていた。空を見上げるとナマコのような形をした邪悪な黒い雲が東から押し寄せてくるのが見えた。雲から飛び降りるように雨が降り落ちている様子も見て取れた。思い残すことはない。潔くリーシュを外し、深くお辞儀をして海を後にした。

着替えを済ませて駐車場を出たら先ほどの黒い雲はすっかり姿を消していた。波もまた少し良くなっているように見えた。

となりのビーチまで車を走らせ、以前に行ったことのあるカフェに足を運んでみた。混雑していたらやめようと思っていたが、幸いお客の姿はなかった。テーブル4台ぐらいの小さな店で、いつもウクレレ音楽が静かに流れている。無口で少々人相の悪い店主(どこからどう見てもサーファーだ。)が、美味しいパンを焼き、コーヒーをいれてくれる。開け放たれたドアから柔らかな風がそろりそろりと入ってきていた。吊るされたハワイの木の風鈴が揺れてポコポコと可愛らしい音を奏でていた。

ベジタブルバーガーを口に放り込んでむしゃむしゃやっていると、母と娘の親子連れがやってきた。母親は40ぐらい。娘の方は小学生高学年といったところか。娘はアイスティーを注文し、慣れた感じで席を取り、リュックサックからノートや文房具を取り出して宿題か何か勉強を始めた。母親は何も注文せずに行ってきまーすと言って店を出ていってしまった。出ぎわに私の方を見てちょっと笑ったような気がしたが、一瞬のことで反応できなかった。人に笑顔をもらうことに慣れていないのだ。

母親がサーフィンをしている間、娘は宿題をして待っているということなのだろう。女の子にお小遣いをあげたいような気持ちになったが、もちろんそんなことはせずに黙ってバーガーを食べ、コーヒー飲み、デザートにイチゴと生クリームの乗ったデニッシュを食べ、勘定を支払って店を出た。ごちそうさま。

駐車場に戻ると、隣に停めた車がちょうど出るところだった。私のと同じ古いホンダの車だった。同じ車なんて珍しいよねえ。と男がわざわざウインドーを開けて話しかけてきた。そうですね。と、出来る限りの笑顔を作って答えた。もう27万キロ走ったよ。と男が言った。そりゃすごいですね。僕の倍だ。と答えた。我々のホンダは中途半端にオフロードなデザインが受けず、あまり売れないうちに製造中止になったモデルで、確かに海で見かけることはほとんどない。弟が車を買い替える時にくれたのをもう5年ぐらい乗り続けている。このぶんだとあと5年ぐらいは乗れそうだ。

都心に近づくにつれ、また風が強くなってきた。おそらく東京は強風に翻弄される1日だったのだろう。得したような気もしたが、少し申し訳ないような気分でもあった。日に焼けた顔や首の皮膚が心地よくヒリヒリしていた。

ツアーレポート(ビデオレター)

2019年、クリスチャン・デスのヨーロッパツアーのレポート総集編。SNSを通じて友人らにツアーの様子を報告するためにiPhoneで撮影していたビデオをまとめました。1時間と長いですので、お時間のある時にご覧になってみてください。

記録

だいたい一月前に「見ざる聞かざる」というタイトルで昨今のコロナウィルス騒動についての記事を書いた。実は騒動については全体としてもっと楽観的に捉えていたのだが、目論見は外れた。正直に言うと少々「怖い」。

現時点では、ウィルスよりも人間の方が怖い。拳銃と食べ物と薬のどれかひとつを選べと言われたら、おそらく銃を選択すると思う。後になってこのブログを読み返して「バカなことを」と笑えるようになることを祈るしかない。

今やウィルスは世界中に蔓延して、まるで悪い夢を見続けているような状況だ。悪影響が僕のような社会からほとんどドロップアウトしたような人間にもひたひたと押し迫って来ている。

アメリカDJツアーの日程はすべて延期、もしくは中止になった。現地の温度の急降下が怖い。ほんの1週間前までは「いくつかのショーは中止になるかも知れないね。」ぐらいのムードだったのが、現在では「もし生き残れたらまた仲良くしようね。アデオス!」みたいな感じになっている。

東京でのDJの機会もほぼ消失した。もともとほとんど仕事が来ない状況だったから、今後のことを考える良い機会になったかも知れない。

反面、我が日本国民は自粛モードに飽きたらしく、街に人が戻り始めている。実際に目にしたわけではないが、花見や酒場は例年よりも盛り上がっているようにすら感じる。赤信号はみんなで渡れば怖くない。

もともと「引きこもり」と言ってもよいような生活をしているので、自宅でいることそのものはさほど苦痛ではない。「何もしない」ことは私の特技で、思えば数年前の入院生活も非常に有意義なものだった。自分が社会に何ひとつ貢献できていないことを常に恥じているが、今は堂々と「何もしない」でいられる。

2020年3月23日。私の憂鬱は私の中にある。つまり私は「まだ」このウィルス騒動を楽観的に捉えている。

この記事は何も伝えていない。この異常事態において、現時点での自分の立ち位置を記しておいた方がよいような気がして書いた。

DJのお知らせ(中止になりました。)

3月28日(土)青山CAYでDJします。←中止になりました。

ツアー延期のお知らせ

4、5月にDJ/アジテーターとして参加する予定だったクリスチャン・デスの北米ツアーは延期になりました。日程は現在のところ未定ですが、ブロンディ、ディーボなども出演するCRUEL WORLD FESTIVAL は9月12日開催が正式に決定しています。出演者のラインナップは変わらず、チケット(完売)はそのまま使えるとのこと。

雑誌の話

Lula 11. マガジンハウス刊行

90年代の初頭からサブカルチャー誌のSTUDIO VOICEを毎月購入していた。2009に廃刊(休刊?)されるまで欠かさず買い続けていたから、かなりの量のコレクションが今でも書斎に並んでいる。同誌の何が私のどこを刺激したのかよくわからないが、もともとあまりモノにこだわりがなく、収集癖もない私にとっては珍しい行動だった。

私が経営していた自由が丘のバーに当初、イギリス人で元モデルの女性がよく足を運んでくれていた。何度か会話を交わしているうちに、彼女がSTUDIO VOICEの創刊号(同誌はタブロイド判のカルチャー新聞としてスタートした。76年とウィキにある。)の表紙を飾ったことを知って驚いた。

それからしばらくして今度は何と同誌の編集長がバーを訪れる。たまたま通りがかりで店を見つけたらしい。店を気に入ってもらえたらしく、ちょくちょくやってきては静かに時を過ごしていかれる。STUDIO VOICEと流行通信の新刊を持参してくれるので、関係者だろうとは思っていたが、まさか編集長その人とは。

私の人生では(おそらく誰の人生においてもそうだけど)そのような、不思議体験としてネタにするほどドラマティックではないにしろ、偶然として流してしまうには少しもったいないような出会いやハプニングが度々起きる。

STUDIO VOICEが廃刊になって消えた頃、HUGEという男性ファッション誌が登場してきて、タイプは全く異なるが、特集の斬新さとアートワーク、特に写真が良いのが気に入って、やはり5年後ぐらいに廃刊になるまで買い続けた。

HUGEにおいて、STUDIO VOICEの時のような出会いはなかったが、専属のモデルに知り合いがいた。彼は元々写真を撮っていて、恥ずかしながら私も何度か被写体になったことがある。その時から、撮る側にいるのがもったいないと思わせる独特のムードを持っている男だったから、彼を誌面で見るのには全然違和感はなかった。

以上が、私の雑誌購入体験のほぼ全てである。以降、本屋やカフェで手に取った雑誌をペラペラめくることはあっても、定期購入に到るほど魅力的な雑誌に出会うことはなかった。

なかった。が、それは私が男だからかも知れない。昨年、KOTAの活動を再開してから、女性服との関係を持つ機会が増え、自然な流れから、ふと目にした女性誌を開いて飛び上がった。

見ざる聞かざる

昨年、3週間ヨーロッパにいて、テレビやラジオ、新聞、SNSなどから断絶された環境にいて、自分が抱えている多くのストレスがそれらの媒体から発信されていることに気がついた。

政治や社会の情勢にセンサーを尖らせ、正しい情報を得て、しっかりした自分の考えを持つべきである。と、先の震災で学び、特に時事問題には興味を持って積極的に社会に参加しようとしてきたし、外を出歩くことの少ない私の生活環境において、SNSは他人とコミニュケーションが取れる貴重なツールだった。

しかし日本の首相のツラをテレビで見るたびに腑が煮え繰りかえるような思いをし、「いいね」の数に翻弄され、無記名のディスコメントに凹まされ、私の心はいつしか、憔悴していたようである。テレビやiPhoneを見ないだけで、こんなに毎日が楽になるとは思いにもよらなかった。

そんなわけで、6月に帰国してからもう半年以上、テレビやラジオは一切見聞きしないようにしている。SNSは発信専用にして、基本的に人の記事は見ていない。

いくら耳をふさいでいても、入ってきてしまう情報というのはあるもので、例えば新型肺炎のニュースについてはだいたい把握していると思う。政治や経済においては、何が起こっているかむしろニュースを見ない方がよく見えているような気がする。

基本、世界はアメリカを中心に回っている。新型肺炎は製薬会社が儲けるために開発して撒いた。調子に乗ってる中国を牽制する意味もあったかも知れない。日本ではナショナリズムを高める(なぜか中国人が悪いということになっている。)のにちょうど良い材料になったし、経済がうまくいってない理由をぜんぶ肺炎のせいにできて好都合だ。オリンピックがコケてもきっと肺炎のせいにするだろう。全体として「自分らがうまくいってないのは全部中国のせいだ。」というシナリオでごまかし続けていくつもりだろう。

金は回ってないが、労働者に還元せずに留保した金がたくさんある。それで自社株を買うから株価は安定。同じことを国もやっている。アメリカがコケたら日本もコケるが、またトランプが当選するだろうからしばらくは安泰。と、みなが思っている。

実際には金は回ってないから、国民の生活は苦しくなっている。重税も厳しいが、まわりも同じだ。日本人は自分だけ辛いのは耐えられないが、みんなで一緒に辛いのには恐ろしく強い。物理的な苦痛よりも「人と違う」ということがいちばん恐怖だ。

賭けても良い。消費税10%はジャブに過ぎない。そのうちものすごいストレートパンチが飛んでくるが、みんなで一緒に気を失うのなら本望だ。日本人はみな喜びノーガードで受け入れるだろう。

すべて私の妄想だ。情報が入ってこないから想像するしかない。妄想だから現実とは全然違うのだろう。コンビニで買ったアイスがやたら小さく見えるのは私が太って大きくなったからに違いない。

え、マジ?

さて、4月に参加するクリスチャン・デス北米ツアーの内容が徐々に明らかになってきました。

メインイベントは何と言ってもコレになるでしょう。ラインナップ見てさすがに驚きました。これ自分が出演しなくてもけっこうな事件だよね。80年代ポストパンク界隈では近年で一番大きなニュースだと思います。ぶっちゃけ、よくもまあ実現したなあとプロモーターの手腕に素直に感心してしまいます。

中でも特筆すべきはPUBLIC IMAGE LTDの参加。何と言っても僕が「ロマンス」なのはP.I.Lの「Flowers of Romance」がルーツなんでね。原点の中の原点。自分が同じイベントに出演することになるなんて、はるかに想像を超えております。人生は本当に何が起こるかわかりません。

開催は5月2日(土)ロサンゼルス。ゴールデンウイークなんでね。お休みとってぜひ応援しに来てください。詳細はイベントのオフィシャルサイトにて

追記:同フェスのチケットは発売開始から即日完売したそうです。